長野在住の82歳の友人が戸建て住宅を売ってマンションに引っ越すと連絡してきた。市内で売りに出された物件を冷やかしがてら見学に行って気に入り、即断即決したという。自宅の戸建て住宅を不動産屋に査定してもらったところ、土地が100坪あるので1千万円で売れると説明を受け、購入する気になったと話している。築44年の10階建てのマンションだが、駅まで5分、病院まで10分の好立地の地区にある。将来、車を手放すことを考えた場合、生活に好都合と判断したようだ。ちょっと驚かされたけど、引っ越しの英断に感心した。
平昌五輪の終盤に再び朗報が飛び込んできた。スピードスケートの女子マススタートで高木菜那が金、女子カーリングでLS北見が初の銅メダルを獲得した。日本のメタルは金4個を含め13個に上り、これまでの記録を大きく塗り替えた。フィギュアの羽生結弦はけがからよく立ち直った。精神力と気力に圧倒され、神がかり的な演技に息をひそめて見守った。スピードスケートの小平奈緒もすごい。まさにクロネコが標的を射止めるようなまなざしに声も出ない。息の合った団体追い抜きの高木美帆ら3人娘も素晴らしかった。
女子カーリングの3位決定戦は緊張のしっぱなしだった。高木菜那の金メダル獲得と重なり、喜びも倍増した。感動を与えてくれた選手たちに感謝。
運転免許証の更新に出掛け、府中運転試験場で新しい免許証の交付を受けた。有効期間は平成30年10月までの3年間だが、あらためて安全運転を心掛ける決意を新たにした。運転試験場も様変わりしていて、3年前まで免許証の交付場所は別棟だったが、今回は同じ棟の2階に新設され、便利になった。地下食堂で食事をしながら交付を待ったが、予定時間より早く電光掲示板の高齢者欄に引き換え番号が出た。
甲子園の高校野球が真っ盛りだが、勝ち進んでいるチームのメンバーに地元の県出身が1人だけと知りびっくりした、というメールが届いた。プロ野球のように外人(県外人)は3人以内とかにしたらどうかとも提案。高校野球のメンバーが地元出身者と思っているファンはいない。どこの出身だろうといつも勘ぐって見ている。ダル(東北高)や田中(駒大苫小牧)も大阪からの留学選手。
プロ野球の予備軍と見ていればいいではないか。そんな見方も聞かれた。それにしても夏休み期間というわけか、一段と薄くなった新聞紙面を見ると、朝夕刊とも甲子園一色だ。ちょっと異常じゃないか、と思う。
写真マニアの友人が晩秋の上高地の写真を送ってきた。紅葉シーズンも盛りが過ぎて、ちょっと遅かったというが、それでも河童橋から見た穂高連峰の紅葉写真はすばらしい。大正池や田代池も黄色や赤色の紅葉に染まっていた。東京から車を運転、日帰りで往復したというから、そのスタミナに感心した。我がほうも上高地行きを計画したが、宿など探しているうちに、今年も行きそびれた。
今年は長野県でマツタケが豊作だとテレビで放映していた。長野県居住の仲間の夫妻もテレビを見ていたらしく、今年は秋の味覚が食べごろだと、さっそくネットで調べたという。ところがコース料理だと、1人5千円から1万数千円もする。例年より安いといっても、これではちょっと手が出ないと躊躇。外食をあきらめ、街道筋で販売していた1本4千円のマツタケを購入したとメールで伝えてきた。マツタケの写真を添付してきたが、いや―、大きなマツタケでした。
2020年の夏季オリンピックが東京に決まった。東日本大震災の復興、デフレからの脱却、中国・韓国との関係修復など難問山積だが、ここは素直に開催を喜びたい。新国立競技場に聖火がともる7年後には80ウン歳を迎えるが、オリンピック開催が諸問題解決の大いなる推進役になることを期待しよう。ただ、安倍首相がプレゼンテーションで取り上げた福島原発の汚染水問題は国際的な約束事になった。後ずさりはできない。東日本大震災と原発事故をオリンピック開催に浮かれて風化させてはならない。安倍首相の今後の行動を見守っていきたい。
東京の三越日本橋本店で開かれた2012年報道写真展を孫と一緒に見に行く。報道34社のカメラマンが撮影した今年の記録写真展だが、最終日とあって会場は大変の込みようだった。ロンド五輪のコーナーでは、水泳やレスリング、卓球などあらためて日本選手団の素晴らしい活躍ぶりを思い出させてくれた。尖閣諸島で巡視船にハサミうちされる香港の抗議船、中国各地で起きた反日デモなどの写真は、大きなパネル見ると、新聞紙面では分からい迫力があった。東日本大震災から1周年、各地で追悼行事が行われた。取り壊される建物の壁に書かれたお母さん宛ての遺児の追悼文の写真を初めて見たが、書かれた内容に泣かされた。
東日本大震災発生からちょうど半年。死者・行方不明者が5千人超に上った宮城県石巻市近郊を訪れた。大津波を避けて多くの市民が避難した標高60メートルの日和山に上ると、廃墟となった市街地が一望できた。海の色は回復したのに市街地はまだ茶褐色におおわれたままだ。「大津波の被害を見届けよう」と仲間5人で出掛けた旅だったが、目の前に広がる惨状を見ると、全員があらためて大津波の威力に言葉を失った。海岸脇に立つ白い4階建ての石巻市立病院は大津波の直撃で廃墟と化し、隣の調剤薬局の入った建物は地盤沈下でできた「津波のたまり池」の中に崩れ落ちている。
地震発生時の午後2時46分、被害者を哀悼するサイレンが一斉に鳴り響いた。大津波に襲われたのはその50分後だ。北上川を渡って女川町に向かう途中、3階建ての校舎の窓がすべてぶち抜かれ、焼けただれた小学校が見えた。地震発生後、周辺住民が車で避難してきて津波被害に遭った。校舎の屋上に掲げられた「すこやかに育て心と体」のスローガンが痛々しい。
女川町に入ると、横倒しになったビルがいくつも目についた。大津波で倒されたというが、信じられないような光景が続く。地元民によると、横転したビルは引き波などでそのまま10メートル近く流されているという。海岸脇で横転していた4階建てのビルは1階が駐車場になっているが、赤い乗用車がのめり込んだまま、夕日に照らされていた。女川港の岸壁脇に建てられた大きな町立観光物産施設「マリンパル女川」も岸壁が沈下し、建物が海水に洗われている。
日本ユニセフ協会主催の「東日本大震災報告写真展」が東京・千代田区の東京国際フォーラム・ロビーギャラリーで始まった。新聞・通信社25社とプロ写真家21人が撮影した写真125点が展示されている。写真展企画に奔走したキュレーターの新藤健一氏(元共同通信カメラマン)によると、競争関係にあるマスコミやカメラマンが、このようなプロジェクトに一致して出展、協力することは異例のことだという。
「防波堤を乗り越え市街地を襲う黒い波」「がれきと化した現場に泣きながらたたずむ女性」。どれも息を呑むよう歴史の瞬間を捉えた写真が並ぶ。妻の遺体に夫が抱き付き、泥だらけになったほほをすり合わせている写真に泣かされた。妻は介護施設で最後まで入所者を避難させようとして津波にさらわれ、2日後に遺体で見つかった。カメラマンからこの写真を贈られた夫は「すべてが流され、この写真が夫婦の唯一の記録」と連絡してきた。
マスコミの垣根を越えて「伝えなければならない」(新藤氏)というカメラマンたちの使命感から始まった写真展。修羅場をかいくぐってきたカメラマンの意気込みがひしひしと伝わってきた。被災者の早期復興を願わずにはいられない。
平成生まれ初の関取で比人の新日系人力士、舛ノ山(20)が大相撲名古屋場所千秋楽の24日、十両の優勝決定戦に臨んだが、惜しくも初優勝を逃がした。しかし11勝4敗と大きく勝ち越し、来場所の幕内昇進は確実だ。優勝決定戦は舛ノ山と妙義龍が11勝で並び、妙義龍が舛ノ山を倒して優勝した。
舛ノ山は6日目まで3勝3敗と5分の成績だったが、7日目以降、快調に勝ち進んで9連勝。千秋楽には幕内前頭15枚目の富士東と対戦したが、惜しくも破れ、優勝決定戦にもつれ込んだ。東京・台東区の「千賀の浦部屋」でインタビューした際、「2年以内の幕内昇進を目指したい」と抱負を語っていたが、十両優勝は成らなかったが、新入幕に向けて大きく前進した。
団地の遊び仲間から東京・品川にある大井競馬場に誘われ、特別席で楽しんできた。夜間競馬を見るのは初めてだが、施設がきれいなのにビックリした。スタンドは6階建てで、地方競馬のスタンドとしては最大級の規模だとか。指定席には専用のテレビも据え付けられ、冷房も効いていて夕涼みには絶好のロケーションだった。
当初、レースが進んでも仲間の中から的中馬券が出ず、意気が上がらなかったが、最終レース前の第10レースで4人がグループ買いした3連単1枚(24,080円)が見事的中する大成果を挙げた。自動払い戻し機で馬券を換金し、大森駅前の仲間のおなじみの中華料理店で祝杯を挙げた。