詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第23回 漫画を読む日常(第6回)『幽☆遊☆白書』のこと 望月 遊馬

2019-02-10 20:59:14 | 日記
 格闘漫画というものに心惹かれたことは、私のこれまでの人生でそれほどない。『幽☆遊☆白書』という作品は、幼いころにアニメを見て、さほどの感慨もなくテレビ放映が終わったことを覚えている。また、父に勧められて幼稚園のときに『キン肉マン』を見たこともあったが、よく覚えていない。それほどまでに私と格闘というものは遠いものだった。とはいえ、まったく無縁であったかというとそうでもない。私は三歳のころから武道を習っていた。いや習わされていたのだ。道場に通い続けて十三年。やめたときには高校生だったから、かなりの歳月を武道の稽古に費やしたことになる。その間、大会に出場したこともあったし、夏合宿に参加して稽古したり、寒稽古などさまざまな経験をとおして自分なりにそれらの内実に足を踏み入れたと自負している。ただ、好きだったかと言われると好きではない、むしろ嫌いだったと言わざるを得ないだろう。大声をあげて号令するのも性に合わないし(私は声が小さいし、囁くようにしかしゃべらないのだ。だからカラオケも苦手)乱暴な師範の厳しい体罰も快いものではなかった。だから、自分はもう二度と武道や格闘というものとは関わらないで、無縁の生活を送っていくだろうと思っていた。しかし、それから幾年もたち、ふたたび『幽☆遊☆白書』を読んだときに、私は魅せられてしまった。闘うということの物理的な打撃を一歩引いたところから俯瞰すると、心理的な駆け引きや、演舞とみまがうような美しい立ち振る舞いというものが滲出して、たとえようもない「快」をもたらしてくれる。
 ところで『幽☆遊☆白書』という作品を簡単に説明すると、主人公の浦飯幽助が交通事故死して、紆余曲折を経て生き返るというものだ。最初は霊界探偵といった仕事をしているのだが、徐々にそこに戦闘や格闘という要素が加わり始めて、やがて「暗黒武術会」というトーナメント式の格闘大会に出場したり、魔界に侵入してそこで、かつての仲間と決別してそれぞれの党派に属してそこでさらに覇権をめざして戦うというストーリー。
 しかし彼らはやはり仲間であり、その精神は終始一貫している。闘う手法もさまざまだ。自分の作りたい武器を意のままに具現化するといった能力の持ち主がいたり、空間を切断できる者、知力を駆使して頭脳戦をしたり、ゲームの世界でプレイしたり、格闘という枠を超えてさまざまな戦いを展開する。
 この漫画を読んだ時に、私がかつてしていた武道の奥深さと貧しさの両面を見たような気がして、何も言えなくなってしまったのだったが。
 それからさらに数年経った今、私はやってみたい武道がある。太極拳やカンフーだ。その動きの美しさはまさに演舞と言っても過言ではない。実際にやってみたら、また、内情は違うかもしれないが、そんな好奇心がかきたてられる格闘というものに、また、詩を書く上で違うアプローチができないだろうかとおもったりもしている。その一環として杉中昌樹氏の主催する「アニポエ」という詩誌に、『幽☆遊☆白書』をテーマとした作品を一篇寄せさせていただいた。格闘をテーマに詩を書くというのは、面白い。私が書いてしまうと、いつも格闘という現象がどこにあるのだろうかという見当違いな作品になってしまうこともあるが、それもまた創作上の意図せぬ結果ということでお許しいただきたい。
 さて、私が実際に太極拳やカンフーをやるかというと疑わしいものがあるが、格闘漫画というものに、もっと親しんでみてもよいかもしれないと思うのだった。