のんびり専業主婦日記 

旦那の転勤で関西に来ました。日々の思いを綴っていきます。

義妹との仲③

2021-05-13 13:53:34 | 日記
義妹と絶縁して5年。全て彼女に非があるとは思っていない。

最近はようやく自分の意に反するものはお断りできるようにはなってきているものの、昔からはっきりと意見を言うのが苦手だった。

自分の気持ちよりも相手がどう感じるかを優先してしまっていた。それが優しさだと思っていた。自分さえ多少我慢すれば角が立たない、そんな気持ちだった。

しかし他人の都合に合わせそれが積み重なると限界を越える。そして突然心を閉じてしまう。相手は「いつも笑って受け入れてくれていたshufuちゃんが何故?!」と戸惑う。

いい大人が相手が限界になるまで気遣いがないのも問題なのだが、思っている事を口にしない自分も悪い。誘われても乗り気じゃないなら興味がないと断ればいいし、食事代も自分ばかりが出しているのなら次は割り勘でと言えばいい。それができていなかった。

旅行のお土産をしょっちゅう渡したりそれなりのお年玉を渡していたら「shufuちゃん夫婦は裕福だから自分たちは何もしなくていい」と考える人がいるのも想定すべきだった。子育てが大変な家庭にとって、海外旅行や外食を頻繁にしている人間は鼻についたのかもしれない。専業主婦をしていたら自由な時間が沢山あると思われる事も予測すべきだった。

今後、万が一義妹が折れる事はあっても完全に元に戻ることはない。表面上挨拶等はきちんとするし大人の対応はするだろうが個人的な付き合いはできない。一度壊れてしまったものは戻らない。

これからは自分の意志を一番にする事、時間もお金もまず自分のために使い余裕がある時だけ他人に分け与える事、個人的な旅行などはたとえ親族であれ無闇に話さない事。

こんな自分を薄情だとか自分勝手だと言う人もいるだろう。でもこれが自分も相手も傷付けずに済む方法だ。一定の距離をとって付き合えば甘えも期待も生まれない。

それにしても今後旦那側の葬儀などがあったらどうすればいいのだろう。行かないわけにもいかない。頭が痛い。

義妹との仲②

2021-05-13 09:34:00 | 日記
2015年12月の夜、スマホが鳴った。義母からだった。義妹が所属する劇団の芝居のお誘いだった。普段ならお付き合いできたが当時はパートを始めたばかりで余裕がなかった。数日前に断っていた。

義母「明日Eちゃん(義妹)の芝居だから!」
shufu「(え!?この前断ったじゃん)ごめんなさい、ちょっと疲れてるので他の方を誘ってください」
義母「でもEちゃんがチケット用意してるから!!」
shufu「また連絡します。(旦那に断ってもらおう)」

旦那には用事があるから行けないと言ってもらうつもりだった。が、その日に限って旦那は義母の味方をした。彼にとっては、送迎もするし座って観劇するのがそれほど負担だとは思わなかったらしい。でも無理だった。当時更年期にも入っていて3時間以上もある芝居を観る気力がなかった。

その夜は行く行かないで大喧嘩になり離婚問題にまで発展した。最終的に旦那が折れてその後何年もこの件を蒸し返しては喧嘩になった。現在は私と義妹は二度と関わらないという事で落ち着いている。

元々、自分は人に何かを頼む事が好きではない。お礼を考えるのも面倒臭い。自分の実家に帰る時でさえホテルを取る。自分の家族が旦那に個人的な事をお願いした事も一度もない。

また芝居は趣味や道楽だと思っている。他人からバンドや習い事の発表会に来て欲しいと言われるのと同じ。時間や体力に余裕があれば行ってあげてもいい、その程度の感覚。行くにしても花束や差し入れが必要になる。甥姪のためならまだしも大人の趣味にまで時間もお金もかけたくない。そもそも個人的な事で他人をアテにすべきではないのだ。

過去数回義妹の芝居は観に行ったが、後日何日経ってもお礼のメールや電話が来たこともない。私は彼女にとって「主婦だからいつでも時間はあるし空席を埋めてくれてお土産を持ってきてくれる」存在なのだろう。お願いしますの一言もない。一方的にチケットを用意してくる。用意するといっても余っているから押し付けているだけだ。

義母や旦那の言い方や態度も許せなかった。お願いする立場なのに威張っている。こちらは行けないとはっきり断っている。ドタキャンをしたわけでもない。なぜ責められるのか。

せめて誰か一人からでも「お疲れのところ申し訳ないけど」と低姿勢で言ってくれたら違っていた。普段からお土産、食事などに対するお返し等があれば、最低限の礼儀があれば少し無理してでも行ってあげたと思う。

友人であれ親族であれ一方だけが負担になる付き合いは続かない。何年もの積もり積もった不満が爆発し一切のお付き合いをやめた。旦那や義母を通して義妹からはこちらに連絡を取らせない事を伝えてもらった。今回の母の葬儀も知らせていない。

あれから5年以上経ったが、不便に感じる事はない。むしろ快適に過ごしている。甥はだいぶ大きくなっただろうが彼の結婚式に出る事もない。

関西に来た当初はこんな状態になるなんて想像もできなかったが。

つづく