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首領日記。

思い出の味はいつもほろ苦く、そして甘い

八月を生き残る。――How are you?(3)

2012年07月22日 00時14分29秒 | 文章。
出発当日の朝となった。
とはいえ、夕刻までにはまだ時間がある。遅めの朝食を済ませたあと、俺は午前中をこの3年間に届いた手紙や、友人から勧められた詩集に目を通すことに費やした。6月の半ばの、夏待ちに冴える風がカーテンを揺らしている。揺れるレースの隙間から庭の様子が見えて、俺は自室を出る。風にあおられて書斎机の上の手紙が散ってしまったが、あとでいいだろう。

「サルビアか」
声をかけると、膝立ちだった姿が振り向いて、黙礼を返す。甲冑姿での庭師仕事はミスマッチなのだろうが、もう見慣れてしまった。
屋敷に帰還したときの荒れ具合は、2ヶ月足らずで思い出すのも難しくなっていた。伸び過ぎた草林はさっぱりと一掃され、初々しい苗と種が新たな棲家の空気に少しずつ根を伸ばそうとしている。みずみずしい青葉とつぼみの香りが鼻腔を洗っていく。
「少し、後悔していまス」
再び屈みこんだ彼女の鉄甲に覆われた指がつぼみを撫でている。
「この花は寒さに弱く、この地の気候でも、秋の終わりには枯れてしまウ。もっと長く付き合える苗にすべきでしタ」
まるで楽しむだけ楽しんで、用が済んだら捨ててしまうようで。彼女にはそれが嫌なのだろう。
「俺が戻ってくるのが、ちょうど綺麗に咲いているくらいかな。見頃が近づいたら手紙をくれ、ララ」
「はイ。必ズ」
うなずきの拍子に甲冑の首が擦れて鳴った。
「邪魔をして悪かったな。戻るよ。ああそうだ、ゴルデン産の豆が来ていたな。終わったら淹れてくれ」
「はイ。すぐニ。昼食はいかがなさいますカ?」
「路銀を余分に用立てる必要が出てきた。銀行に寄るついでに、たまには外で済ませてくる」
「承知しましタ」

正午近くになっていた。日差しに首筋がじわりと汗ばむのを感じていた。

八月を生き残る。――How are you?(2)

2012年07月19日 01時13分44秒 | 文章。
「どうしようかしらね」
暗がりに浮かぶ表情に色は見えなかった。
「いかにもな話を聞いて、何の気なしに調べさせたの。だからどうだというつもりもなかったから」
本当にそうなのだろう。手慰みのような気まぐれが、一等札を引いてしまった。
お前が決めることだと言いかけたが、それで結論が出なかったのだ。だからここに来た。決め切れないのではなく、本当にどちらでもいい。風の吹いた方に運命の枝が倒れるだけ。
「実は明日の夕刻から友人たちと旅行の予定がある。急がないのなら、その帰りに付き合ってもいい」
様子を見るに、再会を焦がれるほどでもない。一方で、彼女ひとりでの探訪には限界がある。ここに来たのは、彼女もその程度は自覚しているからだ。
「そう。考えておくわ」
「わかった」

話は終わりだと彼女が立ち上がったところで、思い出した。
「お前はどうするつもりだ? 明日以降は」
「特に。ここに長くいるつもりもないけれど」
ララもいるしな。
「だったらお前も同行してくれたほうが良いな」
「アンタの仲良し旅行に?」
「別にその輪に入る必要はないが、しばらく手の届く範囲にいて欲しい」
「……理由を当ててみようかしら」
俺は手振りで先を促す。問答するまでもなく、確信を得ている表情だった。
「戦争ね?」
正解。
俺は彼女の左耳を指差しながら告げる。
「おそらくこの旅行中にいくつか火が上がる。お前がどこで身体を使い潰してきても構わないが、それを戦場ヶ丘に置き忘れられては困る。替えが効かないんでな」
加えて、厄介事を引きこまれるのを避けたかった。ただでさえ繊細な時期だ。
彼女は顎に指を添えて少し考え、
「いいでしょう。とりあえずはね」
とりあえず以降はどうなるのだろうか。まあ、当座の状況をコントロールできただけでもよしとするか。

八月を生き残る。――How are you?(1)

2012年06月25日 00時28分24秒 | 文章。
ヘルハンでの逗留も2週間を過ぎた。
馴染みの人々との再会とささやかなお祭り騒ぎも一段落し、自宅の外で夜を明かすこともようやく減り始めてきた。
霧のようにしとしとと街を覆う雨は、それでも思い出を冷めさせるというより、熱狂の時代を映写する写幕のように感じられる。
こうしてベッドに横になっていても、まだ再会を果たしていない者の顔が浮かんできては明日の予定を埋めていく。久しぶりに味わう温かな日々。

まぶたがようやく落ちかけたところに、静かな足音が聞こえた。憚らぬリズム。
寝室の扉が思いのほか静かに開いて、夜の薄明かりにシルエットが浮かぶ。キィエだった。
「こんな時間に男の部屋に入るとは感心しないが、その前にまずノックをしろ」
キィエは応えず、ベッド脇の籐の椅子に座る。俺は右手で頬杖をつきながら、左手でベッドランプを灯火する。橙の明かりが寝室のコントラストを上げる。髪のいくぶん短くなった彼女の顔が浮かぶ。
「見て」
サイドテーブルに置かれたのは見覚えのない書類だった。地図。レポート。そして写真。酷くピンぼけしているのがこの明かりでもわかる。
この間の、古い友人からの俺宛のものとはまた別のものだ。
掛布団を追いやって起き上がり、ベッドランプの明かりを強くして書類を手に取る。彼女の金の瞳に灯火が優しく揺れている。
書類は厚みのあるものではなかったが、作成者の真摯な探求心とかけた手間を滲ませる代物に見えた。短からぬ時間を費やして調べ、歩き、確認し、聞きつけ、訪問し、探索し、記帳したものだった。プロフェッショナルの仕事だ。
「お前が姿を見せなくなったのは、3年くらい前だったか」
書類に目を落としながら問いかける。
「これ、悪くなかったわ。もう少し借りていたいくらい」
彼女は髪をかき上げるような仕草で左耳の装飾具を示す。”教示の瞳”。3年の単独行のあいだ、彼女の身体を維持していた俺の秘器。
もうしばらくそれを貸してやることもやぶさかではないが、それよりも俺は手元の書類に釘付けになっていた。
ピンぼけの写真には日付と地名が書き留めてある。『4月6日 午前2時44分』。『ユマ湖より南東4キロ――フレッドバーン』。
……これは。
書類をそっとサイドテーブルの上に揃えて、
「この報告の確度はかなりのものだと思う。依頼先を紹介して欲しいくらいだ。だが、それでも期待しすぎないほうがいい」
「そういうと思ってた」
彼女の反応に他意はなく、いつものように表情もない。ただ瞳の灯が、ゆらゆらと揺れている。
「でも、多分。これ――当たりだわ」
写真を手に見つめながらキィエが言う。彼女の直観でそうなら、そうなのだろう。俺も自分の放った言葉がただの慣用句だと理解していた。
「10年経ってるから、もう立派な大人ね」
10年前。
記憶の景色が視界にちらちらと被さる。その色も随分と薄くなってしまったように感じる。
「会ってみるか?」

生き残っていた子に。

2012/06/19。

2012年06月24日 22時08分31秒 | 文章。
ヘルハンでの11日目。
昨日の日記の出だしで、いきなり間違えていることに気付く。もう公国ではなかった。理解したつもりになっただけだったようだ。俺も焼きが回っている。

久々にキィエが顔を見せたかと思うと、書類の入った厚封筒を投げつけてくる。怪しい奴から庭先で受け取ったというが、そんなものを人に投げんなよと突っ込むべきだったのだろうか。
開けてみると、見覚えのある筆跡で「親愛なる君へ」とある。ああ確かにこいつは怪しい奴だ。評は正しい。

他の中身は、黒蠍での議事録や映像記録だった。懐かしくめくっていくと、写真が一枚こぼれる。よく反体制の連中や旅人たちがよしなしごとを殴り書いていた掲示板の写影だった。目を凝らすと、俺宛てのメッセージが残っている。


  あなたがあなたの道を絶えず振り返り続けるかぎり、
   私はあなたを信じ続けるのだわ。


写真を見つめながら、テラスでぽろぽろと泣いてしまった。
なぜ俺は、こんな大事なことを覚えていないのだろう。
この縁がまだそこにあるうちに、もう一度あの場所に行かなければ。

2012/06/17。(国内日記スレから)

2012年06月24日 22時07分09秒 | 文章。
公国での逗留も今日で10日目となる。
嬉しい再会と懐かしい景色に自然と顔がほころぶのが自分でもわかる。まさかこの地に戻って来られるとは思いもしなかった。

領主位を降り、凍牙のことを後進に投げて俗世からしばし身を引いていたために、世界情勢というものにすっかり疎くなってしまった。公国がついに属領へと身をやつし、宗主国を拝む立場となったためか、それともあの忌々しい神の宣告にて世界が例外状態へと放り込まれたためか、いまひとつ掴みきれていないが、俺は今またここにこうしていることを許されている。

三年半か。長かったようで短かった。

彼女たちが、また消えた。
誰が消えたのか、それが俺にはわからない。

(5)

2009年07月11日 19時22分03秒 | 文章。
彼女の身体は闇の中を泳いでいた。星の光は積もった雲とくすんだ兜の庇に遮られ彼女に届かない。淡い感覚に鎧と枝葉の擦れが波紋のように響いていた。庭園だった。正確には庭園だった場所だった。彼女の中に漂う記憶には花々の色と香りが残っていた。白が多かった。主はよくそこで笑顔だった。夜闇と湿った空気はその記憶の何一つも誘うことはなかった。ただ喉が渇く。
幽鬼の彼女は庭園だった場所を徘徊していた。甲冑に包まれた両足はずりずりと引きずられた。光を反射しない金属の塊が自由に生え散らかした草むらを、芝をすり抜け、泥をすり抜け、飛び石をすり抜け、煉瓦造りの花壇をすり抜けた。
雨が降る。

(4)

2009年02月14日 01時35分19秒 | 文章。
光速の世界の中で、彼女の目に映るものは変化しなかったし、変化しなかったから世界は意味のない光たちのものになっていった。
陽の光に見出されていた心の傷跡の疼きは身体の反射にすりかえられ、現実の色は名前を失って、ゆえに彼女の世界から姿を消した。

そして夢の景色が浮かぶようになった。
意味を磨り潰された光の断片がモンタージュされては波のように消え、そしてまた打ち寄せた。それは穴に射した影のように、名前の辿れない欠落だった。

夜闇に沈む主の城に、彼が居たあの頃の波が被さったとき、ひび割れた獣の声が聞こえた。
己の叫びだったが、彼女はそれにもまた、気が付かなかった。

(3)

2009年02月02日 02時30分02秒 | 文章。
もともと生き物と呼ぶにはいくらか差し障りがある存在だったが、幽鬼の暮らしを続けるほどに、彼女はある種の死後の世界の住人になっていった。
朝日とともに彼女は自身を真綿で絞めるように死なせ続け、夜闇の中でだけ身体がはたらきを行う。主のくれたその身体は痛みを知らず、ゆえにふらふらと足を進めると、まるで自分の目だけが浮いているようだった。その目は今日もまた主の不在だけを確かめて、ゆらゆらと暗いテントに帰ってゆく。寂しさは次第にどこかに漂白されていった。

一日が少しずつ縮んでいった。昼夜はちかちかするただの光になった。
唇が涸れて開かなくなっても、彼女はそれに気付かない。

(2)

2009年01月12日 03時19分44秒 | 文章。
陽の光に怯えていた彼女は、朝が来るたびにこの濃闇を抱えたテントに身を潜めた。夜をただ待つ生活は、自然と彼女に意識を薄くする術を身に着けさせていった。
物思いに耽ろうとしたが、身体はそれを受け付けなかった。
虫食いだらけの古い記憶は、それが現実のものであったかの判別もさせずに、ただ彼女に身悶えるような苦痛だけを与えた。
一方、主に擁かれてからの数年間の記憶は、彼女にとって幸せなものだったが、そうであるほどに、今の主の城の言いようの無い姿に自分の記憶が信じられなくなるのだった。

今日も朝日とともに彼女の自意識が消されてゆく。
それは緩慢な死のようでもあり、祈りのようでもあった。

(1)

2009年01月09日 00時19分05秒 | 文章。
彼女が主を失って、ひと月が経った。この日差しを拒絶する古びたテントに彼女が息を潜めるようになったのは、その数日前のことだ。
それまで主の城で留守を守っていた彼女だったが、唯一心安らぐ場所であったそこが、主が音信不通になって長くなるにつれ、耐え難いほど寂しく、それ以上に恐ろしい場所であるように思えてきたのだった。
さりとて、主の城を風雨や何か偶然の事故の可能性に晒されたままにしておくこともできず、彼女は人の視線を避けるよう、夜な夜な幽鬼のように城を訪れ、そして曙光の差す前に今の住いに逃げ帰るのだ。