万葉の歌碑を訪ねて
歌碑の設置場所/福岡県太宰府市大字大佐野字野口807-128
太宰府メモリアルパーク 太宰府の丘展望台
万葉集/巻5-796 作者/山上憶良(やまのうえのおくら)
愛(は)しきよし かくのみからに 慕(した)ひ来(こ)し
妹(いも)が情(こころ)の術(すべ)もすべなさ
【意味】ああ、こうなる定めだったのか。
追い慕って筑紫までやって来た妻の心が、どうしようもなく痛ましい。
※ 筑前の国守として九州へ下った憶良と、1~2年遅れて大宰帥として赴任してきた旅人は、年齢も近く(憶良が5歳くらい年長)、ともに風雅を好む知識人であったことから、位階の差を越えて親密に交流していました。旅人の妻の死の悲しみは、同時に憶良の悲しみでもあったようです。歌の内容から、妻の郎女は無理に大宰府についてきたことが窺えます。慣れない長旅の疲れがたたったのでしょうか。
写真下 歌碑の全景
写真下 歌碑の解説案内板 (親切な説明です。)
万葉の歌碑とは
万葉集の歌を刻みつけた碑が「万葉歌碑」です。 多くの人々に親しまれた万葉の歌を石に刻み、その歌を作った歌人を讃(たた)え、その歌が後の世に残ることを願っているのです。
現在全国各地に設置されている万葉歌碑は2,000基を越えていると言われています。
歌碑の過半数が実際に歌碑が詠まれた場所、または歌碑に関連する場所に設置されており、「歌碑を訪ねる」=「実際に万葉の故地や史跡を訪ねる」ことになります。
私の地元「福岡県」は、大宰府政庁に関係する歌や防人の歌があり、万葉の歌碑も多くあります。
万葉歌碑から万葉の時代にタイムスリップし、万葉人に会える旅へ出かけてみましょう。!