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年長組奮闘紀行

後期高齢者の人生年長組員が勝手気ままに綴るほろほろ日誌

値下げの格安戦争

2009年11月30日 | コラム「ハロハロ」
 自宅近くのスーパーストアの一角にチェーン展開している理髪店が店開きした。「早くて安い」がキャッチフレーズで、散髪時間は1人10分から15分。料金は消費税込みで千円ぽっきり。散髪が終わると、掃除機のような吸引機を使って細かい髪の毛を吸い取り、洗髪やひげそりのサービスはない。理髪台は3台、利用者は店の入り口にある自動券売機で利用券を購入、順番カードを受け取る。
   
 格安料金が受けて平日でも開店前から行列ができる。目立つのは女性と子どもの利用客。近所の美容院もうらやむほどの盛況ぶりだ。1回5~6千円もする美容院を敬遠し、髪型はどうでも安いに越したことはないと倹約志向組が利用するという。3年前、洗髪、ひげそり込みで1800円前後の店が相次いで開店し利用していたが、いまは早々と千円店の常連客にくら替えした。
   
 日本での衣料や食品、サービス業の安売り競争が止まらない。990円のジーンズがお目見えして驚いたら、大手スーパーが相次いで770円の製品を投入。負けじと650円の独自製品で参入する量販店も現れた。年を取ると買いたい商品もほとんどないが、格安戦争は大賛成。昼食に赤紙の付いた250円の特製弁当を試食すると、これが結構うまい。安上がり高じて家庭料理がますます遠くなる。(マニラ新聞コラム)

比人看護候補者の研修修了

2009年11月03日 | コラム「ハロハロ」

 日本語研修を終えた比人看護師候補者が先月下旬、全国各地の病院、医療施設に着任した。研修期間は6カ月間だったが、合計816時間のカリキュラムをこなし、夕食後も連日、宿題に追われる厳しい毎日が続いたと話す。しかし候補者たちにとっては、これからが正念場になる。日本人看護師の指導の下、看護助手として働きながら国家試験合格を目指して猛特訓が始まる。
   
 受け入れ当初から指摘されていたが、外国人候補者にとって日本語の専門用語や法律用語で出題される国家試験の壁は厚い。昨年の看護師国家試験の問題集を見ると、出題された問題は午前と午後で合計240項目。解答は四者択一で専門用語の漢字とカタカナが並ぶ。比人候補者より半年前に来日したインドネシア人看護師候補者は今年2月に受験した1年目の国家試験で、1人も合格しなかった。
   
 「就労コース」に続いて今年9月末、介護福祉士養成学校で学ぶ「就学コース」の候補者が来日した。6カ月の語学研修後に専門学校に入学するが、卒業すれば無試験で介護福祉士の資格が習得できる。しかし3年後からは法改正で国家試験が義務付けられるため、履修課程の取りこぼしは許されない。看護師研修修了式の会場で、候補者たちが大声で唱和した「日本マブハイ、候補者万歳」の声が耳に残る。(マニラ新聞コラム)

悩ましい外食のメニュー選び

2009年08月31日 | コラム「ハロハロ」
 かみさんが糖尿病と診断されて、けげんそうな顔をして医師の顔をのぞき込む。日ごろの食生活から全く予想もしていなかったからだ。料理には長年、減塩のしょうゆやみそを使い、味付けは徹底的に薄味。外食ではラーメンの汁を半分残すなど塩分摂取に人一倍気を使っていた。「なぜだ」と思うのも無理はない。しかし、医師から血液検査のデータを基に「糖尿病レベル」と宣告されると、2人で納得するしかない。
   
 半信半疑の思いは消えなかったようが、早速栄養士の指導を受け、カロリー計算に悪戦苦闘する羽目になった。食事作りは食品交換表に基づく食材の計量作業から始まった。1日1440カロリーを基準に、毎食事ごとの米飯やパンなど穀物類、肉、野菜などのタンパク質、乳類、野菜など6分野の各摂取量を決める。食材のバランス配分も欠かせないため、料理前に計量器とのにらめっこが続く。
   
 食事療法を始めて4カ月。定期検査で糖尿病の数値がほぼ平常に戻った。医師がびっくりするほどの回復ぶりだが、本人は最初の診断結果を疑ってやまない。食事療法は継続しないとぶり返すといわれる。このため外食の際はカロリー計算に一段と気を使うようになった。食材のグラム数を概算して、過剰気味なら食べ残す決断をさせている。メニューごとに総カロリーを記載している飲食店も増えたが、食事選びが悩ましい。(マニラ新聞コラム)

上限千円の高速道路

2009年08月03日 | コラム「ハロハロ」
 土日、祝日の高速道路の料金が走行距離に関係なく今年春から上限千円になった。麻生内閣が景気刺激対策として2年間の暫定措置として実施に踏み切った。8月のお盆期間は平日も前後何日間か同じ扱いにするというから帰省客にとっては朗報だ。うれしいことに次期衆院選挙で民主党が勝利して政権交代が実現すると、上限千円どころではない。大都市圏内の路線を除いて全線無料化にすると政権公約した。

 先週日曜日、上限千円の恩恵にあずかろうと、ドライブ旅行に出掛けたが、インターチェンジ料金所で大渋滞に巻き込まれた。高速道路の本線が渋滞して料金所から走行車線に入れない車列が延々と続いている。苦戦の末、長時間かかってようやく本線に乗り入れたが、その後も断続的にノロノロ走行が30キロ近く続いた。通行料金は正規の4分の1程度で済んだが、目的地到着まで予定時間の3倍近く要した。

 混雑するとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。図らずも走行しながら上限千円の功罪を考える羽目になった。利用者にとって料金が安いに越したことはない。しかし、車利用の促進を促しかねない値下げ政策は、温暖化対策に逆行する気もする。全線無料化になれば、渋滞区間はさらに増えるのか。平準化して増えないという声もあるが、予想は難しい。政権交代を問う真夏の衆院選挙戦が始まった。(マニラ新聞コラム)

映画「バスーラ」公開

2009年07月06日 | コラム「ハロハロ」

 マニラ首都圏でごみ拾いをしながら生活している住民の姿を撮り続けている映画監督、四ノ宮浩さん(51)の最新ドキュメンタリー映画「BASURA バスーラ」(タガログ語でごみ)が完成、東京・目黒の東京都写真美術館で上映されている。「忘れられた子供たち スカベンジャー」「神の子たち」に次ぐシリーズ3作目。20年前に登場した2家族の少年少女たちを探し出し、その後の生活ぶりと生きざまを追う。

 映画は商店街の軒下で寝転ぶホームレスの家族、街中でごみを漁(あさ)る子どもたち、客を引く十代の少女らの光景から始まる。巨大なごみ集積場「スモーキーマウンテン」は95年に閉鎖されたが、近くのごみ集積場では20年前と同じごみ拾いが繰り広げられいる。当時17歳で結婚した少女は、5人目の子どもを出産。しかし子どもは感染症、自身も結核と診断され、薬代にも事欠く。そんな中で夫と子どもが失職する。

 四ノ宮さんがマニラ首都圏を最初に訪れたのは89年。強烈なにおいとハエの群れの中で、ごみ拾いをする子どもたちに大きな衝撃を受ける。2作目の後、アフガニスタン、イラクを旅したが、いつも子どもたちが忘れられなかったという。一般公開の初日、挨拶に立った四ノ宮さんは「マニラは20年間、何も変わっていない。でも(これから)何ができるのか、一緒に考えて行動しよう」と訴えた。(マニラ新聞コラム)

裁判員制度がスタート

2009年06月08日 | コラム「ハロハロ」
 死刑確定者が再審で無罪になった冤罪(えんざい)事件は過去に四件起きている。いずれも何次にも及ぶ再審請求後に審理が再開され、無罪判決が下された。逮捕時の年齢は十九歳から二十五歳。拘置期間は最長で三十四年間にも達する。栃木県足利市で起きた幼女殺害事件で逮捕され、無期懲役が確定、17年間服役していた菅家利和さん(62)が先ほど釈放された。当時決め手となったDNA鑑定が間違いと判明、全くの濡れ絹と分かったからだ。

 裁判員制度がスタートした。抽選で選ばれた市民裁判員が冤罪事件のような重大な刑事事件の一審裁判に参加し、死刑か否かの判断を迫られる。殺人、傷害致死、強盗致傷など凶悪事件が対象となるが、審理に関して一生口外できず、守秘義務を負わされる。違反すれば刑事罰もあるので裁判官より厳しいたががはめられた。市民裁判員制度で免罪事件は阻めるのか。七月ごろにも市民裁判員が参加した初公判が開かれる。
   
 裁判員制度の導入で新聞、放送各社の事件報道の見直しが目に付く。日本新聞協会が決めた取材・報道指針に沿って、各社が独自の「ガイドライン」を策定した。「犯人視報道しない」「被疑者の認否を書く」「情報の出所明示」などが盛り込まれている。「調べによると」が「取材で分かった」「発表した」など出所を明示する表現になった。二十年前に「逮捕者呼び捨て」を「○○容疑者」に改めて以来の改革になる。足利事件で菅家さんが逮捕された当時の新聞記事をインターネットで読んだ。犯人視した表現がかなり散見される。マスコミの責任も重い。(マニラ新聞コラム)

在日比人女性のコンサート

2009年02月16日 | コラム「ハロハロ」
 比人の海外出稼ぎの実情を訴える在日比人女性らのコンサートが、今月初め名古屋市で開催された記事を地方紙で見つけた。出演者の中に見覚えのある比人女性の名前があったので確認の電話を入れると、国籍確認訴訟で勝訴した子どもたちの母親の一人と分かった。空港での家族との別れや、来日後の職場での苦労など異郷で暮らす寂しさを歌劇風のライフストーリーにまとめ自主上演したという。

 「半年間、苦労したが成功してほっとしている」と話してくれた母親は、裁判を通じた取材の中で、コンサートの企画などおくびにも出さなかった。昨年暮れに東京都内で開かれた在日比人の合同クリスマスパーテーにも姿を見せなかったが、この間、上演の準備と舞台けいこに奔走していたらしい。思い立ったらいちずに行動する比人女性のたくましさに驚かされた。

 コンサートの演目はタガログ語で海外を意味するという「イバヨ」。出稼ぎ比人の人権を守る組織「ミグランテ・インターナショナル」(本部・マニラ)などの主催で、本国から駆けつけた比人歌手と在日比人女性ら八人が熱演した。「東京公演はないの」と聞いたら、原告の母親は「資金援助があればね」と笑い飛ばしていた。昨年、「ミグランテ名古屋」を立ち上げ、各地を飛び回っているようだ。(マニラ新聞コラム)

悲願の改正国籍法が成立

2008年12月15日 | コラム「ハロハロ」
 改正国籍法が成立した日、国籍確認訴訟の原告だった子どもの比人母親に電話を入れると、「うれしい」と弾んだ声が返ってきた。二人の子どもは父親認知が出生前と出生後と異なり、姉は比籍、妹は日本籍と分かれる。裁判は一審で勝訴したが、二審では逆転敗訴。母親たちが最後の望みを託した最高裁でようやく画期的な違憲判決を勝ち取った。広い大法廷で泣きながら抱き合った母子の姿が忘れられない。

 母親とは提訴後の裁判取材で知り合った。一審判決前に会見を申し込むと、埼玉県内の比人女性支援施設で快く応じてくれた。二十四歳で来日し、日本男性と知り合い、子どもが生まれるまでの日々を淡々と話した。中でも長女の出生届を市役所に提出した時のショックが忘れられないという。「子どもの名前は漢字ではだめ。ローマ字で書くのよ」。受付の職員から出生後の認知では日本籍が取得できないことを初めて告げられた瞬間だという。

 国籍法改正案は参院で審議が始まってから父親の認知を厳格化する議論が急浮上した。偽装認知が急増しかねないと慎重派が防止強化策を主張したためだ。裁判闘争を支援してきた原告代理人は「少しヒステリック過ぎると思うが」と指摘した。違憲判決後、すでに百三十人を超える外国籍の子どもが国籍取得届を法務省に提出。比でも新日系二世十人が十日、在比日本大使館に集団申請した。比人母子家庭に悲願のゴールが見えてきた。(マニラ新聞コラム)

歌声喫茶で仲間と大合唱

2008年11月12日 | コラム「ハロハロ」
< 東京・新宿にある老舗の歌声喫茶「ともしび」に仲間と出掛けた。喫茶といっても昔のの店構えと違って酒も小料理も出す居酒屋風づくりの店だが、午後五時に開店すると、間もなくほぼ満席になった。客席を見ると中高年者が多く、中でも女性の常連客が目立つ。注文した酒や料理が配り終わると、司会者の指導で客のリクエスト曲を中心にピアノとアコーディオンの生オケ合唱が始まった。
   ◇
 歌の進行は小休止を挟んで休みなく続く。客は五百曲近い曲が掲載された歌集を購入し、酒を飲みながら大声を張り上げて合唱する。誕生日を迎えた客には店からワイン1本がプレゼントされ、「ハッピ、バースデー、ツーユー」を歌って祝福。大阪から単身赴任で働きに来ている客がいると、司会者が六〇年三池炭鉱闘争時代に流行した労働歌「がんばろう」を選曲し、団塊世代の郷愁をかき立てる。
   ◇
 最近では出前の歌声喫茶や日帰り歌声バスツアーも人気を呼んでいるという。全国各地の町おこし事業に呼ばれると、司会者や伴奏者が出掛け、にわかづくりの歌声集会を取り仕切る。人気の日帰りの歌声バスツアーでは車内で四十曲近い歌を合唱して盛り上げる。不景気風が吹く中、大会場を借り切って「千人の大同窓会」まで開催された。カラオケと一味違った「なつメロ」にひかれる常連客の一員になりそうだ。(マニラ新聞コラム)

南の島の写真展

2008年10月20日 | コラム「ハロハロ」
 フィリピン・セブ島沖に浮かぶ小島で、自給自足に近い島民の暮らしを十七年間、撮り続けた写真家、熊切圭介さん(74)の写真展「カオハガンからの便り」が東京・銀座のギャラリーで開かれている。今回が三回目で展示された作品は四十点。目出し帽をかぶって漁をする漁師や食障害で死んだ島民の葬儀、豚を海水で洗う若者、小学校で国旗を掲揚し国歌を歌う生徒たちの表情などが生き生きと撮られている。

 熊切さんのカオハガン島通いは、現地に住む崎山克彦さん(73)の誘いから始まった。東京の出版社を途中退社した崎山さんは、ダイバー仲間と遊びに来ているうち、この島が売りに出されているのを知り、一九九一年に一千万円を出資してオーナーになり移住した。崎山さんは観光客用の宿泊施設を建設する傍ら、島民の生活記録を残せないかと思い立ち、出版社時代に知り合った熊切さんに声を掛けたという。

 カオハガン島は周囲二キロの東京ドームほどの小さな島。美しいサンゴ礁と白い砂浜に囲まれ、人口は約五百人。ガスや水道はなく、雨水で薪を使って煮炊きする。電気も午後十時になると止まる。「何もなくて豊かな島」に共鳴した熊切さんは、今も年二回ほどカオハガン島を訪れる。「物質的には貧しくとも心豊かに暮らす人々の姿に魅せられた」という熊切さん。これからも写真を撮り続けたいという。(マニラ新聞コラム)

比の最強ボクサー

2008年09月22日 | コラム「ハロハロ」
 新聞社系の週刊誌「アエラ」と「読売ウィクリー」が最近、フィリピンのプロボクサー、マニー・パッキャオ選手(29)の特集記事を相次いで掲載した。両誌とも四階級制覇を達成した同選手のスーパーヒーローぶりを紹介、アロヨ大統領をしのぎ、いまや人気と知名度は世界的だと報じた。誌面の見出しも「アジアの英雄」「フィリピンの英雄」と同じような表現で同選手をたたえている。
   
 パッキャオ選手が四階級を制覇したのは今年六月三十日。訪米中だった大統領も「素晴らしい偉業」と勝利を称賛した。同選手のこれまでの戦績は47勝(35KO)3敗2引き分け。次回の試合は十二月六日、米ラスベガスで予定されているが、相手は六階級制覇の世界最強のボクサーといわれる米国のオスカー・デラホーヤ選手(35)。体格差などから無謀という声が上がる中で、報酬10億円以上が見込まれるビッグファイトが実現する。
   
 今年春、格闘技に魅せられた女性カメラマンに同行、マニラ首都圏郊外にあるボクシングジムを訪ねたことがある。ジムの自慢はパッキャオ選手が練習に通って来ることだという。会場の壁には同選手の大きなチャンピオン写真が誇らしげに飾られていた。「祖国の英雄」が見守る中で、ハングリー精神の若者たちが「第2のパッキャオ」を目指し、黙々と厳しいトレーニングに励んでいたのが印象的だった。(マニラ新聞コラム)

インターネット放送

2008年08月25日 | コラム「ハロハロ」
 NHKの衛星放送「「NHKワールド・プレミアム」がケーブルテレビや放送衛星を通じて海外で視聴できる時代になった。ニュースや情報、娯楽番組をはじめ、「大河ドラマ」「連続テレビ小説」「大相撲中継」「北京五輪放送」など日本国内とほとんど変わらない番組が放映される。時々、マニラに伺った折も、滞在ホテルなどで視聴できため情報収集に大いに助かっている。
   
 今月中旬、わが家の息子がウクライナ転勤になった。小学三年の孫を連れて一家で赴任した。出発前、ウクライナではNHKワールドが視聴できないので、インターネットに接続して日本のテレビ放送を受信する専用機器の設置を頼まれた。在留日本人は首都キエフを中心に百五十人前後、日本人学校もないというからNHKワールドが未整備なのも無理はない。慌ててシステム構築に取り掛かる羽目になった。
   
 サーバー用のベースステーション機器は弁当箱ぐらいのソニー製品。テレビ・アンテナと光電話回線を接続してルーター経由でインターネットに接続する。外部のパソコンに専用ソフトを入れると、海外、国内どこからでもテレビが視聴できる。設定料金を節約して取扱説明書と格闘しながら自力で設置した。外部からテストすると、東京の全テレビ局の放送が受信できた。すごい電子機器があるのに感心した。(マニラ新聞コラム)

比日系二世が集団帰国

2008年07月28日 | コラム「ハロハロ」
 集団帰国したフィリピン残留日本人二世の記者会見で、生い立ちを尋ねられた七十三歳の女性が突然、「見よ東海の空あけて‥」と軍歌「愛国行進曲」を歌いだした。一章節を一気に歌い終わると、「この歌は今でもしっかり覚えている」とはっきりした口調で応答した。ダバオ市にあった日本人学校で学んだが、父親は太平洋戦争中に死亡、四人の兄弟も戦後、逃避生活中に食糧難から次々と餓死したという。
   
 帰国直前に父親の戸籍が見つかった六十四歳の女性は父親の故郷、鹿児島を訪れ親族と対面した。出迎えた父親の弟と抱き合い、父親の遺影にすがり付いて泣いた。同行した支援者によると、女性は「戦後、父親に会いたいと思って生きてきた。墓参りができてこんなにうれしいことはない」と感激していたという。幸せだった家族は戦争で引き裂かれ、父親は日本に強制送還され死亡した。
   
 比残留日本人二世の集団帰国は今回で三陣目になる。民間支援団体の身元調査で、これまで八十三人が戸籍記載申し立てを済ませた。しかし裁判所から許可が出た二世はまだ七人にとどまっていいる。一時帰国者は滞在中、国会で議員連盟代表に直訴したり、上智大、早稲田大で開かれた公開講座に参加、比残留日本人の実情を訴えた。高齢化が進み、今後は時間との勝負になる。(マニラ新聞コラム)

最高裁が画期的判決

2008年06月23日 | コラム「ハロハロ」
 比女性の婚外子十人が求めた国籍確認訴訟の上告審判決で、日本の最高裁が久々に画期的な判断を示した。男児の単独提訴から六年。一審、二審の判決公判の度に取材を続けてきたが、最年長の子どもは今春、中学三年生になった。閉廷後、広い大法廷の中で歓声を上げて抱き合う母子たちを見て、思わず目頭が熱くなった。係官に退廷を促されても、母子たちはしばし勝訴の余韻にひたっていた。
   
 大法廷の傍聴人席は百六十人席ある。傍聴人が多ければ抽選になるが、この日は希望者全員がかろうじて入廷できた。傍聴できないことも考え、最高裁に事前に連絡して報道席を申し込んだが、これが一つ縄ではいかなかった。許可願いの文書まで提出させておきながら、最終的に許可できないと電話で伝えてきた。抽選になるケースも想定して大学生二人に声を掛け並んでもらった。
   
 判決文の入手にも苦労した。最高裁は当初、対応しそうなことをにおわせながら、結局断ってきた。原告弁護人に頼み込み、コピーをもらうことができたが、弊紙のような海外メディアは取材上、何かと制限されることを実体験した。司法記者クラブの会見も事前の取材申請が必要になる。狭いクラブ内はテレビカメラが並び、息苦しいほどだったが、母子の晴れやかな顔を見て苦労もすっ飛んだ。(マニラ新聞コラム)

比育ちの女子大新入生

2008年05月19日 | コラム「ハロハロ」
 今春、日本の大学に入学したフィリピン育ちの女子大生と東京・新宿駅前で待ち合わせた。お互いに顔も知らない初対面同士だったため、相手が見つけやすいように季節はずれの真っ赤なえり巻と大きな花粉防止用の白マスク姿で出掛けた。指定場所に着くと、土曜日の午後とあって大変な込みようだったが、間もなく携帯電話のベルが鳴った。お互いに位置を確かめ合いながら移動するうち、間もなく女子大生が笑顔で近づいてきた。
   
 この女子大生は日本滞在暦がまだ一年にも満たない十八歳のA子さん。フィリピンで鳩山邦夫衆院議員のチョウ鑑賞に同行中、高圧電線に触れて事故死したチョウ収集家の令嬢だ。マニラ新聞の報道で篤志家から届けられた義援金と手紙を手渡すのが目的だった。父親が事故死してから二カ月後、単身来日したA子さんだが、「一家が生きるためにこの選択肢しかなかった」と述懐する。
   
 来日してからの彼女の努力がものすごい。大学検定試験に一発で合格し、二年計画だった希望大学にもストレートで入学した。高校時代は父親によく反抗し、口論もしたが、日本に来て父親の友人関係の広さを知り尊敬し直したという。日比ボランティア関係の事務所で働きながら勉学に励んでいるが、「将来は日比交流に役立つ仕事に就きたい」と熱っぽく話してくれた。頑張り屋の彼女の奮闘ぶりを見守りたい。(富)