映画「海角七号 君想う、国境の南」(原題:海角七号)
<あらすじ>
日本統治下の1940年代の台湾で、若い日本人教師が、台湾人女性で日本名を小島友子という教え子と恋に落ちるが、終戦を迎え教師は帰国せねばならず、友子に船上から思いをつづる。60年後、ミュージシャンの夢敗れ、郵便配達のアルバイトをしている青年アガ(ファン・イーチュン)が、郵便物の中に日本統治時代の住所「海角七号」あての小包を見つける。
台湾で史上最高興業成績を記録し、鳴り物入りで中国国内でも上映されたこの映画ですが、なんとなく、あまり好きなタイプの作品でない気がして、長期にわたって放置していました。
その勘は見事に当たり、冒頭5分で、拒否反応が出はじめてしまい、途中猫と遊んだり家事をしたりして気を紛らわせながらみていましたが、もう後半はどうなったかほとんど記憶にありません…。
何がダメかというと、まず美しくもなく蓮っ葉な感じのするヒロイン(日本人に全然見えない)とダサい台詞回し(その当時は流行の言い回しだったんでしょうか)、MTVのようとは褒めすぎ、ザッピングのようなカメラワークと展開、小うるさいだけのつまらない音楽、鬱陶しく騒ぎ立てる登場人物たち、手紙に絡めて過去とオーバーラップする手法なんかが入って頭は無駄に使わせられる内容に耐えられなくなりました。
歴史的に意味のある作品だとか、本国で記録的な興行成績をおさめたとか、個人の好き嫌いの前にはあまり関係なく、まず自分の感性に合致しなければ、私的にはアウトです。
この映画に対して、何の気の利いたコメントも出来ず、ただ「アウト」として切り捨ててしまうのは、恐らく私がこれまで一度も台湾に行ったことがないからだと思います。
これが大陸・香港の映画なら、「大陸の人ってダサいからさ」とか「お涙頂戴が好きなのよ」とか「とにかく盛りだくさんで斬新なものがいいと思ってるから」とか、少しはちゃんとしたことが言えますが、台湾や台湾人について多少は知っていても、実際に肌で感じたことがないので、根拠のないことは何も言えません。
台湾人監督でも、エドワード・ヤン(楊徳昌)や、ホウ・シャオシエン(候孝賢)の作品は何本か観ていますが、彼らの作品を通して「台湾」をかいまみることはあっても、彼らの作品が世界各国で受け入れられているのは、「台湾」だからではなくて、純粋に映画的な質が高いからだと思います。
映画を味わうのに、その映画の背景を知っているかいないかは、ベストだけどマストではないと私は日ごろから思っています。
「良くわかんないけど好き」「良くわかんないけど嫌い」、それでいいと思いますし、逆に映画で感じられない背景をごちゃごちゃ後付で説明しなければならないものなんて映画の意味がないと思います。
映画は映画で勝負しないと。
なーんてこの映画のよさが全く理解できなかった言い訳みたいですね。
ていうかちゃんと観てもいないし。
私の嗜好的に非常にキビシイこの作品をもう一度観返そうという気になるには、今後、私が何かしら台湾と接点があってからだと思いますが、たとえ接点があっても、もう一度観ようという気になるには…。
来世になるかもしれません。
田中千絵の中国語は下手だし、中孝介は明らかにゲスト出演的で演技下手だし。お酒のセールスマンはいちいちうるさいし。
これのどこに大ヒットの要素があるのかな、と今でも不思議なんだけど、「国境之南」はいい歌なので覚えてカラオケで歌ってます(台湾効果)。
台湾って相当洗練されているイメージあったんだけど、大衆に受け入れられるのはこの程度なんだってすごくがっかりしました。
「モンガに散る」も似たようなつくりですね。
カット割が早くて、がーがーうるさくてそれだけで私には無理です。
ところで台湾の小姐に受ける大陸語って何だっけ???服務員?
それとも店員を呼ぶ時の呼び方だっけ?
時間がある時また教えてください。