むらくも

四国の山歩き

三頭山・青龍山…徳島県

2016-02-06 | 阿讃山脈

三頭山、青龍山             さんとうざん、せいりゅうざん



山行日                 2016年1月31日
標高                  734.2m、おおよそ860m
登山口                 美馬市美馬町貫通石
駐車場                 車道広い路肩
トイレ                 国道438号線沿い「太陽マーケット」(貫通石下)
水場                  なし
メンバー                ピオーネ、むらくも



4日前に歩いた池田町白地にある池田龍王山・禿ノ峰に続いて、今日も阿讃山脈の徳島側にある低山に登ることにした。
歩く予定の山は三頭山と青龍山の二山。
わたしたちの(といっても妻とわたしの二人だが)山歩きのスタイルは里山であっても同じ山には続けて登ることはほとんどない。
性格が飽きっぽく元来の浮気性なのだろうか、次々とできる限り歩いたことのない山を探しては登っている。
行く山が同じ山であったとしても、登山口やルートを違えて登るようにしている。
もしも同じ登山口・ルートであったとしても、それは季節を違えているか年数が経っているか、それとも妻の趣味とするある特別な花が咲いているときに限られている。

山は登れば登るほど、歩けば歩くほどになにかしら新しいことに気づき、新しい知識を教えてくれる
それはそれぞれの時間に見る風景や山を染める色合いや風や霧であったり、そこに生える樹々や咲く花であったり、棲む小動物や昆虫であったり、そして山に至る山間地での人々の生活や歴史であったりと様々なことを知ることができる。
長いこと何度も何度も通わないと理解したとはいえないだろう。

目新しい風景だけを追い求めていくことは、随分と浅はかなことだとは思うが、それでもやっぱり知らない山へと行きたがる。
長年このスタイルを変えられないし、変えようとはしない。
それは表面を一度だけすっとなぞって、それでわかった風な気持ちになっている中途半端な山への姿勢がそうさせているのかもしれない。

初めての山は心がワクワクする。
たぶん、それだけのことかと思っているが、それがどうしようもなく楽しいのだから仕方がない。
なんせ、山の数が多すぎて、一生かけても日本中の山どころか、西半分の山でさえ登り切れないほどある。
クライマーだのアルピニストだのはわたしからはとんでもないこととして除外して、ハイカーとして出かけてもそうなんですから困ってしまうのです。



というわけで、今日も生まれつきの浅はかな老夫婦は、こういうのを天然夫婦というのでしょうね。
天然温泉ならだれもが喜んでくれるのですが、ただの天然夫婦ではねー、うさんくさくて人間どころかお猿さんも喜びません。

早朝、空が白み始める時刻には川ではカモたちがガッガーと鳴き、その声で寝床から離れるのですが、今日は朝ドラもない日曜日、遅くまで眠りを貪る。
8時過ぎに、もそもそ起きてお湯を沸かし、ザック、ストックやらをわさわさっと準備して、美霞洞温泉方面へと車を走らす。


   太陽マーケット&手打ちそば           三頭山&青龍山周辺地図

まだ一月だというのにもう三寒四温が始まっているのだろうか、5~6日前に冷え込んだおりに降った雪で、いったん山は真っ白になったが、その後気温は上昇し雪は溶けてしまった。
今年はどうやら山への冬靴は履くことがほとんどないのかもしれない。
家から出るときにも冬靴は持参せず、オールシーズン用の靴を車に積み込んだ。

太陽マーケットから右、竜王山方面へと曲がったすぐのところに貫通石のモニュメントがあって、その広い路肩に車を止める。
アウトドア用のコンパクトな椅子を車外に持ち出し、いつも散歩用に履いているランニングシューズから登山靴に履き替え、ほんの少しだけ緩めに紐を結び元重清北小学校への太い車道を歩く。
(貫通石横から山手へと続く簡易舗装の細い道があって、本来はそこから登るらしかったのですが、後日になって知る)
時刻は11:15、こんなに遅く出発したのは里山ならではのことで、一月にしては寒くもなく暑くもなく、シャツ姿でちょうどよい。


        貫通石                    車道歩き(左下の道はR438)


歩きだしてすぐに右後方を振り返ると美しい段々畑が広がり、さらに後方には竜王峠あたりから派生する尾根が吉野川沿いにある美馬市へと緩やかに落ち込んでいる。




快晴だ、言うことなし。
シャツ二枚でもうすーく汗をかくが、顔や手の肌にはひんやりした空気がふれ、気持ちがいい。
歩きだして10分余りで道路沿い右手に広い駐車場があって、その先の三叉路には緑の看板があった。
看板には左折200m先でさらに左折し「山人の里」(重清北交流促進簡易宿泊施設)と記されている。


  右道路下に見えた三頭トンネル         山人の里への緑の看板と三叉路

擁壁にはイノシシのイラストが描かれ、重清北幼小学校の看板が貼り付けられており、そちらへ向かう。
廃校となった学校施設を宿泊施設として活用しているようでしたが、妻の話では、一昨年の日本百名山ひと筆書きに引き続き、昨年2百名山ひと筆書きに挑戦した田中陽希さんが瀬戸内海をカヤックで渡り、三嶺への途中でここに泊まったとのこと。


    道路擁壁にあった学校跡の看板            山人の里(学校跡)

なんだかよくわからないまま集落をうろうろっとして、学校の南側へ行ったところ、小さなお堂があった。
中村大師堂だった。

三頭山と青龍山はガイドブックである徳島250山(鳴門岳友会)に紹介されているのですが、事前に国土地理院地図を見たところ、車道が三頭山山頂傍まで走っており、三頭越と青龍山を挟み込むようにして一方は西へ回り込み、もう一方は三頭越と寒風越の徳島側中腹を抜け、竜王峠を越え香川県へと下っていた。
要するに車で走れば容易に山頂へ行ける山だったので、あまり詳しくは読んでいなかったのです。
事前に頭に入れてきたのは、「貫通石」と「中村大師堂」それと二座の位置だけで、大師堂にたどり着けばあとは簡単に登山道が見つかり、鼻歌で歩けるだろう。
そう思ってたのです。
ところがギッチョンチョン、大師堂から先へはどう進めばいいのかさっぱりわからない。
妻が大師堂のすぐ左側の細い畦道が登山道でその先に竹藪があるという。
そのとおりに進んだが、畦道などないし、竹藪が見えない。


       中村大師堂                      周りの畑

なにがなんだかわからないままに、大師堂の右側に細い畦道らしいものがあったのでそれを辿った。
畑の奥右側に竹藪があって、うすーくふみ跡が続いている。
登山道はこれだと決めつけてしまった。
なーんだ、大師堂左側でなくて右側じゃないか、250山ガイドブックは左と右を間違って刷ったんだわ。
人間というものは思い込みが激しい動物だ。
やがてそのふみ跡は雪の残る谷に消えてしまった。




ええーい!
なるようになるさ、上には車道があるし、たかが里山じゃないか。
とりあえずヤブの空いているところを目指して上へ上へと登っていくと、林道らしきところへ出たが、ススキやイバラが茂っており、あたり一面イノシシの巣だらけ。
つい先ほどまで居たのじゃないかと思えるような真新しい足跡も残されている。
そんな林道を二つ跨いで、三つ目を辿った。
上にガードレールと車道の擁壁が見えてきた。
擁壁は5mぐらいある高いものだった。




擁壁の根っこまで行き、右へと辿りアスファルト車道へ飛び出る。
妻は反対の左へと回り込み、同じく車道に飛び出す。
わたしは右利きで、妻も右利きなのだが小さいころは左が得意だったようで、こんなところでそんな癖がなんとなく出る。

車道からは北に1012.7m峰の形のよい三角のピークが聳え、その右奥に電波塔と展望台らしきものが小さく見えていたので、それが標高1059.8mの竜王山のようでした。
地図で確かめると1012.7m峰のすぐ奥が竜王峠で手前が寒風峠です。




車道を左、南へ歩くとすぐに二本の石柱が立つ広場だった。
広場を突っ切った奥の右階段を上がると、展望の良い東屋。
時刻は13:29、驚いた、予定時刻を1時間オーバー。
妻の話では中村大師堂あたりをうろうろしているときに集落から正午を報せるチャイムが鳴っていたとのこと。
最近、お腹が空かないんですよね。
それなのに、現在の体重は68年間の人生史上最高重量。
食べてないのに太る。
ときどき絶食もしてみる。
ところが中途半端にラマダーンの真似事などすると、ますます太る。
どうしてなのか?
ぷくぷく病という病なのか。




南への景色は絶景だった。
眼下に吉野川、対岸の町は半田町だろうか?
だとすると奥の山並みは腕山、日の丸山、桟敷峠を挟んで風呂塔、火打山、矢筈山や石堂山も見えているのだろう。




南東方向すぐ近くには、これから行く三頭山が見えていたが、その手前に樹木が生えてない小さなピークがある。
地図で見ると、ハングライディングサイトと言って、パラグライダーやハンググライダーの基地のようでした。




西北西方向に振り返ると、青龍山の頂。
徳島250山のガイドブックによると、青龍山には小さな祠があって、信仰の山だそうな。
青龍とは青く清くとうとうと流れる吉野川を指しているのだろうか。




写真を撮り終えて、さてお食事と思ったら、コンビニで買ったサンドイッチや飲み物をそっくり車に置き忘れてきた。
妻がサンドイッチとブルーベリージュースを分けてくれた。
ありがとね、優しいね。

食べ終えて、三頭山へ向かう車道からは北に景色が開けており、寒風峠~竜王山が一望できる。
手前にふもとの集落がありますが、右下方の枯れすすきの陰に、山人の里(小学校跡)の建物が見えています。




車道の傍らのそこここにお地蔵さんが…。
この道は、かつては金比羅さんへの古の路で、徳島側のあちこちから三頭越に通じている。
三頭越には鳥居があって、徳島側には金比羅大権現、香川側には三頭山大権現の額が収まっている。
昔は様々な方たちがこの道を往来していたことでしょう。

道左側に東屋があった。




東屋からは東に景色が開け、吉野川の蛇行する先には徳島市街が見え、その先に紀伊水道が見えているような気がした。
ひょっとして右側にうっすらと小さく眉山が写っているのでは…。




後日に気が付いたのですが、徳島250山のガイドブックによるとこの東屋の左側からふもとにある中村大師堂へと下るルートがあるらしいのですが、確認はしていません。
ハングライディングサイトのピークに登って、その奥へと歩くと、三頭大明神さんがあり、石には昭和61年4月吉日と刻まれていましたが、石柱の頭には古めかしい丸い重ね石が置かれていました。
もともとはかなり古いものだったんでしょうね。
新しく建立したようです。




さらに奥へ進むとキティさんの標識もあって、三角点のある三頭山到着、14:10でした。




帰路、サイトの傍の大きな木とその下の大明神全体を撮影。
さらに南にある三頭神社にも寄ってみました。




1月のわずかに雪の残る神社境内で、神妙に二礼二拍手一礼。
心が澄み渡りますな~。
南には樹幹越しに電波塔が…。




古い狛犬がありましたが、頭は相当に崩れていて、建立年月日もなにもありません。
神社から、再び来た道を引き返し、青龍山を目差します。
ここへ先に寄ったのは、下山ルートを確認したかったためで、もう一度往路のふみ跡のないヤブを歩きたくなかったのと、地図では林道が描かれてはいても、その林道がヤブ化している可能性が高く、当てにならないのを危惧したからでした。
三頭山への途中で北方向にふもとへ下っているしっかりした林道を確認したところで、安心して青龍山へと車道を進みます。




お地蔵さんを入れて、バックに寒風峠方面の山並みをパチリ。
広場を過ぎて、往路歩いてきた道とは反対の左車道へ。
ほどなく三叉路があって、そこには百笑一起の会が立てた標柱が二本。
一つには三頭峠入口、もう一方には青龍の祠入口と墨書していた。
たぶん墨でしょうね、消えないもんなんですね。




一句浮かびました。
「竹林の道に残るや雪景色」
う~ん、今一やな、なんやそのまんまやないかいなと言われそうな句、お粗末すぎましたわ(-ω-)/
うさぎのポロポロうんこに遭遇。




途中で三頭越への道から左折し、今度は古のニッサン・サニーと遭遇。
なんとも格好いい車じゃありませんか。
もしもエンジンが掛かれば、バッフォーン!ボロボロボロローンなんていう音が響くんでしょうか。
そして畑地跡の手前で右折し尾根の薄いふみ跡を追う。
15:10、小さな祠のある青龍山山頂に到着。
展望なし。




もときたみちを引き返し、畑地跡からは右折し小さく周回を試みる。
おやま、今度はリヤカーの赤錆びた台車が林の中に転がってました。
このリヤカーで収穫した高地野菜や果物を運んでいたのでしょう。
往事が偲ばれます。

車道に出たところがここ、これでは入口がわかりにくい。




車道からはくっきり吉野川と、先ほどまで居たハングライディングサイト。




そしてもう一度竜王山を眺めつつ、サイトで遊ぶ家族の子供たちの歓声を背にして、三頭山の下のはっきりした林道へ折り返すようにして左折し、下山開始。
道は広くてはっきりしている。
下るにつれ倒木があったりでだんだんと荒れてきますが、迷うようなことはない。
途中、道はいくつか分岐していたり、四つ角になっていたりするが、無視して直進したが、これが正解だったかどうか、後日ログを見て、一か所破線の交差するあたりで間違った可能性が大きいことを認めざるを得なかった。




やがて索道のある伐採地に出た。
集落と、山人の里の建物が見え、写真の真ん中には小さく中村大師堂が写っている。
道は直進方向と、左折して伐採地の中を歩き大師堂方向へと進むふみ跡の二つに分かれている。
しかし、大師堂へのふみ跡には伐採した後の枝などで、覆われており、歩くのに難儀する状態だったので、止めて直進した。
直進先にはおそらく車道があると思った。




直進のふみ跡は新しくできたふみ跡で、伐採のための作業道だろう。
作業道の先には重機が置かれ、車道へ降り立つことができた。
この作業道へ登山口として利用するには、やや入り口がわかりにくく、見た目にも重機の上に道があるとは思えない状態だった。
ましてや、重機がなかったら、なおのことわからないだろう。




山人の里の道を通り抜けるときに、大師堂を入れて、伐採地方向に写真を撮った。
中心より右側に小さく大師堂が写っている。
そして大師堂から左手奥へ一直線に向かった先が先ほどの伐採地で、ふみ跡に枝葉がかぶさっていた道があるところだ。
これは実際に現地に来てみて、方向を指で示されないとわからないルートだと思った。
方向を定めて適当に歩くしかなさそうです。
林道が入り乱れたり、その林道が長年放置され荒れている里山歩きは難しい。
いい勉強になりました。

16:33、予定より大幅に遅れて駐車している貫通石に戻ったために、途中の美霞洞温泉に入ることはあきらめて帰宅を急いだ。
車に積んでいたタオルや石鹸などのお風呂グッズは所在なさそうにしているように見えたが気のせいだったろうか。




貫通石11:15-山人の里(小学校跡)11:35ー中村大師堂11:54ー広場13:25-13:29東屋13:54-三頭山14:10-三頭神社14:22-広場14:36-青龍山15:10ー広場15:32-下山口林道入口15:43-山人の里16:17-16:33貫通石     (※コースタイムはルートミス多くあくまでも参考程度としてください)


グーグルマップ(登山口等位置がわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離、時間などが把握しやすい地図)→こちら

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2 コメント

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天然夫婦の天然歩き (エントツ山)
2016-02-07 09:26:48
むらくもさん  おはよう

三頭山と青龍山 拝見しました
冒頭のよもやま話は味があってむらくもブログのトレードマークですね これがあるからコメント欄でいくら暴走してもまともな人間である事を皆さんが信じてくれるんでしょう

讃岐の山や阿讃山脈は道路網、作業道、林道が至る所に交錯しているのでややこしいですねえ まあでも遭難に至る山域でもないので天然歩きで通用する所が利点です
阿波池田の山へも夫婦で歩かれたのですね

むらくもさん
ピオーネさん
アンジーパパさん
坊主さん
佐々連さん   

ペーコちゃんへの一言有難く読まさせて貰いました

エントツ山


妻は山、わしゃ自転車 (むらくも)
2016-02-07 23:30:06
エントツ山さん こんばんは

エントツ山さんの掲示板にたくさんの方たちがペーコさんの訃報に驚いて、弔問に訪れてますね。
生前のペーコさんの幅広い方たちとの交流と、お人柄が偲ばれます。
ほんとうに、退職して、これからでしたのにね。
残念としかいいようがありませんが、今となっては彼と出会えて、二度も山をご一緒できたことに感謝ですわ。

今日は久しぶりに自転車仲間と走ってきましたが、行った先は財田、大野原、豊浜の三つのお寺。
午前中はお天気よくないかなと思ってましたが、晴れましたね。
青空が広がって、明るい光が差すそれぞれのお寺の山門でお祈りしてきました。

エントツ山さん、よかったらまたどこかの山へご一緒しませんか。
みんなとわいわい賑やかにいきたいですね。

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