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!キユミ感覚的事情

中国の古武術や螳螂拳を学ぶ仲間に向けて、武術的な情報は勿論ですが、それに以外の発見や情報を発信して行きたいと思います。

思い出の場所-青森県

2009-04-16 23:20:03 | Weblog
青森は、会議と「僕つま病」にかかったとき遊びに行った思い出です。
・一番のお薦めは奥入瀬と十和田湖を通って行く黒石市です。
時代から少し取り残された感じのお店が並んでいます。
ここから暫く行くと、「ランプの宿」で有名な青荷温泉があります。
その名の通り、基本的に電気を使わない山小屋にあるようなランプで夜を過ごします。テレビもなく、冷蔵庫もありません。食事もランプの下です。
非日常空間と開放的な温泉は最高でした。
春から夏にかけてがお薦めですが、冬はスノーモービルでの出迎えもあるとか。
真夜中に聞こえた笛の音はなんだったのでしょう。
黒石の中町こみせ通りは江戸から続く、味のある町並みです。造り酒屋が見学できました。お土産にもなって良かったです。
・恐山はあまり気持ちの良くない場所でした。とにかく遠い。
真夏に行ったのですが、薄暗い山道を上がっていくと、良くテレビに登場する霊場につきます。
ここの周りは火山や硫黄の影響なのか、樹木が無かったような気がします。
観光地化しているようですが、岩や硫黄の匂いのする殺風景な景色は、楽しい感じではありません。でもテレビで見るようなおどろおどろしさもありませんでした。
イタコの口寄せも、確か一軒2千円でした。
宇曽利湖は生命の感じのしない寂しい感じの湖でした。きっと硫黄などの火山物質と環境の厳しさの影響で、生物が住めないのかもしれません。
・夏のお祭りといえば、有名な「ねぷた祭り」です。この祭りが終わると秋が来ます。ラッセ、ラッセの掛け声と跳ねる独特の踊りが特徴です。
・春の桜は弘前です。北東北で一番の人出となるようで、短い期間に2百万人以上が訪れると言いますが、その桜は本当に見事なようです。
・そうそう。青森といえば、フジツボが有名です。食用ですが、海の岩にくっついているフジツボです。蟹みたいな味がして美味しいです。呑み屋のあてにもなります。飲み屋といえば津軽三味線ですね。ライブを良くやってますよ。
・雪国の感じを満喫したければ、八戸から青森までの冬の特急列車での移動です。初めて乗った時は熱燗、演歌、別れ、涙、耐えるが頭に浮かびました。

青森は寒さは厳しいですが、見るところ食べるところは事書かない気がします。
高速から見た花火が、短い夏の終わりを告げるようで奇麗でした。



思い出の場所-岩手県

2009-04-15 23:42:05 | Weblog
国道4号線を南から北に上がっていくと
・一関は郭公団子の有名な厳美渓や中尊寺で有名な平泉、ここは最近は世界遺産の候補地で有名になったところです。去年仲間と行きました。近くにはNHKの撮影で一躍有名になったようですが藤原郷があります。
・空港のある花巻は、花巻温泉や宮沢賢治のイーハトブ(理想郷)で有名な場所です。イギリス海岸、「注文の多い料理店」というレストランもあります。宮沢賢治と温泉一色かもしれません。
・石鳥谷は女性杜氏のいる作り酒屋で有名です。道の駅では日本酒がおいてあります。
・県庁所在地の盛岡は、最近冷麺やじゃじゃ麺で有名ですが、昔はわんこそばでした。北上川が市内を流れます。盛岡城址公園や裁判所前の石割り桜は有名です。夏はちゃぐちゃぐ馬っ子やさんさ踊りと言ったお祭りでにぎわいます。
・早池峰山の麓にある早池峰神社は、すごく好きな場所でした。高山植物を見るための登山口の近くにあります。良いエネルギーをもらえた神社です。
・盛岡の秋田県よりには小岩井農場があります。ここは一本桜でも有名です。今は大資本の傘下にありますが、3人の開拓者の名前をとって作ったらしいです。雫石はスキー場でも有名で、この近くにも玄武温泉や網張温泉などの良い温泉があります。岩手山がすぐ近くです。
・海岸沿いはリアス式海岸という複雑な地形で、「浄土が浜」は白砂が望める風光明媚な海水浴場です。本当にあの世に足を踏み入れたような美しさです。
・竜泉洞は地下深くへと続く洞窟で、鍾乳石や地底湖が神秘的なスポットです。
・久慈は琥珀の産地です。琥珀博物館もあります。
・九戸には座敷わらしで有名な金田一温泉があります。もっとも座敷わらしの出る旅館は数年さきまで予約でいっぱいです。

一人でなければもっと堪能できたかもしれません。春から夏が良いです。恵みの秋は果物、きのこが良いです。






指の手術終わりました

2009-04-14 22:09:41 | Weblog
 指の骨折ですが、第一関節の処が半分ほど欠けてました。
 ヒビくらいだろうと考えていたら、この様でした。
 本日手術。
 先生と助手の先生、看護士さん二人とレントゲン技師。すごい大手術の雰囲気でした。
 指を開いて欠けた骨を固定するのかと思いきや、電動ドライバーのようなものを使ってでしょうか、細いワイヤーを指の中へ入れていきます。手術中はレントゲンのようなモニターで様子を見ることができます。
 爪と指の上から孔を空けて仮固定して、欠けた骨の上からピンを打って固定したようです。
 今はギブスで見ることが出来ないので、孔は分りません。でも整形外科の手術は本当に大工現場のようだと思いました。職人ですね。
今の時代に生まれて良かった。40分くらいで痛みも無く済みますから。
 でももっと早く受診していれば、固定で済んだかもしれないと思うと、反省です。

水滸伝お薦めします

2009-03-31 23:16:17 | Weblog
最近吉川英治の「新・水滸伝」にはまっています。
北方謙三の「水滸伝」も面白そうですが、先に吉川英治の方を読んでしまったので、こちらで読み進めています。
水滸伝は御承知のように、宋の時代を生きた好漢たちの物語ですが、武術色の強い、政府に反する任侠の緑林たちの物語です。有名なのは武松や燕青、林沖でしょうか。
現代の表演型にも、武松脱拷拳や燕青単刀などの名前がつけられています。虚構と現実が入り混じる中国らしい処だと感じる一場面です。
読み進めていくうちに、舞台である山東の風景や、出会った老師方の顔が思い浮かびます。
きっと山東の地を踏み、料理を食べ、先生方との出会いがあったからこそ、こんなに面白く読めたのかもしれません。

久しぶりに寝込みました

2009-03-01 22:11:36 | Weblog
 水曜日仕事中にどうも喉が痛くなり、肺がむず痒い。取り急ぎマスクを買って定時で退社。
 翌日医者へ行くとA型インフルエンザという診断に。熱が引くまで外出禁止令が出て、帰宅後39度5分まで発熱。丸二日寝込みました。今日は平熱に戻ったので、やっと外出できました。
 
 最近、「リング」「ラセン」「ハッピーバースディー」のウィルス絡みの小説や、医療の関係する小説を立て続けに読んでいたのは偶然でしょうか?
 
 奇麗な水に、インクを垂らしたように、全身が蝕まれていく感じが今回分りました。本当にあっという間に体がへたりますね。インフルエンザというと、かかってはいけない伝染病のように捉えれれる昨今ですが、子供の頃は風邪の一言で片付けられていたような気がします。

 とりあえず明日は月末処理に励みます。
 
 鳥インフルエンザの危機が叫ばれて久しいですが、予防注射を受けていてこんなです。ワクチンなしでは、死に至る病には間違いないかもしれません。
 過激なまでの反応は不要でしょうが、手洗いとうがい、マスクなどの対策は、良い習慣だと思います。

意識を変えてみました

2009-02-25 00:32:52 | Weblog
 螳螂門という流派の拳法にどんな印象があるだろうか?個人的には全身を短く使い、特に両手を積極的に使う拳法という印象に凝り固まっている。
 でも頭に描くキャラクターのイメージは、漫画少年サンデーに連載されていた「男組」に登場する、死刑執行人こと「殺人機械」が脳裏を離れない。

 彼に名前は無く、影の総理と呼ばれる男に雇われた暗殺者で、殺人狂のヒール役。八極拳と太極拳を好く使う主人公の流全次郎に、登場時の不気味なクールさと強さはどこへやら、あえなくやっつけられてしまう悲しいキャラだ。

 現実には、好き嫌いが多い拳種だとも聞く。特に、インテリな方からは好かれないようだ。理由は様々。たまたま習った先生が悪かったのだと思うが、理論がない、系統立っていないという理由を耳にする。

 うん、理論は確かにないかもしれない。
 一般に理論とされているのは、少林拳の理屈のようで、螳螂拳は本来、左右の単式動作と相対練習を中心に稽古する拳法だった。理論を持ってきたのは近代に入ってからだろう。道場経営の一環で、客のニーズに答える目的だったのかも知れない。

 系統立っていないというのはどうだろうか。
 型という点では、確かに組み合わせがしやすいので、いくらでも作り出せる。創造できると言う意味だ。
 特に土地柄も手伝って、多くの螳螂拳法家が実用性を求め打撃やスピードに主体を置くから、内面は無視されやすい。その意味では内外共に重視するカリキュラムとは縁が離れていたのだろう。
 それが整っているほうが学びやすく教えやすい、経営的な考え方だといえるだろう。螳螂門も近代からカリキュラム重視の体育的な方向に向かったのは否定できない。

 近代の祖、姜化龍先生は気功にも長けていたというが、現代の螳螂拳専門の先生を見渡すと、どうもジッとしている、内側を見つめるのが苦手な先生が多いようだ。その点からみれば、太極拳や形意拳、八卦掌という流派の拳法を、部分的に気功として捉えるのもありかなと思っている。現にそれを実践したのが、百拳摘要と言われる六合螳螂拳だ。
 個人的には流派としての太極拳は分らないのであるが、昔とった杵柄、単純な動作から意識や形からは推測できると思っているから、活気功的なイメージで動作をとらえてみた。久しぶりに太極拳的に行う運動は、違う筋肉や意識の置き方を積極的に変えて使えると言う意味でとても面白かった。
今後は少し続けようかなとも思ってる。

OB会、楽しい時間でした

2009-02-17 22:49:13 | Weblog
 先日、昔一緒に汗を流した方々とOB会をやりました。

日本太極拳協会、全日本太極拳協会の頃ですから、25年以上も前になります。今も練習を続けている方、残念ながら練習していない方半々くらいです。幹事は孫家拳のG藤さんです。G藤さんにも、かれこれ30年ほどご縁を頂いてます。
 武術を通じて縁を頂いた方々には、門派が違っても、永いお付き合いを頂いていると思う瞬間でした。

 当時自分は17歳くらいで、とてもスマートでしたから、今回久しぶりに会った皆さんから、「太った」「オヤジになった」と言われまくりました

 そう言えば、やはり久しぶりに年末に会ったT松さんからも同じような事を言われましたから、その通りなのだと思います(たしかにたばこをやめてからふとりましたしとしもとりましたれんしゅうぶそくもいなめませんがそのぶんみなさんもおなじようにとしとっているとおもいますけど)。
 もう少し稽古に力を入れなければと奮起の機会も頂きました。

 そのOB会の席で、E沢さんから25年くらい前に訪れた、ハルピンで撮影した螳螂拳の画像を頂きました。公園で青年が演武している、懐かしい雰囲気の映像です。

 東北は山東省の螳螂拳が多く流れています。特にハルピンには、曹徳坤系の太極梅花螳螂拳で有名な劉長功先生がいらっしゃいます。恐らくその系統だと思います。

 昔見せていただいた時は、砂埃をあげて演じる拳法に、何をやっているのか全く分かりませんでしたが、現在は大分分るようになりました。少しは進歩しているのだなとも思います。

 中国の東北に伝わる螳螂拳にはとても興味がある時だけに、これも一つのご縁かなとも思います。是非一度行ってみたいエリアです。

感性を磨く

2009-01-29 23:30:45 | Weblog
 螳螂拳の発祥地は、山東半島の中ほどに位置する「小赤山」という小高い山の麓に在る海陽と莱陽という街だ。

 螳螂拳は、三代目に当たる梁学香先生がこの地域で大きく広げた、というよりこの先生から学ぶ者が多かった。先生自身は、この海陽と莱陽の間にある小さな村の出身で、親戚に当たる趙家の起禄先生から拳法を学んだ。

 小柄で痩せていた梁先生は、そのコンプレックスを跳ね返すため、拳を学んだのだろう。数キロの道のりを、農作業の前と帰りに歩いて通う。後に「鉄拳の梁(梁鉄錘)」とあだ名される拳法家の誕生だ。

 海陽に住んでいた村を盗賊から守った、あるいは秋のある日、乱接拳の一套を最後に演じて永い眠りに付いたなどの超人的なエピソードも多く語られるが、その伝承人である姜化龍先生は大分手を焼いたようだ。

 梁家には家系図が残り、学香先生自身が、七品という官位も持っていたようなので、家柄は悪くなかったのだろう。しかし、梁先生のためにと建てた家の強度を疑われて、その一部が壊されたり、梁先生の命を受けた兄弟子に殴られて稽古に奮起したりと、苦労の逸話も多い。
 その一方で、梁先生のその強さと功績は本物だったのだろう。
地域では有数の金持ちがパトロンについた。ここが螳螂拳を大きく発展させた分岐点だった。螳螂拳は注目を集める門派になったのだ。もっとも、しっかりした技術があったからこそ後代に伝えられ、実用武術として伝え続けられたことは間違いない。

最近練習の中で、背が小さい、力が無い、カッとしやすい人が得意としたならどんな技なのだろうという話から、摘要の框手打、転身指路でアプローチしたら結構面白かった。
型そのままの理解では、短打の技法になりにくい。演じる要素が入り込むからだ。
梁先生の頃は、型でなく単独の技として鍛えていた。人格を捉えなおして想像してみるのも感性を働かせる面白さだ。

よいお年をお迎え下さい

2008-12-31 18:39:21 | Weblog
 今年もいよいよ終わりです。
来年は仕事上では、年明け早々厳しい年になりそうです
特定の業界だけの厳しさでは無いようですが、出来ることをやるしかありません。

 08年はとても好い年でした。
年明けは黄海の初日の出を見て、サツキとメイの家も行きました。
夏は芭蕉の足跡も辿れましたし、コスモクロックの夜景も楽しめました。
奈良の神社にも久方ぶりに訪れ、郡上の城下町やすす払いも初めての旅でした。
 拳にも気づきが多い年でした。
海陽で王老師から拳のヒントを貰い、左足を痛めて足の大切さを実感しました。
公開参加の練習や、札幌の合宿にも参加させてもらいました。
乱接でのいくつかの用法にヒントを得て、先達が打つことに工夫したことに想いを馳せました。
大阪、名古屋、札幌の新しい仲間とも交流できて、新しい力を感じました。
型と勁の関係を言葉に出来たのは、実感として体得しつつあるからでしょうか?

今年の美味しかったベスト3は
 立石のおでんや
 王将の餃子とビール
 山東の餃子と梅蘭の焼きそば

来年は
ドジョウを食べに行きましょう。
山東海陽も是非是非再訪したいです。

今年お世話になり、ご縁を頂きました皆様に改めて感謝申し上げます。
2009年も何卒宜しくお願いいたします。

乱接と摘要

2008-10-22 00:04:40 | Weblog
乱接と摘要、崩歩と八肘は同様の系統として認識される。
乱接から摘要に至れば鬼神と言えども避けがたし、崩歩から八肘に至れば神仙と言えどもかわしがたしと言われる所以である。
 乱接、八肘は最も古くから拳譜に見られる型であり、乱接は手法と発力を学ぶ。摘要は近代になってまとめられたもので、同じく手法と発力を学ぶが、組み合わせを学ぶのに優れている。手法360手を学ぶといわれる所以である。宋子徳系には摘要の7番目の型があり、これは地躺拳と言われているが、古存拳と言われる拳法をベースにまとめたものだ。海陽の摘要は6段であり、莱陽の摘要は7段である伝承か。
 乱接は非常に癖のある型であるが、こなれてくると身体操作に大きな影響を及ぼす。跨を練って上肢と下肢とを別々にコントロールすることを要求されるため、大きく体を使うことができ、一般に嫌われる身体のねじれを防ぐのである。また、膝や足先がこわばって力が分散するのを極力嫌うため、意識を末端に置く必要がある。
 力は外に発する必要があるが、足が不安定な形を取っているため、引き手のバランスと力の弾性が必要である。発したあと力を緩めることがバランスをとる要点でもあるから、緩急を自ずと学ぶことになる。
 螳螂拳の原則は、両手は両肩を出ず、歩は軽く行う。言いかえれば肩、胸を緊張させること嫌い、体のねじれと居つくことを嫌う。これを乱接で学ぶのである。
それには先ず、スピードに囚われないこと。空中に描かれた手本を追うように、力まず型を演じる。それによって脚の筋力もつけることができる。体を意識することと同時に、用法や力を意識することが重要だ。
次に力まないでスピードをもって演じる。節奏を身につける。ここで緩急や連続性を学び、カケや作りを意識する。ここまで来たら摘要に移ってみる。摘要は変化、組み合わせを学ぶから、身体の操作も乱接ほど違和感はないはずだ。発力もこの型が分りやすい。こうして摘要と乱接を行き来してみると手法、発力は有意義に学べる。
拳の型はバリエーションがあって面白いが、次から次への学習は弊害をもたらす。身につかないというのが結論だ。
 先にも述べたとおり、一定量の稽古から導き出せる体の使い方を意識してから次に移ること。でないと覚えるのに費やした時間は無駄になる。現代の受験勉強と同じで、次から次へと暗記するだけでは身についた実践に役に立たない。