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幸せの青い鳥

誰かが死んだら涙が出る、心の綺麗な人間になりたい。(3月26日)

納涼祭

2005-11-18 21:24:13 | 介護と私
デイでは今納涼祭をやってます。つっかれるんだ、これが。
昼休みが無いので、パートは1時間分給料をくれる。一週間で4500円だ。おいしいな。
ちなみに正社員は休み返上、見返りなし。ご愁傷様。

納涼祭は、おいしいご飯を食べて、ビンゴゲームをして、おやつはスイカ。
今年のスイカは甘いよ、とっても。

おいしいごはん・・・、デイ職員がてんぷらを揚げます。なぜデイ職員なのか・・。以前は厨房から2名手伝いに来てくれていたのだが、100床になったあと、厨房はてんてこまいで来てくれない。そもそも、材料・道具などの発注は栄養課に出し、そこから調理課(厨房)に伝わる。なので、なにか足りないものがあっても厨房さんは「そんなの聞いてない」で済ますことができ、足りないんで下さい、といえば
ブツブツブツブツ・・・あげくの果てに「どんなに調理が大変か身をもって体験すれば、少しは厨房の苦労も分かるでしょう!!」
はあ?はあ?ふざけんな。仕事なんだから大変なのは当たり前だろ。嫌なら辞めろ。
バーカ。クソババア。何考えてんだ、カス。テメエが大変なのを他人に塗りつけるな。嫌なら辞めろ。
手前らも一回介護に来て、下痢便がめり込んだ膣の中を下拭きで清拭してみやがれ。
介護の大変さがわかるだろ。
あーあ、向上意識の無いおばちゃんくらい扱いにくいのはいないよ。自分が楽ならそれでいいんだから。
嫌だなあ、バカって。嫌いだな。
なーんて、こんなこと言いませんが。社会人だもん、私。
うーん。こんなんばっかだなあ、イライラしてるな最近。どんな施設にいっても厨房って劣悪だなあ。
同僚が学生時代実習にいった特養で、なぜか厨房を体験したとき、ゆかり和えを作るというので手伝って
いたらしいのだが、「ゆかりをどれくらいまぜるんですか?」と聞くと、「おいしくなるまで」といわれたらしい。
三大介護に食事は入っているのに、その根本は介護員じゃよくできない。厨房さんこそ、おいしくない食事を食べてる利用者さんのゆがんだ顔を見てみろ。
愚痴を言われるのは私らなんだぞ。
それをそのまま実習簿に書いて後々問題になったらしいが。逆にご飯のおいしい施設って魅力的だなあ。ペーストだと材料がわからなくなるから、例えば魚が食材だったら、ペーストを魚の形に抜くとか、そういう細やかな施設もあるらしい。向上心の無いおばさんばっかりのうちじゃ無理だけど。
で、何の話だったっけ、そうそう納涼祭。
今週はは13時半からやる体操もなしで、ゆっくりご飯を食べて、ビンゴをしてまったりムードで楽しい。利用者さんもゆっくり知り合いと友達と話している。
ただ、職員は忙しい。(笑)

団塊の世代

2005-11-18 21:23:40 | 介護と私
父は、モロ団塊の世代だ。

以前、ユニットケア講師の久田先生の講演を聴きにいったことがある。
「築城3年、落城1日」「介護に必要なものは技術、知識、経験、そして情熱」など現場でヤリキレネエ
現実をガツンとぶつけられていた当時の私にとって、いろいろと勇気を与えてくれ、やる気を出させてくれた素晴らしい講演だったのだが、その中でも印象的なのは「今のお年よりは、我慢することに慣れている。10年後、団塊の世代が介護を受けるようになった時、この介護の質では大変なことになるでしょう。彼らは訴えることや、自分の権利を守ることを知っている。苦情はどんどん言ってくるし、出る所にはどんどん出るでしょう。現場はめちゃくちゃになるよ」という内容を話されたことだ。
 
最近、父は「館内の冷房が効きすぎていること」、「冷房がついてるのにきちんと戸が閉められていないこと」について、めちゃくちゃ怒っている。介護員や調理員に「ふざけるんじゃないよ!!」と怒鳴り散らす始末だ。職員サイドから見れば、「別に給料が変わるわけじゃなし、冷房なんかどうだっていい。少し戸が開いてても暑いわけじゃないんだから。それより、戸をしめる時間があったら、少しでも急いで他の仕事をしたい。戸になんかかまってられない」と思うかもしれない。自分がそうだ。
父が冷房について怒っているのは、団塊の世代という理由だけではないだろうが、それでも、他のお年寄りって冷房が嫌いでも黙ってしまってるのかな、本当は寒いけど言わないかな、と考えさせられる。
しかし、こんな「かまってられないこと」を一つ一つ聞いていくのが、これから大事になっていくのではないだろうか。特養での「当たり前」、少し戸が開いていること、施設の体に合わない車椅子に乗せられること、お風呂は週2回なこと、いろいろな些細なことが問題になってくるのではないだろうか。
 介護員として、面倒くせえなあ、と思うと同時に、些細な事でも課題としてあげられ、ひとつずつ解決して少しでも特養が終の棲家に近づいて欲しいと思う。家人からの発言なら現場に関係ない上層部も動かざるを得ないだろうし。膿を全部出し切ってしまいたい。

回想法・1週間を通して

2005-11-18 21:22:58 | 介護と私
さて、かなり放置気味なブログになっちゃいましたが。
チラリズムでのぞいてくださる方ありがとう。

遅くなりましたが、回想法終了。
自分の考えでは、特養出身なので「黙ってしまったお年寄りをどうやって喋らそう」ということばかり考えていたが、実際にやってみたら、「話しすぎて収集がつかなくなった場をどうしよう」ということが今後の課題だと分かった。
一応、自分が関わった会では一通り自己紹介はしてもらい、全員が話をする場を持つことができたが、
その後は喋りたい人が喋りたいだけ会話する会になってしまった。特に、金曜日なんて2人の人が延々戦争時代の中国について語り合っていた。どこで話を切ろうか、何て声をかけてやめてもらおうか。話を切ったことで、自分を否定されたと思わないか。長い長い会話を聞きながら、いろんなことが頭を駆け巡っていた。できれば自発的に喋りたい人に話してもらうよりも、普段話さない人からいろんな話を引き出したかった。が、サブが上手く機能しなかったこともあり(耳が遠い人に今話している会話の内容を伝える、など)リーダーとして会をコントロールしきれなかった。次回は、最初に一人10分まで、と言っておこうと思う。どうだろうかなあ。
 まあ、「自分の話を聞いてもらえる」場でもあるので、話していない聞き手の方が退屈にならなければ延々と話しているのも悪くないかな、と思った。ある方は、「昔の話をしあってるよ」と声かけすると、臥床していたのにわざわざ起きてきて、参加したほどだ。午後はほぼ臥床しているのに・・・
 あと、何回か繰り返していくうちに一人一人の個性を理解して、グループわけ・席順きめをしていきたいと思う。誰かが何かを言えば、必ず横槍をいれる人。延々延々と話をする人。職員が会話を引き出さないと、全く話せない人。回想法は始ったばかりだ。落ち着くにはまだまだ回数を重ねる必要があるなあ。
でもやり始めてよかった。皆すごく楽しそうに話をしていた。やきもきしていたのは会の中で職員だけなのかもしれないなあ。

やはり、お年よりの話は戦争の話ばかりだ。昔のつらい体験が、ここぞとばかりに噴出してくる。「あの頃は戦争でねえ」というありふれた一言に、信じられないくらい重たい半生が詰まっている。「つらいことばかりで、何も話せない」と言われたことが印象的だった。私がお年寄りになったとき、私は若い世代に何を語るのだろう。

週目レク・回想法「昭和を語る会」1日目

2005-11-18 21:21:59 | 介護と私
ハイ、やってきました。恐怖の一週間。始っちまえばそうでもなさそうだが。
今週一週間は回想法です。

まずは、先週からの下準備。回想法にはマニュアルがある。このマニュアルは、以前特養にいた頃、毎年何名か回想法研修に参加して、研修に参加した人が施設内で勉強会を開いてくれたときにもらったもの。
まず、テーマを決める。今回は無難に『夏』した。テーマが広すぎて、しっちゃかめっちゃかになるかなと思ったが、『なす』とかで狭すぎて、話題が全く出てこない方が怖い。
話のきっかけになる道具は、2つまで。今回は、団扇となすにした。
招待状を作成。これは、先週のブログにも書いたとおり、先週のご利用時にあらかじめ渡しておいた。
「なるべく普段の生活空間から離れた所で」とあるので、他の職員とどこでやるか検討した結果、デイルームの隣の会議室でやることになった。会議室はデイルームと違い、壁に囲まれた狭い空間なので、「こんなところ連れ込まれて何するんだろう、とかお年寄りが思わないかな」という意見も出たが、とりあえず最初なんで、マニュアル通りにやってみましょう、と説得した。
席順を考える。円になり、クロックポジションによる12時の位置に会全体の進行をするリーダー。その向かい、6時の位置にサブリーダー。サブは、リーダーとアイコンタクト(最初っからこんなことできないけど)などで連携を取り、耳の遠いお年寄りに状態を伝えるなどして、一人では参加しにくいお年寄りのサポートをする。座る順番は、左回りでまず、話の好きな人。サブの両隣には耳が遠いなどのサポートの必要な人。リーダーの左には、最後まで話を聞いて待っていられる人。
あと、席札。
これが金曜までの準備。

ハイ当日。
一番心配だったのは、全員をひとつのグループ、総勢17人の輪にしたこと。
選択肢は2つあった。ひとつは17人のグループをひとつ作る。「1グループにリーダー、サブで職員2人以上」というアドバイスがマニュアルにあるからだ。職員をこの配置にするには、グループを一つにするしかない。ふたつめは、8人と7人のグループをひとつずつ、計2グループに分ける。これもマニュアルに「1グループは5~8人」というのがある為だ。
結局、一人で7人を仕切るのは大変かなと思い、話し合って17人のグループにした。

皆様が体操してる間に、会議室でせっせと準備。円状に椅子を置いて、椅子の上に席札。円の真ん中にテーブル、その上になすと団扇。BGMを流すオーディオ・・・・を取りにいってるうちに、もうお年寄りがザーっときてしまった。マニュアル読もうよ、他の職員。「リーダーは、座って利用者を迎え」なきゃいけないのよ。(あ、今回私リーダーね)私落ち着いて座ってないじゃん。BGMも流れてないよ。せめて会場準備が出来たか、確認しに来てくれ。
やはり、準備段階で出たとおり、「こんな所にきて何をするの?」と言う声が聞かれた。うーん。おしゃべりしてもらうんですよ、といってもなんだか分からないだろうし、経験してもらうのが一番てっとり早い。「あそこまで(部屋の奥)までは遠いから、入り口近くの席がいい」と言われる人も。そりゃそうだ。結局入り口近くの席と交換した。こういうのも考慮しないとな。
17人の輪、結果的には失敗だった。『夏』というテーマに沿って会話してもらう前に、導入として自己紹介してもらうのだが、一人一人の自己紹介が長すぎて、全員の自己紹介が終わるのに1時間強かかってしまったのである。つまり、最後の人は自分の番が来るまで1時間も待ってなきゃいけない状況になってしまった。参加したくなければ、いつでも退室してください、トイレも自由ですよ、と始めに伝えてあるのだが、皆待っている。話したいのだ。自分の番が来るのを待っている。私の左隣(最後の人たち)は、無意識で手遊びをし、足をとんとんたたき、「早く順番がこないかなー」というのを全身から伝えていた。ああああああ。心苦しい~
全くの予想外だった。私は特養出身なので、今までの回想法の対象者は「ほとんど会話をしないお年寄り」だった。いかにして、どう喋らすかが課題だった。所がどうだ、今回は皆喋りだしたら止まらない。
話を短く切るのって難しい。話すためにこの会をやっているのに。でも、切らないと他の人まで回らない。デイではデイの、回想法の経験を積まないとなあ。
今回は初回なので、まあしょうがないか。これを明日に繋げていかなければ。ってか、明日私休みですけど(笑)大丈夫かしら。他の職員に全然回想法の理念や、サブとしての働きが伝わってないのが悲しい。
6枚もレジュメを刷って、冊子にして一人一人に渡したのに。なぜか1時間中利用者のマッサージをしている職員。利用車気分で座ってる職員。耳の遠い隣の利用者さんに、今他の人が話していることを伝えてください。全員で情報を共有するために。そうしないと、耳の遠い人は自分の話す時以外、なんだか分からないでしょ。そのためにアンタはそこに座ってるのよ。「なんとなくやればいいや~」っていうのが私は理解できない。よろしく頼むよ、明日。どうなるかわからんが、利用者さんが楽しく話してくれるといいな。

7月第2週:回想法準備

2005-11-18 21:21:10 | 介護と私
デイサービス一般型、来週のレクリエーションは回想法。
なんで一週間前から準備しているのかというと、「招待状」を作成して持って帰ってもらわなければ
いけないからだ。招待状を出すのは、特別な気分になってもらうため。回想法は単純に言えば「おしゃべり会」なのだが、知らない相手、「まあ、後はお迎えが来るのを待つだけ~」なんていつも言っているお年寄りを積極的にしゃべらせるなんて、なんて難しいんだろう。たった1時間の会話を成り立たせるために、出来るかぎりの下準備をしておきたい。
 課題はけっこうあるが、やってみなければ始らない。来週、デイで初めて回想法が行われる。

竣工式

2005-11-18 21:20:34 | 介護と私
本日は、父の入居する新館の竣工式。新館は3号館と呼ぶ。
ちなみに私の約4年前の勤務開始と同時に『2号館』ができ、3号館は2度目の増築となる。
入居(特養)30床、ショートステイ10床の増設。
これで、全体で入居80床+ショートステイ20床の大型特養になる。

3号館はすばらしい。新型特養なので、全室個室、トイレ付き。
カウンター式の介護員室。広々とした中庭。
広すぎないセミパブリックスペース。
プラズマテレビ。豪華な応接セット。
高くない天井。予想以上のいい生活空間である。
ハード面では。

私は特養に勤務し始めた時、(ちなみに法人団体は「入社」といわず「勤務」という)
『ここはとても人の住む場所じゃねえ』と思った。
お年寄りは一日中テーブルに向かって椅子にすわりっぱなしで、レクリエーションもない。
食事は立ったままの介護員に無理やりスプーンで唇をこじ開けて入れられ、
お風呂は流れ作業の芋洗いの様。なんとか変えたいと思った。
(なんとか変えるために奮闘した話はまた後日。長いので。)

私は楽になりたかった。中2からやっていた祖母の介護で疲れきっていた。
なんとか、この田舎から出て、自由になりたいと思っていた。

そのために、祖母を特養に預けたかった。
「遠くで元気に暮らしている」なんて、何て素晴らしいことだろう。
こんなに幸せなことはない。
祖母を特養に預ければ、毎日夜中に縋る様な声で名前を呼ばれなくてすむ。
祖母の幸せを、私以外の誰かが仕事として、きちんと考えてくれる。
しかし、預けたい先の特養、近郊では一箇所しかない自分の勤務している特養は、
とても終のすみかとはいいがたかった。
ここに預けるより、自分で看たほうが祖母は幸せだと思った。

3号館は素晴らしい。入居する父も、他の方もいい環境で過ごせるだろう。
しかし、1号館や2号館はまだあるのだ。
1号館なんて、回廊式である。2号館もハード面が不十分で死角が多かったり、マンパワーが足りなかったり、おおよそまだ終のすみかとは言いがたい。
法律が変わって、この先は新型特養しか建設できない。
新型特養なら、人の住める場所かもしれない。
(まだ実際に稼動してみないと分からないが)
でも、今までにあった旧型の特養はどうなるのだろう?
旧型は旧型のまま、ハードもソフトも質も変わることなく、行政の手が入ることこともなく、ほったらかしだろうか。
高いホテルコストの払える一握りのお年よりは新型特養で、生活保護のお年よりは旧型につっこまれたままだろうか。同じ特養なのに。特に、うちのように建設時期が違う建物が並んでいるとそれが顕著だ。
まだまだ特養は過渡期の変遷なのだろうが、恐ろしく、悲しい話だと思う。

中学生がわらわら

2005-11-18 21:19:45 | 介護と私
ごきげんよう。
本日は、一般型デイの勤務でございました。初回利用者2名。何の問題もありませなんだ。
家のデイの水曜日のご利用者は、元気な人が多い。皆ハキハキしゃきしゃき、老人クラブのよう。

今日は、中学生の社会見学の日。「総合的な学習の時間」というやつだ。自分も中学の時やった。
今回困ったのは、何を目的とした学習の時間なのか分からないこと。学校からの話もないらしい。
お年寄りと話す機会を持ちたいのか、福祉の仕事を体験したいのか、地域にある仕事について勉強したいのか。目的によってこちらの対応も違うのだが、わからないのでやりようがない。
中学生到着。最初に挨拶をして、歌を一曲してくれる。お年寄り向きというわけの歌ではなく、学校の音楽の授業をそのまんまひっぱってきた感じ。
その後、ご利用者と一緒に体操をしたのだが、私が前で体操をしている姿をみてゲラゲラ笑う。
いや、いいんだよ。笑われるようにやってるから。んでも、あんたらに笑ってもらうためじゃないから。
ご利用者のためだから。
体操を元気にやっていた中学生だったが、体操終了後、食レクになると、自分達だけ手洗い場へ。
主任&中学校担任が「お年寄りと一緒にいってください、一人でいかないでね」と声をかけるが、中学生はいざお年寄りと向き合うとダンマリ。話せないのだ。まあわかるが。
担任の先生、そんな状態になってから一人でいかないでなんてて言ってちゃだめだよ。最初から趣旨説明すれば、そのくらいはできるはずだ。ちゃんと学校で説明してからこい。
中学生は中学生だけでまとまって楽しそう。お年よりはおいてけぼりだ。何しにきたんだ、おまえら。
一回特養いって唖然として来い。

エンジンの「ない」日

2005-11-18 21:19:03 | 介護と私
金曜日の勤務は、マジで駄目でした。
もう、しょっぱなから遅刻だし。早番なのに日勤だと思い込んでいて、同僚のねえさんが携帯に「早番だよ」とメールを入れてくれたのにも関わらず、家に携帯置いてくるし。いってついてしょっぱな「平賀さ~ん、早番だよ~」と・・ひたすら平謝りです。
丁度、金曜は新人に仕事を教える「ダブリ」だったので、新人さんが一人で送迎車に乗って迎えにいってくれたとのこと。はあ。ダブリでよかった。いや、よくないが、この新人さんは私の特養時代の先輩だし。私が教えることなんか何もないし・・・(笑)
主任からは、「○○さんのファイルがないので、探しておいてください」と一言メモが。よかった、おおらかな職場で・・・特養だったら、大目玉だ。特養はひとりひとりの仕事のウエイトが非常に高いので、
遅刻や急な欠席は本当にできない。デイに来てたるんでるな。いかんな。
 早番は、月に1回あるかないかなので、金曜日は本当に仕事ができなかった。あーあ・・・
せめて、今年度の目標は月曜(締め切り)までにしっかりだそう・・・
まだやってないけど・・・

新人職員に捧げる鎮魂歌(レクイエム)

2005-11-18 21:16:36 | 介護と私
今年、福祉施設に就職した皆さんごきげんよう。
どうですか?調子は。挫折してやめた人、何人いますか?

学校でたての新人職員はマジ使えません。福祉専門学校を卒業していようが、短大だろうが、ガッコでたては駄目です。(本当はちゃんと働ける少数の新卒の人、ごめん)変に知識だけ豊富で、そのくせお年寄りとまともにコミュニケーションも取れない人が多かったりします。
で、仕事でできなくてもいいんですが。仕事に対する態度がずーっと学生気分だと、現場の職員に嫌われます。新人の皆さん振り返って見ましょう。
1、当たり前だけど大きな声で挨拶できる。
  これができないと、ちょっと怖い先輩に「ここは新人から挨拶しないのか?」  と言われます。
2、仕事中はいすに座らない。
  特養の仕事は基本的に立ちっぱなしです。仕事教えてもらう立場の新人が、先  輩を差し置いていすなんかでまったりしてはいけません。貴方が座っている   間、先輩は立ってるはずです。
  利用者と会話する場合は、いすに座らず「しゃがみ」ましょう。先輩に進めら  れたら座りましょう。
3、食事介助は座ってする。
  反対に食事介助は座ってしてください。介護の基本です。立ったまま寝たきり  のお年寄りを見下ろして食事介助してませんか?まわりも落ち着かないんで、  座ってください。
  あまりに基本的すぎて、周りも注意しにくいです、これ。自分の価値を下げま  す。
4、困ったら人を呼ぶ
  排泄介助で、一人介助で出来るはずの人がふらついて立てなくなって、ズボン  が下ろせなくなった時どうしますか?バカでかい声で「誰かおねがいしまー   す」と呼んでください。成長の一歩です。
  出来ないやつ多いんだ、これ。私もできなかったけど。ちょっと怖い先輩ばっ  かりで声がかけづらい時は、特定の人に声をかけず、とにかく叫んで見ましょ  う。誰かしら必ず来ます。


福祉施設も、女の職場だからやりづらいのよ。でも、でかい声でハイっていっときゃ大丈夫だから。
頑張れ。

デイと特養の仕事の差

2005-11-18 21:14:22 | 介護と私
皆様ごきげんよう。
私は現在、介護の仕事やってます。18からなんで、5年目。3年3ヶ月は特養にいましたが、
いろいろあって現在はデイサービスで働いています。何がいろいろあったかはおいおい書きます。
気になるでしょ?同業者の皆様。(笑)
それにしても、デイと特養の仕事の差はなんだろう。同じ8時間でも、特養は朝から帰りまで
汗だくになって特浴20人なんてやってくたくたになって帰るかと思えば、デイは2人の介護員で
3人きりのお世話をすることもしばしば。(これは認知症対応型デイですが)
私がデイに移った当時、デイの同僚にデイはどうですか、と聞かれて「デイは楽ですね!」と
うっかり(そう、思っていても絶対言ってはいけない言葉)言ってしまったら
「デイだって大変なんだよ!」と言われましたが、特養で働いてきた私から見ればデイでどんなに
動いても、特養の仕事量には追いつきません。絶対に。仕事の質が違うからです。
特養の16時間夜勤(仮眠2時間)のキツさなんて、やってみなきゃ永遠にわからんですよ。

デイと特養、同じ給料だなんてかわいそうだよ。給料表変えてやってくれよ。
とか思ってしまうのでした。