きっかけはヘンリー・ダーガーだった。
新聞で知って本を取り寄せた。「非現実の王国で」という壮大な物語を、誰にも見せることなく描き続け、死後膨大な作品と共に発見されたダーガーの存在に、純粋に惹かれた。私は彼についてほとんど知らないが、ヴィヴィアン・ガールズの可愛さと異常な雰囲気、また彼の非常な孤独が気になった。ダーガーを表する言葉として「アール・ブリュット」という言葉を知った。「アール・ブリュット」とは「アウトサイダー・アート」とも言い、「生の芸術」という意味で、芸術教育を受けていない人の作品のことを指すというのが一般的だ。日本だと障害者の作品を指す場合が多い。
ダーガーを知ってしばらくして、地元群馬でもアール・ブリュットに関わる活動をしている団体があるのを知り、訪ねた。そこは「工房あかね」というNPO法人で、当時はギャラリーもあったので、企画展のたびに通うようになった。暫くしてあかねが障害者の通所施設を開所したとのことで、当時介護の仕事をしていた私も、縁あって働くことになった。私が務め始めた頃は、利用者より職員の方が多い時もあるくらいだったが、数年経つ間に定員もいっぱいになってきた。私はそこで、日々利用者と絵を描いたり、物を作ったりしていた。自分の作りたいものを表現するお手伝いや、やりたい事を見つけられない人と一緒に悩んでヒントを探すことに、難しいなりのやり甲斐を感じていた。職員も利用者も一生懸命に毎日過ごしていた。苦しいこともあれば、楽しいこともあって、そこで生み出される作品を多くの人に知って貰うことが私の役目だと思って働いていた。何より、私は皆の生み出す作品が大好きだった。
そこで目にした作品の多くは、決して世間でいう「上手な絵」では無いものも多い。でもそれらの作品には、私たちが見慣れている絵には無い規格外のエネルギーがあり、それが目の前で爆発しているのを見ると、理屈でなく惹かれた。なんでこんな形?なんでこんな色?なんでこれを描いているの?という、常識が全く必要ない世界で生み出される作品は、時に全く理解されないこともあった。しかし我々はそこに魅力があると感じ、信じているので、希望があれば発表の場に出て行った。というか自分が魅力に感じるものを、まだ知らない相手に知って貰いたい、伝えたいという思いで動いていた。健常者であれば自分でいくらでも場を探し、動いて発表の場を作ることが出来るだろう。でもそれをすることが難しい人が居るのだ。ヘンリー・ダーガーは孤独の中で人生を終えたが、別に好き好んで孤独のままだった訳ではないと思う。私の仕事は、常に彼らと社会を繋ぐことだった。
アーツ前橋に「mina」というミュージアムショップがあるのだが、ここは作家の作品と共に全国の福祉施設で作られた作品・グッズなども一緒に並べられている。これどうやって作ったんだろう?!という結構変わった、でもオシャレなグッズが手に入るので、私はとても気に入っている。そこに「さくらハート」も並んでいる。「さくらハート」とは、埼玉にある福祉施設「工房集」の成宮咲来さんという作家の作品である。改めて調べたら、偶然にも彼女は私と同い年で、勝手に親近感を感じている。私は彼女の作品のファンなのである。「さくらハート」は極細のカラフルで綺麗なワイヤーを、丁寧に手で丸めた作品で、大きさは、私が持っているものは大体2センチから一番大きなものでも4センチくらいと小さなものだ。玉虫のように輝いている。この小さなワイヤーの塊が、私には宝物に思えて、気に入ったものがあると買い求めて大事にしている。色の具合もあるのだろうが、時折このワイヤーが本物の血管のように見えて、ハート=心臓だなあ、と思う。一度工房集にお邪魔したことがあるのだが、その時は彼女に会えなかった。お会いしたことはないが、私は彼女の作品が大好きなのである。
工房あかねに勤めていた時によく皆と話していたのは、「障害者の作品だから買おう」ではなく、「好きで買ったら障害者の作品だった」というような感じが良い!ということだ。純粋に作品が評価されて、将来「アール・ブリュット」という言葉すら必要なくなる世界がくれば良いと思っている。
(*見出し画像は、成宮咲来さんの作品「さくらハート」)
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