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首領日記。

思い出の味はいつもほろ苦く、そして甘い

ある老兵の家庭的情景。(30)

2006年03月08日 01時28分22秒 | 文章。
イーディアが出て行って少ししてから、看護士の女が入ってきた。
私たちの話が終わるのを待っていたのかもしれない。
こちらに柔らかい笑みを送ってから、窓を開いて、右手に持った箒で掃除を始めた。

車椅子を少し動かしては掃き、掃いたら箒を肘掛に載せてまた車椅子を動かす。
右腕一本でも車椅子を動かせるのは、左の車輪が軸と歯車で右と連動しているからだ。右の肘掛の外側あたりにレバーがあり、それで両輪の順回転と逆回転を切り替えられるらしい。
と、私の視線に気付いたのか、
「どうかした? ユビーちゃん」
「ちゃんはやめろ」
そろそろお決まりになってきたやりとり。
というかこの女、私の言うことを聞く気なんてないんじゃないだろうか。

「珍しいなと思っただけだ」
「ああ、この車椅子ね」
どこか嬉しげな口調で彼女は続ける。
「普通の車椅子だと、右手一本じゃ無理だからね。特注なのよ?
そもそも私たちがこの町に来たのも、この車椅子を作ってもらうためだったの。
北の方の町に、こういう車椅子とか、義手なんかの一品物をオーダーメイドで作ってくれる工房があるって聞いてね。
それを作ってもらう間だけ滞在するつもりだったんだけど、私もあの人もここが気に入っちゃって、結局そのまま居座っちゃったんだな」
ふふ、と笑う彼女。
白い右手が、肘掛や車輪を漕ぐための外側のリング――正式名称は私にはわからない――を撫でる。

……イーディアあたりなら、今の彼女の姿を言葉で上手く表現するのだろうな。
私には、無理だ。
黒い艶やかな髪とか、長い睫毛とか、白い肌とか、細い指とか、それこそ眼帯の白さや、不足を抱えたままの在り方まで含めて、……なんと言ったら良いのだろう。

――綺麗。そう、とても、
「綺麗だな」
思わず口に出してしまうくらいには、私は彼女に見惚れてしまっていた。

ある老兵の家庭的情景。(29)

2006年03月07日 02時45分08秒 | 文章。
「それで、私が治るまでの間、貴様はどうするんだ?」
怒りと恥じらいの半々で、頬をまだ少し赤らめたままのユビーが、それを隠すように向こうに向けながら訊いてくる。
「少しやることが出来たとか言っていただろう」
意外とちゃんと聞いていたんだな。

「ああ」
一呼吸置いて、
「――イリアの死について、もう少し詳しく調べてみようと思ってな」
「どういう風の吹き回しだ?」
真剣な顔でこちらを向くユビー。
「お前の『イリアを感じた』という言葉を信じたわけじゃない。
ただ、確かに俺たちには知らないことが多すぎる」

彼女がいつどこで死んだのか。
いや、それ以前に彼女が急に故郷を出、そしてシュアリーに殺されるに至った経緯とは一体何だ?
好戦的には見えない奴が、何故イリアを殺した――殺さねばならなかった?
そしてあの奴の様子――何故奴はイリアについて語りたがらないのだろう?

そもそも、
「俺たちが奴の名と居場所を突き止めたのも、ほとんど偶然のようなものだった」
「あの胡散臭い術者か」
「ああ。ここまで辿り着いたのは、俺たちにとってある意味最短ルートだったのかもしれない。
……まぁ現実にあいつの示したことが当たりだったわけだし、そこはこれ以上気にする必要は無いか」

『遺品から下手人を探し当てる能力者』。
俺たちは一年もあてのない放浪を続け、半ば諦めがちらつき始めたところで、あの妙な男に図ったように引き合わされた。
会うまでに一年もかかったというべきか、一年で会えたというべきか。
何気ない偶然で。
本当に、何気ない偶然で。

「ま、そういうわけだ。お前はせいぜいのんびりと治療と体力の回復に専念してろ。
完治まで、確か三週間だったな」
「ああ。……アスタリスにつけられた傷だからな。治りが遅いのは仕方ない」
ユビーの視線は、部屋の隅に置かれた流剣に注がれる。

魔術と科学の複合たる現在の医療技術なら、臓器や脳などの重要器官などの傷以外ならば、通常は完治に一週間とかからないはずだ。
だが魔剣などでつけられた傷は、その魔力の残滓が魔術治療を阻害することが多い。
むしろユビーの回復力によって、全治三週間で済んでいると言ったほうが良いのかもしれない。

ユビーが視線をこちらに戻す。
「……しかし、どうするつもりだ?
これまでだってあの術者に出会うまでは、まるで何もわからなかったんだぞ? 今更探り直したところで、何か新しい情報が見つかるとは思えんが」
「かもしれない。だが、今の俺たちにはシュアリーという足掛かりがあるだろう。その点では以前より随分とマシな立場に立っていると思う」
「――確かに、な」
薄苦いものを含んだユビーの声と眼。
……釈然としないのは、俺もまた同じだ。
仇の存在だけが、愛する肉親の死の手掛かりだとは。
意地の悪い冗談にしても、もう少し優しさと思いやりがあったっていいんじゃないだろうか。

振り払うように立ち上がる。
「来たばかりですまんが、そういうわけだ。
これからはあまりここに来れなくなるかもしれんが、お前、あんまり先生やユスティーツァさんにわがままを言うなよ?」
「子供扱いするな、私だってそのくらいわかってる!」
「そうやってすぐ腹を立てるところが子供だってんだよ」
笑いながら病室を出て行こうとして、扉の前でふと立ち止まる。

「……? どうした?」
「いや。……そうだな。
お前の言葉、信じたわけじゃない。
……だが、信じられたらいいなとは、俺も思ってるよ」
こうして、後ろ向きではあるが、前向きな気持ちでいられるのも、多分お前のおかげなんだろう。

そして俺は、病室を出た。

思い出の終わり―――夜想曲・間奏。

2006年02月23日 04時13分12秒 | 文章。
先日の死闘での怪我もまだ完治してはいなかったが、少しやり残した事があった。
だから、再び、というのかなんなのか、なんにせよ俺はまた、ここに帰って来ていた。
午後にはヤヌスとの用事があるし、何より人目を避けなければならないので、あまり長居は出来ない。

「まいどーっ!」
魔導船の発着所に降り立つと、例の少年の馬車がいつものように声をかけてくる。
一応行き先を聞いてから、いつも通りの、相場よりほんの少し低めな賃を払って荷台に乗る。
彼は他愛の無い話を俺に振ってくるが、なんだかもう返す気になれなかった。馬車はいつも通り、歩くより少しマシな速度で進んだ。荷台に積んだ干草がときおり崩れて足にかかるが、そんなことはもうどうでも良かった。
お馴染みのルートを通り、馬車は俺の家に向かった。

「軍人のにーちゃん、今日はなんか暗いぜ? どーかしたのか?」
いつもの場所で俺を降ろした後、あの憎めない笑顔ではなく、訝しげな表情で彼は俺に尋ねる。
「ああ、……もしかしたら今日で、お前ともお別れかもしれんからな」
「お別れ? にーちゃんたちどっか行くのか?」
「――ああ。多分な」
「うげー、マジかよ。お得意様を失うってのは辛いんだぜ、商人にはよー」
「何が“あきんど”だ親不孝息子が。自分の仕事をちゃんとやれ」
「やってんよー! 余った自由時間をどう使おうが俺の自由だぜにーちゃん。資本主義万歳」
ニシシ、と、笑う。
「ホント……大したタマだよお前。じゃあな」
「おう。軍人のにーちゃん、今後もごひいきにーっ!」
やっぱりいつもの文句で別れを告げる彼。
本当に、大したタマだ。

すっかり雑草だらけになってしまった自分の農園を横目に、踏み固められた農道を通り抜け、家についた。
玄関の鍵を――今日はかかっていた――開け、

「――ただいま」

ひと月も空けてしまった。
怒ってるだろうな。
飯抜きは困るなぁ。
でもまぁ約束通りちゃんと帰ってきたんだし、そこは――


……違う。
俺は迷ってる。
この期に及んでまだ迷ってる。

縋り付く相手が欲しくてたまらなくて。

甘い声で「ここにいてもいい」と言われたくて。
厳しい声で突き放して欲しくて。
どちらかを。どちらかで。どちらでも。
そんな優しさを、まだ求めている。

そんな情けない自分を、未だに肯定している。
気持ち悪い。死ねばいいのに。

……この自己否定もまた、自分の薄汚さを希釈する手段の一つなのだろうな。


そうだと思うと本当に。
――本当に、気持ち悪い。


*

ふと、ただいまと言ったきり、声が返ってこないことに気付いた。
留守なのだろうか?
確かに玄関は鍵も閉まっていたし。

……。
ブーツを脱がぬまま、玄関から奥に向かう。
『風読み』はまだ使えない。神経が痺れたままで使い物にならない。

「―――さん?」
名前を呼ぶ。

「―――さん? いないの?」
何度も呼ぶ。

リビングにも。
キッチンにも。
風呂場にも。
御手洗いにも。

いない。

部屋。
彼女の部屋には。

どこか早足になりつつ、彼女の部屋の前まで。
「―――さん?」
答えは無い。ノックをしてみても同じだった。

どこか申し訳無い気持ちで、ノブを回してみる。
うちの家の個室は、大抵の家がそうであるように、内側からしか鍵がかけられないようになっている。
だから例え鍵がかかっていないときでも、他の人の部屋には入らない、というのが、我が家の暗黙のルールだった。

いないのなら、ノブが回って扉が開くはず。

開かなかった。
 がちゃがちゃ。
開かなかった。
 がちゃがちゃ。
開かなかった。

なら、
「―――さん? いるの?」
返事は無い。
何も無い。


生きている気配が、無い。


思い出した。血みどろの光景を思い出した。真っ赤に染まった風景を思い出した。肉片の散る情景を思い出した。怨念の踊る彩景を思い出した。軍靴の踏み躙る万景を思い出した。殺し合いの絶景を思い出した。狂信者たちの遊景を思い出した。何の光も見えない夜景を思い出した。断末魔の廃景を思い出した。死臭のする背景を思い出した。

思い出したくも無い景色ばかりを思い出した。


蹴破っていた。
「エンテさんっっ!!」
みっともない声で叫ぶ。





ふわり、と

1枚の羽根が舞った。

窓の閉まったままの部屋で
今まで誰かがそこにいたような
温もりの感じられる部屋で


誰もいない。

しんとした部屋の片隅に
小さな白い羽根が1枚。





――それだけで。
俺は理解してしまったのだ。

わかりたくもないことばかりわかる、このこころで。


その白い羽根を抱きながら、俺はまた泣いた。
いつまでも泣いていた。

*

それから、家のものを適当に処分した。
といっても、そのときには既に、俺の持ち物以外は大したものも無い状態だった。
いつの間にか、この家はこんなにも空っぽになっていたのだ。
俺の気付かない間に。

荷物を保管場所にとりあえず送って――もちろん内密に――から、家を守っていた結界と加護を解き、火を点けた。

あっという間に。
あっけないほどあっという間に火が回って、家は燃えた。
木材の爆ぜる音や柱の崩れる音は、小さすぎるほどにしか響かない。

こんなにも―――こんなにもあっけない。

炎の向こうに幸せだった日々が浮かばないかと、てのひらを透かしてみた。
何も見えなかった。
この熱の中に夢のような何かをもう一度掴めないかと、手を伸ばしてみた。
何も。

知っていた。
もう全部、終わってしまっていたのだ。
ここにあったのは、ただの思い出。
甘くて綺麗で温かい、まごころの残り香。
それすらも、もう。



思い出が燃える。
思い出が、終わる。


そしてようやく目が覚める。
冷たい風を思い出す。



生きることは、こんなにも苦しかった。



***


エンテさんが撤退ということで、文章。
内容は今のところまだ未来形。

シュアリーは基本的に甘えんぼな駄目人間なのでまあこんなもんです。これを機会に少しは成長すると良いんですが。
PL的には素直にさみしい。4年とか5年とか、そういう付き合いだったからねぇ(´┐`)
考えてみれば、kocを辞めるときにはこんなのがどっと来るわけか……。
死ぬな。未だに辞められんわけだ。

ある老兵の家庭的情景。(28)

2006年02月23日 02時16分09秒 | 文章。
「私はそちらの……ええと、イーディアさんだったかしら」
「はい」
「イーディアさんの言うとおり、あの人の助手なの。というより看護士と言った方が合ってるかな。
だから、身の回りのことで何かあったら遠慮せずに言って頂戴ね。
――とりあえず今のところは何かあるかしら?」

「この辺りで、」
イーディアが言った。
「食事の出来る所はありますか? なるべく栄養のあるものが良いのですが」
「ということは、……あの人、また『自分でどうにかしろ』とか言ったのかしら」
まったく、と彼女。
「それは気にしないでいいわ。ユビーちゃんの食事は私が作ります。入院患者なんだから当然です」
「それはありがたい」
「おい、ちゃんを付けるな貴様」
「黙れ」
「くひゃ、~~~~っ!」
……こいつ、治ったらこいつ絶対刺す……!

「こらこら。怪我人にする事じゃないわ」
彼女は苦笑しつつ言って、
「じゃあ、下のお世話までちゃんと私がさせてもらうから、任せて頂戴」
シモ?
「何の話だイーディア? 何故ここで霜の話になる」
「その霜じゃない」
くく、と忍び笑いを挟んで、
「――そうだな。遠からぬうちに、お前の自尊心をくすぐるようなハッピーなイベントが起こるということだ。楽しみにしてろ」
振り向くと、イーディアがにっこりと笑っていた。
悪寒がした。
「こらこら。そういう風に言っては駄目よ。人が生きている以上仕方の無いことなんだから」
ね? とこちらに笑みを向けてくる看護士の女。何が『ね?』なんだ?

「他には何かある?」
「いえ、今のところは」
「そう。イーディアさん、あなたはどうするのかしら? なんだったらユビーちゃんと一緒にここにいてもらってもいいのだけれど」
「だからちゃんと付けるなと貴さもがが! ほが! ほがーが!」
口を手で塞がれた。
「うるさいぞユビー。怪我人が寝てる部屋なんだ」
「ほろへがひんはほへらろ! ……んー! んんーー!! ……っ、……っ!!」
「……ええと、ご厚意はありがたいのですが、少しやらなければいけないことが出来まして。ユビーの様子は出来るだけ見に来るつもりですし、一応宿は取っておくので、連絡があればそちらにお願いできますか?」
「ええ、わかりました」
「……っ! …………っっ!!」
イーディアは片手だけでのんびりと伸びをし、欠伸を手で隠して、
「……と、眼前にて失礼。さて、それじゃあ一区切り付いたところで――
お? どうしたユビー。顔が赤いぞ? どこか悪いのか? 血をもう少し抜いておいたほうが良かったか? ――あ痛っ。何で噛むんだよ。痛いだろうが」
「殺す気か! 悪いのは貴様の性格だろうが! 貴様の脳味噌を抜いてやるっ!!」
噛み付こうとするが、イーディアは動けないこちらの射程外にすぐ退避して、ひらひらと手を振りながら嫌な笑みで去っていった。
「ふふ、仲が良いのね」
これは直感だが、
この女、イーディアの5倍はタチが悪い気がする。


そしてその日の夕刻。
何が『ね?』だったのか、嫌でも思い知ることになった。

*

翌朝。

「……あんな屈辱は、生まれて初めてだ……」
思い出しては赤くなる私を見て、
「あっはっはっは! はははははっはははーーっはっはっ!!」
イーディアが腹を抱えて笑っていた。

決めたぞ。
……治ったらまずこいつを殺す……!

ある老兵の家庭的情景。(27)

2006年02月22日 01時25分30秒 | 文章。
「ふふ、その様子じゃ大丈夫みたいね」
育ちの良さを思わせる柔らかい笑みを見せつつ、彼女は言う。

身長がやけに低いのか、彼女の姿は、寝たきりの姿勢の私からは肩から上しか見えない。
だが、見えない部分が多い分だけ、というわけではないだろうが、見える部分はとても印象的だった。
肩にかかる程度で軽く切り揃えられた、艶やかな黒髪。
それとは対照的な、色素の薄い、それでいて健康的な肌。
顔のパーツも綺麗に整っていて、だがそれ以上に目立つのが、――左目を覆う、白の眼帯。
それは目やその周囲の怪我や病を治療するためのものではなく、欠損した眼部を隠すためのもの、のように見えた。実際その通りだった。

彼女が扉を後ろ手に閉めようとした――ときには、既に回り込んでいたイーディアが代わりに扉を閉めており、彼女はイーディアよりかなり低い位置にあるその口から、ありがとう、と返した。
イーディア、お前いつの間にそんな女たらしになりやがったんだ?
彼女はどこかぎこちない動作で、足音を立てずに私のベッドの左側に回り込む。

足音を立てずに。

そこまで至って、私もようやく気がついた。
というより今まで気がつかないのがおかしかった。どうかしている。
彼女の背が低い理由。
イーディアが女たらしな、じゃなくて、妙に気を回す訳。

ベッドの左に移動した彼女を見れば、一目瞭然だった。
彼女、車椅子に乗っている。
彼女が失っていたのは左目だけではなかったのだ。
白いワンピースと肩口の黒のショールでわかり辛くはあるが、
右足は膝から下、
左足は腿の半ばから下、
左腕は肩から先が、無い。

座った姿勢で、そう、丁度――まるで斜めに引き裂かれたみたいに。

しかしその姿を確認しても、不思議と違和感は浮かばなかった。
眼帯を帯びたその顔かたちを、それでも私が美人だと即断言できたように、この手足の欠損もまた、彼女を何一つ損ねているようには見えなかった。


過去の十全な彼女から、何かが欠けて今の彼女になってしまったのではなく、
今の彼女の姿こそが、完全なる彼女なのだ。


自分さえ気付かないようなほんの少しの羨望混じりに、
そのときの私は、そんなことを、なんとなく思ったのだった。

ある老兵の家庭的情景。(26)

2006年02月20日 01時28分04秒 | 文章。
「……何を言ってる、ユビー」

「私も、上手く伝えられないのがもどかしいよ。声が聞こえたのではないし、意思が届いた、という感じでもない――」
ユビーは本当にもどかしそうな視線をこちらに向けている。

「ユビー、お前――」

「何なんだろう、この感じは。ただ、ただ――」
腕が動くなら、額を押さえて視界を塞ぎ、思考に没入してしまいそうな。
「いることが、伝わってくるような。……くそ、何かを掴み損ねている――」
本当に悔しげに。

それは駄目だ。それでは、駄目なんだよ。


「やめろ、ユビー」


「……イーディア?」
不思議そうな顔で、相棒は俺を見る。
「気持ちはわかる。お前があれほどに慕っていたイリアが、あんな無残な様の腕を一本残して消えて、――殺されて。
そして昨日の惨敗だ。それこそぐうの音も出ないほどの。
どうしようもない現実から目を逸らそうとする気持ちは、俺だってわかる。だが、それは」
「違うぞイーディア、私は。私が言っているのは」
「何が違う。……イリアは死んだ。認めろよ。彼女は死んだ。死んだんだ」
「それは……」
「ヨルウォン様が――カシアの宗家が視たんだぞ? 彼女の腕を。
本来なら御目通りも許されぬ俺たちの無理を聞いて下さったのを忘れたのか? あの方の言葉を、お前だって聞いただろうが。
『この腕には、もはや何の魂も、その残り香も残っていない』――そう仰っただろうが」
「わかってる、それはわかっているさ……! ――だが、あれは」
「わかってねぇ。わかってねぇよユビー。
カシアの宗家が『残っていない』と言った以上、もうその魂はこの世界には無いんだ。たとえ肉体から切り離されたものであっても、そこにはそれだけの魂の残り香が、生の記憶が必ず残る。それが感じられないということは――魂の主格がもう死んじまったってことだ。
……お前もラミアスなら、わかるだろうが」
「だが」
「――昨日の夜、シュアリーも否定しなかった。
俺が『何故イリアを殺した』と訊いて、否定しなかった。
ただ、答える義理は無い、と。奴はそう――」
そう言った。イリアが死んだのかどうか。それが答えじゃあないのか。

「……それでも、私は姉さんを感じた。
夢でも幻覚でも願望でもなく、私は確かに姉さんを感じた。それはもはや変えられぬ事実だ」
「根拠も証拠も無いことを信じるのはやめろ、ユビー。それが幻覚でない証拠などどこにある」
「それが幻覚だという証拠もないさ。
――己を信じずに何を信じる、イーディア。根拠など必要無い。証拠など意味が無い。
私の感じる全てが、私の現実だ」

こちらを射る視線は、強い。
こいつは――、一体何を感じたというのだろう。

イリアが死んだというのは紛れもない事実だろう。
だが、何かがユビーを強く突き動かそうとしている。これも確かな事実らしかった。
現実から逃げ出そうとする無意識ではなく、現実の中に何かを探り当てようとする意識で今のユビーは生きていた。

だとすれば、“何か”――それは何だ。

「……言うようになったな。
だが、白衣のライオンに眼を剥いていた奴の台詞じゃあないだろう。それは」
「う……、それは、その、……仕方なかろう、初めてだったんだから」

相棒は目を向こうに逸らした。頬が少し紅い。
相変わらず感情が顔にそのまま出る奴だ。

*

少し間をおいて、俺が今後の予定の話を切り出そうとした寸前だった。
扉を二度、ノックする音が響く。
「どうぞ」
俺が答えると、扉が突かれたように開き、

「……あら、何かお話しの最中だったかしら。私ったらいつも間が悪いものだから――」
「いえ、構いませんよ」
俺の返答に彼女は微笑し、
「目覚めたのね。体の具合はいかが?」
ユビーに尋ねた。

「何だ、誰だ貴さmひゃ、~~~っ~~~~っ!!」
防御不可なユビーの鼻っ柱に一撃叩き込んでから、一応説明してやる。
「ユスティーツァ・ロロコロさん。さっきの先生の奥さんで助手でありお前のもう一人の恩人だ分かったか」
「……おまっ、さっきの先生のときは――」
「状況が違う。今のは世間知らずにしても限度を超えているだろう」
「は、言い訳が下手だなイーディア。単に相手が美人だっtぃ、~~~~~っっ!!」
図星だったのでとりあえずもう一撃入れておいた。

ある老兵の家庭的情景。(25)

2006年02月17日 02時12分35秒 | 文章。
先生が出て行って、扉の閉まる音が響き、消えた。

時計の秒針の音がどこからか聞こえてくる。
時刻はよくわからないが、差し込む太陽のから見て、午前9時といったところか。

この病院――いや、規模で考えると、診療所といったほうが適切かもしれない。
とにかく、ここは町の表通りからは遠いため、それほど表も騒がしくない。
診療所の立地条件としてはそれが適切に違いない。

「痛むか?」
天井の方を見つめているユビーに訊く。
馬鹿な質問だとは自分でも思うが、それでも訊くべきものだろうと思った。

違う。俺は目を逸らしているだけだ。
こんなことでも。何か喋っていないと、胸を押し潰されそうな気がしてしまって。

「……いや、動こうとさえしなければ」
ユビーは瞼を閉じつつ答えた。

「……そうか。
半月もすれば、歩ける程度にまでは回復するそうだ。お前はまだ若いし、……怪我自体も、後遺症などが残るものではないらしい。すぐに元通りになるだろう。
だから――」


だから、何なのだろう。


*


イリアが死んだと、殺されたと知らされて。
持ち帰られた千切れた腕は、確かにあいつのもので。
仇を取ると、再び故郷を出て。
まだ13になったばかりだったユビーが無理矢理ついて来て。
丸一年駆けずり回ってやっとのことで仇を見つけて。

それで、女の使い魔一匹倒すのが精一杯。
肝心の奴には触れもしませんでした。

お笑いじゃないか。
お笑いじゃあないか。


どうにかしてどうにかしようとはしてみたが、やはり駄目だった。
空虚な言葉で誤魔化すことも出来なかった。

……もう、言うべきことがない。
俺たちには、あいつの仇を取ってやることすら出来ない。
何の意味も無い復讐と知って、その何の意味も無い事すら不可能だった。

あのユビーを無傷で制し、俺の体を、まるで指でも鳴らすように元通りにして。
完膚なきまでに。絶対的に。奴と俺達の間で、決定的に何かが隔絶していた。


どうすればいい。
ならば俺たちはこれから、どうすればいいのか――。


「イーディア」
ユビーの声。瞼を開けた視線は半目で、再び天井に注がれていた。
まるで見えない何かを追うように。
「……何だ」

「姉さんは、イリア姉さんは本当に死んだのか?」

「――――――何を、今更」
お前も彼女の死を聞いたくせに。
あの腕を見たくせに。
あの腕を見たくせに。

「上手く言えないが……、上手く言えないがな。――――感じたんだ。あのとき」
感じたというよりも、それは確信したといった口ぶりで、
「奴を殺そうとして、アスタリスが反転して私を、」
ユビーは眼を伏せる。あの瞬間を瞼の裏に思い描いてでもいるように。

「……ああ、やっぱり。やっぱり間違いない。確かに感じた。
微かだが、姉さんがいた」

ある老兵の家庭的情景。(24)

2006年02月15日 18時09分09秒 | 文章。
イーディアは不自然なくらいひとしきり笑ってから、
「――いや、これは本当に失礼。コイツは今まで故郷から一度も出たことの無かった生粋の世間知らずで、獣人を見るのもこれが初めてでな。
恩人に対して取る態度としては最低だが、どうか勘弁してやって欲しい」
と、表情を変えないライオンに言った。

獣人。そうか、これが。
大滅絶で一時は絶滅寸前にまで追いやられたと聞いていた。
何か癪だが、イーディアの言うとおり見るのは本当に初めてだった。

「別に構いはせん。……その調子なら、問題は無いようだな」
構いはしないと言いつつも、わずかに不機嫌さを増した声で、ライオン医者。

白衣の上からでも、その筋骨の逞しさがわかる。種族的特徴なのか、彼がその中でも特段逞しい方なのかはわからない。
体の割に小さな耳にマスクの白いゴム紐が掛かっている。マスクは今は顎の下に下げられているが、流石にサイズが無いのか、どう考えてもあれでは彼の口を覆えそうにない。
深い褐色の毛に覆われてわかりづらいが、彼の額と左頬には古い傷らしき痕があった。
巨躯と金のたてがみはいかにも威圧的に見えるが、小さな瞳は穏やかなダークグリーンで、異様な風体と合わせて見ると、

(――少し、可愛いかも)

気を抜いて、不意に身体を動かそうとしてしまった。
「――――っつ……」
痛みがぶり返してくる。

「動くな。骨折に脱臼、捻挫、筋肉断裂。切創、刺創に至っては貫通も含めて無数だ。
これだけの傷を受けて、ただの一つも致命でないというのは奇跡だと思え」
机に向かって、カルテらしきものに書き込みながらライオン医者が言う。

「――ラスタヴィレイドの爺め。いっそ殺してやれば私の手間も省けたものを」

ぼそりと彼が呟いたそれは、実際ただの愚痴でしかなかったのだろうが、
「「…………」」
私たちは二人して、黙り込むしかなかった。


書き終わったのか、彼はカルテを机上のブックエンドに収め、椅子から立ち上がる。
「骨と筋肉が繋がるまでは絶対安静だ。動くな。
何かあれば私に言え。
金は要らん。
飯と便所は付き添い、お前がどうにかしてやれ」
簡潔に用件だけ告げると、彼は部屋から出て行く。

「待ってくれ」
不意にイーディアが呼び止めると、扉を開けた姿勢のまま、彼は首だけをこちらに向ける。

「何だ?」
「……医者さん。名前は?」
「ガニシュ。ガニシュ・ロロコロ。だが名前では呼ぶな」
「――先生。助かったよ、感謝する」

「礼も要らん。命を粗末にするな」
それだけ言い残して、彼は部屋を去った。

ある老兵の家庭的情景。(23)

2006年02月15日 02時05分12秒 | 文章。
鼻で息を吸うと、確かに、消毒液臭というのだろうか、病院独特の匂いがした。
だが気に障るほどではない。
前に一度、都市部の大病院に行ったことがある。あのときは、……病棟自体もどこか監獄じみていて、漂ってくる臭いも何か思考を鈍らせるための麻薬か、それでなければ死臭を誤魔化すためのもののように感じられた。
だが、ここのそれにはそんな不自然さがほとんどない。
病院の中に生活があるのではなく、生活の中に医学がある――そんな感じだ。

身体が動かせないので、首と視線だけを巡らせる。
部屋には私が今使っているものも含めて、ベッドが二つ。
壁は木製で、赤みがかった茶色。床は白く――リノリウムだろうか。
イーディアの座る右の壁際に、ベッドカーテン代わりらしい仕切りが数枚まとめて立てられている。
左の空のベッドの足元に窓があり、その先にやけにサイズの大きい机と椅子がある。医者のものだろう。
私のベッドの足元の方には薬品棚があり、その隣に扉が――

と。
扉を開けて、白衣を着たライオンが入ってきた。

「目覚めたか。気分はどうだ」
しかも渋い声の人語で喋った。
白衣に身を包んだライオンは、手を擦り切れたタオルで拭いつつ椅子に座る。
サイズが大きいわけだ。あんな図体は普通の椅子では支えられない。

「気分はどうだと訊いている」
また喋った。

……。
頭を振りつつ、
「……イーディア、私は何か幻覚系の攻撃ももらったのか?」
「どうかしたのか?」
「喋るライオンが視える。しかも医者の格好で喋りかけてきた」

イーディアは一瞬呆けたような顔して、
「……ぷっ。く、くはは――」
噴き出しやがった。

ある老兵の家庭的情景。(22)

2006年02月14日 02時44分17秒 | 文章。
姉さん。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ―――――――ッッッ!!!!」

姉さん。
咆哮と同時に魔力の密度が跳ね上がる。
姉さん。
これだけの触媒効果、爺一人を塵にするには十分過ぎるッ!
姉さん。
殺してやる。
姉さん。
殺してやる。
姉さん。
殺してやる。
姉さん姉さん姉さん。
ああ!
今、仇を討つッ!! 姉さん――!!


振り下ろす左腕の先、流剣アスタリスの切っ先が無数の細刃に分かれその全てが奴に殺到し、

止まった。




皮膚にほんの少し食い込んだ剣の先に、奴が何かを呟いている。
「わ――は、――。き――――」


何を。何を言っているお前。


直後。
反転した無数の切っ先が、ことごとく私を


                      ――れ?

                      姉さ――の?




            なんなんだ、それは。





「―――――――っ!!!」

がたん、と。
目覚めた先は、私の見知らぬ天井だった。



「……っハぁ、ハッ、ハァ、ハ――」
息が、荒い。

*

体中が疼くように痛む。熱い。暑い。
なんとか動く首だけを起こすと、体中に包帯が巻かれているようだった。
包帯の下で無数の傷が熱を持っている。特に右足が酷い。

「ユビー、……起きたのか?」
足元の方から、相棒の声がした。
「……イーディア?」
呼んでみて気付いたが、声は出るようだ。

イーディアは扉を後ろ手に閉め、ベッドの横に座った。
「……ここは?」
「病院だ。……川を下った先の、病院」
私の額の汗を、布で拭う彼。

彼の声を、何がそんな皮肉な響きにさせるのか。
知るのはもう少し後のことだった。