黒猫とサバ猫が一緒に暮らし始めてちょうど1週間。
実は先日の黒猫の脱走・失踪劇の発端は彼女が自分でドアを開けたらしいことが判明。
その後、黒猫さまは徐々に拙宅にも私めにもサバ猫にも慣れてくれましたが、お気に召さないと、また脱走してしまうので、お嬢の機嫌を損ねないよう、常にお嬢の顔色を伺って対応。
その甲斐あり、非常にのびのびとお暮しになっておられます。

そこ、サバ猫のお気に入りの場所なんだけどねー。

じーっ。

どうぞ、気にしないで続けて下さい。あ、別に気にしてませんよね。
サバ猫は小さな頃から、私に猫っ可愛がりされ、物質的にも愛情的に充足している状態なので、場所を取られても餌を取られてもまったく意に介さない様子。

ホント、いつも満ち足りてて羨ましいよ。

雪だ!
そこでいつも定点観察してるサバ猫は後ろで順番待ち。

もういいでしょ、あたしが来ても。
(このあと黒猫にパンチされるサバ猫)
黒猫は動物の本能を忘れ、弛緩しきったサバ猫と比べ、動物らしい縄張り意識や危機管理が徹底されているのですが、サバ猫に闘争心にないので安心したのか、下剋上して天下取ってやれ、という野心はなさそう。
かつてはサバ猫の砦だった場所を次々に攻めていても、本丸(ソファーの上とベットの上)は敢えて狙わないとかね。
ま、サバ猫は政権交代にも頓着してなさそうですけど。
徐々に過熱していく追いかけっこには時々ひやっとさせられるけど、介入は堪えて見守る。
やっぱりぶつかり合ってお互いの距離感をつかみ、関係を構築していかないとね。
そうすると、ときどき距離がぐっと縮まる瞬間の、感動的なワンシーンを目にすることが出来たり。
相入れない猫同士はいくら時間が経っても絶望的と聞くので、この2匹の相性は良かったのかな。
おかげで目の端と端の間の固定アングルのワンショットで、画面(視野)に2匹の姿を映しこむという贅沢な時間を過ごせている。

私はこれまで、猫の、本能に忠実に自由に生きるところが美しいと思っていた。
でも今回、他者に対しては、奔放に振る舞いつつも、肝心のところでは、お互いに譲り合い、尊重し合っているのを見た。
自我を通し、我儘に振る舞うことが美しいのではなく、それがあるからこそ、猫は気高く美しいのだ。
ひとつ気になったのは、サバ猫の黒猫への愛情表現。
威嚇されても、攻撃されてもめげずに近寄っていくのはいいんだけど、その距離の詰めかたは性急すぎるし、明らかに嫌がられているのに、しつこすぎるような気が。
そこまでベタベタすると嫌われるよ、と思いながら、これまで私がまったく同じ態度でサバ猫に接してきたことに気づく。
サバ猫はその鬱陶しいほどの暑苦しい愛情の押し付けが愛情表現だと思ってるに違いない。
そして、それは私の好きな人への愛情表現にも似ている。
明らかに腰がひけている(嫌われている)のに、「ダーリン、好きだっちゃ!」と猛烈アタック。
「うる星やつら」のラストってどうでしたかな。
せめてラムちゃんだけでも救われててほしいです。
実は先日の黒猫の脱走・失踪劇の発端は彼女が自分でドアを開けたらしいことが判明。
その後、黒猫さまは徐々に拙宅にも私めにもサバ猫にも慣れてくれましたが、お気に召さないと、また脱走してしまうので、お嬢の機嫌を損ねないよう、常にお嬢の顔色を伺って対応。
その甲斐あり、非常にのびのびとお暮しになっておられます。

そこ、サバ猫のお気に入りの場所なんだけどねー。

じーっ。

どうぞ、気にしないで続けて下さい。あ、別に気にしてませんよね。
サバ猫は小さな頃から、私に猫っ可愛がりされ、物質的にも愛情的に充足している状態なので、場所を取られても餌を取られてもまったく意に介さない様子。

ホント、いつも満ち足りてて羨ましいよ。

雪だ!
そこでいつも定点観察してるサバ猫は後ろで順番待ち。

もういいでしょ、あたしが来ても。
(このあと黒猫にパンチされるサバ猫)
黒猫は動物の本能を忘れ、弛緩しきったサバ猫と比べ、動物らしい縄張り意識や危機管理が徹底されているのですが、サバ猫に闘争心にないので安心したのか、下剋上して天下取ってやれ、という野心はなさそう。
かつてはサバ猫の砦だった場所を次々に攻めていても、本丸(ソファーの上とベットの上)は敢えて狙わないとかね。
ま、サバ猫は政権交代にも頓着してなさそうですけど。
徐々に過熱していく追いかけっこには時々ひやっとさせられるけど、介入は堪えて見守る。
やっぱりぶつかり合ってお互いの距離感をつかみ、関係を構築していかないとね。
そうすると、ときどき距離がぐっと縮まる瞬間の、感動的なワンシーンを目にすることが出来たり。
相入れない猫同士はいくら時間が経っても絶望的と聞くので、この2匹の相性は良かったのかな。
おかげで目の端と端の間の固定アングルのワンショットで、画面(視野)に2匹の姿を映しこむという贅沢な時間を過ごせている。

私はこれまで、猫の、本能に忠実に自由に生きるところが美しいと思っていた。
でも今回、他者に対しては、奔放に振る舞いつつも、肝心のところでは、お互いに譲り合い、尊重し合っているのを見た。
自我を通し、我儘に振る舞うことが美しいのではなく、それがあるからこそ、猫は気高く美しいのだ。
ひとつ気になったのは、サバ猫の黒猫への愛情表現。
威嚇されても、攻撃されてもめげずに近寄っていくのはいいんだけど、その距離の詰めかたは性急すぎるし、明らかに嫌がられているのに、しつこすぎるような気が。
そこまでベタベタすると嫌われるよ、と思いながら、これまで私がまったく同じ態度でサバ猫に接してきたことに気づく。
サバ猫はその鬱陶しいほどの暑苦しい愛情の押し付けが愛情表現だと思ってるに違いない。
そして、それは私の好きな人への愛情表現にも似ている。
明らかに腰がひけている(嫌われている)のに、「ダーリン、好きだっちゃ!」と猛烈アタック。
「うる星やつら」のラストってどうでしたかな。
せめてラムちゃんだけでも救われててほしいです。