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わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第19回 ―吉本隆明― 吉本隆明から流転するもの Shie

2019-01-05 23:11:20 | 日記
 私は、私の「愛憎」を意識することを、意図して避けてきたのではないか。だれかの「愛憎」が、毎朝、名無しの文字から湧き上がり、私はそれに対する「愛憎」を相手にする気も失せてしまうほど、文字は冬の冷たさを孕んで、やがておびただしい雑音とともに雪崩を打って飛び込んでくる。私はだれかの「愛憎」にも、私の「愛憎」にも平静を装って街へと繰り出さなくてはならない人びとの苦悩を知っている。

ぼくのこころは板のうえで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街でぼくの考えていることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でおわる ぼくはそれを考えている 明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがいないあいだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひょっとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがいない 幸せはそんなところにころがっている たれがじぶんを無惨と思わないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうったえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはとく名の背信者である ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでいる 街は喧噪と無関心によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お袂れだ
ぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしっているのに 沈黙をまもっているのがゆいいつのとりえである患者だそうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間でぼくの好きな奴は三人はいる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる

吉本隆明「廃人の歌」『転位のための十篇』より抜粋


 まさしく自己という存在者にとって、あらわれる「妄想」は、「生まれてきたことが刑罰である」という重たい一語によって決定づけられる。

 ペルソナを脱ぎ捨てる瞬間、詩というものに立ち会うとき、そのうごめきに飲み込まれて、それらの充溢を受肉するとき、「愛憎」は立ち上がる。それは永遠にわかりえない「愛憎」であり、それが仮にわかりえたとしてもそれは「傲慢」や「共感」の罠ではないか、と勘ぐってしまうのは、私が「無関心」であるからだろうか。「愛憎」の無限連鎖やパンデミックに対して、即座に反応する時代の要請と距離を置きたいと願うのは、何も私だけではないはずだろう、が、それもやはり「愛憎」なのかもしれない。


略歴
2017年、第一詩集『ペトリコール』(七月堂)刊行
2018年4月より詩人の聲へ参加
2018年9月Shie展「Perrichor」開催

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