「そだちの科学」(日本評論社刊)第13号
おとなの発達障害専門外来を開いて その2
平成10年におよそ四半世紀ぶりに東大に戻って、学内ではいまだに正式な組織と認められていない現状を何とかしなければと強く思った。紆余曲折はあったが、これは平成17年に独法化の新制度である特別教育研究経費で「こころの発達診療部」として結実した。
さて自分はそこで何をするか。小児精神疾患の専門家はすでにいたので、いわば消去法で大人になった彼らを外来で担当する役回りになった。これは、子ども時代をずっとフォローしてきた人たちを診るという意味ではない。それはいくつになっても小児精神科医の役目である。
改めて見まわすと、発達障害とは本人も周囲もまったく思わない子ども時代を過ごした大人たちが続々と精神科を受診してくるようになっていた。最初は「片づけられない女たち」を読んで受診する一群の女性たちだった。私たちはそれをADHDと診断することに当初きわめて慎重だった。しかし、こんどは病棟でも統合失調症として治療されていたアスペルガー症候群の人たちに次々と遭遇することになったのである。彼らは高機能になった「元」自閉症の人たちに見られるある種の奇矯さとは無縁であった。
おとなの発達障害専門外来を開いて その2
平成10年におよそ四半世紀ぶりに東大に戻って、学内ではいまだに正式な組織と認められていない現状を何とかしなければと強く思った。紆余曲折はあったが、これは平成17年に独法化の新制度である特別教育研究経費で「こころの発達診療部」として結実した。
さて自分はそこで何をするか。小児精神疾患の専門家はすでにいたので、いわば消去法で大人になった彼らを外来で担当する役回りになった。これは、子ども時代をずっとフォローしてきた人たちを診るという意味ではない。それはいくつになっても小児精神科医の役目である。
改めて見まわすと、発達障害とは本人も周囲もまったく思わない子ども時代を過ごした大人たちが続々と精神科を受診してくるようになっていた。最初は「片づけられない女たち」を読んで受診する一群の女性たちだった。私たちはそれをADHDと診断することに当初きわめて慎重だった。しかし、こんどは病棟でも統合失調症として治療されていたアスペルガー症候群の人たちに次々と遭遇することになったのである。彼らは高機能になった「元」自閉症の人たちに見られるある種の奇矯さとは無縁であった。