老親から宅配便が届いた。
前回杖を送ってきてくれた父だけれど、いまはその杖がなくとも歩けているわたくしと違って、むしろ父の方が引きこもって久しいようで心配だ。
父とは祖母が亡くなって以来、新たな共通項ができたことを時折思う。
お互いに「母親を亡くした」子どもの立場なんだなあと。
老年になってから母親を亡くした分、父の悲しみの方が大きいかもしれない。
戦中戦後を寡婦の母子家庭の長男として母親を助けながら生きてきた父にとって、祖母の存在は孫のわたくしが察する以上に大きなものだった気がする。
父にとってばかりではない。
祖母はわたくしたち身内にとって大きな心柱だったから。
そんな祖母を亡くした老親に孝行もできずにいるわたくしに、
父は家に篭もっているだろう娘を案じて画集を、実家に置いてあったわたくしの画集と父の書棚の中にあった画集を送ってきてくれた。
これは、高校の頃、当時わたくしの不登校を知っていて知らん振りをしていた父が、わたくしに買ってくれた画集。
その印刷の美しさに当時、驚嘆したものだった。そして、
ますます本物の絵画の前に立ちたいという思いを強く持った。
そんな思い出深い画集。懐かしい・・・・・
学生時代、この画集には随分世話になったけれど、
父の為に実家に置いてあったのに。
他に何冊か荷物の中に入っていた。
父の書棚にの中にあった画集だ。
これらの古くなった画集を手にし胸が熱くなった。
父は娘の好きな画家を知っていた。
いつ話したかしらと記憶を辿ってみたけれど、
どこかで口にしたことがあるのかもしれない。
それを忘れずにいてくれたのか・・・
わたくしが誰の画集を一番に開くかも、
老親は見抜いていた。
荷物を解いてすぐにわたくしが開いたその画集の中に、
先日息子が父に持ってきたという封書が
そのまま挟んであった。
老親の眼力恐るべし。
親というものの子への眼力の深さを思わずにはいられない。
そんな父に敬意を払い、
いや、送った画集の中に若干自分の好きな画家の画集も入れてきた
そんな茶目っ気のある老親の心を思い、
今夜は、わたくしの苦手なピカソとマチスを眺めようかなと思う。