おう、八っつぁんじゃねえか。
どうしたんだい、しけたつらしやがって。
まあ、そんなとこに突っ立ってねえで、ほれほれ、入った入った。
え、なんだって。
亀山亭の親父を怒らせちまったって。
そりゃまた、えらいこったな。
あの親父、頑固だけど、怒るなんてめずらしいじゃねえか。
で、おまえさん、いったい何をやらかしたんだい？
え？よくわからない？
ははあ、それでお前さん、この隠居ジジイのところに相談に来たってわけだな。
まあいいや、何があったか話してみな。
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なあるほど、そういうわけかい。
せっかくウミタナゴ出してもらったのに、お前さん、いつもの調子で茶化しちまったってえわけだな。
もしかしてお前さん、ウミタナゴなんて釣り人にとっちゃあ所詮外道だ、つまんない雑魚だみたいなこと言っちまったんじゃあないのかい？
おやおや、図星だね。
そりゃあ、亀山亭の親父ががっかりするのも無理はないってもんだよ。
お前さん、多分わかってないだろうから言うけど、あの親父は怒ったんじゃなくて、がっかりしたんだよ。
え？全然わからないって？
まあいいや、ちょうどあたしも晩酌してたところなんだよ。
よかったら、こいつをちょっとつまんでみな。
そう、ウミタナゴの塩焼きだよ。
もちもちした白身が、とっても優しい味だろ。
いろんな料理の仕方があるけど、あたしはこの塩焼きが一番うまいと思うね。
タナゴはね。産卵のために浅場に寄ってくる早春のこの時期が一番の旬なんだよ。
春を告げる魚。今しか食べられないんだな。
あたしはこのウミタナゴ、大好きだよ。
味がどうこうということだけじゃなくて、なんというか、季節感かな。
道端にツクシが顔を出して、桜のつぼみが膨らんだ頃、海にはこのウミタナゴの群れがやってくるんだよ。
そいつを釣って、塩焼きを肴にこうやって一杯やってると、ああ、今年も春がやってきたなあって、しみじみ感じるんだよねえ。
あたしも老い先短い命だ。
この先、何回こうやって春を迎えられるのかなあ、なんてね。
おっと、こんな話、若い衆には関係ないね。
忘れておくれ。
亀山亭の親父も、お前さんに「春」を感じてもらいたかったんじゃないかな。
あの親父、ああ見えて結構粋なところがあるからねえ。
釣り好きのお前さんならわかるだろうって、もしかしたらお前さんのことを買ってくれてたのかもしれないよ。
なのにお前さんったら、それに気づこうともしないで、挙句にいっぱしの酒飲み気取って何か美味い地酒ないかってせがんだんだろ？
そりゃあ、あの親父じゃなくたって、あたしでもがっかりしちまうよ。
酒はね、季節を感じながら飲むもんだよ。
お前さん、あの店に出入りするのはちょっと早かったのかもしれないねえ。
ん、どうしたんだい八っつぁん。
なに？今から釣りに行くって？
春の夜風浴びて、春の魚釣ってくるって？
おいおい、やめときな。風邪ひいちまうよ。
なになに？もう一度亀山亭に行って美味しいお酒飲むために、季節感たっぷり味わってくるんだって？
そりゃまあ、そうしたいってえならお前さんの勝手だけどね。
でも、なんかずれてるような気がするよ。
・・・って言ってる間に出て行っちまったよ。
ほんとにわかったのかね、あいつは（笑）。
