「せせせ先生が答えていいいのかな、もしそのわから、わかりぞ、わかかりづらかったらその」
「いいよせんせー」
「そそそれだったらすこす、すすこそ、ぅす少し待ってくるれるかな?」
「いいよせんせー」
何で? と聞き返すとまた長くなるので彼はそうしなかった。
そして彼はこのクラスの一員で、故に知っていたのだ。
教師はチョークを手に取り、一瞬だけ黒板を眺め、そして絵を描き始めた。
*
教師の酷い猫背の向こうで白墨が踊る。
一瞬の停滞すら見せない指と腕の、否、体全体の動き。教師は熱病のように鼻息を荒くしながら何かを呟き続ける。汗ばみながら茶髪を振り乱す。荒々しくかつ繊細なタッチ。ただの炭酸石灰の粉が平面の上に命を宿してゆく。
素人目にもわかる。この男は。
「……やっぱ先生、絵描きにテンショクしたほーがいいんじゃ」
「っはっはっははっははっはっははっはっはっはっはぁぁぁあ……」
熱演を終えた教師は、思い切り走った後の犬のような荒い呼吸を落ち着かせ、
「いいぃいや、せ先生本職はそもそそもががが画家なんだけどっなぁ」
律儀に生徒の呟きに応えた。
「それで、せんせーが黒板にかいたその……へんなのが、じーちゃんが言ってたノロイゴ?」
「なんかどれも気持ちわるぅ……。げろげろー」
ネリネ嬢が複雑な顔で正直な感想を漏らす。
「……ほんと、なんか……、ほんとに気持ちわるい……」
絵描きの腕が良いだけに、生徒のうち少なくない人数が不快感を示していた。
黒板に描かれたのは、不気味な風体をした3体の生物。
黒板右の1体は、目と口が1つずつ付いた木魚のような頭から、蜘蛛のそれに似た節足が7本直接生えている。
中央の1体は立方体。但し6面全てに細かい歯の並ぶ吸盤状の口が付いている。
そして左の1体は……、ああ、あれか。
もはやなんと形容すれば良いのか。体中が口で出来たミミズをコンペイトウの形により合わせればこうなるのだろうか? この男もよくこんなものが描ける。
そして気分の悪いことに、私にも全て見覚えがあった。
教師は「けけけ消すね皆もう見たしいい良いよね?」と良いながら力作を黒板消しで伸ばし始めた。遊び描きのようなものだから、というよりは、書き終わった作品には興味が無いという感じだった。
そして生徒の誰もそれを止めなかった。もう見たくなかったのだ。見てしまえば見るほどに、生理的な嫌悪を抱かずにはいられない。
消し終わった教師が再び子供たちのほうに向き直った。
「こここれは呪い子ごのうちでもだだだ代表的なさ3種です」
「だいひょうてきな?」
そう。最低なことにこんなのがまだいるのだ。まだまだ。
*
100年前に起こった“大滅絶”。
神殺しから始まった史上最悪とも言える大戦争で、人類は自らの手で滅亡の寸前にまで追いやられた。
が、当時この大地に生きていたのは人だけではなかった。
魔物と呼ばれていた人外の生物群。彼らもまた、人が幻想の枷を砕いて力を手に入れたのと同様、苛烈な環境を生き抜くために自己を変化させ始めた。
人が幻想を肥大化させて、文化・概念といったある種の非物質遺伝子的な力を発展させたのに対し、魔物は逆に物理遺伝子を再構築し、摂食と繁殖に特化した単細胞生物に近い形へと進化した。それが呪い子。
呪い子にはいくつかの特筆すべき特性がある。
今見た代表的な3種は全て、雑色(サバタス)と呼ばれる下級の呪い子。
彼らの多くは人や他の動物を主食とする肉食生物で、摂取した栄養は即座に繁殖に用いられる。一定数の群体として行動する彼らだが、呪い子のほとんどは有性・無性の両方で生殖可能と言われており、恐ろしい速度で繁殖する。そして繁殖によって群れが一定数を超えると、各個体がある行動を取り始める。
共食いだ。
「いいよせんせー」
「そそそれだったらすこす、すすこそ、ぅす少し待ってくるれるかな?」
「いいよせんせー」
何で? と聞き返すとまた長くなるので彼はそうしなかった。
そして彼はこのクラスの一員で、故に知っていたのだ。
教師はチョークを手に取り、一瞬だけ黒板を眺め、そして絵を描き始めた。
*
教師の酷い猫背の向こうで白墨が踊る。
一瞬の停滞すら見せない指と腕の、否、体全体の動き。教師は熱病のように鼻息を荒くしながら何かを呟き続ける。汗ばみながら茶髪を振り乱す。荒々しくかつ繊細なタッチ。ただの炭酸石灰の粉が平面の上に命を宿してゆく。
素人目にもわかる。この男は。
「……やっぱ先生、絵描きにテンショクしたほーがいいんじゃ」
「っはっはっははっははっはっははっはっはっはっはぁぁぁあ……」
熱演を終えた教師は、思い切り走った後の犬のような荒い呼吸を落ち着かせ、
「いいぃいや、せ先生本職はそもそそもががが画家なんだけどっなぁ」
律儀に生徒の呟きに応えた。
「それで、せんせーが黒板にかいたその……へんなのが、じーちゃんが言ってたノロイゴ?」
「なんかどれも気持ちわるぅ……。げろげろー」
ネリネ嬢が複雑な顔で正直な感想を漏らす。
「……ほんと、なんか……、ほんとに気持ちわるい……」
絵描きの腕が良いだけに、生徒のうち少なくない人数が不快感を示していた。
黒板に描かれたのは、不気味な風体をした3体の生物。
黒板右の1体は、目と口が1つずつ付いた木魚のような頭から、蜘蛛のそれに似た節足が7本直接生えている。
中央の1体は立方体。但し6面全てに細かい歯の並ぶ吸盤状の口が付いている。
そして左の1体は……、ああ、あれか。
もはやなんと形容すれば良いのか。体中が口で出来たミミズをコンペイトウの形により合わせればこうなるのだろうか? この男もよくこんなものが描ける。
そして気分の悪いことに、私にも全て見覚えがあった。
教師は「けけけ消すね皆もう見たしいい良いよね?」と良いながら力作を黒板消しで伸ばし始めた。遊び描きのようなものだから、というよりは、書き終わった作品には興味が無いという感じだった。
そして生徒の誰もそれを止めなかった。もう見たくなかったのだ。見てしまえば見るほどに、生理的な嫌悪を抱かずにはいられない。
消し終わった教師が再び子供たちのほうに向き直った。
「こここれは呪い子ごのうちでもだだだ代表的なさ3種です」
「だいひょうてきな?」
そう。最低なことにこんなのがまだいるのだ。まだまだ。
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100年前に起こった“大滅絶”。
神殺しから始まった史上最悪とも言える大戦争で、人類は自らの手で滅亡の寸前にまで追いやられた。
が、当時この大地に生きていたのは人だけではなかった。
魔物と呼ばれていた人外の生物群。彼らもまた、人が幻想の枷を砕いて力を手に入れたのと同様、苛烈な環境を生き抜くために自己を変化させ始めた。
人が幻想を肥大化させて、文化・概念といったある種の非物質遺伝子的な力を発展させたのに対し、魔物は逆に物理遺伝子を再構築し、摂食と繁殖に特化した単細胞生物に近い形へと進化した。それが呪い子。
呪い子にはいくつかの特筆すべき特性がある。
今見た代表的な3種は全て、雑色(サバタス)と呼ばれる下級の呪い子。
彼らの多くは人や他の動物を主食とする肉食生物で、摂取した栄養は即座に繁殖に用いられる。一定数の群体として行動する彼らだが、呪い子のほとんどは有性・無性の両方で生殖可能と言われており、恐ろしい速度で繁殖する。そして繁殖によって群れが一定数を超えると、各個体がある行動を取り始める。
共食いだ。