「Letters」

精神科医からの医療に関する時事報告

2010年「あかね誌」その6

2011-12-12 19:33:40 | 日記
極寒のカナダ
 基礎医学の研究生活を結局10年くらいしましたが、これも元はと言えば海外留学がしたかったからだけといえるかも。私の部下には留学先の紹介や仲介を今ではかなりしてあげていますが、紛争世代にはそのような特典は望むべくもなく自分で先輩を回り歩いたり、留学できそうなポストに移ったりと艱難辛苦の末、カナダに。奥さんに「あなたって言うほどには英語ができないのね」ってずばり真実を告げられました。奥さんは身体でしゃべる口でなぜか通じるんです(涙)。冬はマイナス30度、夏はプラス30度になるというとんでもない街でしたが、研究三昧、家族三昧という空前絶後の2年間。いまだに奥さんに捨てられないでいるのはその時の貯金のおかげ?

2010年「あかね誌」その5

2011-04-25 20:52:48 | 日記
なんで精神科?
 精神を病むということはどういうことか、ということに興味があったといえばそれまでですが、戦中派の勢いでそのまま卒業後も紛争冷めやらぬ精神科に入ってしまっただけのような気もします。何年か勉強をするうちにもともと興味の原点であった子どもの精神医学にかなりのめりこみました。今日、児童精神医学界でもっとも有名なローナ・ウイングさんのご主人が編集した英文の本を、夏休みをつぶして生まれて初めて完全読破して、自閉症の世界に酔いしれました。まあ青臭かったです。

2010年「あかね誌」その4

2011-01-04 16:19:53 | 日記
偉大な臺(うてな)教授
90歳を越えて今もお元気な臺先生の教室に入りました。精神科リハビリテーションの草分けの先生です。この烏山病院のデイケアを今日の姿に導いた竹村先生とはご昵懇であり、それもあって臺先生からよく烏山病院のことは聞いていました。だから今日私が病院長になったわけではまったくありません。運命のいたずらです。
 臺先生も烏山病院の皆さんも反精神医学運動といった流れが学会を覆った一時期、大変につらい思いをされたことと思います。歴史の必然というような側面はありますが、常に患者さんに暖かい目を注がれた臺先生を非難ごうごうの渦中においたあの人たちにはきちんと謝罪してほしいものです。

2010年「あかね誌」その3

2010-11-08 19:54:51 | 日記
東大・戦中派
東大の学生であった時には1年半に及ぶストライキを経験しました。「造反有理」などという文化大革命の影響を受けた学生紛争が世界を席巻した時代です。あれはいったい何だったのかと今になると思いますが、とにかくそういう時代でした。赤門をくぐってまっすぐ突きあたりが医学部本館ですが、そこに2カ月くらい籠城したこともあります。そのころの同志の中には今ではすっかり偉くなった人たちがいます。精神科の世界でも教授や大病院長、国立センター総長などなど。集まると自分たちを紛争まっただ中で全員留年までしたことから「戦中派」なんて言っています。かっこつけて。

2010年「あかね誌」その2

2010-10-27 19:34:32 | 日記
昭和大学附属烏山病院患者家族会「あかね会」会報「あかね」54号(2010)より

中日ファン
出身は愛知県で、ご多分にもれず中日ファンです。といってもかの悪名高き阪神ファンのような節操のない贔屓の引き倒しのようなことはありません。まあ、常に優勝争いにからんでいるという強さと、しかし、巨人のような「勝って当たり前」というような鼻もちならない雰囲気とは無縁な適度な奥ゆかしさを備えています。何をいっているんだか。要するに年を取ってくると故郷がなつかしいという「お国自慢」の域を出ません。