出来ることなら文藝春秋社の雑誌に金を払うなんて金輪際したくないです。理由はお察しの通りですが。
と、冒頭から怒りに震える書き出しなんですが、んで実際、立ち読みで済ませてやろう本屋さんごめんなと思って書店で立ち読みして全文読んだんですが、内容が内容だったので奥歯を歯ぎしりしながら支払いました。660円。
週刊文春WOMAN vol.18 23年夏号
『岡村靖幸 幸福への道』拡大版スペシャル
岡村靖幸×吉川晃司 31年ぶりの”同級生交歓”
(多分これ暫らくしたら文春オンラインあたりに上がるけどアクセスしなくていいです)←
読んでみて「はいはい知ってる知ってる」みたいな話ばっかりだったら買わなくていいかと思ったんですが知ってたことでも若干視点が違ったり、知らない話(エピソード)などもあったりしてこれは読み込みたいなと思った次第です。
有名な話だと思っていたけどもしかしたらそろそろそう有名でもない話になってきているのかもしれない。
吉川晃司、岡村靖幸、そして尾崎豊。
それぞれ音楽の方向性は全然違う、ただ同い年のミュージシャンたち。
彼らが20歳前後、日本はいわゆるバブル景気にわいていた。京都で大学生をしていた私にはさほどの実感はなかったけれど、東京の中心で芸能人をやっていた彼らにはさぞかしエネルギッシュで楽しい時代だっただろう。
写真週刊誌などに重箱の隅をつつくように付け回され少しでもよろしくない素行をしようものなら紙媒体の雑誌どころかインターネットで全世界にばらまかれ、誰かを叩きたくてうずうずしている一般人がその餌にピラニアのように食いつく現代とは違う。
芸能人が多少素行が悪くても、警察沙汰にでもならないかぎりたいしたニュースにもならない。愉快な武勇伝のようにしか残らない。スマホも携帯電話もポケベルもない、「あの店に行ったら誰かいる」と思いながら夜遊びにでかけていた時代。
それから40年近く経って、50代後半に入った吉川晃司と岡村靖幸はそれぞれの紆余曲折を乗り越えながら現在に至り、今も活動を続けている。しかしあの頃ともに過ごした"もう一人の仲間"は26歳で時を止めてしまった。
私は岡村靖幸は殆ど聴いてきていない。FMラジオをよく聴いていた時期に「だいすき」が流行っていたのでそれは知ってるけど、程度。だが彼が吉川晃司の青春時代の遊び仲間だったことはもちろん知っている。
この二人が一緒に過ごした夜の東京の思い出話をする時、どうしても『もう一人』の存在に触れずに済ますことは出来ないことももちろんわかっている。
吉川はずっと、多分彼の時計が止まった頃から一貫して、『(亡くなって)もういない人間の話をするのはフェアじゃない』と言って、すでにそれ以前に伝説のように残っていたエピソード以外はほとんど話さなかった。2012年に出版された『愚』に少しだけ新出のエピソードがあった程度だ。しかし考えてみれば吉川が彼らと遊んだ愉快なエピソードを自ら語ることはもともとそれほど多くなかった気がする。他人の目撃談や噂話などで都市伝説化したエピソードを確認された折にその経緯を説明したりする程度だった。尾崎がどうであろうと、岡村がどうであろうと、最初からあの頃の思い出は人に話すものではないと思っていたのかもしれない。
だから、二人の対談の中で”あの頃”の話を聴くのは何故だかとても新鮮に思えた。
「さっきまでベストテンに出てたチェッカーズがいる!」とか。
吉川自身もベストテンが終わって衣装のままいつもの店に直行したとか。
テレビでもステージでもないのにばっちりアイラインをひいていたとか。
岡村があの頃の二人をボーイズラブのように美しい二人だと思って見ていたこととか。
”あの時代”、あの彼らが若かった時代はいつか終焉した。
尾崎も、岡村も、時期は違えど同じ罪を犯したりもした。(もしかしたら仲の良かった吉川も疑われて内偵されたりしたこともあったかもしれないがその罪状で吉川が警察に厄介になったことは現在に至るまで無い)
スマホも携帯もなかったあの時代、3人での写真を撮っていなかったという。”今”が楽しいのだからその一場面を切り取ることにそれほどの値打ちを感じていなかったのだろう。これが永遠に続くなんて誰も信じていないのに、多分明日、明後日、来週も同じように遊んでいるだろうと根拠なく思ってしまっていただろう若い頃の写真。
「ちゃんと撮っておけばよかったな」
と言う岡村に吉川が言う。
「でも、大丈夫。いまも頭の中にはいっぱい残ってるから」
尾崎豊がこの世を去ってから、今年で31年が経過した。
それでも、吉川と岡村の胸の中にはあの頃の思い出がそっとしまわれた宝箱があるのだ。いつでもあの頃のままの姿を思い浮かべられるように。思い出は人に話してしまった瞬間から当事者でない他人の手に触れられて手垢がつき、やがて形を変えてしまうこともある。大事な思い出ほど、二人の胸の奥に大事にしまって時折二人だけで共有していてくれたらいいなと思う。
星の欠片(1992)
あの時代が終焉し、尾崎が去り、岡村は三度に渡り覚醒剤で逮捕され服役もした。吉川は独立した会社でトラブルに巻き込まれ、個人事務所を設立して本当の独立を果たしたがそれが軌道に乗ったと自認できるまでに12年かかった。それぞれが難しい時期を生きていた中で、交流は途絶えていたとしてもおかしくないと思っていたのだが、数年スパンかもしれないが完全に断絶していたわけではなかったようだ。
岡村は今でも時折”断食道場”に行くらしいのだが、それをやり始めた頃にあまりの辛さに公衆電話から吉川に「助けて」と電話をかけてきたり。
岡村が引きこもって楽曲制作など?に没入しすぎていた時に外に連れ出した方がいいのではないかと吉川が誘い出して海辺にテントを張ってキャンプしたとか。そのキャンプに後から吉川の広島の友人などが合流し始めて、ふたりきりだと思ったのに、と拗ねて帰ってしまったとか。
2014年、吉川のデビュー30周年の一夜限りのライブ、”SINGLES B-SIDE+”のオープニングで色んな人たちからの祝いのコメントが流れた。その中にもちゃんと岡村靖幸は出てきていた。
その2014年、氣志團万博に出演した時に久しぶりに再会したから、昔は酒を飲まなかった岡村が飲めるようになったと聞いてでは一献と誘って一緒に飲んだとか。
今回の対談で会ったのは、その時(2014)以来だという。
会ってはいなくても互いに互いの活動は気にしているという。
しかし考えてみれば、若い頃に散々一緒に遊んだ仲のいい友達はそれぞれの事情で頻繁に会えなくなったとしても何年インターバルが空いていたとしても、びっくりするくらい以前と同じように会話できるということがまあまあある。一瞬でそのインターバルの時間が吹っ飛ぶような。彼らももしかしたらそんな感じで、もう何年あけて再会しても変わらずにいられるのかもしれないな。
思い出話ばかりではなく、近況報告やこれからのことなども互いに話していていい対談だった。
最後に、思い出したようにこのコーナーのテーマである『幸福』を尋ねる岡村。
吉川にとっての幸福とは?
僕はやっぱり、ライブで お客さんがワーッて歓声を上げる顔を見るのが好きなんですよ。
それが僕にとって一番の幸福かな。優等生的な答えになっちゃうけれど。
コロナ禍のときに思ったの。
ツアーも途中で止めざるを得なくなり、ようやくまた声を出せるようになったとき、ああ、 俺はこれだけで十分だなって。
もう、みんな笑っちゃうような顔をしてくれるんです。
くしゃくしゃな顔で笑ってて(笑)。
やっぱり、そんな顔を見るのがうれしいし、笑顔にさせるのが 我々の役目じゃない。
そして、家に帰って、みんなの笑顔を思い出しつつ、自分で捌いた魚で 一杯飲む。それが幸福だね。
最初立ち読みで済ませようとしていた私は、この最後の吉川の言葉を読んでその場でうっかり泣きそうになってしまって、それで慌ててこれをレジに持っていったのだった。
そうか。
私らの顔が、ライブ終わった後の吉川の酒の肴になってくれるのか。
だったら、これからも吉川に美味しい酒を呑んでもらうための肴でいさせて欲しい。
今年のGuy and Dollsは8月。
また笑顔で再会しよう。
そして、美味しい肴になりに行きましょうかね。
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