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詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第38回 コロナと戦争(第1回) コロナのもとで『ペスト』を読む(1) 添田 馨

2020-04-14 21:20:40 | 日記
 本当に気がかりなことというのは、自分の周囲でいくつかのぼやけた兆候が重なりあうことによって、その輪郭が徐々にはっきりしてくるものである。
 二〇二〇年一月の終わりごろ、新型コロナウイルスの感染者の急増で中国・武漢市が都市封鎖になったとのニュースが流れてきた。それ以前にも同市の海鮮市場で原因不明の肺炎が流行の兆しを見せているとの情報があった。とても嫌な予感がしていたとき、二十歳の頃に読んだアルベール・カミュの小説『ペスト』のことが思いだされた。おそらく都市封鎖というモチーフが両者に共通していたからだろう。小説の細部を私はすでに失念していたが、やけに重苦しい読後感だったことだけは覚えていた。だが、翌日にはそんなことさえきれいに忘れてしまっていた。
 二月のはじめになると、横浜に入港しようとしたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客たちに、このウイルスの感染が疑われる症例が複数みられたため、同船の乗客全員が上陸を許されずに船内で隔離状態におかれるという事態が出来した。おおくの人がそれの意味するところを測りかねているなか、私はとある哲学研究会の合宿に参加したのだが、その懇親会の場で、たまたま隣席に座った人が、どういう話の脈絡からだったか遠い目をしていま自分はカミュの『ペスト』を読み返しているのだと私に話しだしたのだ。

 どうも小説『ペスト』が私になにかを語りたがっている。そんな直感がやってきた。

 私にはこれまでも何度か、ウイルス存在というものに自分から相見えようとした契機があった。後天性免疫不全症候群のHIVや鳥インフルエンザの新型ウイルスなどが、時代を画するように次々と新たに登場してきたときである。といっても私はウイルスの専門家ではなく、せいぜいウイルス学の一般教養書を何冊か深読みして、自分なりのイメージをこしらえ上げる程度のことしかできなかった。だが、それでも素人なりにウイルス存在に関する知見を深めればふかめるほど、自分の世界観がそれだけ拡張されていくような不思議な感じを味わった。
 ウイルスが何者なのか、その概念が私のなかですっかり分明だとはとても言えない。ウイルスがいわゆる〈生物〉でないことは何とか理解できる。ではそれは物質なのかと言い切れるかといえば、どうもそれも違うようだ。ある特殊な方法で、ウイルスはあたかも〈生物〉のように自己を増殖させることが分かっているからである。
 ウイルスは〈情報〉だという人もいれば〈タンパク質〉だという人もいる。最近読みえた解説では、生物学者・福岡伸一の次のような文章に私にはいたく興味をそそられた。

 ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。
(ウイルスという存在 朝日新聞連載「福岡伸一の動的平衡」より 2020.4.3朝刊)


 すでにして類的存在の進化という高度な次元にまで思考を拡張させていかないと、ウイルスというものの本質は捉えられないということなのだろう。こうした知見は、きわめて説得的である一方、個々の生存次元においてはあまりに超越論的にすぎ、両者の間に横たわるこの認識上の落差を前に、例えばいま私たちが目前にしているコロナウイルスのパンデミック状況に対峙するに際して、どこか雲をつかむような空漠たる感覚にとらわれてしまう。
 だからウイルスそのものについて自然科学の素人がこれ以上考えることには、もはやほとんど意味はないのだろうと私は考えた。それよりもこうした特異なウイルス存在が出現することによって、私たちの日常世界の文脈がどう変化していくのか、そのことを考えるほうがよほど実りあることだと私には思われたのである。

 小説『ペスト』において、この人類にとっての伝統的な疫病は、ある大きな町のなにも知らされていない住人たちにとって、とてつもなく巨大な不条理性として突然に襲いかかってくる。四十数年前にこの作品をはじめて読み始めた頃、私は、この感染症に対して少々の歴史的伝承いがいに何のリアリティをも持ち合わせているわけではなかった。だから、当時、カミュの実存に根差した反抗の思想の一種ニヒリスティックな雰囲気にかぶれていた私にとって、小説の導入部は何処か現実離れしたよそよそしいものに感じられていた。
 しかし、今回これを再読してみると、その印象は四十数年前とはぜんぜん違った。
 姿の見えないコロナウイルスというものの脅威が、自分の身辺にあいわたるリアリティの強度のひりひりするような肌感覚となって、あらためて感受されたのである。

 事態はついに報知(情報、資料提供、ありとあらゆる問題に関するいっさいの情報)通信社が、その無料提供情報のラジオ放送において、二十五日の一日だけで六千二百三十一匹の鼠が拾集され焼き捨てられたと報ずるに至った。この数字は、市が眼前に見ている毎日の光景に一個の明瞭な意味を与えるものであり、これがさらに混乱を増大させた。それまでのところ、人々は少々気持ちの悪い出来事としてこぼしていただけであった。今や、人々は、まだその全容を明確にすることも、原因をつきとめることもできぬこの現象が、何かしら由々しいものをはらんでいることに気づいたのである。
(「ペスト」1より)


 ペスト発生の初期段階において、街中の鼠の大量死という現象が起こる。やがてその死体に触れた住民のなかにも高熱をだしリンパ節を腫らした症状で亡くなる者が出はじめる。医者たちはことの重大さをうすうす感じ始めてはいるものの、なかなかそれがペスト流行の兆しだと認める最終判断がだせないまま、感染はじわじわと確実に拡大していく。こうしたプロセスの描写は、現在のコロナ禍の状況下でこれを読むと、まさに迫真そのものの記述と映る。
 ペストと今回のコロナウイルスとは、原因となる病原体もその病理のメカニズムもまったく異なる。にもかかわらず、私がこれらふたつの疫病を同列に論じることを自分に課したのは、私自身の認識空間のなかで、人知を超えた振る舞いをみせるこのふたつの疫禍がともに人間の解読能力をはるかに越えたところで発せられた何者かの〈言葉〉のように思えたからだった。
 直感としてやってきた私のこの受け止めには、じつは二重の意味がある。
 ひとつにはウイルスの存在性格として、それが何らかの遺伝情報を媒介するというメディア的側面を有する点があげられる。あくまでメタファーとして捉えれば、ウイルスはゲノム情報がそこにびっしり書き込まれた自律的なテキストデータとも考えられ、これを解読するテクノロジーがそこに介在することで、少なくともウイルス学的な定義づけが論理的には可能になる。だが、あくまでそれはウイルスというもののメタフィジクスなのであり、決してその実体象ではあり得ない。『ペスト』という小説が書かれなければならなかった文学史上の最大の理由も、私はこの点にあったものと思っている。つまり言葉の表現形態として出会われることで、目にも見えずその全体像も定かでない病原体との闘い—それが持つところの時代的な意味の全体性が、私たちの経験領域のなかに初めて実体化される最初の契機に、この小説はなったと考えるからである。言い換えれば、ペストという凶悪な伝染病はカミュの小説『ペスト』において、初めて私たちの眼前に実体として顕在化し、かつまた存在しはじめるのである。
 そしてもうひとつ言わなくてならぬのは、ウイルスを実体と見なすことで、驚くべきことにそれ自体がなんらかの存在的な意味を発信しはじめるという発見だ。私たちが普通「感染」と呼んでいるウイルスの振る舞いは、私たちの身体内に異物たるウイルスの侵入をはからずも受容してしまう事態を指しているが、ウイルスが私たちの身体細胞とこうして一体化しうるということは、私たちの意に反して、彼等と私たち人間とは本来的に親和性があったのだという冷厳な事実を突きつけてくる。RNAウイルスであるコロナも、それ単体では増殖することができず不活性の状態に置かれているものの、ひとたびヒトの細胞内に迎え入れられる(=感染する)ことによって活性化し、逆転写酵素という秘密の武器を駆使して私たちのDNA情報をみずからにコピーしながら増殖をはかる。にわかには信じがたいことだが、ここではウイルスと私たちの身体細胞とのあいだで、意味(DNA情報)と価値(自己増殖能力)の交換がみごとに果たされているように見えるのである。そしてウイルスのこうした振る舞いは、私たちの〈言葉〉による言語活動の本質と極めてよく似ているのだ。つまり、こうしたことが可能であるということは、ウイルスと私たちの身体細胞とのあいだに、何らかの共通文法が先行して成立していることを物語るだろう。これがコミュニケーション以外のいったい何だというのか?両者はこうして私たちの意志がまったく関与することもコントロールすることも不可能な領域内で、じつは秘かに密通していたのだ。ウイルスが何者かの〈言葉〉のようだと私が捉える、これはそのもっとも枢要な根拠なのである。

 「まったく、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね」——二人の医師、リウーとカステルのあいだで初めて「ペスト」という〈言葉〉が発せられる瞬間は、さてもこのようにして訪れた。ここでも「ペスト」は二重の意味で〈言葉〉である。その存在が言語行為として初めて社会的に共有されたということにおいて。そしてさらに、それ自体が独自の文法体系を有した、未知の計り知れない、私たちにとっては死を意味するまぎれもない情報媒体、いや生命活動を攪乱し破壊するためのプログラム言語という相矛盾する性格を、もっとも強烈に暗示するというまさにそのことにおいて、である。

 「ペスト」という言葉は、いま初めて発せられた。物語のここのところで、ベルナール・リウーを彼の部屋の窓際に残したまま、筆者はこの医師のたゆたいと驚きとを釈明することを許していただけると思う。というのが、さまざまのニュアンスはあるにせよ、彼の示した反応は、すなわちわが市民の大部分の示したそれであったのである。天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。医師リウーは、わが市民たちが無用意であったように、無用意であったわけであり、彼の躊躇はつまりそういうふうに解すべきである。同じくまた、彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解すべきである。戦争が勃発すると、人々はいう——「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。
(同前)


 本日、わが国では新型インフルエンザ等対策特別措置法にもとづく初めての緊急事態宣言が、東京・大阪をはじめとする7都府県にむけて発令される見込みである。緊急事態宣言とは、見方を変えればこの地域全体が戦争状態と同等の法的地位に置かれたということを意味するだろう。政治のトップが住民の不安を緩和させるためにいかに取り繕うとも、この宣言の本質がその点にあることにはいささかの疑いもないのである。
 カミュが小説『ペスト』の冒頭ちかくで「ペスト」と「戦争」とをこのように同列に叙述したことには、従って、恣意性にとどまる以上の強固な必然性が時代をこえて宿っていたのだと言わねばならない。現代における病原性ウイルスとの終りの見えない闘いは、まさにいま、もっとも危険な渦中にその中心を移動させたばかりなのだ。
(続く)

第37回 詩の起源に想いを馳せる 川鍋 さく

2020-04-14 21:09:35 | 日記
 学生時代に理系の道を選択していたならば、目指してみたかった職業がいくつかあります。ひとつは、宇宙飛行士や宇宙関連の研究職。もうひとつは、生物学者や古生物学者です。「理系の道を選択していたならば」と言うと、理系に進むか文系に進むか、どちらも捨て難いなと大いに迷ったみたいに聞こえるかもしれませんが、実際は迷う余地などありませんでした。哀しいかな、理系の科目は小学校の段階で早々に躓き、科目自体に対しては苦手意識ばかりが育っていきました。宇宙だとか生命の進化だとか、そういうものへの興味は当時から芽生えていたのですが、目の前の「理科」や「算数」の勉強を好きになることはできませんでした。一方で、文章を書くことや英語など、言葉による表現というジャンルには馴染みが良かった方でした。なので、高校で理系・文系の分岐点がやってきたときは、当然に文系の道を選択しました。
しかし、学生時代を終えてからいっそう、宇宙や生命の進化、生き物の生態などの分野に対する興味が強くなってきました。とくに、宇宙という分野には強く惹かれます。宇宙とはどんな場所なのか、地球はどのように誕生したのか、生命はいつどのように誕生しどのような進化をしてきたのか。そのようなテーマを扱ったテレビ番組がやっていると、ついテレビにかじりついてしまいます。そういう題材の映画なども好きです。それらの分野をしっかり勉強するための基礎をこれから身に付けるのは相当大変なので、今から専門的にその道を目指そうとは思いませんが、おそらく、宇宙に関わる仕事や生物にまつわる研究をする仕事への憧れが、私の中からなくなることはないでしょう。
 
 先日、NHKのある番組で、哺乳類大繁栄の謎に関する話をしていました。
今から約6600万年前、巨大隕石の落下により地球上の大多数の生物が絶滅しました。それまで食物連鎖の頂点に君臨していた恐竜たちも隕石落下の衝撃やその後の環境の劇的な変化に対応できず、次々と姿を消しました。一方で、この巨大隕石落下を機会に、以前よりも爆発的に繁栄したのが哺乳類です。地球誕生のときからからこの巨大隕石落下までの間、哺乳類はネズミのような小型のものしか存在していなかったと考えられているそうです。それが巨大隕石落下後、地球の劇的な環境変化を乗り越え生き延びた哺乳類は、体の大きさ・生態ともに実に多様な進化を遂げ、その種類も爆発的に増えました。この、巨大隕石落下が恐竜絶滅と哺乳類繁栄のボーダーラインであることは以前から分かっていたことらしいのですが、巨大隕石落下を乗り越え生き残り、今日に存在している全哺乳類たちの祖と言えるいわゆる「原種の哺乳類」がどのような生物だったのか、という点は解明されていませんでした。それが近年の研究で、その「原種の哺乳類」のものと思われる化石が発見され、その正体が少しずつ明らかになっていっている、という内容でした。

こういう話題を見聞きするとわくわくがとまりません。6600万年前なんて、想像もつかない程遠い昔のことで、今生きている自分と結びつけるのは非現実的な感覚ですが、自分という生命の原点がその遥か遠い太古に存在することは事実なのです。地球の誕生まで遡って考えれば、私たちの原点は宇宙に存在すると言えるはずです。
そして、このような生命の起源について思いを馳せる時、近頃私はもうひとつのものの起源についても考えます。それは「詩」の起源。詩の起源を探るにはまず文学の歴史を辿ることになるのでしょうが、文学の歴史が生まれるのはおそらく人類が誕生してからのことでしょう。しかし、あくまで個人的な考えですが、「詩」とは文学という枠の中に誕生したものではなく、もっと以前の原始的な時代から存在しているような気がします。一般的に「詩」とは言葉で表現されたものと捉えられますが、私の感覚では、言語表現に限らず音楽・舞踊・絵画など、あらゆる表現の中にその要素が存在しています。そして音楽にしても舞踊にしても絵画にしても、もとを辿れば生物が生命活動を行うために本能としておこなう「表現」に行きつくと考えています。「詩」(詩情)というのは、生き物に「表現」を行わせる源・きっかけとなる、元素あるいは、プランクトンのような目に見えない程の小さな個別の生命体なのかもしれない…なんて、ちょっと飛躍した考えを膨らませています。
ですが実際「表現」という行為が、決して文化的な生活を送る人類だけの特性ではないということは明らかです。むしろ「表現」とは最も自然的で原始的な行為の一つではないでしょうか。言語を用いた表現、声や音を用いた表現、色や形を用いた表現、自らの身体を用いた表現…。その手法こそ違えど、私たちは「何か」を表現せずにはいられなくなる。その「何か」こそが「詩」であるような気もします。もし、その「詩」の起源が、人類の歴史を遥かに遡り、全ての生命体の歴史をも遡ったところに存在するのであれば、詩というものを見つめている今の私は、案外宇宙に近いところに居るのかもしれません。
これは一個人のただのロマンチックな発想の域でしかありませんが、いつかそんな「詩」の起源を、もっと具体的に探すべく調査をしてみるのも楽しそうですね。

第36回 萌え!のエネルギー(第6回) 萌えは生きるエネルギー 浅見恵子

2020-03-19 10:00:20 | 日記

 今年の春は早い。1月29日は一昨日の雪が嘘のように温かく、風が甘く薫り、夜には家の周りを恋猫が彷徨いだした。春の匂い、それが一体何なのか、未だ正体は掴めない。その正体はひとつではなく、沢山の要素が混ざりあって大気に溶けたものだと思う。花粉、若芽の熱、土の中の鉱物、水、生き物の体液、植物の汁。目に見えないものが、見えなくてもそこに存在し、鼻の細胞が私の意思と関係なくそれらを感知すると、脳が「これは春にしか感じられない匂いである」とこれまでの経験と当てはめて判断する。それは私の意思ではない。私の体が、勝手に感じとって、勝手に教えてくるのである。それを私は受け取ることしかできない。私は私の体に対して不自由で受動的である。果たしてこの体は本当に私のものなのだろうか。

 東田直樹さんという作家がいる。会話も難しい重度自閉症で、パソコンや文字盤ポインティングを駆使して執筆やコミュニケーションをはかり、エッセイや短編作品を発表している。重度自閉症の人がどのような世界で生きているのか、その心の内を書いた文章は丁寧で真摯で、我々と同じように悩んだり喜んだり迷ったりしてるのを伝えてくれている。東田さんが著書「自閉症の僕が跳びはねる理由」(角川文庫)の中で、体のことについてこのようなことを書いている。「僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。」私はこの文章を読んで驚いた。私自身が感じている体の違和感を、これほど適格に表す言葉はない。我々が何故働くのかといえば、体を維持するためである。移動させ日当たりの良い所に連れて行き、食事を取らせ、汚れたら洗い、疲れたら休ませ、その経費を捻出するために毎日働くのである。しかもその体は、思うように動かせない。私は一人では朝まともに起きることすら難しいし、仕事も周囲に支えられているのでなんとかやっている。薬を飲んだり、寝込んだり。体さえまともに動けば、そう思うことは多々ある。人間は昔から鳥になって飛びたいと願い続けてきたが、その鳥にすら体がある。体がある限り、持ち主である私はそこに固定され、そこから動くことはできない。鳥も人間も、自分の体より他に存在できない。なので私は体を放棄したいといつも考える。精神だけの存在になって、どこまでもどこまでも果てのない世界を行きたい。旅をして、見たことも想像したこともない未知の場所や文化を知りたい。しかし、その時に、私は今と同じ感動を得られるだろうか。

この1年間の連載の中で、私自身が萌える事柄について書いてきた。「萌える」というのはヲタク用語で対象に対し、「すごく良いー!好き!」に相当する言葉として使われてるが、その許容範囲は果てしなく広い。自分が萌えれば、それが萌えなのである。最近は萌えを通り越して「滾る」ようになっているようだが、文字もアール・ブリュットもBLもおいしいご飯も長髪の美青年も、果ては朔太郎や李白や猫や刀剣や古書についてるパリパリのグラシン紙の日焼けに至るまで、とにかく好きになったものはとことん好きになってしまい、熱したまま冷めにくいのは私の特徴である。そして、その萌えの最たるものが詩である。

 詩を書いてない時、絵を描いていない時の私は、まったくの役立たずである。自分でも驚く程人並み以下である。そんな中で、詩が私を認めてくれ、励ましてくれ、支えてくれ、ときめかせてくれる。私は詩が大好きである。私にしか書けない言葉がある、言葉は私である、それを認めてくれる人がいる、仲間がいる。私は私の体に受動的だが、精神はこれからも限りなく能動的に生きて行きたい。「不良品のロボット」である体に在り続けるのは、確かに大変なことだ。しかし、この体に在るからこそ私は考え、表現し、人を求め関わって生きてきたと言える。不自由であるからこそ自由を求め、叶った時には喜びがある。自分の表現したいことを相手に伝えられた時、それは奇跡のようなもので、それが時に会話ではなく詩なのだ。絵を描くように、歌うように、踊るように、詩を書いている時の気持ちはとても高揚して、その時は不自由なことを忘れて、私は自由だ!


第35回 八木重吉 死後のポエジー 第6回 萩原 健次郎

2020-02-09 01:24:11 | 日記
 「詩は、行間を読むもの」という言葉がある。行間とは、書かれなかった何か、文字にならなかった何かのことだろう。あるいは、これもまた昔から言われていることであるが、「詩は、言葉にならないことを言葉にする」「詩は、書くことがない地点から書かれる」とも言われている。八木重吉の詩は、八木が生存していたときに言葉として記され、印刷され、出版され、さらに死後もそれらは編まれ、死後幾度も出版されている詩群を味読することが可能である。

 もう、30年ほど前のことだが、八木の作品として残された『ノートE』の「或る夜の夢」ではじまる断章に私は、説明ができない心の衝動をもって心中にとどめられた記憶がある。それが、私にとっての「八木の死後」のはじまりであった。この作品においては、ただひたすらに、愛する娘、桃子の名が表記を変えて繰り返して叫ばれている。それだけの作品なのだ。この衝動を受け入れた時点では、八木の死後の年譜などには興味はなかった。

  貫く 光

  はじめに ひかりがありました
  ひかりは 哀しかつたのです

  ひかりは
  ありと あらゆるものを
  つらぬいてながれました
  あらゆるものに 息を あたへました
  にんげんのこころも
  ひかりのなかに うまれました
  いつまでも いつまでも
  かなしかれと 祝福いわわれながら


 大正14年、八木、27歳の時に刊行された最初の詩集『秋の瞳』に収められた作品。最初の詩集ではあるが、この2年後には亡くなっているので、生前に限れば最後、唯一の詩集とも言える。もう一篇を引く。

  人を 殺さば

  ぐさり! と
  やつて みたし

  人を ころさば
  こころよからん


  断片化された、モノローグは、言葉の切断面が鮮明で、強度がある。しかも、ナラティブな実感の色彩が、言葉の切実さを浮き立たせている。この断片こそが、喩の塊となって心中に記される。
 
 こうした褶曲、複雑な強い喩法を駆使した作品に比して、『ノートE』に記された「或る夜の夢」「モ――モ――コ――/桃子/桃子――、/モモ子――、/モモコ――、/モーモーコーッ/あー、/桃子―、/モーモーコーッ」は、詩作品としての体裁をとっていない。もちろん、詩人は、生前、この断章を詩作品とする意図すらなかっただろう。そうした理由によるものなのだろう。ちくま文庫の全二巻の全集には、収録されているが、白鳳社の全集には、まったく掲載されていない。私は、この『ノート』を物として手にして、そこに記された筆跡を見てみたいという欲求にとらわれる。おそらく、病床にあって無理な姿勢で、書きなぐったような粗雑な書面が想像される。
 『ノートE』が記されたのは、おそらく、八木が亡くなった昭和2年か前年だろう。病床にあって、詩人は何を思ったのだろうか。執拗に、わが子の名を絶叫している。

 死後の年譜に戻る。
 昭和12年、八木の死から10年後、「女子聖学院二年生の桃子(十五歳)、父と同じ病気に冒されて死去」。昭和15年、「聖学院中学四年生の陽二(十六歳)、結核のために死去」。
 一方、23歳という若さで詩人の未亡人となった八木登美子は、二人の愛児まで喪うことになる。そして大戦、戦中の最中の昭和19年「とみ子、歌人吉野秀雄宅にはいって家事をつかさどり、またこの年の夏に母(吉野はつ)を失った四児の面倒をみるように」なり、昭和22年、登美子と吉野秀雄は、結婚する。さらには、昭和33年、『定本八木重吉詩集』が吉野秀雄の編集で刊行され、翌年には(新資料・八木重吉詩稿)として『花と空と祈り』が、吉野とみ子の編集で刊行されている。
 この間の、大切な逸話が、吉野秀雄と登美子の回想録に記されている。
十九年の年末わが家へきた際、古ぼけたバスケットを大事そうに携えていた。中身は八木の詩集や原稿類や写真だった。どんな戦争の混乱に遭い、何をなくそうとも、これだけはなくすまいというのであった」(吉野秀雄)。「吉野をはじめ、陽一、壮児、結子と家中で編集に尽くしてくれた『定本八木重吉詩集』が、この年の四月に彌生書房から出版された。陽一は八木の詩に夢中になり過ぎてとうとう途中で高熱を発して病気が悪化し、あとは壮児や結子が清書の手助けをしてくれた。吉野をはじめとする一家のこの愛が、私にはこの上なくありがたかった」(吉野登美子)

 『ノートE』は、この「古いバスケット」の中にあった。これら病床ノートを含む、おびただしい詩群は、登美子と、再婚相手であった夫、吉野秀雄、さらには、喪った実子ではなく嫁いだ先の亡き前妻の子たちの手によって大切に読まれ、編まれていった。その中には当然、「或る夜の夢」「モ――モ――コ――/桃子/桃子――、/モモ子――、/モモコ――、/モーモーコーッ/あー、/桃子―、/モーモーコーッ」の粗雑な絶唱も含まれていた。

 「死後のポエジー」などと、きわめて甘い浪漫的な表題を付して、6回連載してきた。八木が、病床で絶叫した断章は、いったい、いつ、誰が誰に向かって記された言葉なのだろうか。いや、これは言葉なのだろうかと問う。
 八木の生きた、大正、昭和、戦前から、それ以後の戦後、さらには、平成、令和の今の時代に至るまで、そこに貫いて印されているのは、生きている(生きてきた)ことへの、強烈な恋情である。「古いバスケット」に詰まっていたのも、ノートに記された絶唱も、詩集を編んでいった営みも、それらすべてが、純粋無垢な恋心によって今も生動している。
 そうした事実が、私に安堵をもたらす。

第34回 萌え!のエネルギー(第5回) 綺麗な髪のお兄さんに萌える! 浅見恵子

2020-01-17 10:33:05 | 日記

 私はご存知の通りのヲタクなのですが、これまで好きになったキャラクターの特徴として「綺麗な長い髪の美青年」というのがあります。顔以上に重要なのが髪。サラサラの黒髪の直毛が良いです。前髪はあっても無くても良いのですが、ワンレングスのロングヘアだと最高ですね。ファンタジー世界に多く、神官・魔法使いなどが沢山登場する話だと供給には困りません。映画「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」のサルマンは老いても美しく聡明でいて闇落ちしているのでドンピシャに好みでした。長髪のキャラクターは日本だと歴史物に多いのですが、現代だと特殊な職業か美容系やアーティストなど、何かポリシーを持っている人が髪を伸ばしているので「長髪=変わった人」という認識は強ち間違ってないように思っています。

 私自身の伸ばした経験からいうと、長い髪を維持するにはそれなりに根気と労力が必要です。それができるキャラクターというのは、真面目か変わっているか、寧ろその両方。その性格に綺麗な顔が付き、周りを長い髪が縁取って、毛筋の一本一本の描き込みの美しさが加われば惚れるしかないです。絵で表現した髪の最小単位は線で描かれることですが、線は無限的でとても美しいものです。宇宙の中に、どこから始まってどこまで続くかもしれない一本の「線」があって、それは一体なんだろうと考えるだけで胸がいっぱいになります。朔太郎もそんなことを言っていました。私の体にある線と言えば髪なので、それを思うだけで興奮します。世界の深淵に触れることに似た魅力を感じ悶えています。

 小学生の頃、児童館の図書室に「妖精国の騎士」と「花冠の竜の国」という漫画があり、夢中で読んでいました。作者の中山星香は現在も現役で精力的に作品を描き続けている大好きな漫画家です。その物語に出てくる王子たちは勿論、登場人物も長髪が多かったのです。「花冠」のエスター王子は、長く美しい銀髪を緩く三つ編みにして金色花冠竜を乗りこなす騎士でもあります。一人っ子長男で感情表現が下手で異世界から来た英国人の妻リズが大好き。私の読むラブコメはここに始まり、ここで終わります。実は中山作品には着ぐるみのように大きな直立歩行猫が度々登場し、「花冠」でも珈琲店を開いているので、その魅力を凄く推したいのですが、話が逸れるのでいつかご紹介出来る時を待ちつつ、ここでは残念ながら割愛します。「妖精国」のお気に入りは、敵である闇の第一神皇子オディアル(漆黒の長髪)で、色々な経緯の末に彼はグラーンという大国の第一王子ディオルトとして生まれています。そのディオルトは病弱故に肌も青白く、白銀の髪が滝のように伸びて、冷たい銀の冠が良く似合って、全身白の中で唇だけが赤くて、常に死にそうなのに一番怖くて最高でした。話が進むにつれて人間の身体から解放されて元の闇の姿に戻るのですが、髪も服も真っ黒で強そうな姿になったのに、前の死にかけてた時の方が怖かったのが、今も強く印象に残っています。中山星香の描く髪はどんなに長く量があっても、空気や光を含んでいるかのように軽く重さを感じません。ウェーブの掛かった金髪は、光の糸のように輝いています。私の長髪趣味の遺伝子は中山星香作品で養われたように思います。しかし作品の傾向的に長髪が普通に出てくる環境だったので、自分が長髪好きだという自覚はありませんでした。

 中学生の頃には、アニメを夢中で観ていました。当時好きだったのが三木眞一郎という声優で、彼の演じる役は長髪・長身・大人の色気・性格に癖ありというキャラクターが多かったので、キャラクターとご本人が混じって益々好きになり、一時は三木氏の嫁に行く決心をしました。「ポケットモンスター」のコジロウ、「Weiß kreuz」のヨージ、「アラジン」のアラジン、「ジェネレイターガウル」のコウジ、「銀装騎攻オーディアン」のウォルフ等です。皆似た雰囲気で髪も長めです。今気付きましたけど、名前も似てますね。アニメだったので、髪の描写も線ではなく面です。「好きになると長髪キャラが多い」という自覚が芽生えてきたものの、それは記号としての長髪で、それ以上のことを考えていませんでした。

 それが変わるのが冨樫義博の漫画「HUNTER×HUNTER」が原作のアニメ(旧作)を見てからです。主人公たちがハンター資格取得の為に試験を受けることから始まる物語ですが、その最終試験で主要人物キルアの兄イルミが、弟の前に立ちはだかります。そのシーンでのイルミの髪の毛の描写が異常で。本気の作画力全部出しきったのかなっていう力の入り具合にびっくりを通し越して圧倒され、TV画面の前で動けませんでした。窓からの光を受けた髪の毛の一本一本の筋が本物の髪の毛以上に美しく見えるのです。しかも黒一色じゃなくて、ベースは日に透けて茶っぽいのですが、光の具合で緑も入っているような、とにかく美しくて美しくて。それまでファンの間でも、特にイルミの髪に関する言及はなかったと思うのですが、それがこの回の放送後にラジオなどへのファン投稿にイルミの髪に関する内容が増えたり、公式ドラマCDでもイルミ自身が髪の手入れに関してこだわりを見せたりと原作と離れたところでキャラクターが育っていました。ちなみにこの「神髪回」の翌週の放送では前週と違う方が作画を担当されている関係か髪がぺったりした面になり、顔も別アニメかと思うほどの変わり様に絶望したものですが、今となってはこれはこれで愛着も湧いて愛しく思っています。この時から私の黒髪フェチのスイッチが入ってしまって、黒髪の綺麗なお兄さんが現れると条件反射の如く惚れてしまうという体質になってしまいました。刹那的に惚れるキャラは数多いるのですが、「銀魂」の桂、「落第忍者乱太郎」の滝夜叉丸とは随分長く付き合いました(交際ではない)。二作とも昨年連載が終了したので、少しの寂しさもありつつ、最後まで見届けられ、お別れがきちんとできたので、ここまで描いてきてくださった作者と出版社に感謝しています。

 彼らは作品の中だけなので良いのですが、時々現実に黒髪を綺麗に伸ばしている方がいると、ふらふらと後を追いそうになって、自分アブナイ、と思う時があります。高校を卒業して専門学校に初登校した時、男性ではないのですが、目の前をすっごく綺麗で量も多くて真っすぐな黒髪の女の子が歩いていて、思わず後を追って行ったら自分のクラスだったという思い出があります。彼女とは一年間同じクラスでしたが、のちにストレートパーマをかけていると聞いてガッカリしました。何にガッカリしたのか、自分でもそれは失礼だろうと思いますが、私の中で髪に対しての萌えが高まり過ぎてしまって、側から見たら理不尽で身勝手な理想があり、完全に拗らせてしまっていて、もう自分でも手に負えません。