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風のスケッチブック

些細な記憶の断片
記憶を記録しておくこと
想いを残さないために

梨ごろりん

2025-03-31 13:54:55 | 日記

 

〜2005年ごろのできごと〜

都心での用事を済ませて乗り込んだ昼下がりの電車は

思っていた以上に乗客が多いのでした

私とタタタ氏はあいている席を見つけて並んで腰かけました

通路を挟んだ正面には 足もとに大きな紙袋を置いた

人の好さそうなお爺さんが腰かけていました 

立っている乗客は 赤子を乗せたベビーカーを

伴った若いお母さんがドア脇にいるだけでした

 

電車が突然に揺れた時です

お爺さんの紙袋が横に倒れ、中からとんでもなく大きな

梨が数個転がり出てきました 

ほとんどをお爺さんは拾い上げ、紙袋にしまいましたが

1個だけ、若いお母さんのところまで転がって行きました

彼女がそれを拾い上げお爺さんの元へ持って行くと

お爺さん、「ありがとうね その梨はあなたに差し上げますよ

あまり美味しくはないがどうぞどうぞ」

人の好さそうなお爺さんは見た目通りの話し方をしました

すると若いお母さんは首を横に振って遠慮をしたのです

それでもお爺さんは「どうぞどうぞ」と

彼女に梨を勧めました

この問答が4回続きました

3回目と4回目の若いお母さんの遠慮は 

もはや遠慮とは言えない、冷ややかな拒絶になっていました

隣の隣に腰かけていた若いカップルの男の方が

「美味しくないが…なんて言われたらさ、そりゃあ

もらいたくないよなあ」なんて言っています

 

(わかってないなあ若いやつ! あれはお爺さん世代の

謙遜なの! 若いお母さんが気持ちよく

それじゃいただきますね、と言って梨を受け取れば

済んだ話なの! もらいたくない、とかの問題じゃないの!

礼儀と敬意の話なの! お爺さんの素朴な好意を無にしないの!

1回きりのことでしょ!ここはお爺さんの押しに負けてあげるの!)

私の心は千々に乱れ、怒りさえ湧き始めていました

車内も何となく居心地の悪い空気になっていました

 

その時でした

「その梨、私に下さいませんか?」

私の隣に腰かけていたタタタ氏です

お爺さんはニコニコしながら

「どうぞどうぞ、あまり美味しくありませんが」と言って

梨をくださいました

代わりにタタタ氏は、都心で買った有名ホテルパンを

お爺さんに差し上げました

 

車内の空気は一変して和やかなものになりました 

 

帰宅していただいたお爺さんの梨(私もご相伴にあずかったのです)は

とても美味しいものでした

 

 

 

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ケセランパサラン

2025-03-30 19:39:11 | 日記

 

〜1977年(15才)のできごと〜

授業中でした

隣の女子がいきなり私に言ったのです

「シロ君動かないで!ケセランパサランよ

あたしが捕まえる!」

「ケ……パ…?(なんだそりゃ)」

私には、それはたんぽぽの綿毛でした

 

 

 

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読み間違い

2025-03-29 21:52:37 | 日記

 

〜1972年(10才)のできごと〜

夏休み、次兄が映画に連れて行ってくれました

映画館は満席、兄と私は立ち見でした

富士山の写真と「松竹映画」の文字が

ドドーンとスクリーンいっぱいに映し出されたときです

満員の映画館の雰囲気に高揚していた私は

思わず横の兄にまあまあの大声で言いました

「まつたけえいが!」

兄は吹き出しました

近くの大人たちも笑いました

結局何と読むのが正解なのかわからないまま

映画が始まりました

「男はつらいよ」のタイトル文字がテーマソングと

共にスクリーンに出ました

 

 

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お鍋御殿

2025-03-29 07:07:40 | 日記

 

〜1986年頃のできごと〜

日曜日の午前、アトリエには子どもたちも

絵を描きに来ました

その中には、アトリエの斜向かいに建つ

お屋敷の少女もいました

少女はアイススケートもやっていることを

いつか私に話してくれました

大人たちは、お屋敷はお鍋を製造している

会社社長のお宅だとか、少女は孤独な境遇なのだとか、

噂をしていました

なるほど、遠目に見ていて少女の挙動は

やさしさに飢えているのが何となくわかるのでした

 

気がつけば少女はいつの間にか来なくなり

お屋敷は空き家になっていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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都会のラビリンスー坂道の名ー

2025-03-27 23:14:06 | 日記

 

〜1985年のできごと〜

下宿生活を送っていた街は

坂道の多いところでした

多くの坂道には名前がついていました

私が最も利用していた坂道はかなりの急勾配、

手すりを境に、たて半分が階段になっていました

文豪の小説舞台にもなった坂です

 

 

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