俳句では陰暦を使います、と言われてびっくりしました。
かれこれ40年程俳句を作っていますが、陰暦を使っているなんて思ったことはありませんでした。
先生の言ってることが分かりません。おそらく「陰暦で秋の始まる日を現行の太陽暦に直すと8月8日頃になる」という意味なのでしょう。つまり二十四節気の立秋のことです。
歳時記における季節の秩序は二十四節気に拠っています。しかし二十四節気は陰暦(正しくは太陰太陽暦、一般に旧暦と呼ばれています)に支配されているのではありません。
「陰暦では秋は8月8日前後から」?????
2016年の立秋は8月7日、旧暦だと7月5日
2017年の立秋は8月7日、旧暦だと6月16日
2018年の立秋は8月7日、旧暦だと6月26日
2019年の立秋は8月8日、旧暦だと7月8日
2020年の立秋は8月7日、旧暦だと6月18日
「いつから秋なのか」という区切りは太陰太陽暦の日付とは別物です。太陰太陽暦の日付が季節とズレるので、別に二十四節気を併用していたのであって、二十四節気は原理的には太陽暦の一種なのです。ですから太陽暦である現行暦では、二十四節気はほとんど固定された日付になります。
明治の改暦により、明治5年12月3日が新暦では明治6年1月1日になってしまいました。この1ヶ月のズレのため、お正月・節分・お盆・七五三などをいつするのか混乱が起こりました。「旧暦の日付」で決まっていた年中行事などは、新暦移行・旧暦換算・月遅れのいずれかで対応することとなりました。
ですから、七夕のように「旧暦の日付」で決まっていた行事や忌日などを俳句に詠む際は暦の問題に留意する必要があります。現行暦の7月7日はまだ梅雨も明けていませんが、この日に七夕祭りをすれば、それを詠んだ句は秋季ということになります。たとえばこれが、夏井先生が「俳句は陰暦」という表現で言わんとしていることの一端なのかも知れません。
これに対し二十四節気はもともと「旧暦の日付」には依存していませんから、改暦によって立秋が1ヶ月早まったと言うようなことはありません。「立秋と言っても暑さの盛りじゃないか」という季節感のズレは、改暦とは別の問題なのです。旧暦を使っていた頃だって、立秋は暑かった。
1太陽年を冬至・立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬で8等分し、さらにそれぞれを3等分したのが二十四節気です。すごくすごく大雑把に言うと、地球の北半球にそそぐ太陽光の量は冬至で最小となり、次第に増えて夏至でピークとなってまた冬至に向かって減っていきます。しかしこの光量の変化が気温の変化に反映されるまでにタイムラグがあります。だから立春は未だ寒く、夏至は暑さの極みではなく、……ということになります。
歳時記の季節感、というか季節観の基礎である二十四節気は文化的・数学的なモデルであって、現実の気候から帰納されたものではありません。
秋立つ日よめる 藤原敏行朝臣
秋きぬと目にはさやかにみえねども風のおとにぞおどろかれぬる
現実の季節感としての秋より先に文化としての秋が来ます。少しも秋めいてはいないけれど、今日は立秋なのだから歯を食いしばってでも「秋らしさ」を感じなければならない。そういう歌です。
さて
ラジオ体操歯抜けの判や夏深し です
この下五があまりよろしくないのは誰しも感じるところですが、当面の話題は「晩夏っていつ?」ということでしょう。
歳時記の秩序で言えば7月末から8月アタマくらい。しかし作者は夏休みの終盤くらいを考えていたようでした。ここには単に「不勉強」では済まされない、季語と季感を巡る重要な問題が含まれています。それは新暦と旧暦の問題ではなく、季語の機能の問題ですが、あまり風呂敷を広げても収拾がつきませんからまたいつか。
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