引き続き、千葉県東金市の将門出生伝説のある「産前橋」や「田間神社」などを紹介します。
【関内の水神社】東金市関内
将門の祖父・高望王が降雨祈願をして、この地に守護神を祀った社という。
【産前橋】東金市中野
桔梗の前は、この地の十文字川の側で、急に産気づいた。この橋の水を産湯として使い、無事に将門を出産した。このことから、この橋を「産前橋」と呼ぶようになったという。橋のたもとに、地元の方たちが立てた大きな看板があります。
http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/earlylife1-2.htm
【胞塚】東金市殿廻
この地に、将門の胞を埋めたという胞塚(えなづか)があるといいますが、いくら探しても確認することはできませんでした。
【千本杉】東金市宮
地元の方に聞くと、「御門」と「殿廻」の間を「宮」というとのこと。この地に「千本杉」というところがあり、多くの杉があり将門の館があったそうですが、どこなのか確認できませんでした。また、この宮地区には都という小字があり、将門の御殿跡があるといわれており、将門はここに偽都を築こうとしていたようです。殿廻集落から東300m、このあたりが「千本杉」ではないかと思われるのですがいかがなものでしょう?
「将門稲荷」
http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/regidence4.htm
御門地区を離れて、バスでJR東金駅に戻り、次の将門伝説地を訪ねてみました。
【田間神社】東金市田間
JR東金駅から北東800m。承平5年(935)、平良兼の創建といわれています。
【鹿渡神社】東金市田中、福俵
「鹿渡神社」は、JR東金線福俵駅の北の田中地区と、駅南の福俵地区の二箇所にあります。将門の乱のさい、征東大将軍藤原忠文の要請によって、田中地区に勧請されたといわれています。そののち、田中の社が福俵へ遷されたといいます。

/取材:源六郎/平将門関連書籍/将門奉賛会/
【関内の水神社】東金市関内
将門の祖父・高望王が降雨祈願をして、この地に守護神を祀った社という。
【産前橋】東金市中野
桔梗の前は、この地の十文字川の側で、急に産気づいた。この橋の水を産湯として使い、無事に将門を出産した。このことから、この橋を「産前橋」と呼ぶようになったという。橋のたもとに、地元の方たちが立てた大きな看板があります。
http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/earlylife1-2.htm
【胞塚】東金市殿廻
この地に、将門の胞を埋めたという胞塚(えなづか)があるといいますが、いくら探しても確認することはできませんでした。
【千本杉】東金市宮
地元の方に聞くと、「御門」と「殿廻」の間を「宮」というとのこと。この地に「千本杉」というところがあり、多くの杉があり将門の館があったそうですが、どこなのか確認できませんでした。また、この宮地区には都という小字があり、将門の御殿跡があるといわれており、将門はここに偽都を築こうとしていたようです。殿廻集落から東300m、このあたりが「千本杉」ではないかと思われるのですがいかがなものでしょう?
「将門稲荷」
http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/regidence4.htm
御門地区を離れて、バスでJR東金駅に戻り、次の将門伝説地を訪ねてみました。
【田間神社】東金市田間
JR東金駅から北東800m。承平5年(935)、平良兼の創建といわれています。
【鹿渡神社】東金市田中、福俵
「鹿渡神社」は、JR東金線福俵駅の北の田中地区と、駅南の福俵地区の二箇所にあります。将門の乱のさい、征東大将軍藤原忠文の要請によって、田中地区に勧請されたといわれています。そののち、田中の社が福俵へ遷されたといいます。

/取材:源六郎/平将門関連書籍/将門奉賛会/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます