marshalのつぶやき

marshalの日々の出来事や趣味のマラソン・登山の事など色々つぶやいています。

元気になりましたが

2011年04月13日 06時18分42秒 | Weblog
先般は、母のお通夜や葬儀に参列してくださいまして誠に有難うございました。おかげさまで無事に終わりホッとしています。

それにしても、その日からの一週間は辛いものでございました。父の葬儀も多少は泣きましたが、母親は格別ですね!五人兄弟の末っ子で、母に甘やかされて可愛い可愛いと育てられた僕でありました。

過去の色々なことが、走馬灯のようにめぐり自然と号泣してしまいますね。また喪主の兄も号泣したので吃驚でした。普段は怒ってばかりで怖い存在ですが、心根の優しいところもあるのだなと・・・再度認識いたしました。

しかし、お通夜や葬儀に関して書けば二回の経験談からして、100ページや300ページ以上はかけるでしょうね。今度本にして発売してみようかしらね。きっと売れる、500冊や1000冊ぐらいはいけるんじゃないでしょうか。やがて定年になり、暇になったら書こう!

長女の姉と末っ子の僕とでは、10歳以上も離れており昔は悲しいことがあると姉の布団で一緒に寝ていた記憶があります。だから姉も母親に近い?兄上が3人いますが、しょっちゅう喧嘩をした兄が一人に後の二人の兄はやはり可愛がってくれました。

当家の7人家族は昔から仲がよく、お盆と正月には家族全員とその親族が集まりお祭り騒ぎで、年に2回の楽しみを母はしっかりと企画してくれました。五人兄弟全員が結婚して子供が出来て、やがては孫まで出来て狭い家はイモのごった煮状態で溢れんばかりの時もありました。

身内が集まることは今後なくなるのでしょうね。親がいるからこそできる集いだったのでしょう。今度は僕らが各自それを守って明るい親族をつくって行かなくてはならないのでしょう。

姉の長女は60歳を過ぎた頃から、本当に母と顔がうりふたつで、やはり親子なんだなーと思うのでした。口が喧しくなるところまで、何から何まで子供って親に似てくるのですよね。

僕も葬儀のときに、母の遺影と一緒に立っていたら皆さん「お母さんにそっくりだ」と云いながら帰っていかれました。いざ両親がいなくなると途方に暮れそうですが、僕には五人家族がいるしいつまでも悲しみに慕っていられない!

今後、母の教訓を思い出して、今を未来を大事にしていかなくては・・・。母の過去の言葉は今までは思い出せなかったのですが、亡くなってからはこんなこともあんなことも云っていたな!と、思い出すのが不思議です。

人間の脳って偉大ですね。こんな素敵な脳をつくってくださった神様に感謝しなくちゃね。しかし、僕も末っ子とはいえ男だから今後さらに逞しく強く生きていかなくては!
それが供養になるといえるのだろう。

当家の四十九日は5月15日でございます。それまでは、色々なことゴルフや登山にマラソン?マラソンぐらいはいいのかな?でもお祭り騒ぎですよね。宴会なども自重して粛々と密かに生活をしていきたいなーと・・・・。

過去に葬儀やお通夜は相当沢山出させてもらいましたが、いつも思うのですがまるで同窓会見たいで、懐かしくも嬉しくもあるのですよね。その嬉しさの顔を隠すのに苦労します。昔仲間に、20年ぶり30年ぶりに出会ったら、その姿かたちがすっかり変わって戸惑いを覚えることがしょっちゅうです。

それでもどこかに、幼き日の面影が残っていて、その面影にたちまち心が和み、20年や30年の歳月がつい昨日のようで嬉しくて握手などをする、そして玉響に談話する。
お互いに様相一変もまたよしである。それが自然の理でもあるのです。

だけど、その中にも変わって変わらないものがあってこそ、人と人との繋がりにも心が通い合う。めまぐるしく変わり行く今日この頃、何もかもがたちまちにして様相一変。
自然の佇まいも風俗習慣も、食べ物や着る物も、物の見方もすべてが変わっていく。

変わるものは変わったらいいし、また変えたほうが良いのだろう、様相一変の中にも様相不変のものを大事に見つめ、大事に育て守っていきたい気がします。自然と人間、人間同士、このかけがえの無い繋がりをいつまでも豊かに保っていくために。

ここ2週間ばかりブログを閉鎖していましたが、今までは朝一番からおよそ30分から60分ぐらいはブログを書く時間にしていましたが、やめると今度はすることがまた出てくるのですよね。

それはそれで貴重な時間を過ごすことができるのです。今後、ブログを続けるかどうか検討してみたいと思いますが、覗きに着て下さっている方々のご意見などあればお願い致します。

とりあえず、四十九日の法要が終る5月15日までブログは控えさせてもらいますのでご承知くださいませ。