雨の日は、読書が進む。
『ユダの福音書を追え』(日経ナショナルジオグラフィック社発行)
を読み終える。先月、出版されたばかりだけれど、やっと、この本に取り掛かれた気がする。この後に、『原典 ユダの福音書』も刊行された。
「ユダの福音書」、これが、一部の専門家に独占され、特定の宗派の思惑に色づけられることなく、こうして世に出されたことは、ある意味で、間違いなく朗報だと思う。けれども、信仰者にとっては、どうなんだろう・・・・。
キリスト教がその解釈で、いまなお異端派を含めて多くの宗派に分かれている現代、初期の頃は、現代の比ではなかったほどに多くの分派があったことを思うと、その弊害から公式とする福音書が決められたキリスト教の歴史を逆行するようなことにならないのかなあという思いも生まれる・・・・
キリスト教の歴史とその信仰にとって、また、その影響を受けた西欧の文化、芸術、多くの美術や音楽、文学作品のことを思うと、複雑な気持ちにもなる。
やっと、その日本語の翻訳書を手にすることができた「ユダの福音書」。
この週末は、その『原典 ユダの福音書』を読むのが楽しみ。
わたくしは、クリスチャンではない。
にもかかわらず、闘病時には、なぜか、
昔から聖書を読みたくなるわたくしのような人間にとって、
一人の人間としてのイエスを思うとき、
そして、一人の人間として聖書を読むとき、
わたくしは、やはり胸打たれる。
この『ユダの福音書』は、
また新たなイエス像に思いを馳せられる、そういう意味で魅惑的だ・・・・
≪ご参考までに≫
●ユダの福音書についてのサイト
http://www.mrr.jp/~jf9hjs/yudah's%20gospel.htm
●日経BPサイト
http://www.nikkeibp.co.jp/news/life06q2/501112/