新発寒教会は、不定期に映画上映をしています。
4月2日に上映したのは、1973年作品
「ジーザス・クライスト スーパースター」
イエスの十字架にいたるまでの1週間を描くロックオペラで
世界的に反響があり、舞台や映画で大ヒットしました。
舞台でので数々の受賞をはじめ、映画では
ゴールデングローブ賞作品賞、助演女優賞に
ノミネートされました。
日本で映画が公開されたとき、わたしは高校生。
映画大好き少女でしたし、お小遣いのほとんどは映画雑誌購入につぎこみ
当然、映画通のつもり、そして教会にも通っていましたが、
実はこの映画はちんぷんかんでした。
しかし、かろうじて思ったのはイエスの弟子のユダの描き方が
とても斬新で、この映画はユダの視点から描かれている
ということでした。
イエスを愛してやまなく、それでいてイエスに対する
「なんで?」といらだつイライラ、もやもやが
よく表現されているのです。
映画では、他の弟子たちや群衆から距離を置いたユダが
描かれています。またイエスに対して「あなたがわからない」
とメッセージを投げかけている場面があります。
おそらく、ユダにとっては最後まで、イエスがわからなかった
のでは、と思います。
しかし、映画ではユダは必ずしも悪く描かれていないようです。
きっとあの場面では誰もがユダになったかもしれない、という作者の
意図がそこにあるのかもしれません。
映画では、緻密でクールな、しかもイエスに対しては
熱情的なユダが登場しています。
一体、イエスは誰なんだ?
イエスの十字架はなんのため?
ユダが抱く思いは、古今東西のクリスチャンもそう思ったでしょう。
なんと何十年もたって観かえしても、同様の感想を抱き
また、当時のヒッピー文化やベトナム戦争反対の世相が
反映されているように思いました。
しかし当時と違うのは、イエスの十字架の犠牲は「贖い」では
ないということ。イエスの十字架を美化してはならないと
いう思いを抱いています。
大学に入学したとき、2年上のDは、やせ型長髪でまさに
よく描かれるところのイエス、(たとえば映画のイエス役テッド、ニーリー
のような)を彷彿させる先輩でした。
しかし、実在したイエスは、もっとごつい感じの中東の人だったのかも
しれません。
その先輩は今出川キャンパスのちかくの日本の70年代フォーク、ロック、
それも加川良、高田渡、岡林信康、友部正人が大好きという
店主こだわりの曲を聴かせる喫茶店で
よく本を読んでいるのをお見かけしました。
白のTシャツにブルージンズのいでたち、
「おれは政治は嫌いやけど、だれかがしないとなあ」
と言って、学生自治会や様々な方面で活動してたようでした。
今、どうしておられるのでしょうか。
ユニークな先輩でした。
(思い返すと先輩たちは、ユニークな人が多かったです。
とくに神学部は、さまざまなバックグラウンドを背負った人が
在籍し、同年代よりもずっと上、社会人を経験された方とか、
年齢もばらばらでした。)
映画の最終場面、夕日をバックに立つ十字架。
それを背景になにやら動く人影。
わたしには、復活のイエスをおぼろげに
登場させているのでは、と思えました。
ちなみに信徒の友4月号に、関西学院大学神学部教授の水野隆一さんが
この映画を題材にして「ユダはなにを問いかけるのか」を執筆しておられ
ます。
2023年4月の受難週、棕櫚の日曜日。
イエスの十字架の道行を想起する午後のひとときとなりました。