璋子の日記

Beside you

砕くべき心

2007年05月28日 08時17分29秒 | 日々の日記

昨日は全国的に暑かったようだ。
35度を超えた地域は、5月に真夏日となった。

やはり、異常だ。
天候の異常は、
わたくしたちの心身に少なからぬ影響を及ぼす。

今週また天気が崩れたときには
寒暖の差が大きくなるので、
風邪を引いて体調を崩される方も増えるかもしれない。
こうした時期は、面倒くさがらずに
着脱をこまやかにされるといい。
ちょっとだけ、こころを砕いて。

昨日は、お疲れの一日となりました。
まだ、その余韻が残っているような感じ。
よく動いた割には体に疲労は残っていないようにも感じる。
気持ちの問題のようだ。

何で疲れたのかといえば・・・、
再来月当地で開催されるあるイヴェントの打ち合わせがあり、
主催者の一人として会議に出かけてきたからだ。

不思議なもので、
行く前は、「ああ、行きたくないなあ」と。

けれど行けば、「やる以上は、開催の趣旨に照らしていい形でやりたい」との思いから、発言を求められるままに発言し、またぞろ、いろいろと仕事が舞い込んでくるというサイクルになる。

そうなりつつある。
これ、闘病にプラスになればいいのだけれど、
どうも、「お疲れ」気味なのは、悪い兆候か。
精神的なものなのだろう。

仕方がないという思いと
そこから引きこもりたい思いとが、
こうしたときにせめぎ合う。


隠居生活は闘病には向かないのかもしれない。
病体とはいえ、死病ではない。
司馬遼太郎の「竜馬」じゃないけれど、
<そのときは、溝の中であっても前のめりで・・・・>
という思いが頭をもたげてくる。

どう転んでも、遣り残したことでもあるので、
皆さんが頑張って下さっている姿を前にすれば、
逃避という選択肢はなくなるわたくし・・・・

でも、
以前の生活には戻りたくないという思いも本当の気持ち。

慎重に対応しながらも、
心の中でため息が漏れるわたくし----

会合の後、
修理から上がってきたという連絡でプリンターを引き取りに
ヨドバシカメラまで出かけ、
やっと引き取れたわという思いのせいなのか、
プリンターの重さも気にならずタクシーで帰宅。

入れ違いで娘も帰宅。
日曜日というのに学校の校外行事。
見守るだけのわたくし。娘は、大学のオープンキャンパスに参加し目を輝かせて帰宅した。

昨日は特別の「書道教室」、
夏の書道展に出品する作品の仕上げに取り掛かるべく、
夕方まで黙々と書に向かう娘たち。。
指導は、友人の書家が担当してくれている。
だから安心。

皆と老親にお茶を入れ父の話し相手をしながら
不調だった電話回線の修繕とプリンターの接続。
Skypeで、弟とやり取りしながら操作。
父が傍で、「治せそうか?どこが悪いんだ?」といった調子。
修繕後は、ある話題で盛り上がり、
書家の友人も休憩。
休日を返上し
書道の指導を引き受けてくれた友人には感謝。


皆が帰った後、急ぎ夕飯の支度。
秋刀魚を焼いてお味噌汁を作り、目抜きの煮物を温めながら、
いっしょに台所に立って大根を卸す娘に
インゲンの胡麻和えを教えて作らせ、漬物を刻ませる。
老親も配膳を手伝い、皆で夕餉のひとときを共にする。

食後、テレビの地上波で放映する映画『パイレーツ オブ カリビアン』をいっしょに見ようねと言う娘。
老親もいっしょに見ようと顔をほころばせる。
そんな約束をしていたのに、
眠ってしまったわたくし・・・・・



目が覚めたら、
老親と二人で映画を観終えた娘が、
台所をきれいに片付けてくれていた。

大学のオープンキャンパスに参加し刺激を受けてきた娘の話を
聞いてやる間もなく寝入ってしまったわたく。
おじいちゃんが良き聞き手になってくれていたことに感謝。

老親は昼間お昼寝をしたので眠くないと言う。
そこで、老親と一緒に、
映画『マリリンとアインシュタイン』を観ることに。
感想は、早朝こちらのブログに書きました。
http://plaza.rakuten.co.jp/gekkouinnblog/diary/200705270002/

今日、娘の学校が休みのせいか、
わたくしもやはりほっとして熟睡して目覚めた。


親子三代、かように睡眠時間もバラバラで、
個々それぞれの用向きで一日を過ごしながら、
来客もあるのに、どこかまったりとして、
会話は途切れず、料理から政治まで話題も絶えない。
老親とのお茶の時間を楽しみ、
調和した家庭での暮らしを送っていられるのは、
やはり、食卓をいっしょに囲んでいることが大きい。
皆が喜ぶような料理に心を込めることも大事。

親子三代をABCとするなら、
A+B、B+C、C+Aと、
それぞれ個別に持った短い時間が、
その食卓で重なり合い溶け合って
調和したものになっていくからか。
AとBとCという個々が集まって「ABC」という家族になるとき、
大事なのはその調和だ。
それぞれに相手を思いこころを砕くことで生まれる調和。


家族をめぐる陰惨な事件が続いているけれど、
他所で起こったことは、ここでも起こり得る。
そう思いながら、だからこそ、立ち止まって、
こころを、ちょっとだけ砕く。
「美味しく料理して食べさせたいな」と。

同じように、
時々来て1週間ほど滞在して帰る老親も、
目いっぱい高校生活を送っている娘も、
皆がこころを砕いた分通じ合っていくのかもしれない。
「美味しい」と言って食べてくれる。

心をちょっと砕くということをしないで、
相手との関係性を≪砕いてしまう≫、
相手の存在を≪砕いてしまう≫事件が多いのは、
きっと、砕くべき心が育っていないから。

砕くべきものは、いつだって自分の心なのに。

 



 

 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (閑話ノート)
2007-05-29 22:26:09
璋子さま。
心温まる情景が伝わって参ります。
家族愛!そのものでございます。
返信する
戦後生まれの親の一人として (璋子)
2007-05-30 07:01:21
閑話ノートさま、おはようございます。

>心温まる情景が

おかしな親子三代でございますけれど、
そのように感じていただけて、
恐縮しつつも嬉しく思いました。

本当にいたらぬ娘ながら、
老親の慈愛のお陰で
子供たちの成長を見守ることのできる親になれたように思います。
長幼の序という美徳もなくなり、
親子でさえ関係性不全・・・
そんな社会になってしまいましたけれど、
戦後生まれの世代で、かつ親となった世代も
反省しなければならないことが多々あると考える昨今でございます。

老親の健康、子供たちの将来、
不安を感じる社会となりました。
出来うる限り見守っていきたいと
そう思っております。

急にまた気温が低くなった当地ですが、
聞けば、昨日の当地は全国で一番気温が上がらなかったそうでございます。驚きました。(笑)







返信する