「Letters」

精神科医からの医療に関する時事報告

発達精神医学の時代 その5

2009-07-31 15:30:22 | 日記
「精神医学」巻頭言Vol.51 :312-313.2009
発達精神医学の時代 その5
-成人自閉症スペクトラムの専門外来から見えてくるもの-

 2007年の春に昭和大学に移って、精神医学教室は付属烏山病院を本拠にすることになった。烏山病院は安田講堂事件から連綿と続く紛争でも、その昔さんざん騒ぎの中心地として有名になったところである。東大赤レンガ病棟からまたも紛争の舞台で運営を任されるというのはよくよくのことであるが、これも運命と大学本部からは経営の足かせと見られつつあった病院の活性化に取り組むことになった。この顛末はいずれ改めて報告したいと思っているが、烏山病院が紛争に巻き込まれたというのは一面で、この病院の当時の先進性を証明しているということもできる。すでに往時の建物は跡形もなくなっていたが、昭和30年代からわが国で最初といってよい精神科リハビリテーションの伝統を受け継いで病院には立派なリハビリテーションセンターが備わっていた。しかし、利用者はその伝統をある意味で体現してかなりの高齢化が進んでいた。この施設を生かさなければ。病院に新しい伝統を創らなければ。前任地での経験を生かして、ここに成人の発達障害者のためのデイケアを創設しようと思ったのである。

つづく

発達精神医学の時代 その4

2009-07-18 13:32:19 | 日記
「精神医学」巻頭言Vol.51 :312-313.2009
発達精神医学の時代 その4
-成人自閉症スペクトラムの専門外来から見えてくるもの-

自らも重い自閉症児の母親であるローナ・ウイングによってアスペルガー症候群が再発見されたのは1981年のことであるが、我が国でその存在が広く知られるようになったのは、ここ10数年だと思われる。今日ではアスペルガー症候群を含む自閉症スペクトラム(autistic spectrum disorder; ASDと総称される)の頻度はおおよそ150人に1人とされ2)、特に高機能ASDの増え方が著しい。このような高い頻度は、ほとんど統合失調症のそれと同程度であることを意味する。しかも当然ながらASD は子どもに限らない。むしろ知的に高い例では義務教育期には問題は顕在化せず、自立した対人関係と社会参加が求められる成人後に事例化することも多い。これまでのカナー型自閉症を念頭に置いた議論では、その子孫を問題にすることは実質上無かった。結婚し、子どもをもうけることは例外的であったからである。しかし、今日では上記のお母さんと同じように、子どもがASDと診断されたことをきっかけに自分にある同じ障害に気づいて相談される事例が相次ぐようになった。また大学などの高等教育機関では、当事者が大学に進学するという事態をそもそも想定していなかった。しかし、時代は変わった。ASDの当事者が続々と入学し、彼らに特有の権利意識もあって保健センターに「発達障害支援」を求めてくる事例が急増しているのである。

つづく

文献
2)Kuehn,BM: CDC:Autism spectrum disorders common. JAMA 297: 940, 2007.

発達精神医学の時代 その3

2009-07-03 16:18:29 | 日記
「精神医学」巻頭言Vol.51 :312-313.2009
発達精神医学の時代 その3
-成人自閉症スペクトラムの専門外来から見えてくるもの-

さて縁あって四半世紀ぶりに東大に異動して、また自閉症と向き合う日常が戻ってきた。それ以前から、自閉症と診断された当事者の自伝の類が評判になっていた。当初、あの自閉症の子どもたちが自伝を書くように成長するという事実が自分にはまったく理解できなかった。実際カナー自身も自分が最初に記載した11人の子どもたちの25年後を報告しているが、ほとんどは重い知的障害を伴っていた。きっと自伝の著者はマスコミの受け狙いで自己愛の強い患者であり、過去を誇張して書いているのだろうと決めつけていた。しかし、ある男の子を自閉症と診断した後で、そのお母さんから自分自身もアスペルガー症候群だと思うという証拠を示す大部のメモを渡されて、自分の時代遅れを痛感させられることになったのである1)。

つづく


1)加藤進昌編集:アスペルガー症候群をめぐって―症例を中心に―。臨床精神医学特大号、34(9),2005.