詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第12回 ほそいひかりの三々五々(第6回) 夏野 雨

2018-03-06 01:28:18 | 日記


 春が来た。ある日起きるとふわふわとして、なにかがおかしい。昨日よりほんのすこしだけ服の厚みを感じる。玄関の戸を開けると、空気が決定的に違っている。決定的だが明確に言い表すことはできない。時間がゆるんでいるという感触。車のフロントガラスの埃がきゅうに目立ちはじめる。セーターがちくちくする。マフラーをはずす。梅が咲いている。童謡「うぐいす」を歌う。うぐいすはまだホーホケキョとは鳴いていないけれど、もしかしてこれは…春、なのかもしれない、と思い始めた頃にまた寒さが戻ってきたりする。はっくしゅん。でももう雪は降らないし、コートも重くなりつつある。暖房の設定温度を下げるかためしに切ってみたり、お風呂あがりに素足で歩けるかやってみたり、湖の上の氷が割れるかそうっと靴を乗せてみたりする。そんな季節だ。

転がって笑い転げて投げあってスケートリンクに光あつめて



傾きっぱなしの顔でやじろべえきみが地球、と言って泣きだす

 電線が好きである。電線がこんなにも町の空を占拠しているのは、アジア(とくに日本)だけだ、と、聞いたことがあるのだがほんとうだろうか。町にはほんとうに電線がたくさんある。じっとみていると、とくに電柱付近などは、綱引きをしているようにもみえる。電線の中身は、電気とそれから電気信号であるはずで、電話だったりインターネットだったりなんらかの通信を運んでいるはずで、音声、文字、画像、データ、それを発する人と受け取る人がそれぞれにいて、ああしたいこれがいいこれすてきこうでした、なんていっているはずで、人間の欲望がこんなところ(空とか)にまで及び、それが固形化しているなんて、なんてあからさまな、とおもうのと同時に、砂漠を歩いているときこんなにたくさん電線をみつけたら嬉しいだろうな、それって人が住んでるってことだもんな、と、ぼんやり考えたりするのだった。わたしが何を考えても、電線はきょうも動かない。どこまで続いているのか、壮大な綱引きである。



 東京で初めて住んだ町は、船堀である。じつに地味な町であるが、新宿方面から向かうと都営新宿線がはじめて地上にでる駅で、おまけに小さな映画館がある。さらにいうと、船堀タワー(とかってに呼んでいた)タワーがあって、無料展望台がある。じつにいいところである。煙となんとかは高いところに登りたがる、というが、塔があるなら登ってみたくなるのが人情だ。というわけで、夜な夜な自転車を繰り出して人気の少ない映画館にいってみたり、エレベーターに乗ってみたりしていた。夜、展望台に出ると、ほとんどだれもいなくて、首都高のあかりがらんらんと続き、黒い川と、そのむこうに都心部の明かりが見えた。当時のわたしにはなんと高速道路の概念がなくて、なんだろうあの明かり、鉄道、じゃないしなんで宙にうかんでるんだろう、かざりかな、なんて考えていたことはだれにもいえない秘密である。当時の景色をもし今見たら、ちがうふうにおもうだろう。景色のほうも、変わってしまっているかもしれない。今の景色も、ずっとあとで見たら、ぜんぜんちがってうつるだろう。世界は全方向からわたしたちを包み、誰もがちがう景色をみて、本人でさえもそのときの感じを正確に保存しておくことはできない。でも手触りのようなものは残って、いつかの塔をおもいだすとき、以前の自分が二重写しになって、ガラスにうつりこんでしまう。それに出会って、おどろいたり、不思議がったりする。景色も不思議だけど、人間のほうが不思議だな、たぶん。



 春が来て、この連載も最終回である。隔月で全六回。はやいものだ。感謝を。いちばんさいしょにスケジュールを頂いたとき、ほぼ一年である、ということにおどろき、そのころの自分はいったい何をしているのだろう、とおもったものであるが、いまもあんまりかわっていない。一年であるから、季節をどんどん入れていこう、とおもったことはおぼえている。そして一周まわって春である。水仙が咲いた。またあの水辺に来た。そんなきぶん。ワーズワースじゃないけれど、I wandered lonely as a cloudだ。こころは自由に季節をとびまわる。



 春の手

ドアを開けると
雨が降っていた
背中からゆっくりと
空気が立ちのぼる
小さな池にさざなみを立てる
光、明晰な

火をつけよ
火をつけよ、木蓮
火をつけよ、くぐもる轍に
火をつけよ、電信柱
火をつけよ、黄色いスカート
火をつけよ、カシューナッツ
火をつけよ、わななく街灯

蝋梅の匂い低く流れ
石を投げる
蝶に
名を問うことをせず
放擲の靴跡だけが
滴り落ちる
葉の上に
また
光が積まれて




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1 コメント

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Unknown (神保茂)
2018-03-26 16:11:40
船堀は友人が住んでいたので、何度も行きました。タワーにも一度。
連載、今回で終了ということで残念です。どうもお疲れさまでした。

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