のんびり専業主婦日記 

旦那の転勤で関西に来ました。日々の思いを綴っていきます。

英語学習歴②

2021-03-30 10:01:00 | 英語
30歳で休職しトロントの語学学校に通う事になった。

ダウンタウンの中心部にあるその学校は母国語禁止などのルールがあり講師も真剣に向き合ってくれる。バスと地下鉄を乗り継ぎお店に寄る機会も多かったので校外でのコミュニケーションをとることができた。

ホームステイ先にも恵まれて家族も積極的に会話をしてくれた。おかげで英語の聞き取りや会話する事に関してはだいぶ慣れる事ができたように思う。

しかし…学校やホームステイ先はスラングなど使わず正しい英語でスピードにも考慮して話してくれる。講師や家族とは話せてもネイティブ同士の会話やCNN等の聞き取りなどは全然ついていけなかった。

約半年の語学留学は成果はどうだったか?ネイティブ並みには当然なれなかったが英語を使うという事に抵抗がなくなった、という程度で帰国した。

会社に戻るとすぐに異動になり退職する8年後まではほぼ毎晩深夜まで残業の日々となった。新しい部署では海外とのやり取りがあったが殆どメールのため問題はない。そこでビジネス英語をかなり学ぶ事ができた。

海外との交渉、などと言うと英語上級者と思われがちだがそんな事はない。型番、数量、価格、納期さえ英語で言えればなんとかなる。

朝から晩まで品物の確保とメーカーの対応に追われ時は過ぎていった。休日に発音教室に通ったり独学もしていたが、なかなか満足できるレベルには達しなかった。

家ではSATCやデスパレートな妻たちなどのDVDを利用した。英語字幕や字幕無しでひたすら繰り返す。

学生時代よりは勉強していたが、まだまだ学習時間は足りない。最終目標は日本語並みに英語を使いこなせること。毎回頭の中で翻訳したりせず自然に話せること。そして外資に就職すること。

その目標には全然届いていなかった。そんな中、旦那の異動の辞令が出る。30代後半になっていた。

つづく

英語学習歴①

2021-03-29 09:02:00 | 英語
大学の専攻は外国語学部英語学科、というと英語できるんでしょ?と思われがち。

そんなことはない。海外ドラマは字幕がいるしアメリカのニュース番組も聞き取れない。日本語のニュースで読んだ知識や画像でなんとなく内容が分かる程度だ。

幼い頃にセサミストリートを観て以来、いつかアメリカに行きたいと思っていた。高校の交換留学にも挑戦したかったが家の事情で断念した。その代わりに世間では外国語教育に定評のある大学を選んだ。

授業は購読、英作文など高校の授業の延長のようなものの他にアメリカ文学概論、音声学など専門的なものを選択できた。LL設備も整っており語学を学びたい者にとっては最高の環境が整っていた。

が、一か月程で挫折した。
英語学科の3分の1以上は帰国子女だったように思う。英会話の授業はバイリンガルとその他の学生に分けて行われた。親の駐在で10年NYにいました、というような同級生には絶対かなわないと思い込んでしまった。

時代は1990年代初頭、バブルが崩壊したとはいえ大学はコンパ、サークル、バイトと楽しい事で溢れていた。留年しない程度に授業と試験を最低限こなし勉強以外の事に時間を費やした。

夏休みには提携しているアメリカの大学に語学研修に参加したりしたが、半分遠足に行っていたようなものだ。初めての海外で何もかもが新鮮で楽しかったが英語に関しては自分のできなさを再認識させられただけだった。

就職してからは仕事で忙しく毎年頑張って海外旅行をする程度だった。何もできないくせに、普通の事務職ではなく特別な事をしたいと思っていた。職場の人間関係にも疲れていた時期で自分に特別な能力があればこんな世界から抜け出せるのにとも思っていた。

資格を取る?でも自分のやりたい事って何?悩んで考えて途中で簿記の学校に通ったり寄り道をして、ようやく分かった。やっぱり英語をやりたい。ビジネスで問題なく交渉ができるようになりたい。大学入学当初から数年、ようやく英語に向き合った。

丁度その頃商社に面接に行き、英検2級というだけで採用された。そこの部署は英語に多少興味さえあれば歓迎されるという感じだった。読み書きだけはなんとかできたので輸入関係の仕事を任された。

家に帰ると全て英語モードにし、Ally McBealなどの海外ドラマを流すようにした。洋書、音読、NHK語学講座等、良いと言われるものは全て試してみた。そして英語学習者なら誰でも頭に浮かぶ「海外に住んだら」という考えに至った。(←浅はかww)

会社に休職したいと相談すると当然No。しかしこちらは行きたい学校まで絞っている状態だったので、もう退職するつもりでいた。次のボーナスをもらったら辞めようと計画していた時、突然人事から半年程度ならとOKが出た。後で知ったのだが新しいプロジェクトの立ち上げがありそこに英語のできる人間が必要だったようだ。

予算や治安の面を考えてカナダに決めた。帰国したらいわゆる「ペラペラ」に話せる事を妄想して2001年9月、トロントへ出発した。

つづく


親戚付き合い

2021-03-27 17:08:00 | 日記
コロナ禍で無理に親戚付き合いをしなくてもよくなったのでホッとしている。

お互いの実家が違う地方にあるためGWや年末年始などの大型連休はいつも長距離を移動していた。毎回大量のお土産も持参するので新幹線や飛行機ではなく車を使う。時間、お金、気を使っていつもクタクタ。

アラフィフ以上である私たちの身内はみんなそれなりの年齢だ。病気持ちの人もいる。コロナを理由に家や病院を訪問しなくても罪悪感を感じずに済んでいる。

元々普段もあまり連絡もせず世間の大半の家庭よりは親戚付き合いは少ない方だ。兄弟の子供がどこの学校に行ってるかもよく知らないしあまり興味もない。

結婚したばかりの頃は多少付き合いもあったが、やはり子持ちとそうでない家庭とはあまりうまくいかない。

お正月には万単位で子供達にお年玉を配りトイザらスなどに行っては好きな物を買ってあげてきた。大人にはお年賀を渡し外食をすれば全家庭分の支払いをした。いつの間にか何でもかんでもこちらの出費が当たり前になってしまった。

各実家は帰り際に色々持たせてくれるが、兄弟姉妹の家庭はそれぞれに対応が違う。こちらが恐縮する程お礼を言ってくれる家もあれば、手ぶらで来て外食の際に財布さえ出す素振りのない家もある。

長男と結婚したのだし行事の時にお金を出すのは仕方ない。子供もいないから余裕があるのも事実だ。相手からの金銭や物を期待しているわけではない。

しかし毎回お礼も言われず、ご馳走しても当たり前という態度を取られると会いたいという気持ちさえ起きなくなってくる。

自然と親しくする親戚と疎遠になった親戚ができてしまった。後者の家はなぜこうなったかさえ理解していないだろう。

お金の事でこんな風になってしまうのは悲しい。ここ何年かの間に葬儀もあるだろうし顔を合わせると思うと憂鬱だ。

コロナが終わらないのもきついし終わってからの事を考えても恐ろしい。

匿名のブログだからはっきり言う。
親戚付き合いは苦手だ‼️

アラフィフの再就職

2021-03-24 10:03:00 | お仕事
時々「再就職をする事になったら」の妄想をする。関西に来るまではずっと事務の仕事をしていた。

文系の学部を卒業したが特に資格もない。難関な業界を目指し就活もしていたが早々に諦めて事務の募集を探した。教員、CA(あの頃はまだスチュワーデスと呼んでいた)、ツアーコンダクター、公務員などになった同級生もいたが殆どは企業に一般職として採用された。バブル崩壊後だったが選ばなければ普通に正社員として難なく入れる時代だった。

事務職は総務、経理、営業事務等、部署ごとに名称は違うが同じ会社の中であればほぼ一緒のように思う。社内システムのやり方を覚えれば異動になっても数ヶ月もすればすぐに慣れる。

10数年在籍した商社では一般職は新人も20年目のベテランもみんな同じ仕事をしていた。2000年以降、たまに営業職の女性が採用されたが役職に就いた者は皆無だった。

女性は20代から60近くまで様々な年齢層がいたがほぼ独身だった。結婚後数年は続けても子供ができるとみんな退職していった。今は育休も取れるようになったらしいがあの頃は続けられるような環境は整っていなかった。

30半ばで社内恋愛→結婚→数年共働きして退職、というOLとしては普通の道を辿ってきた。

他の職種の経験は殆どない自分に何ができるのか。求人を見てもついつい事務職から探してしまう。しかし今更9時5時の仕事はできるのか。また混雑した電車で通うのか。じっくり長短を考えてみることにした。

メリット
経験があるのである程度慣れている。
土日祝日は休み。
座り仕事なので身体の負担は少ない。

デメリット
拘束時間が長い。
人間関係、直属の上司、席の位置などで居心地の良さが違う。
洋服など外見に費用がかかる。
扶養内で募集している件数が少ない。
忘年会等業務以外の行事が多い。

会社や配属される部署によっても変わってくると思うが今の自分には事務職はデメリットの方が多いかもしれない。旦那が定年になれば扶養は関係ないしアフターコロナはどこも飲み会などは減り、状況も変わってくるだろう。

今までの経歴の事は忘れて近所のサービス業やお弁当屋のパートにでも応募した方がいいのか。仕事をせずとも何とかやっていけるのだから稼ぐ事ではなく節約に目を向けた方がいいのか。

もう遅いが、高校大学でもっと真剣に職業について考えるべきだった。そして何事も続けるべきだった。

アラフィフの再就職は難しい。

意識低い系生活

2021-03-23 01:46:00 | 日記
関西に来てラクになった事。ゴミ捨て。
前に住んでいた場所は分別が細かかった。種類によって曜日も決まっていた。

越してきてからはいつでも何でも出している。土曜は収集がないのでダメな筈だが、若い世帯が多いこのマンションではみんな守らない。

初めて粗大ゴミを捨てる事になった時、規定通りにコンビニでシールを購入し指定された日に出しておいた。それなのに数日後役所から「取りに伺いましたが物が置いてありませんでした」という旨のハガキが届いた。

旦那に伝えると「たぶんレゲエのおじさん(ホームレス。関西ではそう呼ぶらしい)が持って行ったんだろうな」と言っていた。

確かにゴミを漁っているおじさんをたまに見かける。まさか10年使った布団を誰かが持って行くとは思わなかったが、うちとしては処分できればそれでいい。その後は大型のゴミを出す時は役所に収集を頼まなくなった。他の世帯が出した大きな物も数日後には消えている。レゲエのおじさんのお役に立っているのならこちらも有難い。

この地域には超高温の焼却炉があるそうだ。プラスチックを燃やしてもダイオキシンが発生しないという。噂の真偽は分からないが、周りでも必死で分別している人など見かけない。透明の袋に「これ大丈夫?」と思うものを入れてしまっても全て持って行ってくれる。

環境にうるさい人が聞いたら発狂するだろう。でも管理会社からも特に注意もこないしテキトーにやっている。

こんな意識低い系の生活でスミマセン。