勿体ぶった訳では ありません。
来客があったり、牛舎の時間が迫ってきたり
で、
申し訳ない🙏
では、では、
始めます。
言い訳からで
30日に婿さん両親達が遅くなったのは、
実は静岡県から来た事と
外国人専用のJRの乗り放題チケットがあるとかで、それで新幹線のチケットを取るのに、時間が掛かった事(外国人がワンサカ行列)
それだけでも、時間を食ったのに
主要駅から、レンタカーに乗り出そうとしたら、車が車😵が
引越し用のバン チャイルドシート2台も付かないし…
仕方なし、別のレンタカーへ
で、どうにか、借りられた。と、言う訳です。
で、我が家を探検した後は、牛舎へ移動
ちらっと見てから、お昼をすべく、近所のトンカツ屋さんへ
勿論我々の支払いでいたのに
娘夫婦が支払っていて😭 あんなにお金がないと 口を開けば言っていたのに
そんな事が普通に出来るようになったんだなぁ〜と 親としては🥲
それからは、我々の車は、次男と3人
の、2台で草津へ向かいました。
夕食まで、あまり時間が無かったので、散策するまも無く お風呂に入る人も有りで…
が、私の体調が…寒気があり、次男に風邪薬を買って来て貰い 飲む
夕食後、寝る前に温泉に入って温まろうとしたら、ぬるい😅洗い場が寒い😨
余計に体調悪し
が、
朝は 良くならないけど
朝食後に湯畑、湯もみショー、中沢ヴィレッジの水芭蕉を鑑賞 見頃でした☺️
そこで、我々の接待を終えて、別れました。
我々は、自宅に。
彼ら達は、関西方面へ
娘は、幼い2人を婿さん達に託して、以前から仕事としてのマッサージの講習を4日間、大阪で受けてました。🫢
その後は、四国に向かったようです。
で、
ですね、我々です。
結果、風邪では無く コロナ😰😰
でも、分かったのは後日
体温は
37.4 37.5の2日が過ぎ、平熱に戻ったので、3日目にキッチンに下り…
下り…
までは、覚えてます。
気がつくと、右顔面を下に寝ていて、左手をジジが握っていて
スマホに救急の要請と、2階に居る次男を大声で呼んでいる様子
最初の言葉が
「救急車なんて 呼ばないでよ」
でした。
そして、サイレンが分かって、「来ちゃったよ」
と、いい放った🙃🙏
で、乗っていきました。
で、コロナ発覚して、その日のうちに帰宅する。
痛みが無く(その時は)、記憶が飛んでいるし
暫く寝かされて、牛舎仕事は、次男とジジでする事に 2日後にジジが37.5度の発熱🥵
が、普通に牛舎に行く
その後、顔が右眉の上を直撃したので、こぶと凹みができ、痛みもまだあります。
片目パンダ🐼 そのもの
が、娘達には、一切知らせず
帰国間近の4月10日に又、我が家へ
駅まで迎えに行った際次男が説明
玄関に入るなり
「そんな大変な事、知らせてよ〜」
と、抱きしめて来ました。
知らせてもね〜
何も変わらないしね〜
ただ、あちら側に感染してないか⁉️
それだけが心配でした。
が、メールの内容で 安心してましたがね
それからは、地元のサファリパークへ1日、次の日は、娘と下の子で西松屋やしまむらへ買い物。
その間 婿さんと上の子は、以前からのフランス人友人に会いに行ってました。
今でも、ジジの車と私の車には、それぞれにチャイルドシートが付いたままです。
車に🚘乗るたびに、胸がキュンとしてしまいます。
ホントに中身の濃い日々でした。🤣😂😇🥰
で、ですね、まだあるんです。
私が救急車で運び込まれた日
牛舎のアイドル、チッチ❣️が 亡くなりました。😭😭😭😭😭
ジジが「お前の代わりに逝ったんだぞ」と
外傷も無く、カラスにつつかれる前に見つけられたのは幸いでした。