のんびり専業主婦日記 

旦那の転勤で関西に来ました。日々の思いを綴っていきます。

冠婚葬祭について

2021-04-06 02:07:00 | 日記
関西に来てから何度かお通夜や葬儀に参列してきた。引越し前の土地と比べ一番の大きな違いは、関西では香典辞退が主流ということ。親族の葬儀以外は受け取ってもらえない事がほとんどだった。

結婚式は3年前位に出席したのが最後。さすがに50近くになると友人の結婚式は殆どない。これからあるとしても甥や姪から招待されるくらいではないか。

うちは両家とも親戚関係とは深い付き合いもしていないので誰かが入院したり葬儀があっても連絡自体来ない事が多い。親の世代同士では何かしているのかもしれないがわからない。

夫婦二人の生活でこちらから積極的に家の行事を発信する事もない。両家の親が全員鬼籍に入り旦那が定年を迎えた後は年賀状もやめたいと考えている。

でもこんな現代でもいる。冠婚葬祭好きの人。本人と特に親しい間柄でなかったとしても聞いてしまった以上は何もしないわけにはいかない。  

全ての行事が関西の御香典事情のように簡素化してくれればいいのに。



過干渉だった母

2021-04-05 09:44:00 | 日記
ずっと親とは疎遠だった。家を出られる年齢になったらどんな事をしてでも実家を離れるつもりでいた。大学入学を機にその通りになった。

母は子供を干渉するのが生き甲斐だった。子供の意向とは関係なく強制的に習い事をさせた。子供が大きな夢を抱いたりするのは許さない。自分が思った通りの学校に進み、きちんとした会社に就職して適齢期になったら親が満足する人と結婚し子供を産む。それが子供への望みだった。

子供から見た母は決して幸せそうには見えなかった。いつも節約して友達もおらず夫婦喧嘩も多かった。口癖は「子供のため」。ある時期から笑って親と話をした記憶がほとんどない。友達が家族と遊びに行ったり色んな話をすると聞いて、そんな家族があるんだと思った位。母が子供に話しかけるのは子供の粗探しをして干渉する時だけだった。

兄弟全員が家から離れた大学を選んだ。誰だって子供に寄り添わない、味方にもなってくれない、何かあれば責め立てる親と一緒に住みたくはない。全員私大に進学したので経済的には恵まれていたのだろうが問題の多い家庭だった。

英語を勉強したかったのもそんな家庭環境だったからだと思う。親とはとにかく距離を置きたかった。海外に住んで一生会えなくてもいいとさえ考えていた。

そんな干渉好きの母は現在認知症になり子供や孫の事も認識できない。ほぼ寝たきり状態。病気がわかった時家族は誰も自分が面倒をみるとは言わなかった。あれだけ本人は「子供のため」と干渉して近づこうと必死だったのに誰もが一緒にいる事を拒否した。

面会にはそれぞれが行ける時に行ったがコロナ禍でそれもできなくなった。症状も更に進み病院へ移された。現在許可されているのは玄関まで連れてきてもらって数分顔を見るだけ。兄から送られてきた写真には車椅子で目を閉じたままの痩せ細った姿が写っていた。ほぼ一日寝たきり、たまに目を開ける事もあるとの事だった。

母とはきちんと話もできないまま、親子として仲良くもならないままこういう状態になってしまった。

幼少期から思い返して、母はこの人生で幸せだったのかなと思う。子供が全員それなりに就職して結婚もしてそこそこの生活をしている、という意味では希望通りだったのかもしれない。

ただ、時代が違っていれば別の人生を歩めたのではないか。あの時代、今よりももっと結婚への重圧はあったろうし結婚したら子供がいるのが当たり前だった。夫婦関係が悪くても離婚は難しかっただろう。今の時代ならば自分に合った選択もあったのにと思う。

自分が成人した子供を持ってもおかしくない歳になったからこそ言える。母は子育てに向いていなかった。誰もが面倒を見るのを拒否する程、家族と良い関係を築けなかった。

外から見た私たち家族はごくごく普通の家庭だったろう。経済的にも問題なく習い事も沢山し、むしろ恵まれているように見えた筈だ。でも多少貧乏でも家の中が片付いていなくても愛情のある家庭で育ちたかった。くだらない話で笑い合いたかった。

こういう状況なので生きているうちにまた会えるかどうかは分からない。最期の時までそれ程長くはないだろうが。

親が亡くなって何年も経つのに立ち直れない人を知っている。正直そんな気持ちになれるのが羨ましい。母が亡くなる直後さえ、悲しい気持ちになるのかも分からない。最期は感謝の気持ちでお別れしたいが、お互いが生まれ変わる事があっても別々の道を歩みたい。

英語学習の成果と自分の性格

2021-04-03 02:44:00 | 英語
成果を出せなかったワケ、それは努力と学習時間の不足。そして圧倒的な語学のセンスのなさだったと思う。

海外ドラマや映画を流しておく事で勉強したような気になっていた。教材を一冊きちんと終える前に次々と他のものに手を出した。受験じゃないんだからと単語学習を怠った。

これが他人の事だったら「その反省点を生かしてこれからまた頑張ればいいじゃない」位の事は言うはず。でも自分の事となると難しい。そもそも本当に英語が好きなのか、本気で習得する気があるのかも分からなくなってきた。

とりあえず教材を絞るために数冊残して処分したい。今から80歳位まで必死で取り組んだとしても絶対に終わらない程の量がある。

努力が苦手な癖に諦めもわるい。実は成果が出なかった一番の理由は自分の性格によるのかも。

そして、映像でも文章でも英語の世界に入ると現実生活から逃げられる気がしていた。嫌な事があっても我慢できなければ海外へ行けばいいや、みたいな。それが今は難しくなって現実と向き合わなければならなくなっている。

逃げてきた事、避けてきた事、そろそろきちんとやるしかないか。

英語学習を続けるべきか

2021-04-02 00:36:00 | 英語
中学から英語の勉強を初めて約40年。英語学習に終わりはないというけれど、最近はこのまま続けるべきかどうか迷いがでてきている。

やめようかと思っている理由。
•旦那の定年退職後は仕事でよく行っていたマレーシアや他国への移住を検討していた→コロナ禍で日本の良さを再認識、有事には海外にいたくないと実感。
•ずっとアメリカが好きで自分にとっては常にNo.1の国だった→ここ数年の政治、人種差別などのニュースでアメリカが一番とは思えなくなった。
•家族の認知症問題→親が家族さえ認識できなくなるのを目の当たりにし、自分の年齢も考慮すると人生の優先順位が変わってきた。

結局のところモチベーションがなくなりつつある。それでも細々と続けているのはこれまでの英語にかけてきた費用や時間を考えて「勿体ない」と思ってしまうからだ。

長い期間「英語と海外」は自分にとって大きなテーマだった。映画やドラマ、書籍、留学、旅行、友人など海外に興味があったからこそ出会えたものも沢山あった。仕事上、多少の語学の知識があったために得した事もある。

でも…もう十分、という気持ちになりつつある。他に特にやりたいことがある訳ではないのだが。

更年期の疲れ?気の迷い?ミッドライフクライシス?コロナ鬱!?

納得のいく成果を出していれば考えも違ったのかもしれない。やめる前に成果を出せなかった理由を考えてみたい。

英語学習歴③

2021-04-01 19:37:00 | 英語
30代最後の歳から関西での生活が始まった。引っ越しを終えると永遠に続きそうな自由な時間だけが残った。

この頃にDlifeの放映も開始され海外ドラマ漬けの生活になった。前から観たかったDVDも何シーズン分もまとめて購入し日本語字幕→英語字幕→字幕無しの順に消化していった。

夕方はNHK BSでワールドニュースアメリカやABC news showerなどを観るのが日課となった。

机に向かってひたすら単語を覚える…というような事はやらなかった。それは受験やカナダでやってきたし、話せるようにはならなかった。

特に力を入れたのは音読。何年経っても自分の言いたい事を表現するのが難しい。口を慣らすしかないと中学英語で音読用の教材を入手し何度も口に出した。

洋書も様々なものに手を出した。児童文学やハーレクイン、自己啓発、女優の自叙伝など読みやすいと言われる物はジャンルを問わず注文した。(読み始めると難し過ぎて途中になってしまっている本も多い)

そして今、英語力は?
正直言って分からない。TOEICも英検も受けていない。昔よりはニュースもドラマも聞き取れるようにはなったとは思う。映画などのお陰でネイティブしか使わないような表現も分かるようになった。
ただ、英語に接するほど自分のできなさを実感する。分からない単語にも遭遇する。仕事で使えるような実力にも全然達していないだろう。

英語以外の事に時間を使う方が有意義に過ごせるかもしれない。棚の大半を占めているDVDや教材も処分すればかなり片付くのは分かっている。あと◯年、と期限を決めるのもいいかもしれない。

気持ちが決まらないまま今日もワールドニュースアメリカを観ている。