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いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

信濃川発電所三期・四期工事材料運搬線

2019-10-27 19:23:11 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線
信濃川発電所三期・四期工事材料運搬線について、これまでと比べて格段に異なる点がある

それは、この時期の工事については国鉄が残した工事史から情報を得られるという点だ

その工事史は材料運搬線について一節を設ける程なので、それを紹介していきたい

例によって私の個人的な纏め方なので、詳細を知りたい方は工事史を見て欲しい
(国会図書館や十日町市情報館、小千谷市図書館で閲覧できる(閉架))




概要

セメント到着駅は飯山線十日町駅、下条駅、越後岩沢駅、上越線小千谷駅に限定されるので、
既設道路橋以外に下記の通り材料運搬設備を新設して輻輳する資材輸送の緩和を計り、
特に積雪期間におけるセメントの緊急輸送のため3箇所に索道を新設した。
これら工事材料運搬設備は次の通りである。

材料運搬線 軌道延長         28.7km

(イ)飯山線十日町~千手間      5.8km
(ロ)千手~市之沢間         12.9km
(ハ)上越線小千谷駅~小千谷発電所間 2.8km(軌間 1,067mm)
(二)その他支線側線         7.2km

索道新設 3箇所

(イ)下条索道
(ロ)岩沢索道
(ハ)小千谷索道


工事用材料運搬設備

 第3期工事所要材料中コンクリート用骨材を除く、木材約40万石、セメント10万2千t、鋼材約7,00t、その他発電機、諸機械等の主要材料は全て汽車輸送によって、
上越線小千谷駅~飯山線十日町駅間の最寄りの駅より、信濃川を横断して対岸の延長16kmに亘る工事現場まで配分輸送しなければならないのであったが、
再着手当時信濃川を横断するための輸送路としては十日町~千手間の第1、2期工事当時使用した軽便線の他は、
十日町、岩沢、小千谷の3箇所に公道橋があるが岩沢の魚沼橋はすでに流出して復旧の見込みなく、
十日町橋の木橋部は洪水の際屡々流出する状態にあり、小千谷の旭橋叉木橋のため重量品の輸送は不可能な実状にあった。
 その対策として千手より軽便を市の沢まで延長し、小千谷方面は発電機とその他重量品の輸送と将来工事完成後の発電所保守用材料輸送確保のために
小千谷駅と発電所を結ぶ本線を敷設し、信濃川には鉄道橋を架設する。
 なお下条、岩沢、小千谷にセメントその他輸送のため信濃川を横断する索道を設置する計画を立て、
下条索道は軽便線の補助、岩沢索道は市の沢塩殿間の補給、小千谷索道は軌道及び貨物自動車と共に、発電所附近並びに吉平まで補給する。
 以上のような計画が立てられたのであるが、その後魚沼橋は復旧し岩沢駅より貨物自動車による輸送が可能になり、
ガソリン事情も逐次好転してきたので、市の沢、塩殿間は岩沢駅より直接輸送し、
小千谷方面も亦セメント、木材等は貨物自動車による方が能率的となり、従って索道は使用する機会は少なかった。


材料運搬線
(1)軽便線(軌間0.762m)
軽便線は爾来一・二期工事材料運搬用として、既に千手まで敷設してあり、
千手~小千谷間は大正11年、貝野~小千谷間、1段発電計画当時施工していた路盤を補修して、小千谷まで軽便線を通す予定であったが、
市之沢より吉平間は路盤の荒廃甚だしく、相当の経費と日数を要し、又復旧しても雪崩等による損傷は、保守に非常な困難を予想されるので、
計画を変更して軽便線は十日町~市之沢間迄とした。
即ち3期工事用軽便線新設としては、千手~市之沢間12.9kmの本線と、下平~小根岸間1.2kmの支線、上野~中沢間1.16km、同線より分岐して寺ケ崎に至る1.054kmの支線、
橘~狸沢間1.16km、根深倉庫に至る230m、中山倉庫に至る115m、及び各停車場、倉庫線合せて1.648kmの側線を敷設し、取水口~市之沢間の材料運搬には専らこの軽便線によった。
取水工事においての材料運搬はその集積地及び経由地が十日町なので、既設十日町~眞人間材料運搬線によることとし、
側線下平倉庫線を放水路右岸沿いに1.6km延長し、取水口運搬小根岸線と称して、セメント及び門扉関係材料その他工事用諸材料の運搬に使用した。
(ここにおける取水口とは千手発電所放水路から小千谷発電所を結ぶ水路隧道の取水口のこと)

(2)本線(軌間1,067mm)
小千谷発電所及びその附近に要する材料運搬には既設小千谷駅より発電所まで2.8km間途中信濃川橋梁により信濃川を横断し本線を敷設して本線列車を直接これに引き入れ、
発電機その他の材料運搬並びに将来発電所保守専用線とし、この動力には40t本線機関車3輌を準備した。


貨物自動車
軽便列車によらない地区即ち、市之沢~塩殿間及び小千谷方面の吉平及び水槽附近に使用するセメントその他軽材量は殆ど貨物自動車により夫々岩沢駅或は小千谷駅から輸送した。
自動車庫は吉平及び千手に置き、これに18台の貨物自動車を配置し、小千谷地区は主として小千谷駅に到着する諸材料、
千手地区は主として岩沢駅に到着する諸材料の外軽便線到着箇所より運搬にあたった。

また、山本調整池については、別に山本調整池工事史があり、
それによると、山本調整池の工事には専ら自動車が使用されたことも分かっている。
そのための道路整備も行われたことを工事史は伝えている。


材料運搬線路敷用地買収
材料運搬線は十日町~千手間は一・二期当時のものを使用、千手~真人沢間は信濃川水力発電当初計画当時買収のものを使用、
東小千谷~山本間及び荒新田材料運搬線は昭和19年買収し、寺ケ崎、下平新田、狸沢、千手~放水路間材料運搬線は昭和24年買収した



更に、1968年5月号の鉄道ピクトリアルに小島氏と瀬古氏の国鉄信濃川水力発電所工事についての記事が掲載されており、その内容を少し紹介したい
なお、この時点ですら内容的には国鉄の信濃川水力発電所の工事史に依るものが多いと感じる程度なので、
それ以上に新たな話は出てこないが、内容的に纏まっている文章として紹介したい
特に瀬古氏は飯山鐡道についても郷土史などにも寄稿しており、これまでの私の調査でも度々引用している方である
氏は魚沼鉄道の国有化魚沼線について、通史では地元の政治的成果とされていることに対して異議を唱え、
魚沼線国有化は発電所開発で利用できるかもしれないという思惑を指摘している人物である
私も、魚沼鉄道の国有化は小千谷発電所開発に使えるかもしれないという理由が大きいと思うわけで、そんな氏の記事を紹介しよう
なお、私も再三言っているけれども、魚沼鉄道も魚沼線も大して発電所開発には利用されていないと考えている
魚沼鉄道・魚沼線を調べても、結局、発電所開発に直接的に関わることも無く、廃線になったと私は思っている
そうではなかった、魚沼線は発電所開発に貢献したという根拠があるなら、是非とも教えて欲しい。
資料なり根拠を示して、教えて欲しい。

大正10年に着手された小千谷・十日町附近の場合には、人跡未踏ではないが、十日町線・飯山鉄道ともに未開通であり、
上越北線は大正9年に宮内から東小千谷(現在の小千谷駅)までのび、大正10年に越後川口まで開通していたに過ぎなかった。
”前”第1期工事ともいうべき大正10~13年の工事の状況は記録も少なく不明の点が多いが、機関車16両、土運車75両以上が新規に発注製作され、
資材運搬用の軽便鉄道は762mm軌間で、小千谷を起点として田沢(発電所の取入口まで)約40キロの線路が敷設され、試運転まで行われている。
しかしこの線路は大正13年の工事中止とともに撤去され、再使用は昭和5年以降の第1期工事以降までまたれることになる。
第1期・第2期工事では昭和2年に開通した十日町線が早速利用され、
十日町を起点として千手-小宗-田沢を結ぶ軽便鉄道が資材輸送の幹線となり、大いに活躍することになった。
第3期工事では、十日町-千手-小泉-眞人-市之沢間は軽便鉄道が資材輸送にあたったが、
市之沢-小千谷間は大正期に建設された路盤の潰損が甚しく、戦後の動力事情の変化から、
この区間はトラック輸送に切替えられ、第3期工事は主として軽便鉄道とトラックの両方によって行われることになった。
その他、第1・2期工事の際に設けられた千手運搬線(十日町-千手間 2.9km 1,067mmで762mmと3線式)、
第3期工事で新設された山本運搬線(小千谷-山本間 2.8km 1,067mm)の二つの発電所引込線のほか、
小千谷・岩沢・下条の3カ所に索道が設けられて、資材輸送に使用されている。
第4期工事は、ほとんどトラック輸送に頼ることになり、軽便鉄道も索道も全く姿を没してしまった。
1,067mm線も十日町-千手間は健在だが、山本運搬線の方は国道17号線の整備で小千谷-国道間が廃線同様となり、
元中子附近の資材終結所から発電所までの線路は残っているが、
ほとんど発線所職員の通勤道路のようなもので、KS-12規格の立派な信濃川にかかる橋りょうもアクビしている。



以下に、これらの工事史から拾った情報を、昭和の航空写真に落書きを起こしていきたいと思う
例によって推測的な部分もあるが、そこはご容赦願いたい
また、千手付近の画像のみ、昭和23年のものを使用し、それ以外は昭和40年前後の写真を使用している

昭和23年当時ではまだ三期工事も本格的に着工しているとは言い難い年代であることから、
できれば次に古い年代の航空写真としての昭和40年を採用したかったのだが、
昭和40年前後時点であまりに千手付近の様子がつかみにくくなっていたので、千手付近だけ昭和23年を採用した

今回より、いよいよ大正期の事前準備工事の魚沼鉄道から分岐していたであろう軌道跡も落書きしている
黄色線が魚沼鉄道から分岐していた大正時代の軽便線の想像位置である(廃止されているので黄消し)
茶色は1,067mm、紫色は762mmの線路、藍色は索道である(小千谷の索道を書くの忘れた


















以上が、3・4期工事の軽便鉄道の概要である

小千谷方から解説していこう

小千谷駅から分岐した専用線は、材料仕分け場(貨物駅のような役割を持っていたらしい)を経て、
架設された鉄橋により対岸に取り付き、スイッチバックで発電所へ至っていた



小千谷発電所の現場全景として河岸段丘上から撮影された写真が残っている
写真奥にスイッチバック線が写っており、ちょうどスイッチバックの折返し線上に車両がいる
その線路を跨ぐようにして索道が奥から手前、そして河岸段丘上へと延びているが、
これは主に信濃川の河原より採取したコンクリート用の砂利の運搬用だったようである
なお、本工事では工事区最寄りの信濃川の河原で砂利を採取し、各工事区へ索道をもって供給していたようである

市之沢工事区は千手から延伸されて来た軽便線の終点である
対岸の越後岩沢駅から索道も来ていた
また、道路も通じていたようで、自動車輸送も可能な場所であったようだ
小千谷から市之沢に至る区間については主に自動車輸送に頼っていた
また、越後岩沢の索道基地は、おそらく十日町方で分岐し索道基地に乗り入れていた
索道は飯山線を跨いで、対岸を目指した

軽便は狸沢斜坑への分岐があった
狸沢へは飯山線下条駅からの索道が渡されていた
落書きはしていないが、橘工事区と囲った辺りには根深沢横坑のセメント倉庫への分岐が存在した
また、軽便の分岐の終点はどこも竪坑・斜坑・横坑のある場所で、
軽便により運搬されて来たセメントの貯蔵倉庫と信濃川の河原からの索道があった

寺ケ崎竪坑・中沢斜坑への分岐が、上野の辺りにあった
また、小根岸の取水口の附近へも、千手の下平倉庫から排水路に沿って軽便は分岐していた
特に、この小根岸の取水口への軽便の分岐については、
工事史にも「取水口材料運搬小根岸線」と称してと紹介されるようなもので、
一応、名前が付く程度の枝線として紹介されている。

小根岸の取水口現地の設備図を紹介しよう


実線が軌道である。

1、2期工事では千手発電所の放水路として、
3、4期工事では更に小千谷発電所までの水路隧道の取水口という役割を果たす場所だ


放水路建設時


放水路稼働 取水口建設前


取水口水門完成後

写真と設備図を照らし合わせて見てみると、確かに軌道が図のように走っているのが分かる。
なお、この放水路の右岸は今でこそ平坦な水田が広がっているが、
この当時は千手発電所からここまで続く放水路の膨大な土砂捨て場となっていたようで、
画像を見ても丘のようになっている。
三枚目の画像には、右奥に骨材選別所、水門の上にコンクリート混合場が写っているのが分かる。
そして、設備図の下の方、「一期 二期」と書かれている辺りに橋があり、ここにも軌道が通っているのが分かる


今回は、その場所に行って来た
特に何かを期待して行ったわけではなく、
ここまで軌道があったのだから何かしらの痕跡があるかもしれないというだけのこと
決して、図書館が開くまで暇だから時間潰しにダラダラ車を走らせていたわけではない
地形的には完全に農地に戻されており、当時の様子は分からない
放水路の水門設備を眺めつつ、上流に渡れそうなコンクリート橋があるので近づいたら・・・




何か、手摺がレールっぽいぞ?






どう見てもレールだ。
しかも、本線用というより、林鉄や鉱山にありそうな、軽便と言われる鉄道にあるような細いレールだ


刻印は!? 刻印はどうなっている? そもそも軽レールに刻印なんてあるのか?









錆びないようにかペンキの厚化粧で覆われてて殆ど読めないけど、USAを感じる
1922年とは大正11年で、その当時の製造レールなら、
それこそ完成しつつも使われなかった準備工事時代の軽便から使われて来たレールかもしれない
CONSTECOの楕円形のマークは米国の販売代理店のマークらしく、ここでは最もよく見られた


何にしても、ここまで纏まって手摺に軽レールが使用されているわけで、
この場所にも軌道が来ていたことから考えるに、国鉄信濃川発電所の工事用材料運搬線で使用されていたレールだと言えそうだ
また輸入レールばかりなのも、年代的に輸入レールに多く依存していた時代と工事時期と合致する
まさか、レール、それもいかにも軽便鉄道っぽい軽レールが残っているとは思わなかったので、嬉しい発見である



簡単ではあるが、以上が3、4期工事の頃の材料運搬線と私は考えている
気が向いたら、また加筆修正する

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