『美しさは状態じゃなくて努力の過程』
Bedietでコラムを書かせて頂くようになってから、主に女性から様々な質問を貰うことが増えました。
私でお役に立てるなら、
喜んでお答えしてゆこうと思います。
『どうしたら綺麗になれますか?』
『どうしたら美しくなれますか?』
『どうしたら細くなれますか?』
『どうしたら女性的な体型になれますか?』
これらについては、私が思うに、…そういう風に言っている人たちは、
もう既に美しくて、もう既に綺麗だと思います。
ダイエットの成功(目標体重の達成や、目標ウエストの達成など)は、私は美しさや綺麗さとは、実は関係がないと思っているからです。
美しさや、可愛らしさ、綺麗さっていうのは、
『そうありたい』と努力しているときに見える、…その
『過程』にいる人達に相応しい言葉であって…
理想を手に入れたからといって努力を怠ったり、
そこに胡座をかけば、
その人は、もう美しいとは言えないのではないかしら…と思うからです…。
容姿が整っていても、
意地悪な人は…
“整ってはいても”、美しいとは思ってもらえないと思うし、
それは色々なところに歪みとして現れてしまって…
美しさを曇らせてしまうと思います。
逆に、多少愛敬のある顔立ちや、私の様に垂れ目でも、
努力によっては、
『綺麗だね』って、言ってもらえることだってあるのだから。
『いや!そんなことはない、親から与えられた素材的なものがあるはずだ!』
…そうでしょうか、
そんなに大差があるでしょうか。
それとも大差がある、と、思いたいのでしょうか、
思って自分を諦めたいのでしょうか?
それとも、大差がないかもしれないことを認めて、努力をしてみたくて、背中を押して欲しいのでしょうか。
人間は殆ど、目は2つに鼻は一つで口も一つ、大体の人に耳は2つ付いていて、
それが福笑いのように並んでいます。
あの芸能人は綺麗だ、あのモデルは美しいというけれど、
私は第三の目を持つ超絶美人も、鼻が二つついているハンサムガイも知りません。
でも、片腕が無くても美しい女性サーファーもいれば、
私の通う古武術の道場には片足が義足でもハンサムで強い軍人さんもいます。
時々ゴシップ誌に、スターの酷い顔が載っているでしょう?
お化粧を落として、気を抜いて、
…酷い表情をしたらみんな一緒…。
人を美しく見せるのは努力や、
自信(闇雲で自己中心的なのではなく、努力と行動に裏打ちされた。)優しさや、その人自身のたおやかさ、内面の可愛らしさだと、私は信じています。
心が変われば、目の輝き、肌のツヤ、雰囲気が変わることは確かです。
私もまだまだ、
勉強中ですが、一緒にがんばりましょう!
宏美