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詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第31回 八木重吉 死後のポエジー 第4回 萩原 健次郎

2019-10-07 10:54:53 | 日記
 作家の山口瞳と八木重吉の縁については、予想外だった。八木の年譜を見てから徐々に興味を抱いた。詩人の死後、昭和33年に刊行された彌生書房版『定本八木重吉詩集』は、八木の妻であった登美子と再婚した歌人吉野秀雄とその三人の子どもたちの献身的な尽力でまとめられたことを知った。年譜の列記を眺めつつ、この事実は、単なる美談ではないなと感じていた。そうした倫理が介在した行ないではなく、八木が書いた詩作品そのものが放つ強い力がそこにあると思った。同時に、吉野の存在、また、八木登美子から、吉野登美子に名を変えた登美子の存在が、心の内に大きく広がっていった。
 吉野登美子は、回想記を残している。副題に「八木重吉の妻として」と記された『琴はしずかに』(昭和51年)と「吉野秀雄の妻として」と記された『わが胸の底ひに』(昭和53年)の二冊だが、後者の帯文では、山口瞳が一文を寄せている。



 吉野秀雄先生のような、およそ、人間の、男の、良いところだけで出来ている人を私は他に知らない。その先生の死にいたるまでのことを、あらゆる不幸にめげずに、清らかな魂を持ちつづけたその妻が書いた。私は、いま、多くの人に、ぜひこの書物を読んでくださいと叫びたい気持ちをおさえかねているのである。
(山口瞳『わが胸の底ひに』に寄せた帯文)


 山口瞳にとって、吉野秀雄は戦後まもなく鎌倉に開校した鎌倉アカデミアで教わった恩師であった。鎌倉アカデミアは、自由な気風を尊ぶ専門学校で文学科、産業科、演劇科、映画科の4学科編成であったが、4年半で廃校となっている。



 そこで私が出会ったのが山口瞳の『小説吉野秀雄先生』(文春文庫)という一書であった。書名となっている標題文は、200頁のうちのほぼ半分で、あとは、「隣人・川端康成」「曲軒・山本周五郎」「先輩・高見順」「木山捷平さん」「内田百閒小論」といった形で、山口が自ら尊敬する先輩作家との交友の足跡と人物誌がつづられている。その切り方の角度はゆるやかであるが、どの文章にも熱がこもり、切々と迫ってくる。集中には、八木重吉と木山捷平の詩篇が、重量をもって引かれている。
 同書の冒頭は、八木の詩作品の引用からはじまっている。

  ばつた

  ばつたよ
  一本の茅をたてにとつて身をかくした
  その安心をわたしにわけてくれないか


  栗

  栗をたべたい
  生のもたべたいし
  焼いてふうふう云つてもたべたい


 単純な嘆息の中からストレートに吐きだされた言葉は、八木の詩の特長ではあるが、その中でも喩法の屈曲がほとんどないまるで児童詩のような詩句だ。山口の同書には、次のように書かれている。

 私のところに、八木重吉の詩を書いた原稿用紙がある。それは、まことに粗末な原稿用紙であってそこには、筆で、次のように書かれている。
   <上記の詩篇のほか七篇の八木の短詩が引かれている>
 私が、この二枚分の原稿用紙をとっておいたのは、この詩が好きだったからである。それから、いかにもいい字で書かれているからである。
 この詩の原稿を書かれたのは吉野秀雄先生である。

(山口瞳『小説・吉野秀雄先生』の冒頭部分)

 八木の詩が、継がれている。登美子が、詩人の死後も大事に抱え携えてきた「古ぼけたバスケット」の中に実在する詩篇の、その片々が、翻って見える。
それから、同書の中程で語られている、「山口君!恋をしなさい。/恋愛をしなさい。恋愛をしなければ駄目ですよ。山口君、いいですか。恋をしなさい。交合(まくわい)をしなさい」という、吉野が山口に力説した言葉が、もう一つの実在として私に衝撃をもって迫ってきた。
 この衝撃について、詳しく言葉で説くことは、私にはできない。しかし、私は、この言葉にこそ、八木重吉の詩が、死後に継いだなにものかを痛感する。山口は同書の結びでも、吉野の直情が乗ったこの言葉を掲げて締めくくっている。

 いまにして、私は諒解するところがあったのである。先生の「恋をしなさい」は、「歌え」「酔え」「踊れ」と同義であった。「交合せよ」は、「やよ励めや」であった。
 貧しくとも、体よわくとも、若くとも、恋ぐらいせよ。交合せよ。

(山口瞳『小説・吉野秀雄先生』の結びの部分)


 冒頭に八木の無垢なる詩篇を引き、結びに「生きよ!」と励起の言葉を置く。そこに、恋情への烈しい肯定を曝す。八木重吉が、死後に継いだ詩の根が、私には見える。
 八木重吉は、世と人への恋情の詩人ではないかと。

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