郵便物を整理していたら、「禅の友」6月号がきていた。
叔父が、送ってくれている曹洞宗の檀家向けの小冊子。
わたくしは熱心な読者ではないけれど、
御仏の教えといっても、曹洞宗は禅を宗旨とするので、頭でっかちになりがちな人にはお勧めかもしれない。
この小冊子で必ず目を通すところがある。
冒頭の道元禅師の短歌と、檀家の方たちの投句される俳句。各地の結社俳句や結社短歌とさほど変わらないものだろうという思いに、以前は、毎回ため息が漏れていたけれど、いつしか御仏を信心している人たちならではの俳句を探す癖がついた。
坊城としあつ氏が選にあたっているので、当然ホトトギス系の歌ばかりだけれど、今月号は、こんな句が選ばれていた。
夢に逢ふ人皆若し明易し
柳原あきとし(神奈川県)
猫の仔のうち重なりて寝入りをり
柳原あきとし(神奈川県)
足袋にある尺貫法をしかと穿く
伊東辰之亟(宮城県)
信心によって、こころを穏やかにしておられる姿が目に浮かんで、こちらの気持ちまで和んでくる。こうした俳句は、こうした俳句でいい・・・
そう思って冊子を閉じたら、おや、裏表紙に南こうせつの写真。
彼も信心してるのかしらと意外に感じて眺めたら、
なんと、曹洞宗の御詠歌である梅花流の詠讃歌を作曲したらしい。
歌「まごころに生きる」なる新曲のCDの紹介。(--;)
思わず、あの天然のお顔と「かぐや姫」などの歌がフィードバックされて、唸ってしまう・・・・。松山千春(何を歌っていたのか失念)は坊主頭になって政治家の弁士となり果て、「無縁坂」などを歌っていたもう一人の彼は、ダスキンのおじさんになってしまったが、こうせつ、お前もか、と嘆くようなファンはいないんだろうなあ・・・・
そう思って、彼の対談のページを眺めたら、
なんと、彼は、お寺生まれで、しかも、いま、国東半島に住んでいるという。
これには驚かされる。
日本の古代史以降の神仏融合の歴史に興味を持った人ならば、この国東半島というところが仏教文化の栄えた地域だという情報と出会う。
古代史が趣味の関係で、わたくしも、ここにある宇佐八幡宮には一度行ってみたいと思っていた。知る人ぞ知る、仏教にかなり縁のあるところだ。
参考までに→http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/kunisaki/kuniindex.htm
それにしても、南こうせつのセンチメンタル過剰な歌は、実は、御詠歌志向のフォークソングだったのかもしれないと思えてくるから不思議。彼が、御詠歌の讃歌を歌うのも、浅からぬ縁があったということだろうか。本人も、お坊さんになっていたかもしれないと言うのだから、人って、分からないものだ。
でも、やはり、梅花流の御詠歌は、鈴鉦(れいしょう)で歌ってこそであると改めて思う。
母と祖母の葬儀のときの、あの鈴鉦の音・・・・
小雨の中で詠われた御詠歌の唱和で、火入れのときの衝撃が鎮められ慰められいったのを思い出す。
(画像に意味はありません。なんとなく、ここに花をアップしたくなりました・・・ )