「――ふぅ」
吐く息が白い。
シェルターのような暗い小部屋には、大陸北土らしい底冷えする冷気が満ちていた。
手指の先が、獣皮の手袋に包まれてなおかじかむ。防寒策がなければ、ただの人間ならおそらく1時間と保つまい。
壁際に備え付けの、背凭れの硬い椅子で伸びをすると、ぎしぎしと音が鳴った。
椅子の音だが体の音だかも判然としない。
「――ふぅ」
息を吐けば、やはり白い。
……ああ、寒さだけじゃない。
鼓動がいつもより早い。おそらく体温も。
異常な心境にあることが、自分でもわかる。
高揚している。あるいは、不安なのか。
どちらなのか判別は付かない。どちらでもあるのかもしれない。
戦場に出てもこんな気持ちにはならない。
遠く地響く衝撃の音に空気が揺れる度、低く冷たい天井から埃が舞う。
部屋の壁面に埋め込まれた――というより部屋の壁面を形作っている制御装置のランプやパネルの光が、舞い降りる埃を地下の暗い宙に浮かばせていた。
雪のようだった。
……ただ待つだけというのは、難しいな。
性に合わないとまでは言わないが。
腰かけたまま椅子を回して、壁に向く。
こちらの壁は机が埋め込まれたような形になっており、手元の机台には数本の制御棹と大小多数の硝子球が。壁面にはいくつかの画面が、淡い青の光を放っていた。
画面の一つには、王城の様子がディフォルメで表されていた。
開戦から1時間弱で、既にその3割近くが崩落している。
もっとも、PONが本気を出せばこの時間には陥落してしまっていてもおかしくない。
そしてその下の最も大きな画面には、名前がずらりと並んでいた。
知った名前。知らない名前。
――ああ。もう、終わりなんだ。
まぁ別に、カイゼルに大した思い入れなんてないんだけどさ。
これまで来たことも無かったし、今の知り合いも作戦が始まってからの付き合いなわけで、会おうと思えばこれからいくらでも。そのための俺の『仕事』だ。
朽ち切れなかったカイゼルの人々の願いも、これでやっと終わるわけだ。良かったじゃないか。
中に居ることの出来た十数日で、自分で思っていたより大したことが出来なかったのには悔いが残るが、それも次に生かせば良い。
こんな機会にはなかなか巡り合えなかったはずだ。俺は得がたいものを得た。
落ちるのも、はじめから予定のうちだった。
生き残れるわけはねーんだ。
そうとも。これは予定。当然の帰結だ。
一切合財の時間が、流れるべく流れただけ。ただそれだけのことだ。
だから俺よ。
イラつくな。治まれ。落ち着け。全然意味無いだろ。
『楽しかった』。
それで良いじゃないか。
他にどうしようもなかったじゃねーかよ。
自然と拳を握り締めていたことに気が付いて、俺は腕を前触れも無く振りかぶった。
「―――――っ!!」
そのまま何も考えずに壁の画面へと――
――やめた。
行き場を無くした腕を引き寄せて、壁に繋がった机上で頭を抱えながら、きつく眼を閉じた。
寒気も地響きも、何一つ追い出せなかった。当たり前だ。
クソったれ。
……ああ、クソったれ! こんなことばかりだ!!
呟きですらない何かが口の端から漏れ出て、誰にも届かなかった。
*
自分が何も考えていなかったことに気付き、驚いて顔を上げた。
が、……思わず小さな安堵の息を吐く。思ったほど時間は経っていなかった。
開戦から1時間2分36秒。城壁は7割を切っていた。
地響きが続いている。
誰かの声が聞こえるような気がする。雄叫び――いや、悲鳴か?
……気のせいだ。五月蝿い。黙れ。みんな消えろ。俺は心静かに仕事がしたいんだ。
心がどうにもざわついて仕方ない。
――今後の作戦のことを考えよう。
本来カイゼル落城時に出るはずだった■■による呪竜はどうやら温存されたようだ。
概算だが、それを含めてもこちらからの攻撃でジャピトスを落とすことは難しかっただろうが。
ちッ、休戦協定中の国内で……いや、批判も後悔も無意味だ。
■■が次に動くとされるのは17日、だったか。◆◆氏がそれに合わせて各団体と交渉を行っている。
指令が下ってきた以上、天和もそれに噛むのだろう。
上手く行けば呪竜に加えて兵力……100くらいか。楽観的な数字だが。
魔力供給地とされている最弱級国を狙うとして、正面玄関からの突破狙いのみなら補給を挟んで精鋭兵150が必須。
アジトを作って戦力路を確保できれば正門以外への攻撃も可能だし、呪竜もあるわけだが……。
小軍が大軍を倒すためには奇策が必要だが、防衛戦であるあちらに対しては地の利も無いし補給路の断ち様もない。
奇襲であること以外に、数字を変動させる要素なし、か。
は。
滅入る推測しか浮かんで来ねぇ。
楽しすぎる。
*
断続的な地響きの中に、雪の潰れる音が混じり始めた。
顔を上げと視線を向けると、足早な靴裏に雪が擦れる音が近づいてきている。
そして背後の鋼扉が締まった音を立てて開き、
「――やぁ、悪かったね、遅れて」
「いえ、お疲れ様です」
暗い小部屋に入ってきた男は、ソフト帽にコートという出で立ち。肩にかかった雪を払いながら、彼は後ろ手に扉を閉める。
天和評議長(金髪の無精髭に『評議長』ほど似合わない肩書きもないな)のHUNDRED。
待ち人来たれり、だ。
「これ、カイゼル民のリストです。彼等は強制排出しなくて良い」
「了解」
彼がコート下から出した書類を受け取る。
やけに軽かった。いや、こんな重さに意味は無い。
「城壁が半分ほどやられてから始めよう。……ま、暫くはその様子とにらめっこです」
落ち着いた声だった。場数の違いか。
……は。つくづく俺は。
「オケっす」
彼はこちら側の壁に寄って画面を見、俺も答えつつ、椅子を回してそれに合わせる。
「ふむ……。いや、流石に減る減る」
「ですね。壮観……というと不謹慎だけど」
本当に不謹慎だ。
「――世界を相手にするってのは、こういうことさねえ」
壁に手をつき覗き込む横顔を、画面の青い光が照らしていた。
*
「敵の攻撃、第一波は終わったようだね」
天井を見上げて、HUNDRED。
「ですね。……ちょっと落ち着いたみたいだ」
俺の目にも、埃の沈んでいる室内が見える。
開戦から1時間数10分。休戦協定終了から断続的に続いていた攻撃が、ここにきて大人しくなりはじめていた。
あちらさんは大したやる気も無いらしい。
俺たちが弱すぎると言われているようで……だが腹は立たなかった。
どうしようもなく事実であり過ぎる。今は。
「代わりに、ジャピトス戦線のほうも膠着状態に入った、か」
手元の書類を見つめて、彼が呟く。
先程伝令が持ってきた報告書からは、既にジャピトスが防衛を固め、完全な篭城戦に入ったことが読み取れた。
奇襲が不発に終わった以上、補給も兵力も不十分なこちらにはもは
突如 だった。
「――っなっっ!?」
衝撃。
*
地震……とはまた違った、大きな鳴動だった。
何かとてつもなく重いものが落ちたような、縦の揺れ。
「……シュアリー君、無事かな?」
片手で帽子を押さえ、もう片手で椅子の背に掴まりよろけながら、彼。
「ええ、……なんとか」
壁の計器類が何度か明滅して、一秒ほどの闇の後、すぐに復旧した。
積もっていた埃がもう一度掻き回されて、ぐるぐると気分が悪い。こんな場所に長く居たくはない。
「ここは問題無いようだ。助かった、か」
彼はソフト帽を被り直しつつ、確かめるように立ち上がる。
「これは――敵の切り札だな」
……稲妻か。
直下で喰らったのは初めてだった。
なるほど。こうなるのか。
畜生が。半裸の野郎ももう少し力を貸し渋れば良かろうに。
王城の離れの地下にあるここでさえこの衝撃だ。
現場の状態は想像に余りある。
画面の状況を二人、雁首揃えて確認。
「――始めよう」
「はい」
城壁、残り半分。
もはや猶予は無かった。
吐く息が白い。
シェルターのような暗い小部屋には、大陸北土らしい底冷えする冷気が満ちていた。
手指の先が、獣皮の手袋に包まれてなおかじかむ。防寒策がなければ、ただの人間ならおそらく1時間と保つまい。
壁際に備え付けの、背凭れの硬い椅子で伸びをすると、ぎしぎしと音が鳴った。
椅子の音だが体の音だかも判然としない。
「――ふぅ」
息を吐けば、やはり白い。
……ああ、寒さだけじゃない。
鼓動がいつもより早い。おそらく体温も。
異常な心境にあることが、自分でもわかる。
高揚している。あるいは、不安なのか。
どちらなのか判別は付かない。どちらでもあるのかもしれない。
戦場に出てもこんな気持ちにはならない。
遠く地響く衝撃の音に空気が揺れる度、低く冷たい天井から埃が舞う。
部屋の壁面に埋め込まれた――というより部屋の壁面を形作っている制御装置のランプやパネルの光が、舞い降りる埃を地下の暗い宙に浮かばせていた。
雪のようだった。
……ただ待つだけというのは、難しいな。
性に合わないとまでは言わないが。
腰かけたまま椅子を回して、壁に向く。
こちらの壁は机が埋め込まれたような形になっており、手元の机台には数本の制御棹と大小多数の硝子球が。壁面にはいくつかの画面が、淡い青の光を放っていた。
画面の一つには、王城の様子がディフォルメで表されていた。
開戦から1時間弱で、既にその3割近くが崩落している。
もっとも、PONが本気を出せばこの時間には陥落してしまっていてもおかしくない。
そしてその下の最も大きな画面には、名前がずらりと並んでいた。
知った名前。知らない名前。
――ああ。もう、終わりなんだ。
まぁ別に、カイゼルに大した思い入れなんてないんだけどさ。
これまで来たことも無かったし、今の知り合いも作戦が始まってからの付き合いなわけで、会おうと思えばこれからいくらでも。そのための俺の『仕事』だ。
朽ち切れなかったカイゼルの人々の願いも、これでやっと終わるわけだ。良かったじゃないか。
中に居ることの出来た十数日で、自分で思っていたより大したことが出来なかったのには悔いが残るが、それも次に生かせば良い。
こんな機会にはなかなか巡り合えなかったはずだ。俺は得がたいものを得た。
落ちるのも、はじめから予定のうちだった。
生き残れるわけはねーんだ。
そうとも。これは予定。当然の帰結だ。
一切合財の時間が、流れるべく流れただけ。ただそれだけのことだ。
だから俺よ。
イラつくな。治まれ。落ち着け。全然意味無いだろ。
『楽しかった』。
それで良いじゃないか。
他にどうしようもなかったじゃねーかよ。
自然と拳を握り締めていたことに気が付いて、俺は腕を前触れも無く振りかぶった。
「―――――っ!!」
そのまま何も考えずに壁の画面へと――
――やめた。
行き場を無くした腕を引き寄せて、壁に繋がった机上で頭を抱えながら、きつく眼を閉じた。
寒気も地響きも、何一つ追い出せなかった。当たり前だ。
クソったれ。
……ああ、クソったれ! こんなことばかりだ!!
呟きですらない何かが口の端から漏れ出て、誰にも届かなかった。
*
自分が何も考えていなかったことに気付き、驚いて顔を上げた。
が、……思わず小さな安堵の息を吐く。思ったほど時間は経っていなかった。
開戦から1時間2分36秒。城壁は7割を切っていた。
地響きが続いている。
誰かの声が聞こえるような気がする。雄叫び――いや、悲鳴か?
……気のせいだ。五月蝿い。黙れ。みんな消えろ。俺は心静かに仕事がしたいんだ。
心がどうにもざわついて仕方ない。
――今後の作戦のことを考えよう。
本来カイゼル落城時に出るはずだった■■による呪竜はどうやら温存されたようだ。
概算だが、それを含めてもこちらからの攻撃でジャピトスを落とすことは難しかっただろうが。
ちッ、休戦協定中の国内で……いや、批判も後悔も無意味だ。
■■が次に動くとされるのは17日、だったか。◆◆氏がそれに合わせて各団体と交渉を行っている。
指令が下ってきた以上、天和もそれに噛むのだろう。
上手く行けば呪竜に加えて兵力……100くらいか。楽観的な数字だが。
魔力供給地とされている最弱級国を狙うとして、正面玄関からの突破狙いのみなら補給を挟んで精鋭兵150が必須。
アジトを作って戦力路を確保できれば正門以外への攻撃も可能だし、呪竜もあるわけだが……。
小軍が大軍を倒すためには奇策が必要だが、防衛戦であるあちらに対しては地の利も無いし補給路の断ち様もない。
奇襲であること以外に、数字を変動させる要素なし、か。
は。
滅入る推測しか浮かんで来ねぇ。
楽しすぎる。
*
断続的な地響きの中に、雪の潰れる音が混じり始めた。
顔を上げと視線を向けると、足早な靴裏に雪が擦れる音が近づいてきている。
そして背後の鋼扉が締まった音を立てて開き、
「――やぁ、悪かったね、遅れて」
「いえ、お疲れ様です」
暗い小部屋に入ってきた男は、ソフト帽にコートという出で立ち。肩にかかった雪を払いながら、彼は後ろ手に扉を閉める。
天和評議長(金髪の無精髭に『評議長』ほど似合わない肩書きもないな)のHUNDRED。
待ち人来たれり、だ。
「これ、カイゼル民のリストです。彼等は強制排出しなくて良い」
「了解」
彼がコート下から出した書類を受け取る。
やけに軽かった。いや、こんな重さに意味は無い。
「城壁が半分ほどやられてから始めよう。……ま、暫くはその様子とにらめっこです」
落ち着いた声だった。場数の違いか。
……は。つくづく俺は。
「オケっす」
彼はこちら側の壁に寄って画面を見、俺も答えつつ、椅子を回してそれに合わせる。
「ふむ……。いや、流石に減る減る」
「ですね。壮観……というと不謹慎だけど」
本当に不謹慎だ。
「――世界を相手にするってのは、こういうことさねえ」
壁に手をつき覗き込む横顔を、画面の青い光が照らしていた。
*
「敵の攻撃、第一波は終わったようだね」
天井を見上げて、HUNDRED。
「ですね。……ちょっと落ち着いたみたいだ」
俺の目にも、埃の沈んでいる室内が見える。
開戦から1時間数10分。休戦協定終了から断続的に続いていた攻撃が、ここにきて大人しくなりはじめていた。
あちらさんは大したやる気も無いらしい。
俺たちが弱すぎると言われているようで……だが腹は立たなかった。
どうしようもなく事実であり過ぎる。今は。
「代わりに、ジャピトス戦線のほうも膠着状態に入った、か」
手元の書類を見つめて、彼が呟く。
先程伝令が持ってきた報告書からは、既にジャピトスが防衛を固め、完全な篭城戦に入ったことが読み取れた。
奇襲が不発に終わった以上、補給も兵力も不十分なこちらにはもは
突如 だった。
「――っなっっ!?」
衝撃。
*
地震……とはまた違った、大きな鳴動だった。
何かとてつもなく重いものが落ちたような、縦の揺れ。
「……シュアリー君、無事かな?」
片手で帽子を押さえ、もう片手で椅子の背に掴まりよろけながら、彼。
「ええ、……なんとか」
壁の計器類が何度か明滅して、一秒ほどの闇の後、すぐに復旧した。
積もっていた埃がもう一度掻き回されて、ぐるぐると気分が悪い。こんな場所に長く居たくはない。
「ここは問題無いようだ。助かった、か」
彼はソフト帽を被り直しつつ、確かめるように立ち上がる。
「これは――敵の切り札だな」
……稲妻か。
直下で喰らったのは初めてだった。
なるほど。こうなるのか。
畜生が。半裸の野郎ももう少し力を貸し渋れば良かろうに。
王城の離れの地下にあるここでさえこの衝撃だ。
現場の状態は想像に余りある。
画面の状況を二人、雁首揃えて確認。
「――始めよう」
「はい」
城壁、残り半分。
もはや猶予は無かった。