goo blog サービス終了のお知らせ 

中国電影迷

「中国」在住の「電影」好きの「迷」子のブログ。
映画の紹介と日常の心象風景のワンシーンを記録しています。

映画「ラスト・エンペラー」

2011年01月24日 | その他映画

「ラスト・エンペラー」
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:ジョン・ローン他
1987年作品

<あらすじ>
1950年、第二次世界大戦終結による満州国の崩壊と国共内戦の終結により、共産主義国である中華人民共和国の一都市となったハルピン駅の構内。5年間にわたるソビエト連邦での抑留を解かれ、中華人民共和国に送還された「戦犯」達がごった返す中で、列から外れた1人の男が洗面所で自殺を試みる。
男は異変に気が付いた監視人の手により危うく一命を取り留めるものの、薄れ行く意識の中で幼い日々の頃を思い出していた。この男こそ清朝最後の皇帝にして満州国の皇帝、「ラスト・エンペラー」と呼ばれた愛新覚羅溥儀その人であった。

イタリア・イギリス・中国による合作映画で、純粋な中国映画ではなく、巨匠・ベルナルド・ベルトルッチ監督によって、紫禁城が初めて映画化されたとして話題になった作品でもある。

私が前回この映画を観たのは、1998年。初めて旅行する北京の参考資料として鑑賞。
映画では壮大な宮殿で暮らすラストエンペラー・溥儀の浮世離れした生活が、ベルトルッチらしい豊かな色彩で描かれ、期待値高めで訪れた紫禁城の実物にとてもがっかりしたことを覚えている。

紫禁城にあったかつての宝物は、国民党が台湾に持ち去り、今残っているのはがらんどうの建物だけ。
私が行った12月の北京は、底冷えのする、色彩の欠けた灰色だった。

それから10年。
数え切れないほど足を運んだ紫禁城。
スケールと歴史を感じる以外、あまり面白みを感じることができないので、仕事でどうしても行かなければならない以外は、「ラスト・エンペラーの映画のほうがずっといいよ」と言って案内を拒否し続けている私が、久々に見返したこの作品。
24年前の作品なんですね。
中国を知らない外人だったら面白いと思うのかもしれないけど、はっきり言って変な三流映画にしか見えない。
まず、登場人物が英語って。
中華系外人による清朝コスプレ寸劇かと思いましたよ、最初。
台詞の不自然さ、周囲の(特に妻)ストレート過ぎるものの言い方、開放的過ぎる性描写、風俗慣習の変な解釈、溥儀の異常なほどの外国かぶれ等、史実とか政治的な思想とか、そういうのはあまり頓着しない(興味ない)ので、歴史的に正しいとかどうかを論じるのは専門家に任せるとしても、あまりにもリアリティがなさすぎる。
ほんと突っ込みどころ満載ですよ!
出だし10分くらいで、再生残り時間をチェックしてしまいましたね。

唯一本物だと思ったのは、北京の空気感。
紫禁城の朱色の壁の向こう側の空気、黄色の甍に抜けた青空、夏の太陽、それらが見事に画面に映し出されています。
太陽の光に反射する、北京の埃の粒子も見えてしまうかと思うくらいに。
さすが光の魔術師ヴィットリオ・ストラーロ!

今日は外は氷点下、全ての色彩が灰色のフィルターがかってみえる冬ですが、画面に映る柳の木を揺らす木洩れ日が心に沁み入ります。
季節はめぐるとわかっているのに、なぜ夏の光はこんなにも胸をかきむしるのか。

最近立て続けにベルトルッチの「シェルタリング・スカイ」(1990)「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972!)を観た。
私がどうしてもベルトルッチが好きになれないのは、音楽の使い方が好きじゃないから。
坂本龍一の音楽は単品としては文句はないが、ただでさえ色彩が濃厚で、インパクトある構図の画面に、音量大きめでドラマチックな音楽はどうしてもうっとうしい。
チベットを題材にした「リトル・ブッタ」はたぶん見返さないと思う。

今日の毒舌度:☆☆

☆ベルトリッチの作品では、「シャンドライの恋」(Besieged/1999)が一番好きです。
身を引くことも、ひとつの愛のかたちなんだってことを初めて教えてくれた映画。

映画「トリコロール/赤の愛」

2011年01月23日 | その他映画


「トリコロール/赤の愛」(原題/Trois Couleurs: Rouge)
監督:クシシュトフ・キシェロフスキ
出演:イレーヌ・ジャコブ 、ジャン=ルイ・トランティニャン
1994年作品

<あらすじ>
大学生・ヴァランティーヌ(イレーヌ・ジャコブ )は大学に行く傍ら、ファッションモデルをして暮らしていたが、イギリスに住み、電話だけでめったに逢えない恋人から浮気をしていると誤解され、ヴァランティーヌ自身も彼への愛に疑問すら抱き始める。 ある日暮れ、ヴァランティーヌは車で犬を轢いてしまう。犬の首についていた住所の紙をもとに犬の飼い主訪ねていくと、そこに住んでいたのは人間不信で盗聴を趣味とし、昔判事をしていた老人(ジャン=ルイ・トランティニャン)だった。彼の盗聴に対し「卑怯だ」と憐れむヴァランティーヌだったが、次第に彼と心を通わせていく。

キシェロフスキ監督のトリコロール3部作(青の愛、白の愛、赤の愛)はちょうど映画に夢中になっていた頃に様々な賞を受賞し話題になっていた作品ですが、第1部「青の愛」を見ただけで、「フランス映画は難しい…」と挫折してしまい、その他作品を観ずにきてしまいました。

難解なフランス映画も、それを少しでも理解したいために頼りたくなってしまうフランス映画評論もさらに輪をかけて難解で、ついつい苦手意識を持ってしまっていたフランス映画。

しかもフランス映画の登場人物といえば、パートナーがいたっておかまいなし、よく言えばカタチにとらわれない恋愛至上主義者ばかりで、保守的な倫理観に縛られている古風な(ところもある)私は、拒絶反応ばかりが先に立ち、全体的に理解しがたいものでした。

背伸びをしたいティーンエイジャーの頃は、「フランス映画はわかりにくい」なんて言えなかったけど、年齢だけは大人になったのではっきり言えます、「わかりにくいっ!!」と。
きっと、わかりやすいメッセージとか、ストレートな台詞や表現などはダサイと思っているんでしょうね、いわゆるフランス映画的なものは。
そのかわりいろんな事象の描き方、表し方が実に巧妙かつ、絶妙。
さりげない美しさ、って言うんでしょうか。

この映画で一番わかりやすいのは、「赤」というタイトルにあるとおり、赤い色の使い方。
モノトーンの洋服に赤い口紅、赤いジープ、マルボロの赤、カフェショップの赤、さまざまなところに、赤という色がさりげなく、効果的に使われています。

物語は若いころに恋人に裏切られた判事が、盗聴することによって人々の真実の姿を覗きみるという設定になっているだけで、判事は多くのことを語らないし、かと思えば、哲学的な深い台詞をつぶやいたり、日常もドラマチックな事件も同じテンションで淡々と描かれています。

ヒロインのイレーヌ・ジャコブも可愛らしい。
まず目をぐっと見開いて、2~3秒タメ、口を開いたり、涙を流したりする演技が、クセになりそうです。
とりあえずこれで心が動かない男はいないと思うので、やってみたら如何?

実はこの映画を観たのは、数少ない映画好きの友人の一番好きな映画だから。
でもその友人からもなぜこの映画好きなのかという問いかけにシャープな答えがかえってこなかった。
数え切れないほど何度も繰り返し観ているというのに。

でも、この映画を観てみて、それは、好きなものには理由がないっていうことのほかに、よいところがあまりにもさりげなくちりばめられているだけに、どこが明確に好きなのか説明しにくいからなのだと思った。

でもね、断言できるのはラストシーンの素晴らしさ。
ネタバレになってしまうので、多くは書けませんが、色彩と言い、構図といい、絶に妙です。

美しさの絶頂で幕を引いて、すっかり虜にさせてしまう残酷さは人も映画も同じ。

今日の毒舌度:☆

映画「ラブリーボーン」

2011年01月04日 | その他映画

「ラブリーボーン」(原題:The lovely bones)
監督:ピーター・ジャクソン
出演:シアーシャ・ローナン、マーク・ウォールバーグ 、レイチェル・ワイズ、スーザン・サランドン
2009年作品

<あらすじ>
スージー・サーモンは、14歳のときに近所に住む男にトウモロコシ畑で襲われ、殺されてしまった。
父は犯人捜しに明け暮れ、母は愛娘を守れなかった罪悪感に苦み、家を飛び出してしまった。
殺されたスージーは天国にたどり着く。そこは何でも願いがかなう素敵な場所で、地上にいる家族や友達を見守れる。スージーは、自分の死でバラバラになってしまった家族のことを心配しながら、やり残したことを叶えたいと願うのだったが…。

中国映画紹介ブログ…といいつつ、すっかり母国語(日本語)の字幕に骨抜きになってしまっている最近。

このテのファンタジーはあまり好みじゃありませんが、ピーター・ジャクソン監督作品といえば、外すわけにいきません。

ピーター・ジャクソン監督は、世間的には「ロード・オブ・ザ・リング」三部作で有名な監督ですが、こういう、何部作もある対戦もの(スターウォーズとか)は苦手で、私の中では、伝説のカルトスプラッター映画「ブレインデッド」(注1)の監督として永遠に君臨し続ける天才。

「ブレインデッド」にすっかり参った私は、その次の「乙女の祈り」(注2)も公開初日に飛んでいき、改めて、この監督は天才だ!と確信しました。

天才=変態。
あるものに対する常軌を逸した執着…それだけでは単なる変態ですが、その結果(もしくは成果物)が、個人的な嗜好、自分だけの快楽という枠組みから飛び出して、万人に受け入れられるものを作り出すことの出来る人、それが天才と呼ばれる人たちなんじゃないかと思います。

ピーター・ジャクソンの何がすごいかというと、それは彼独特の美的感覚です。
美しくて幻想的で、そしてグロい。
美しいだけのものならたくさんありますが、この絶妙な「グロさ」というエッセンス、スパイス、隠し味!
この「ラブリーボーン」は、彼の美的感覚なしには映像化は出来なかったでしょう。

彼の美の世界観を満足させるために、映画「乙女の祈り」を制作するために設立された、VFX(注3・ビジュアル・エフェクツの略)のスタジオWETAは、VFX制作の最高峰のスタジオになりました。
この映画もWETAで制作されています。
ひとりの天才(変態)監督が世界に認められ、資金を動かし、新たな技術を作り出す。
すごいですねー。

というわけで、美しい世界の中で、ストーリーは進んでいきます。
ときどき出てくる変質者や残酷なシーンも一瞬霞んでしまうくらいに。
(羊羹の、甘さを引き立てるために放たれている塩味のことなんか大部分の人は気にしません)

でもね、冷静に考えてみると、近所に住む変質者に惨殺されちゃったかわいそうな女の子のお話なんだよね。
しかも天国から見守っているっていっても、特段何か出来るわけでなくて、はらはら眺めているだけしか出来ないという非力さ。

HG(腹黒)な私に好意を抱いてくれる人は、だいたい純真無垢な男性が多い。
例えば、こういう映画を観たら、素直に感動してくれそうな。
私はといえば、横向きながら涙なんか拭いちゃってるボーイフレンドを尻目に、「ていうか、どんなに美しく描いたって、変質者に殺された女の子の話だよねー」とあっさり言い放ってしまいそうです。
(かなり具体的な話だけど、ただの妄想)
そんなんだから振られるんだー、否、そんなんで振る男なんてこっちから願い下げよー(同じく妄想)

スージーちゃん、殺されたときに着ていた服がダサい。
天国でもずっと着たきりスズメになるんだから、もっとかわいい服の時に殺されればよかったのに。
何がかわいそうってそこが一番かわいそうだと私は思いました。

今日の毒舌度:☆

注1:映画「ブレインデット」(1992年作品)
ゾンビ・スプラッタ映画。ラスト20分では映画史上最多(?)と思われる流血と殺戮シーンが明るくポップに描かれる素敵な作品。

注2:映画「乙女の祈り」(原題:Heavenly Creatures、1994年作品)
異常に仲のよすぎる女子高生2人が、仲を引き裂こうとする母親を撲殺してしまうという話が、限りなくファンタジックにグロく描かれた作品。名作!

注3:「VFX」特撮を用いた映画やテレビドラマにおいて、現実には見ることのできない画面効果を実現するための技術のことを指す。視覚効果ともいう。ちなみに撮影現場での特殊効果をSFXと呼ぶ。


映画「ソルト」

2010年12月26日 | その他映画

「ソルト」
監督:フィリップ・ノイス
出演:アンジェリーナ・ジョリー他
2010年作品

<あらすじ>
アメリカのCIAエージェントの主人公イヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)。
ある日、ロシアからやってきた謎の密告者オルロフによってCIAにもたらされた情報は、アメリカの仕業に見せかけた訪米中のロシア大統領暗殺計画と、その為にロシアから送り込まれたソルトという名の女スパイの存在だった。罠だと懇願するソルトだったがCIAに二重スパイを疑われ追われる。
CIA本部からの脱走に成功したソルトは翌日、髪をブロンドから黒に染めかえてアメリカ副大統領の葬儀に出席していたロシア大統領を襲撃する。
その後、一度はCIAに投降したかのように見えたソルトだったが、再びパトカーから逃げ出し、行方をくらませてしまう。
彼女は本当にロシアから送り込まれた二重スパイなのか?彼女の真の目的とは…?

ひとりで観るのが苦手です、アクション映画。
動きが早すぎて、どっちが味方か、どっちが優勢なのかわからなくなり、アクションシーンが長いと確実に意識が遠のいていく…ので、一緒に観ている人に勝敗の結果だけ聞きたくなってしまうから。

今回も、アメリカ大統領が暗殺されそうになって、CIAとシークレットサービスが必死に警護している場面があったのですが、その大統領役の人が全然大統領っぽくない風貌の人で、動きが早くなってくると大変識別しにくかった。
この際、「大統領」ってはち巻つけたらわかりやすいのにー、とひとりで想像し、「ぷっ」と噴出したら、私のおなかで寝そべっていた猫が、突然動いた腹筋に驚いて逃げて行きました。

余談はさておき、これはなかなか面白い映画でした。
脚本といい、セットといい、撮影といい、美術といい、やっぱりすごいねハリウッド映画は。
素直にそう思います。

でも何といっても一番イイのは主役のアンジーです。
「007」のボンドガールを打診されて、「どうせやるならボンドがいいわ」と、トム(クルーズ)に決まっていた「ソルト」役をアンジーがやることになったんだとか。
そう申し出ただけあって、派手なアクションシーンもスタントなしで決行したアンジー。
どうりで「彼女のための映画」のような仕上がりになっているわけです。
そんな予備知識なんてなくっても、アンジーの迫力や美しさが画面からひしひしと伝わってきます。

さて個人的には、この映画はスパイアクションとパッケージングされた、「愛について」描かれた映画だと思いました。

アメリカCIAエージェントで、ロシアの諜報員の疑いをかけられた「ソルト」、某機関で洗脳教育と特殊訓練を受けた彼女が、アメリカ人のクモ学者くんに近づいたのは当初は自分の任務遂行のためでした。
そうとは知らずに真摯にソルトを愛するピュアなクモ学者くん。
2人は愛し合い、やがて結婚しますが、ある事件がきっかけとなり、「私CIAなの。別れましょう」とソルトが切り出さなくてはいけない状況に。
「君がCIAでも構わない。死ぬまでずっと一緒だ」とまっすぐなひとみで言うクモ学者くん。

無垢な愛情の前で、洗脳教育によってもたらされた厚い心の壁や価値観がぶっ飛ぶソルト。
しかし、それまでに築いてきた人間関係や環境(外発的原因)と、それまでに詰め込まれてきた価値観や倫理観(内発的原因)が邪魔をして、結局一番大切なものを失ってしまう。

彼女は一体何者だったんでしょう?

ありふれた話ですが、せつないね。

メインはアンジーのアクションの映画なんですが、ディティールに挟み込まれるエピソードとか、俳優の目力演技とかで、愛国心とか、民族愛とか、家族愛とか、師弟愛とか、夫婦愛とか自己愛とか、いろいろ考えさせられる映画でした。

最後のシーンは同僚のアップシーンで終わるのですが、その顔がどうみても竹中直人。
結局最後は大爆笑で終わってしまい、せっかくおなかでまどろんでいた猫が、またもや腹筋に驚いて逃げていってしまいました。あーあ。

今日の毒舌度:☆(酔っ払っていたため、感受性が暴走)

映画「オルランド」

2010年12月08日 | その他映画

「オルランド」(原題:Orlando)
監督:サリー・ポッター
原作:ヴァージニア・ウルフ
出演:ティルダ・スウィントン
1992年

<あらすじ>
16世紀末、エリザベス一世は青年貴族オルランド(ティルダ・スウィントン)の若さと美しさを愛し「決して老いてはならぬ」という条件つきで屋敷を与えた。まもなく女王は崩御、次いで父親も亡くなり、オルランドは婚約するが、ロシア大使の娘、サーシャに一目惚れ。二人はロンドン橋の上で落ち合い旅立つ約束をするが、サーシャは現れず、失恋したオルランドは六日間昏睡状態に陥る。眠りから覚めたオルランドは詩作に没頭するが、尊敬する詩人から罵倒され詩作も断念し、オリエントの国へ大使として旅立つ。十年の月日がたちオリエントになじんだオルランドに勲位が授けられた。授勲式の夜、敵国の急襲を受け、戦いになった。敵兵が死んでゆくのを見たオルランドはショックのあまり二度目の昏睡に陥る。七日目に目覚めた時、オルランドは女性になっていた。イギリスに戻り貴婦人として社交界にデビューしたオルランドはハリー大公のプロポーズを断る。「自然よ、私をあなたの花嫁にして」と大地に向かってオルランドがつぶやいた時、突然馬にまたがったひとりの男が現われた。アメリカ人の冒険家シェルマディンである。シェルマディンとオルランドは恋に落ち、甘美な一夜を過ごす。翌朝、ヴィクトリア女王の使者が「男子を産まねば財産は没収する」という通達を持ってきた。旅立つシェルマディンを見送ったオルランドはやがて身重の体で戦場を逃げまどう。時は移り、現代のロンドン。オルランドは出版社に原稿を持ち込む。そして幼い娘をサイドカーに乗せ、百年前に失った屋敷を観光客として訪れ、自分の肖像画を見るのだった。

映画が好きというと「一番好きな映画は?」と聞かれるのがちょっぴり困る。
好きな映画はいっぱいあって選べない。
でも私のなかでダントツで好きな映画がこの作品です。
日比谷シャンテで、この映画を初めてみたのは18歳でした。
あまりの衝撃に、普段なら2、3軒は映画館をハシゴして帰る私が、その余韻を抱いたまま、おとなしく帰宅したほど。
ただ残念なことに、大作でも有名な作品でもないので、DVD化されるもとっくに廃盤、レンタルでも借りられるところが……あるんでしょうか。

この映画は400年の間、歳をとらずに生き、しかも途中で性転換しちゃうという突飛な設定な物語ですが、すべてにおいて実にさらりと描かれてます。

自分だけが永遠に若さを保ち、生きながらえているとかの疑問や葛藤は一切なし。
時代や政権が変わり、習慣や価値観や世俗的なものの移り変わりへの葛藤も一切なし。
途中でイキナリ男性から女性に性別が変わってしまうのに、そのへんの葛藤も一切なし。

その割には、失恋や、自分の無能さにはドギマギうろたえるし、この人、自分以外にあんまり興味がないんだと思います。
愛とは生きるとは死ぬとは、そんな自分の内面にひたすら頓着し、外界のことには一切感知しないという、国境も時代も時間軸も性別も越えたところを浮遊している人です。

イギリス史やイギリス文学史を研究している人やジェンダーの問題を扱っている人がパンフレットで、この作品について分析したり論じてましたけど、そういう素養のない私には、16世紀から2000年まで、映画を通して一緒に駆け抜けたという爽快感と開放感だけが残りました。

「一緒に」と申しましたのは、彼(彼女)がときどき、カメラ目線で語りかけるショットがあって、話しかけられた瞬間に、スクリーンの向こう側に連れ去られてしまうような感覚に陥ってしまうからです。amazing!!!

最後にこんな歌詞の歌が流れます。

突き抜けて 壁を突き抜けて
溝を飛び越えて あなたの所へ
一つに合体するこの瞬間
歓喜に身をゆだねて 私はついに自由を手にした
ついに過去から 切り離されて
手まねく未来からも 解放されて…

突き抜けて 壁を突き抜けて
私はもう女でもなく 男でもない
顔は人間で 一人に溶け合った
この地球にいて 同時に宇宙にも存在する
この世に生まれ 同時に死を迎えている

とってもスピリチュアルな感じの歌詞ですが、前向きな投げやり感がとても好きです。

それにしても何でこの映画がナンバーワンなんでしょうね、私。
確かに時代に合わせたコスチュームも美術も、哲学的な台詞も、耳障りの良いクイーンズイングリッシュも、硬質で高貴な音楽も、ワンシーンワンシーンが絵画のように美しい画面も素晴らしく、美的に大いに満足する作品なのですが、ほかにも心震える映画をたくさん観ているはずなのに、どうしてもこの映画が一番いいと思ってしまいます。

嫌いな理由はいくつでも挙げ連ねることが出来るのに、好きな理由を挙げるのって結構難しいなあと思いました。それは私の性格が悪いから?

感覚で生きている私に理詰めは勘弁してください。

とにかく最後は「いーのっ!好きなものは好きなのっ!」で乗り切りることにします。

今日の毒舌度:マイナス☆☆☆☆☆

特別鳴謝:たあちゃん