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中国電影迷

「中国」在住の「電影」好きの「迷」子のブログ。
映画の紹介と日常の心象風景のワンシーンを記録しています。

映画「こねこ」

2012年01月03日 | その他映画


映画「こねこ」
監督:イワン・ポポフ
出演:アンドレイ・クズネツォフ、リュドミラ・アリニナ、アレクセイ・ヴォイチューク、タチヤナ・グラウス、マーシャ・ポポワ、サーシャ・ポポフ
1996年

<あらすじ>

モスクワに住む音楽家一家の子供たちが、ペット市場で1匹の子猫を貰ってくる。子猫は、「チグラーシャ」(トラ猫の愛称で「トラちゃん」といった意味)と名づけられるが、一家に様々な波瀾を巻き起す。
ある日、チグラーシャは、窓辺で遊んでいるうちにトラックの荷台に落ちてしまい、見知らぬ通りに運ばれてしまう。
 一家の懸命の捜索も空しく、何日たってもチグラーシャは見つからない。チグラーシャも我が家を探して街を歩き回り、ワーシカという猫に助けられる。ワーシカは、チグラーシャを雑役夫のフェージンのところへ連れて行く。そこには、たくさんの猫たちがいた。
 チグラーシャが、やっと平静を得たと思ったのもつかの間、フェージンは屋根裏部屋の明渡しを要求する追い立て屋との争いで大怪我をし、病院に入れられてしまう。猫たちは街へ出て、様々な知恵を働かせて食べ物を探し、お互いを支えあって生き延びる。
 大晦日、仲間たちと通りに出たチグラーシャは、懐かしい響きを耳にする。子供たちと一緒に過ごしていたころ聞いたパパのフルートのメロディーだった。チグラーシャは、演奏中のステージに駆け登る。
 一方、病院から帰ってきたフェージンは、ひとり寂しく、新年を祝おうとしていた。そこに、猫たちが次々と帰ってくる。

家にいるかわいいやつらだけでは飽き足らないのか。
過剰な猫愛はとどまることを知りません。

前にもどこかで書きましたが、これって「種としての女」を愛している「女好きな男」の心理と似ていると思います。
とにかく「女=猫」であるだけでみんな愛しい、みたいな。

似てるようで、本質的に異なるのは「男好きな女」で、前者(女好きの男)が、「愛情を与えたがる」のに対して、後者は「愛情を欲しがる」。たまにその逆もあるけど、ほとんどこの形だと思うな。

さて、この映画、大変良く出来ています。
持ち主から「内容はそんなにないですよ」と言われていたのですが、これがなかなかちゃんとしたエンターテイメントな物語に出来上がっている。
人間や人慣れした犬なら演技が出来るけど、猫は基本的に人の言うことを聞かない動物なので、一体どうやって動かしたのか本当に不思議です。
(ロシアには有名な「猫サーカス」があり、そこで猫調教師の第一人者として活躍してる方が出演されていますが、猫にどうやって芸を仕込むんだろう)
それに私も奴らの動きを動画で撮ろうと日々追ってますが、いつもいい絵が撮れないうちにバッテリー、容量切れになってしまうんだよね。
画像的に(時代的にも)明らかにフィルムで撮ってるはずなのに、どれだけ回したんだろうこの映画…
猫に振り回される音楽家の家族とか、その生活とか、ロシアって結構精神的に豊かなんだなあ…とびっくりしました。
私の知ってる限り、まだ中国には動物映画はないような気がします(70年代~80年代の国営アニメラボの秀逸なアニメならある)。
ま、人民が動物に近い感じだから敢えてつくらなくてもいいような気がするけど(毒)。

印象に残ったのは猫数匹に囲まれて生活する中年男性(この人が本職では猫調教師)。
日雇いのような仕事を適当にやって、その日暮らしの生活を送っている感じなんだけど、猫に芸を仕込んだりして、かなり満足度の高い生活の様子。
臨時収入があるとちょっと豪華な餌を一緒に食べたりね。
私も去年は自分の誕生日のカウントダウンに、高級猫缶をあけて一緒にお祝いしたので、ほとんど同じだなと苦笑してしまいました。
今も2匹に囲まれて、非常に満ち足りた毎日を送れていて、なにはなくとも猫と自分の食い扶持が確保できればそれでいい…って思えてきた最近。

猫欠乏症の方には必見です(が重篤になる恐れがあります)。

映画「天使にラブソングを」

2011年11月14日 | その他映画

映画「天使にラブソングを」
監督:エミール・アルドリーノ
出演:ウーピー・ゴールドバーグ、ハーヴェイ・カイテル、マギー・スミス
1992年作品

<あらすじ>
カジノで働いていたクラブ歌手のデロリスは、愛人のヴィンスが部下を殺している現場を目撃し、そのために命をねらわれてしまう。
警察に駆け込んだ彼女は、ヴィンスの裁判の日までカトリックの「修道院」に匿われることになった。そこで聖歌隊を任された彼女は、つまらない「聖歌」をゴスペル風にアレンジし……。

自宅で「東ヨーロッパ・南米映画祭」開催中ですが、上映作品を提供して下さった方の趣味(?)で、テーマが人身売買、戦争、貧困という精神的にしんどいものばかりを続けて何本か観てしまい、たいへん気持ちが落ち込みました。

そんなブルーでダークでローな情緒を中和するためには、やっぱり映画を観るしかありません。

そこでこの1本。
気分をカンタンにハイにしてくれる映画のストックのうちのひとつで、この映画はいつも気持ちを愉快で爽快にしてくれます。
久しぶりに聞いたけど、My Guyの編曲My Godはやっぱりいいね!

時々、尼寺に行こうかなと真剣に考え、自分が頭を丸めた姿を想像して(結構似合うと思う)吹き出したりしているのですが、やっぱり修道院のほうが楽しそうですね。
もくもくと写経してるより(*イメージ)、クッキー焼いたり、孤児の世話をしたり、聖歌隊に入ったり(*イメージ)するほうが。

「セックスも知らないやつらなんかと暮らせないわよ」

ほぼ全寮制だった女子校に入学したとき、同じことを思ってました。
この人たちとはきっとわかりあえないだろうと。

でも私のような異端児にも周りは優しかった。
みんなが私にも居場所と存在意義をくれました。

どこに行っても私はいつでも異端児だけど、それでも私らしくいようと堂々としていられるのは、その時代があったからだと思う。

ありがとうみんな。

映画「ルルの時代」

2011年11月13日 | その他映画

映画「ルルの時代」
監督:ビガス・ルナ
出演:フランチェスカ・ネリ、オスカーラドイレ、ハビエル・バルデム、マリア・バランコ
1990年作品

<あらすじ>
15歳の少女ルル(フランチェスカ・ネリ)は、兄の友人パブロ(オスカー・ラドイレ)にあこがれていた。ある日、パブロからコンサートに誘われたルルは、その晩、パブロと肉体的な関係を持つ。ルルは、そのまま愛欲の日々に溺れ、刺激を追い求める男パブロと結婚してしまう。パブロは快楽を得るために、ゲイのエリー(マリア・バランコ)を自宅に招待し、二人のセックスを見せたり、さらにはルルに目隠しをさせてルルの兄と関係を持たせたりした。事実を知りショックを受ける。パブロの元を去り、一人暮しを始めるルルだが、快楽が忘れられず、毎夜、町をさまよい歩き、男を金で買うち、自虐的になっていつの間にかSMの世界に入り込むが…。

20年前の作品です。
私にとって非常に思い出深い作品で、このたびDVDを入手することが出来ました。

ビガス・ルナ監督は、スペインの映画監督。「ハモンハモン」(92)「ゴールデンボールズ」(93)「おっぱいとお月さま」(94)など、エロチックかつロマンチックな映画を撮る監督で、スペイン映画に興味を持つきっかけとなったのもこれらの作品。

その監督の伝説の作品、「ルルの時代」をみるため、当時高校2年生だった私は「銀座シネパトス」にいきました。
18歳未満お断り(成人映画?)のレイトショーで、老け顔の私は難なくクリア。
まずオープニングの新生児(女の子)の局部に粉が振りかけられるシーンで度肝を抜かれました。

事件が起こったのは上映が始まってからわりとすぐだったと思います。
過激な性描写に興奮した、近くの席に座っていた男性が話しかけてきたのです。
確か、「ひとり?」とか「一緒に帰りませんか?」とかそういう類だったと思います。
丁重にお断りしたけど、気まずくなった私は席を移動し、映画をみながらこっそりと筆箱からカッターを取り出し、何かあったらこれで対応しようと、袖の中に仕込みました。

そんなことがあったので、たぶん途中で帰っただろうと思っていましたが、今回見返したらラストシーンをちゃんと覚えていました。

厳しい女子高で寮生活を送っていたため、時間(レイトショー)と目的を捻出(捏造)するのに苦労したし、大好きなルナ監督の伝説の作品だし、たとえ怖いめに遭っても最後までみようとしてたんだと思います。根性の使い方、間違ってるよね。
でも途中のシーンは案外記憶がなかったです。
やっぱり少しは緊張していたのかな、それとも過激な内容過ぎて理解不能だったのかな。

さてこの映画ですが、興奮する男性がいても仕方がないです、相当過激な性描写です。
ポルノと芸術映画の境目って何なんだろうと考えさせられる作品でした。
また、性とは何か、愛とは何か、アブノーマルとノーマルとのボーダーラインなど、語ろうと思えばいくらでも話題は尽きないこの作品ですが、放送禁止用語・表現だらけの際どい発言になりそうなので自粛しようと思います。

見どころは、主演のフランチェスカ・ネリ(当時26歳)が十代から三十代くらいまで幅広く演じていて、それがよりいっそう淫靡なところと、登場人物が性に対して奔放で開放的なところ(スペインってそうなんですかね)。あと近年有名になったハビエル・バルデムはじつはルナ監督作品の常連で、結構好きでした。野獣っぽいところが。
これがまた、「ハモンハモン」で共演したペネロペちゃんと結婚しました。オスとメスの化身みたいなカップルでとてもお似合いだと思います。

それから音楽がとってもイイ!
挿入されるタイミングも!さすがルナ監督です。
時折流れるのは、私の好きな「The Velvet Underground」っぽいけだるいROCK調の曲で、スペインまでサントラ買い出しに行く予定です。

映画「イースタン・プロミス」

2011年11月10日 | その他映画

映画「イースタン・プロミス」
監督:デヴィット・クローネンバーグ
出演:ヴィゴ・モーテンセン、ヴァンセン・カッセル、ナオミ・ワッツ
2007年作品

<あらすじ>
助産婦のアンナ(ナオミ・ワッツ)が働くロンドンの病院に、10代の幼い妊婦が運び込まれる。少女は、女の子を産んだ直後、息を引き取った。少女のバッグからロシア語で書かれた日記を見つけ出したアンナは、孤児となった赤ちゃんのためにと少女の身元を調べ始める。ロシア語の分からないアンナは、挿まれていたカードを頼りにロシア料理の店を訪ねる。そしてその店の前で、運転手だという謎めいた男、ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)と出会うアンナだったが…。

その筋の映画を大量に仕入れたため、現在自宅ででひとり「東ヨーロッパ&南米映画祭」開催中です。

オープニングに選びましたのは、デヴィッド・クローネンバーク監督作品。
クローネンバーグ監督と言いますと、「ザ・フライ」(86)、「裸のランチ」(91)、「エム・バタフライ」(93)、「クラッシュ」(96)等、B級ホラー好きの私にとっても「気持ち悪い映画」を撮る監督です。
なんていうか「艶やかなグロさ」という映画のタッチは全作品共通していますね。
若い頃はよく、「クローネンバーグとかリンチ(デヴィット)とか好きでしょ?」って言われたのですが、なぜか好きになれなかったなあ。両方とも。
今続けて3本くらい見返したらその理由がわかりそうなものだけど。

さて、オープニングから、人様の首をイキナリ掻き切るシーンで、非常に痛かった。
最近は映画「レスラー」といい、肉体的に痛い映画をみることが多くて、そのたびに半端なく顔をゆがめる私に、猫が毎回露骨にビックリした顔をします。
笑いジワはいいとしても、恐怖に引きつれるときに出来るシワはあまり美しくなさそうなので、がんばって無表情でみるようにしてますが、このテの映画では結構大変。

舞台はロンドンですが、ロシアンマフィアが主人公だからか、ロケ地は、路地裏やロシア料理店、貨物港、怪しげなサウナなどのみ、ロンドンっぽいところは一切なく、「トラファルガー病院」という名詞が出てこなければ、どこの街か全然わからないところも怪しさを倍増させます。

さて、この話の見どころは「刺青」だと私は思います。
ロシアの犯罪者は刺青を入れる習慣があり、その身体を見ただけで犯罪歴が一目瞭然だとか。
例えば、主人公のニコライの背中にはクレムリン宮みたいな建物が3棟(屋根3つ)あるのですが、それは3回収監されたという意味だとか、胸の十字架は犯した罪が窃盗という意味だとか。この映画の題材となっているロシアマフィア「法の泥棒」の証は胸と膝の刺青。
映画の中でもこの刺青が効果的に使われていますし、DVD特典映像で「TATOOについて」っていうインタビューもあるんですよ。
そういえば、クローネンバーグ監督は一貫して「肉体」をテーマにした作品をつくってますね。
ハエ男になっちゃう話(「ザ・フライ」)とか、「イグジズテンズ」(97)も肉体とゲーム機をつないで、ゲームの世界に入っていくという作品ですし。

ロシア人についてもロシアについても全然知りませんが、この犯罪者の刺青文化(?)はたいへん興味深かったです。
中国のお隣の国ですし、赤の国ですし、巨大な国土を持つ多民族国家ですし、いずれどこかのタイミングでこの国とはコミットしなければと思っていますが、ロシア人と知り合った瞬間に「ねえねえロシアの犯罪者って刺青してるんでしょ」と開口一番に聞いてしまわないように、まずは基本的知識から仕入れていこうと思います。

刺青というか、身体に何かを刻むという行為について。
ずっと昔に別れた恋人に、別れてからずっと後に、私と別れた直後に背中に刺青を彫ったと聞かされました。
当時は頭の中には疑問符しか浮かびませんでしたが、今の私なら彼の気持ちが少しわかります。

強烈な記憶をとどめておくのに、徐々に薄れていく思い出や心の傷だけでは足りなくて、身体にも刻んでおくことで、一生背負っていきたい……という感じでしょうか。
でも根がラテン系の私は、そう思いつめて伏目がちになった瞬間、どんな図案にしようか、何の言葉にしようか、どこの部分に入れようかとの想像(妄想)が始まってしまい、わくわくが止まらないー。
今のところ刺青があると、(日本の)温泉に入れなくなるからと躊躇しているのですが、考えてみたらそんなに頻繁に日本に帰っているわけでもないので、そろそろ実行に移そうかな~。

脱線①:ヴァンサン・カッセルっていう俳優さんは、イケメンじゃないけどなかなかいい俳優ですね。妻がイタリアの宝石、モニカ・ベルッチっていうのもすごい。
脱線②:ナオミ・ワッツのすきっ歯(前歯)が相変わらず気になる。美人なのに、コミカルな感じになちゃってると思う。
脱線③:この映画、「シャンテ・シネ」で上映されたようです。こんなグロい映画(R18指定)をシャンテで上映するなんてシャンテも変わったね。私的には「銀座シネパトス」とかで上映される作品と思いますが…
脱線④:タイトル「イースタン・プロミス」は「東欧組織による人身売買」という意味だそうです。

映画「レスラー」

2011年11月09日 | その他映画

映画「レスラー」(The Wrestler)
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ
2008年作品

<あらすじ>

かつては人気を極めたものの今では落ち目のレスラー、ランディ(ミッキー・ローク)。
ある日、ステロイドの副作用のために心臓発作を起こし、レスラー生命を絶たれてしまう。家族とはうまくいかずストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)にも振られ、孤独に打ちひしがれる中で、ランディは再びリングに上がる決意をする。

映画「π」、「ブラックスワン」の鬼才・ダーレン・アロノフスキー監督の作品です。
ヴェネチア映画祭金獅子賞グランプリ等数々の受賞歴を持っています。
燻ぶっていたミッキー・ロークをみごと再生させた作品としても名を馳せました。

「プロレス」とか「ボクシング」とか痛そうな競技は苦手です(そもそもスポーツ観戦自体が嫌い)。
しかも年老いて落ちぶれたレスラーが主人公、きっとそれも「痛い」んだろうな…と、ある程度の覚悟を持って臨んだこの作品。

50歳を過ぎ、かつての人気・名声にすがりながらも、キワモノ興業で地方をドサ回り、収入は少なく、家賃滞納で家を締め出され、平日はスーパーの店員として店長にバカにされながら働き、レスラーとして、ホルモン剤やステロイド剤で身体を維持し、韓国系(場末感たっぷり)の美容院で金髪に染め、日焼けサロンで肌を焼きという、彼の日常を映し出すことから物語は始まります。
資金不足のためか、手持ちカメラのドキュメンタリー風の映像が、さらに痛さを倍増させる。

痛い、痛い、痛いよ…でもこの痛さを超えたところでこの映画の良さがわかるはず…という希望があったのは、映画「π」「ブラックスワン」で人間の強さ(偏執狂じみてもいる)怖さを素晴らしく描いた監督への信頼感でしょうか。

また、「旅芸人」として生きることにこだわる私は、同じ芸人として、彼の行く末を見届けたいという気持ちがありました。
自由を追求し、好きなことだけしかしなかった結果としての自由の代償は自分で背負わなければいけないからです。
私もきっと最後は周囲に痛い、痛いと思われながらどこかで野垂れ死にするんだろうな。
でもどうせなら動物みたいに誰にも知られずにひっそりと終わりたいです。
生涯現役にこだわり、死に場所としてリングを選んだのもよくわかる。
そうしか生きられない人間は、そう生きるしかないんだ。

途中、病のために引退を考え、それを機に好意を寄せている女性と一緒になろうとか、関係が断絶していた娘とやり直そうとか、もう一度人生を構築しなおそうとするけどそれもすべて失敗に終わる。

嗚呼!私も旅芸人は引退してカタギになろうとかそういう幻想を抱いて、トライしてみたことがあったけど、ことごとく失敗した。
辛抱も努力も足りなかったけど、本質的に「向いてない」んだろうなって気持ちの方が大きかった。
「まあそういわずに」って宥めてくれる人たちもいるけど、私はやれることはやったし、やっぱり心に響くのは、こういう同業の人たちの生き様。

「俺にとって痛いのは外の現実のほうだ。もう誰もいない」

芸人は舞台と観客のことだけを考えていればいい。
痛い現実なんて考えなくていい。