以前、「セミに想ふ」という投稿をしましたが、ニュアンスはちょっと違いますが、今回はその続きとなるつぶやきになります。
写真は夕暮れ近くに息抜きでオフィスの中庭を散歩している際に見つけた蝉の抜け殻です。
幼虫が無事に羽化し、蝉として飛び立った場所は
樹木に非ずなんと建物の壁です。

きっと蝉の幼虫は、建物の壁の真下の地中で長い時間を過ごしていたのでしょうね。
同じくコンクリートの塀や鉄のガードレール等、
別にこんな場所を選ばなくても良いものを!と思う場所に抜け殻を見つけることもありますよね。
恐らく彼らはそのすぐ真下からモゾモゾ出てきたのでしょうね。

でも、どこから出てきてもどこで羽化しても、結局「蝉」は「蝉」なんですね。
短い命であっても、思う場所にどこにでも自由に飛べていくはず。
人は親を選んで生まれてくることができません。場所にしてもそうですね。
運命論的に感情的に考えるとまた違うんでしょうがね。
で、何を言いたいのかと云うと、生まれ育った環境は選べないけれど、どう幸せに生きて行くかということは、人それぞれに選べるかということ。
そりゃあ、蝉になって直ぐに鳥に喰われる場所で羽化する不運もあるぞなんて穿ったことは言わないでね。
み~ん
み~ん
写真は夕暮れ近くに息抜きでオフィスの中庭を散歩している際に見つけた蝉の抜け殻です。
幼虫が無事に羽化し、蝉として飛び立った場所は
樹木に非ずなんと建物の壁です。

きっと蝉の幼虫は、建物の壁の真下の地中で長い時間を過ごしていたのでしょうね。
同じくコンクリートの塀や鉄のガードレール等、
別にこんな場所を選ばなくても良いものを!と思う場所に抜け殻を見つけることもありますよね。
恐らく彼らはそのすぐ真下からモゾモゾ出てきたのでしょうね。

でも、どこから出てきてもどこで羽化しても、結局「蝉」は「蝉」なんですね。
短い命であっても、思う場所にどこにでも自由に飛べていくはず。
人は親を選んで生まれてくることができません。場所にしてもそうですね。
運命論的に感情的に考えるとまた違うんでしょうがね。
で、何を言いたいのかと云うと、生まれ育った環境は選べないけれど、どう幸せに生きて行くかということは、人それぞれに選べるかということ。
そりゃあ、蝉になって直ぐに鳥に喰われる場所で羽化する不運もあるぞなんて穿ったことは言わないでね。
み~ん
み~ん
