左翼政党は「アンチ巨人ファン」と同類

「アンチ巨人」とは、wikiによれば読売巨人軍およびその巨人ファンを嫌う人たちの総称とある。なぜ巨人を嫌うのか? V9時代のように強すぎる巨人への反動であり、球界の盟主を標榜することへの反感ともいわれる。巨人が最も古い歴史ある球団であり、現在も日本プロ野球機構のオピニオンリーダーであることは事実だ。しかしながらその後ドラフト制の導入などにより、各球団の戦力が均衡化し現在の巨人に当時の面影はない。つまり「アンチ巨人ファン」とは、巨人を嫌う(プロ野球の)観客のことである。

さて政界の話に入る。左翼の定義は多様なのでその内容について一々触れない。ここでは現政権に何でも反対する政党(共産党・社民党)を左翼政党と定義する。何でも反対の昨今の具体例は「アベ政治を許さない」、「米軍出て行け」、「原発反対」、「安保法反対」など。このことを筆者は怪しからんとはいわない。そのように思っているのだからしょうがない。問題は反対に対する対案がないことだ。「アベ政治を許さない」なら「ダレ政治なら許す」のか?「米軍が出て行ったあとはどうする」のか?「原発停止のあと」はどうするのか?「安保法案」がなぜ「戦争法案」になるのか? などいずれも曖昧でまともな対案がない。

対案を提示しないのはなぜか? 各々の対案について段階を追って掘り下げてゆくと、自己矛盾に陥り対案そのものが成り立たなくなる。結果は対案を提示できない。そのことを先刻左翼野党は承知している。だったら最初から与党案に賛成すればよかろうとも思う。

なぜ反対し続けるのか? 一つは与党と同じ政策だと野党でなくなる。すべて反対を唱えなければならない宿命にある。二つはアンチ巨人に成り下がっている。ここでいうアンチ巨人とは「アンチ安倍」、「アンチ自民党一党独裁」のことだ。強すぎる連立政権に対する抵抗である。しかも国会議員とは名ばかりの観客に過ぎない。政党を名乗ってはいるが観客の集まりなので無責任に反対したり非難する。これが左翼政党の現下の正体である。

それでは「健全な野党」とは、どうあらねばならないか? 筆者はこの問いに対する答えを持っているが、ここでは披瀝しない。左翼野党は「原理主義者」であり、ときにはアナーキストでもあるから聞く耳を持たない。よってフォローすることは時間のムダである。
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慰安婦問題 日韓合意を歓迎する (その3)

さて歴史的合意について、こんどは韓国の世論の反応を見てみよう。

彼らの最大の関心事は日本が「法的責任」を認めるかであった。だが両国外相声明には何一つ触れていない。案の定、「法的責任を回避した」と一部韓国メディアの批判がある。あえて挙げれば「日本政府は責任を痛感する」という一節だ。そしてまた、韓国が財団を設立する基金として日本政府の予算で10億円程度の報い金を一括拠出するくだりがある。先方はこの部分を拡大解釈し「法的責任」は認められたとすればよい。こんなところに韓国国民は拘泥せず名を捨て実を取ればよいのだ。

次に少女像の撤去については確約しなかった。韓国政府の「適切に対処する」が精一杯の回答だった。慰安婦像設置の意味するところは、左のリンクにもあるように、少女像の作者は「数十年間胸中に隠していた恨みを取り出して日本の蛮行を責める慰安婦被害者の勇気を尊重するという意味で作った」と語っている。つまりは恨み・呪いを象徴したブロンズ像である。日本に対するあてこすりでもある。このように解釈すると何とも民度の低い国民といわざるを得ない。日韓両政府で合意したのであるから当然日本の要求に応えるべきである。挺対協を抑え込む自信がなかった証左である。したがって日本はこの部分については、韓国政府が「適切に対処する」かどうかを静かに見守ればよい。その進捗の一部始終が世界に晒される。もし埒が明かないのであれば、韓国政府の責任において、適切な場所へ日本大使館を移転させればよい

最後になるが、期せずして日韓両国民が合意事項を非難していることだ。とくに日本はサヨクというよりもネトウヨの非難が相当数のぼる。韓国も挺対協を初めとするリベラル層が強烈に非難している。そのことを日韓関係に詳しい識者は憂いている。だが政府間交渉として決定し賽は投げられた。官邸も外務省も一喜一憂する必要はない。

こうして私のような一市井が外野から鳥瞰すると、安倍晋三という総理大臣は、サヨク層から言われるような独裁者でもなければタカ派でもない。ましてやバカではない。きわめて常識的でバランスの取れた近来まれにみる宰相と言えよう。

「慰安婦問題 日韓合意を歓迎する」シリーズ (終わり)
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慰安婦問題 日韓合意を歓迎する (その2)

はじめに断わっておくが、拙稿はいわゆる慰安婦問題の日韓合意について、安倍政権をヨイショするものではない。ましてや朝日新聞の論調を評価するつもりはない。それよりも慰安婦問題が長年引きずってきたことに苦々しく思っていた国民の一人である。

この問題は閣議決定もされなかった河野談話に端を発したものである。その後歴代内閣はやむに已まれず形式的だったかは知らないが、いずれも河野談話の趣旨を踏襲(リンク参照)すると内外に知らしめた。歴代内閣謝罪のオンパレードである。他方、河野談話を見直せという世論の後押しもあり、安倍内閣が河野談話の検証を行った。これはそれなりに意味があったが、結果論として韓国に火に油を注ぐ結果になった。朴政権誕生で日韓関係が完全に冷え切ってしまったのは周知の事実である。

韓国の日本への求めについて安倍政権は放置しておく方法もあった。「公式文書でもない合意は効力もなく韓国に易々と踏みにじられる」だろうとする意見がすでにある。また言われなき「日本への事実無根の誹謗を払拭できなかった」とする批判もある。だがアメリカの強い要望もあったが、安倍首相は「子孫に謝罪し続ける宿命を負わせることはできない」と、この一点で政治的決断を下したのである。このことが巷間言われている「画期的」とか「歴史的」合意なのである。

次に日本の論者(左右両翼から出ている)の批判について、私の反駁を試みたい。括弧数字が主な批判で、その下の行の太字が私の見解である。

(1) 交渉が被害者抜きで政府間の勝手な妥結に被害者が従う理由はない。
国家間のレベルの課題について、被害者当事者を相手に交渉することはあり得ない。もし齟齬があるとすれば韓国内部の問題である。こんなのは反駁にも値しない。

(2) 悲劇を伝えていくことが重要。
慰安婦問題に終止符を打つことへの批判と思うが、両国とも個々人に帰する。また韓国が設立する財団がその役割を果たすだろう。両政府間では決着を見た。

(3) 互いに非難を控えるとしたため、日本の名誉回復ができなくなる恐れがある。
たしかに議論は封じられるが、韓国も同様で、両者等しく±ゼロを選択したのである。

(4) 日韓基本条約(1965年12月18日)で解決済み。
韓国は慰安婦問題を条約外と突っぱねており平行線。それでもよければ放っておけばよいが安倍内閣は妥協を選択した。気に食わなければ安倍政権を打倒するしかない。それが日本の国益に叶うかは疑問。

(5) 少女像の撤去が曖昧。
そのとおりだが韓国政府の対応を見守るしかない。仮に撤去できなければ韓国政府の統治能力の欠如である。その場合は韓国政府の責任において、しかるべき場所へ日本大使館を移転させるしかない。その要求は留保されていると解すべきだ。

とりあえず、きょうはここまで。年末で仕事のほうが忙しい。(多忙汗)
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慰安婦問題 日韓合意を歓迎する (その1)

従軍慰安婦をめぐる日韓両国の長年にわたる懸案がこのたび両政府により合意に達した。日韓両国民の受け止め方は様々でこの問題の根深さを象徴している。

日本国内にあっては与野党ともおおむね評価している。むしろ韓国のほうが多難な雰囲気を感じさせる。さっそく韓国の野党も挺対協もこの合意を強く非難している。日韓外相会談後の共同記者発表で両外相は「最終的かつ不可逆的解決を確認」したと決着を強調した。しかしながら、少女像の撤去もあり元慰安婦や韓国国民を説得する重い責任を負ったのは韓国政府である。朴大統領は両国の関係改善と大局的見地から合意に達したと述べ「被害者や国民の理解を望む」と異例のメーセージを出した。

さらに加えて、これを機に両国とも非難の応酬をしないというのだから、朴大統領の告げ口外交もできない。日本側から念を押され歯止めをかけられたのだ。いわゆる慰安婦問題を「蒸し返さない」という訳である。ここに至れば韓国政府は慰安婦問題を振り出しに戻すことはできない。もし合意を履行しない場合は、国際社会で韓国の主権国家が疑われる。早い話が国家とみなされなくなるのである。

さて今回の合意事項について、日韓両国民が批判や反対を表明している。その個々の事柄についての筆者の見解は、次ページ(その2)で触れる。読者諸兄はそちらのほうが興味深いかもしれない。
慰安婦問題 日韓合意を歓迎する(続く)
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ゴルフ/守りのウェッジ

師走を迎え、まだ暖かい日が続くが今季のゴルフ・プレーを終了した。この季節になると信州の高原は寒い。日陰のグリーンは表面が凍ってしまう。積雪になればラウンドできない。野の動物同様冬期間は冬眠に入る。という訳でどこのコースも来週あたりから閉鎖する。クローズは芝の保護の目的もある。それではアマチュアはどうするか? 温暖な地方へ遠征し、プレーを楽しむ。だが交通費もばかにならないのでそんなに頻度を上げることもできない。精々インドアの練習場でボールを打つしかない。

ところで先日(11/末)の打ち収めは、長い道具のショットがよかったのに、ショート・アイアンが不調だった。ウェッジの精度が上がらないとスコア・メイクしない。元々グリーン周りのショート・ゲームが好きで得意なのにどうしたことか? そのことに悩んでいた。

先ほど書庫を整理していたら昔読んだ教本(上写真)が見つかった。“ビッグスギ”の愛称で親しまれた杉本英世プロ監修の薄手の本。彼は1960年代から70年代にかけて活躍したプロである。なので昔のスイング理論だから見ることもなかったが、なぜか大事に保管してあった。ネットの動画を検索し参考にするのもいいが、杉本解説に目を通すのもよかろう。要するに藁にもすがる思いなのである。


ヘール・アーウィンのピッチ・ショット(上) トム・ワトソンのピッチ&ラン(下)


インパクト (左アドレス、右インパクト)
ジャック・ニクラウス(上) ヘール・アーウィン(下)
さすが帝王ニクラウスは完璧なフォーム。アーウィンは右手が強すぎる感じ。左手のコックが解けていなことにもよるがこのスイングだと左右にぶれると思う。2人とも膝関節が柔らかい。


ジャック・ニクラウスのランニング・アプローチ(上) 同じくバンカー・ショット(下)

まずウェッジ・スイングの基本的な考え方を復習する。ウェッジは目いっぱい飛ばすのではなく、ピンそばに運ぶ正確さを求めるクラブである。杉本プロによれば、アンダー・クラビング自慢の人はゴルフが分かっていない人だという。

上の教本によれば正確なショットをするためのポイントは3つある。1つはスイングをコンパクトにする。つまり身体の動きを小さくおさえる。このためにスタンスを狭くする。2つはクラブを2~3センチ短く持つ。3つ目はボールをすくい上げようとせず、上からダウン・ブローに打つ。ダウンからインパクトまでボールを真上から見る。そして目標に向けて低く長く大きくフォロースルーをとる。ということらしい。ざっくりまとめるとこれだけ。あとは応用編と各論が繰り返し書かれているのみ。

何のことはないみんな知している能書き。真新しいことは発見できなかった。それでも上達しないのはどうしてか? アタマで覚えても身体が覚えない。身体がいうことを利かない。本日の結論は現場で実践練習するしかない。ということが分かっただけ。(汗)
※ 写真は上の教本の一部のページをスキャンした。
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おじさんゴルフ

右のおっさんは私よりだいぶ年配のゴルフ仲間。元銀行マン(地銀)で法人向け融資担当のキャリアもあり仕事もプライベートもゴルフをやっていたのだろう。その所為かいつもよいスコアで上がる。

写真は朝のスタートホール。ティーショット前の素振り。上体が少し硬い感じがするが、キチンと腕が伸びて左の壁もできている。スイングの特徴はベタ足でトップスイングは深く、クラブシャフトが飛球線よりややクロスする。これだと切り替えしが難しいが、インパクト即フィニッシュし、フォローを取らないことで調整している。ほとんどフェアウェイを外すこともなく距離もそこそこ出る。第2打の使用クラブもウッドでロングアイアンやミドルアイアンを使うことがない。最近のクラブは打ちやすく、しかも高いボールが打てるユーティリティが普及している。女子プロなどもこのクラブを多用する。彼もこれにあやかるのだろう。フルショットが彼の強みである。

ところが彼にも弱みがある。アイアンショットの信頼性がない。アイアンはダウンブローが基本だが、これができず苦労しているみたい。アイアンを使いこなせばスコア80台を維持するのはたやすい。このことを彼に問い質すと、ユーティリティウッドを頻繁に使うようになってから「アイアンが下手になった」とのこと。これが年寄りゴルフ、おじさんゴルフの特徴で一般的なのかもしれない。

まぁ、おじさんゴルフでもアイアンを自在に操りたいものだ。なのでアイアンの練習のみを徹底すればどうだろうか? いやこんどはウッドが打てなくなるのか? ナイスショットしたとき、私はドライバーよりもアイアンがビシッと決まりピンに絡んだときのほうが心地がよい。ナイスショットの頻度は少ないかもしれないが、このためにプレーしているともいえる。第1打、第2打と快調に飛ばしてきたのに、アイアンでグリーン周りを行ったり来たりしているほうがストレス溜まると思うのだが、どうなのだろうか?

以上書いてみたが、いい年こいて、がつがつ好スコアを狙っても叶うはずがない。そんな高望み志向がナンセンスであるか・・・。
ゴルフはミスのゲーム(その三)
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ゴルフはミスのゲーム (その三)

写真はいつも一緒にプレーを楽しむ仲間の1人で典型的な明治の大砲スイング。なぜ明治の大砲というか?明治の大砲は銃砲が斜め上を向く。物の本には30度くらいの角度だったという。ゴルフでは右足体重でボールをヒットするすくい打ちの状態を指す。

正しいスイングはクラブヘッドがインパクトを迎える(ボールを打つ)瞬間に右足から左足に重心が移動する。野球選手にもまれに明治の大砲がいる。巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜選手のバットスイングがそれである。野球の場合は飛距離が出るがゴルフはどうにもならない。

なぜ明治の大砲スイングになるのか?一般的にはバックスイングで左肩が下がり、ダウンスイングとインパクトで左肩が上がり右肩が下がる。つまりシーソーのように、両肩がギッタンバッコンして肩が回転しない。この悪い症状の原因はもう一つあると思う。ダウン~インパクト~フィニッシュにかけて、両腕とグリップの軌道が窮屈になり、クラブヘッドがうまく抜けないためではないか?飛球線方向にスイング軌道を開放してやるとクラブヘッドが抜ける理屈である。

明治の大砲はドライバーなどティーアップして打つときはそこそこ当たる。問題は芝の上のボールを打つときだ。ボールの手前の芝を削るかトップしてまともに当たらない。こんなはずではなかったと力が入る。酷い状態になると空振りすることもある。何が何だか分からなくなりミスをくり返す。小手先の対応をしても効果は出ない。ボールヒットしないようにわざわざスイングを難しくしているともいえる。この打ち方の癖はグリーン周りのアプローチショットにも出るから厄介。全くもってスコアメイクしないのである。

抜本的な対策は正しいスイングを身に着けるしかない。回り道をするように思われるかもしれないがこれが上達する近道である。
ゴルフはミスのゲーム(その二)

<本日の格言>
『急がば回れ』・・・故事ことわざ辞典より
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ゴルフはミスのゲーム (その二)

スポーツにミスはつきもの。ゴルフは「止まっているボールを打つのだから野球よりも易しいだろう」と、ゴルフをやらない人からよく言われる。なるほどその理屈は一理ある。だが野球のバットスイングと比べるとゴルフスイングのメカニズムはとても複雑である。

ゴルフは身体をくの字に前傾させアドレスし、スイング軌道はほぼ楕円形である。ここが決定的に野球と違うところだ。野球のフェアゾーンは打球前方90度と広角だがゴルフはとても狭い。その上に野球はフェアゾーンを外れファウルになっても打ち直しができるが、ゴルフはOBに代表されるように罰打を受ける。したがって正しい理にかなったスイング(振り方)をしないとまともに飛ばない。ボールを飛ばすのはクラブという道具だがクラブのスイングフォームを固める必要がある。もとよりアマチュアはプロ並みの美しいスイングはできない。だがそれぞれの身体に適したスイングを身に着けなければ上達しない。

下手なビギナーに向かって「ショットに力が入っているぞ」などとアドバイスする上級者がいる。たしかに力が入り過ぎるとスイングプレーンが崩れミスショットにつながる。このアドバイスは間違いではないが、力を抜けばよいショットになるかは別物である。それよりも力強く打たなければボールは遠くへ飛ばない。強い球足にするにはスイングのスピードを上げる必要があり、強く打たなければならないのだ。プレーヤーそれぞれ基礎体力が違うから自分に合うスイングフォームを固める必要がある。

上の写真は書庫に眠っているゴルフのレッスン書。これを読めば参考にはなるが、上手くなるとは限らない。少しでも上達するには練習を何度も繰り返し、スイングフォームを固め、身体で覚えるしかない。グリーンに出てラウンド中にあれこれスイングをいじくってもあまり効果はない。だが漠然とプレーするだけでは能がない。ミスショットしたとき、その原因は「どこにあったのか?」自問自答することはとても大事だ。「ナイスショットしたときのイメージを記憶しておけ」と意見を貰うことがある。これも効果があるが、なぜ上手く打てたかビギナーは分からない。上述のスイングメカニズムを理解していない可能性がある。

きのうラウンドしたパートナーの1人が120もの打数を叩いた。傍目にはこんな大叩きは手打ちとアドレスの向きに原因があると感じていたが、ご本人は分からずじまいだったようだ。まぁ人様のことはよく分かる。これがホントの傍目八目。(苦笑汗)
ゴルフはミスのゲーム(その一)

<本日の格言>  
『人の振り見て我が振り直せ』・・・故事ことわざ辞典より

〔ゴルフはミスのゲーム〕(続く)
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原因と結果の法則

リンクを貼った右の画像はジェームズ・アレンのロングセラーいわゆる啓発本である。この本の書評をここで書くつもりはない。2015年プロ野球のレギュラーシーズンが終わり、現在ポストシーズンに入っている。セ・パペナントレースを制したヤクルトとソフトバンクが大方の予想どおりCSも順当に勝ち抜き、日本シリーズへの進出が決まった。

そこできょうはセリーグの常勝軍団、原巨人がなぜ敗退したのか? 自他ともに認めるジャイキチこと私が腹癒(はらい)せに、そのことをつらつら書く。腹癒せは冗談として余興である。敗れた「結果」には必ず「原因」がある。巨人の敗因分析をするという訳である。しかしながら詳細なデータに基づく分析は面倒だし、しょせん余興なので私の勘ピューターによる。

シーズンが始まる時点あらかたの野球評論家の予想は巨人優勝説だった。前年最下位のヤクルトを有力としたのは江川卓氏だけだった。なぜ外れたかだ。大番狂わせといってしまえばヤクルト球団に失礼である。プロの評論家といえども予想に過ぎず、各球団の戦力分析や首脳陣の力量とかの比較衡量が粗かったに違いない。前口上はこの位にして私の敗因分析を箇条書きに下記する。

1.戦力(選手層)

(1) 過去の実績からすると巨大戦力だったが、実は経年変化(肉体的劣化)が進んでいた。顕著な例がかつてチームの支柱だった阿部慎之助である。杉内俊哉や内海哲也など他にもいるが割愛する。つぎに長野久義や坂本勇人がチームを担う選手なのにシーズン中不振だった。長野は怪我の影響もあったが2人とも私的な問題に起因するだろう。精神的に安定せずゲームに集中できなかったと考えられる。特に坂本は年々成績が下降している。素質的には本来両リーグを代表する選手に成長していなければならない。

(2) そこで戦力を補完すべき選手補強の失敗があげられる。外人選手が使い物にならなかったのは周知のとおり。FA等で年寄り選手を補強したがこれも怪我などで戦力にならなかった。唯一救いは外人投手の2人と新人投手の高木勇人だけである。

2.首脳陣(監督・コーチ)

(1) まずスプリングキャンプの失敗が考えられる。長いシーズンを乗り切るための体力強化は当たり前だが、前述のように肉体的劣化が進んでいる選手を「老骨に鞭打つ」鍛え方をやっていなかったか勘繰りたくなる。故障者が多かったのがそれを物語っている。トレーニング・コーチの力量か?。ヤクルトは怪我人ゼロだったと思う。

(2) つぎにこれも春だが、なぜ高速打撃マシーンを導入したか不思議に思った。150キロ台以上の速球を投げる先発投手は大谷や藤浪など数えるほどしかいない。強い打球や長打を打つにはトップの位置で右足に重心を乗せねばならない。ところが速球だと振り遅れ、詰ったり凡打になる。そのことを本能的に身体が覚えているのでヒッティングポイントを前にする。ゴルフでいうドアスイングだ。この打撃フォームに固まってしまった可能性がある。実は現代野球の投球術は落ちるボールである。代表的な球種がスライダーだ。この球を外角に落とすと巨人打者のほとんどが空振り三振した。右足に体重が乗らないと身体が開き、外角に落ちるボールは選球が困難でボール球を空振りするか凡打になる。くり返すが高速マシーン練習は邪道だったといわざるを得ない。

(3) 戦力ダウンしたのはシーズンが始まるにつれて首脳陣も気がついたはずだ。「こんなはずじゃなかった」と。原監督はどういう対応をしたか? 先発メンバーを毎日組み替えた。原方式の組み替えは二通り。打順を入れ替えることと選手を入れ替えるミックス日替わりにした。監督の気持ちは痛いほど分かるが、あまり効果は出なかった。むしろ弊害のほうが大きかったといえるだろう。打者には走者を返すクリーンアップとお膳立てをする選手、あるいは選手の打順の向き不向きなど特性がある。ただ単純にその日の好調な選手を4番バッターに据えればいいというものではない。案の定、坂本が4番に座った時期があったが成績は下降した。4番のプレッシャーに負けたのである。

(4) 原監督の選手起用についてもう一つ書く。とくに名を伏すが、いま打撃不振でも過去活躍した選手を頑なに多用した。巨人ファンからも「もっと若手を使え」との声があった。若手は戦力的に落ちるので出場させる機会が少なくなる。常勝を義務づけられる巨人の監督は公式試合で若手を育て試すゆとりがないのである。

(5) 以上の事柄はいずれも原監督の焦りである。そのことは敗戦後、名指しで選手を批判するコメントが日増しに多くなったことに表れている。これでは首脳陣と選手の信頼関係が遊離する。かつてないチーム内の厳しい情況、環境変化についていけなかった監督のマネジメント能力の欠如といってよい。経験知が通用しないときは首脳陣の総力を結集し難局にあたるのが普通だ。これは私の推測だが、原監督はコーチの進言や意見をあまり聞かないワンマンだったのではないか? それは原監督の責任感と真面目さによるものだろう。だがこういう指導者を頂く組織のスタッフは、やがてだんだんと口をつぐむようになる。負けが込み悪循環に陥る事例である。

さて原因が判明したので、つぎには対策を講じる必要がある。これは来季の首脳陣がやる仕事だ。それよりも、わざわざ拙ブログで語ってもだれも見向きもしない。

ところで原監督が「そろそろ退任の潮時、新陳代謝が必要」と語り、きのう辞意を表明したと聞く。上の私の余興記事に関わらず、原監督もすべてを把握していたに違いない。12年間大変お疲れさまでした。
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ゴルフはミスのゲーム (その一)

ゴルフは〔ミスのゲーム〕といわれる。罰ゲームといってもいい。罰(ペナルティ)を競うゲームとは不思議に思うだろう。

ゴルフは野球やバレー・ボールと違って得点をより多く稼ぐ競技ではない。ショット数とパット数の合計をスコアといい、最小打数(スコア)が上位者になる。この打数のなかには罰打がある。例えば白杭ゾーンを越えたボールはオービー(OB)*といい、罰打1を加え元の場所から打ち直さなければならない。OBではないが林へ打ち込んだとき、前方に木やその枝などの障害物があれば、安全策を講じ、横やときには後方へ打つ。これもミス・ショットが招いた事実上のペナルティである。
*アウト オブ バウンズの略

ホールの規定打数をパー(Par)という。パーをオーバーした打数がミスであり、ペナルティである。このミスや罰打を減らすことがゴルフ競技である。ただしミスを帳消しにする方法はある。規定打数(基準のPar)よりも少ないアンダー・パーの打数でホール・アウトすれば相殺される。だがスクラッチ・プレーヤーやシングル・ゴルファーはともかく、ミスを消すなんてことは不可能である。だからできるだけミスの数を減らすことが好スコアに繋がる。

それではアマチュアがミスを少なくするにはどうすればよいか? そのためには気負ったり、力が入ったりすればミス・ショットになる。挑戦することも大事だが、それ以上に大事なのはどんな状況下でも自制心を保ち続けることである。その例をきょうは二つ挙げる。

前述の林の中へ打ち込んだものの前方のグリーンやホールに近づきたい衝動に駆られる。障害物があるにも関わらず、強引にグリーン方向をねらう。ところがグリーンに近づくどころか、林の中を一発で脱出できず、ミスを重ねアリ地獄になる。このケースは一歩後退する勇気が必要になる。二つ目の例を挙げる。いよいよグリーンをねらうショット。プロやシングルはピンを直接攻める。そのほうがアンダー・パーの確率が高まるからだ。一般のアマチュアはやめたほうがいい。ピンがグリーンの端にあると緊張しグリーンを外すショットの確率が高まるのだ。私はピン・ポジションに関係なく、ほとんどグリーンのど真ん中をターゲットにする。仮にピンがグリーンの端にあっても、パッティングの距離はグリーンの直径の半分つまり半径になる。そうであればワン・パットの可能性もある。カップ・インを直接ねらうショットはグリーン周りのショート・ゲームのときだけとする。以上が自制心の効いた我慢強いプレー・スタイルである。
〔ゴルフはミスのゲーム〕(続く)
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