「Letters」

精神科医からの医療に関する時事報告

おとなの発達障害専門外来を開いて その2

2009-12-25 16:34:55 | 日記
「そだちの科学」(日本評論社刊)第13号
おとなの発達障害専門外来を開いて その2

 平成10年におよそ四半世紀ぶりに東大に戻って、学内ではいまだに正式な組織と認められていない現状を何とかしなければと強く思った。紆余曲折はあったが、これは平成17年に独法化の新制度である特別教育研究経費で「こころの発達診療部」として結実した。
さて自分はそこで何をするか。小児精神疾患の専門家はすでにいたので、いわば消去法で大人になった彼らを外来で担当する役回りになった。これは、子ども時代をずっとフォローしてきた人たちを診るという意味ではない。それはいくつになっても小児精神科医の役目である。
改めて見まわすと、発達障害とは本人も周囲もまったく思わない子ども時代を過ごした大人たちが続々と精神科を受診してくるようになっていた。最初は「片づけられない女たち」を読んで受診する一群の女性たちだった。私たちはそれをADHDと診断することに当初きわめて慎重だった。しかし、こんどは病棟でも統合失調症として治療されていたアスペルガー症候群の人たちに次々と遭遇することになったのである。彼らは高機能になった「元」自閉症の人たちに見られるある種の奇矯さとは無縁であった。

おとなの発達障害専門外来を開いて その1

2009-12-14 18:26:14 | 日記
「そだちの科学」(日本評論社刊)第13号
おとなの発達障害専門外来を開いて その1

 おとなの発達障害を「専門」に診る外来を開いて一年余が経過した。もっとも私がその専門家といえるかはいささかこころもとない。しかし、そもそもこの分野に専門家といえる医師がいるかどうかが怪しいのである。であれば先手必勝、先に標榜してしまえばいい。というほどいい加減な気持ちで開設したわけではもちろん無い。

おとなの発達障害ことはじめ
 東大病院精神神経科では、教室内部に「小児部」という組織を作ってすでに40年余が経過した。小児部では最初から自閉症を主なターゲットにして積極的な療育活動を展開した。
その活動についてここで詳細は述べないが、私もその揺籃期といえる時代の活動に参加して自閉症の精神世界に魅了されてしまった。彼らの天使のようなかわいらしさとまったく言葉をもたないというギャップの大きさはなんなのだ?

「私立精神科単科病院」に移って見えてきたもの その6

2009-12-08 11:26:59 | 日記
「心と社会」136号(40巻2号)
「私立精神科単科病院」に移って見えてきたもの その6

 2008年度にはようやく入院者数が上向き、在院日数の短縮化の道筋も見えてきた。稼働率の低下は病棟工事によるものも含まれるが、もうひとつの改善が必要である。しかし、かつての97%などという数字はもはやあり得ない。
 ここにお示ししたのは、筆者が与えられた状況で行ったいわば個人的歴史の披歴にほかならない。自分史の中ではほとんどコペルニクス的転回に等しい「めくるめく体験」ではあったが、厚労省とともに対峙する日精協にも、もう少し将来のあるべきわが国の精神医療を導く気概をもってもらいたいなあと思うに至った体験でもあった。この病院があるべき将来の姿の一翼を担う方向に向かっていることを切に願うものである。