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年長組奮闘紀行

後期高齢者の人生年長組員が勝手気ままに綴るほろほろ日誌

23年間続いたコラム終了

2017年06月13日 | コラム「ハロハロ」

マニラの邦字紙「マニラ新聞」では編集デスクが交代で執筆する「ハロハロ」というコラム欄がある。題材は筆者の自由で、中身はタガログ語でいう文字通りごじゃまぜのかき氷である。その23年間続いたコラム欄が先月で終了した。紙面拡充の一環として月曜版に設けられ、週1回、編集デスクが気ままに書き綴ってきた。昨年、退任するまで15年近くかかわっていただけに、終了を知ってちょっぴり懐かしさと寂しさが込み上げてきた。

最初のコラムは2002年11月に孫が通うマニラの「多国籍幼稚園」を取り上げていた。園児の国籍はフランス、ドイツ、アメリカなどさまざまだが、孫が2歳十カ月にして幼稚園では英語、自宅では日本語を使い分けているのを聞いてびっくした話を書いた。以後、1カ月1回のペースで書き綴り、保存ファイルを調べると、総計115本に上っていた。現職時代に書いたさまざまな部署でのコラムなども含めて、自分史の一コマとして冊子にまとめ記憶にとどめておきたい。


ごちゃまぜのハロハロ題材

2016年05月09日 | コラム「ハロハロ」

 通信社を定年退職後、20年近く編集デスク業務に関わってきたマニラの邦字新聞社を4月末で退任した。体力的にもそろそろ区切りの年齢と考えていた。80歳すぎまでボケずに過ごせたのも、日々緊張しながら生ニュースに接する編集業務に携わってきたからだと感謝している。この間、比残留日本人問題や新日系2世の日本国籍確認訴訟など長丁場の裁判取材などが続いたが、いまだに国籍もない日本人が大勢いることを知った。

 2008年に最高裁が下した国籍法違憲の判決が忘れられない。フィリピン人女性の婚外子10人が求めた国籍確認訴訟の上告審。閉廷後、最高裁の広い大法廷の中で、歓声を上げて泣きながら抱き合う母子たちを見て、思わず目頭が熱くなった。係官に退廷を促されても、離れようとしなかった。国籍法はこれまで婚姻関係のない日本人男性と外国人女性の間に生まれた子どもは出産前に認知しなければ、日本国籍を取得できないと規定していた。

 マニラ新聞では編集デスクが交代で執筆する「ハロハロ」というコラム欄がある。題材は筆者の自由で、中身はタガログ語でいう文字通りごじゃまぜのかき氷である。退任を契機に自ら執筆した原稿を整理したら、平成14年11月からほぼ月1回のペースで総計115本に上っていた。このブログにも毎回、転載してきたが、あらためて読み返してみると、自分史の記憶がよみがえって感慨深い。


フィリピン残留日本人の写真展

2016年04月28日 | コラム「ハロハロ」

 太平洋戦争でフィリピンに取り残された日系2世の写真展「フィリピン残留日本人」が4月15日から1週間、東京・港区の富士フィルムフォトサロンで開かれた。第25回林忠彦賞を受賞した大分県在住の写真家、船尾修さんの記念写真展で、5年間にわたって比各地で撮影したモノクロ作品60点が展示された。写真集の表紙になった高齢の姉妹や、フィリピン名に名前を変えて戦後を生き抜いた男性の肖像写真など日系2世の苦難の歴史が飾られていいた。

 船尾さんが日系2世の国籍回復問題を知ったのは、ルソン地方の世界遺産、イフガオ棚田などを取材で訪れた時だという。以後、ルソン、ミンダナオなど各地域に居住する日系2世を取材し、現在の境遇や暮らしぶりをモノクロフィルムで撮り続けた。比への渡航歴は09年から7回に及ぶ。戦後70年の昨年、ネットで賛同者から資金を調達するクラウドファンデングで、写真集「フィリピン残留日本人」の出版にこぎつけた。

 日系2世の民間支援組織による本格的な国籍回復作業が始まったのは03年からだ。日本財団の財政支援を受けてこれまでに168人の就籍が許可されたが、日系2世の高齢化が進み、身元確認作業は難航している。昨年7月には比日系人会連合会の代表団が來日し、安倍首相に協力を要請している。船尾さんは会場で「知らない日本人が多い中で、残留日本人の存在を知るきっかけになればうれしい」と話した。


外国人介護士の合格率向上

2016年04月12日 | コラム「ハロハロ」

 経済連携協定(EPA)に基づき訪日した外国人介護士候補者の今年の合格率が50%を超えた。全体の合格率が前年の60%台に届かなかったため、その差は7ポイントに縮まった。しかも初受験者だけの合格率をみると、同率の57・9%だった。介護福祉士試験は日本人でも難関で、過去28回行われた試験のうち、合格率60%台に達した年は4回しかない。あとはほとんど40~50%台で、28回の平均合格率は53・1%にとどまる。

 介護福祉士試験に比べ看護師試験は依然厳しい。外国人候補者の今年の合格率は11・0%だった。各候補者の在留期間は最長4年から5年だが、受け入れ施設側の研修事例報告(平成27年)の資料を見ると、候補者たちのお国柄や人柄が垣間見えて面白い。比人の特性について記述した項では「自分の意見をはっきり主張」「明るく大らかで人懐っこい」「面倒見がいい」「プライドが高い」「大丈夫が口癖」などとあった。

 インドネシア人の項では「意見を言わない」「恥ずかしがり」。ベトナム人は「自己主張が強い」「頑固で競争心」「勤勉」などを挙げた。共通点は「親を大切にすること」だが、お金の使い方では「家族に送金するのが楽しみ」(比人)、「自分のために貯蓄する」(インドネシア人)に分かれた。外国人候補者の受け入れでは、職員の協調性が向上し、将来の人材育成の見直しなどに役立っていると評価している施設が多いように見受けられた。


クルーズトレイン時代

2016年03月15日 | コラム「ハロハロ」

 豪華寝台列車で観光地を周遊するクルーズトレイン時代がやってくる。先行したJR九州の「ななつ星in九州」に続いて、JR東日本が来春、「トランスイート四季島」の運行を開始する。全室スイートの10両編成で定員は34人。東京駅構内に開業した予約制のギャラリーをのぞくと、20分の1サイズの車両イメージや模型が展示され、斬新さが目を引く。1車両に2室のデラックススイートには和室や、ひのき風呂まで設置されていた。

 九州7県と7両編成から名付けられた「ななつ星in九州」は、運行当初から大きな話題になった。2年半が経過しても人気は衰えず、今年4~9月出発の予約件数は平均で26倍。最高倍率のスイートは193倍に達した。旅行代金は3泊4日コースで1人80~85万円と高額だが、JR九州によると、リピーターの申込組が21%を占めたというから驚く。こんな豪華な旅を楽しめる利用客がうらやましい。

 寝台専用列車の思い出としては東京―博多間に登場した初代ブルートレインの「あさかぜ」が懐かしい。北九州に赴任していた当時、よく利用する機会があった。2等寝台の1ボックスは定員6人で、片側3段式の折りたたみ寝台仕組み。冷暖房の空調設備が初めて導入され、「走るホテル」などともてはやされた。ブルトレの愛称で親しまれたが、昨年8月に引退した「北斗星」(札幌―上野)を最後に定期運行からすべて姿を消している。(コラム「ハロハロ」)


仲間の悲報にがく然

2016年02月14日 | コラム「ハロハロ」

 団地の仲間が帰宅途中に駅のホームから転落、特急電車にはねられ死亡した。定年を1カ月後に控え、第2の人生設計の準備に入った矢先の事故だった。世話好きで誰からも親しまれ、初孫の誕生を人一倍喜んでいた。酔った姿を見せたことがないほどの酒豪で、会合に焼酎の特大ボトルを持ち込み、みんなを驚かせたこともある。通夜に配られた「追想のしをり」を読むと、奥さんや家族の無念さが痛いほど伝わってきた。

 ホーム転落事故で思い出すのは東京のJR山手線新大久保駅で起きた事故。転落した男性を助けようと日本人カメラマンと韓国人留学生が線路に飛び降り、3人とも電車にはねられ死亡した。事故発生から15年目を迎えた先月26日には、韓国から両親らが来日し、現場を訪れて花を手向けた。「人身事故で運転中止」。こんなテロップがテレビで流れると、仲間の事故以後、やけに気になるようになった。

 事故後、新大久保駅をはじめ山手線全駅に転落防止の可動式ホームドアの設置工事が進められ、今年3月末までに予定駅での設置を完了するという。しかし、多額な費用負担などから設置に向けて鉄道各社の動きは鈍い。仲間が事故死した鉄道では本線32駅のうち、ホームドアがあるのは4駅にとどまる。その間にも転落事故は後を絶たない。国土交通省によると、14年度は227件発生し、34人が死亡、いずれも前年度を上回った。


初詣のおみくじ明暗

2016年01月18日 | コラム「ハロハロ」

 全国紙のコラムに女優が執筆した「おみくじの話」に痛く同情した。京都の神社で大凶を3回も連続して引き当て、さすがにめげたという話だ。わざわざ参詣に来たのに大凶はないだろうと、再度引くとまた大凶。もう引き下がれないと3回目に挑戦したら、また大凶というから怒りたくもなる。以後、おみくじを敬遠してきたが、今年の初詣で何年ぶりかに引くと、予想もしていない大吉が出た、と喜んだ。

 このおみくじ話、同じような苦い体験談を昨年、知り合いから聞いたことを思い出した。東京の寺院で初詣におみくじを引いたら、3回も連続して凶が出た。縁起が悪いと境内の別の場所で4回目を引いたところ、また凶だった。テレビの特番では5回連続して凶が出たと嘆いていた人もいた。聞く方は笑い話で済むが、3回も4回も連続して大凶や凶に取り付かれたら、けたくそ悪いし、正月の気分も良いはずがない。

 今年、わが家も2カ所の神社に初詣に出掛けた。気を引き締めておみくじを引くと、最初が大吉、2カ所目が吉。家内も吉と大吉を引き当ててご満悦だった。吉の2枚は神社が違うが、番号は同じで「36番」。珍しいと思って中身を読み比べると、運勢から占いまで縦横の紙片の違いはあるが、文面は全く同じ。吉凶の順序や箱に入れる比率は神社ごとにまちまちともいわれるが、別々の神社の同一番号を見たのは初めてだ。


平均年齢80歳の読者層

2015年11月18日 | コラム「ハロハロ」

 マニラ新聞など邦字紙・放送22社が加盟する海外日系新聞放送協会の年次大会が東京で開かれた。南米や北米、ヨーロッパ、アジアなどから代表が参加、最近の海外メディア事情や経営環境などの動向を報告、意見を交わした。

 近況報告では、多メディアの普及で、各加盟社とも対応に苦慮している様子がうかがえた。創刊70周年を迎えたブラジルの邦字紙は、部数の減少傾向が止まらない環境変化の一端を話した。高齢化が進んで購読者の平均年齢は80歳を超え、日系2~3世の世代では、活字離れが進んでいると嘆いた。マンションの広告を出しても反応がなく、医者や補聴器など高齢者向けの広告が多いという。

 「新聞発行を続ける勇気が出た」と報告したのは創刊37年のカナダの邦字紙。地元で慰安婦像建立問題が起きた時、反対する日系カナダ人らの動きを丹念に紹介。インタビューした市長から「建立許可は未定」との発言を引き出した。この間、新聞社には激励の声が相次ぎ、週刊発行の新聞が売り切れる日も出たという。女性社主は「日系メディアの大事さをあらためて痛感する出来事だった」と述懐した。


人気の自治体商品券

2015年08月25日 | コラム「ハロハロ」

 平成27年度政府予算に計上された「地域住民等緊急支援交付金」を活用した地方自治体発行の商品券が人気だ。1冊1万円で2千円のプレミアム(割増金)が付く。地元の自治体でも2日間に分けて発売したが、いずれも1時間もたずに予定冊数(2億4千万円)を完売した。1人5冊までの限定販売だったが、早朝から長い行列ができ、購入できなかった市民が係員に抗議するなど大騒ぎになった。

 発売初日、正午前に会場に着くと、入り口の道路は駐車場の空き待ち車両で大渋滞。激しい雨の中、傘をさした購入者がどっと押し掛け、百メートル近く離れたバス道路付近まで続いた。近くの飲食店で時間を費やし、のんきに構えて出直したところ、市職員から発売直後に早々と完売したと告げられた。次回に期待するしかないと、騒ぎをよそ見して退散したが、市長が後日、市広報を通じ見通しが甘かったと陳謝した。

 商品券と組み合わせてプレミアム旅行券をコンビニなどで売り出した自治体もある。5千円の旅行券が1万円分の宿泊費や観光施設などの支払いに利用できる。いずれも発売した自治体内の施設、店舗等での限定使用になるが、億単位の金券が地域内で確実に消費されるとあって、経済効果を期待する業者は多い。知恵を絞って、これから売り出す自治体もあるが、どこも発売方法をめぐって苦慮しているようだ。(コラム用)


学童集団疎開の記憶

2015年07月11日 | コラム「ハロハロ」

 太平洋戦争中、山形県の温泉街に学校ぐるみで集団学童疎開したが、最近、当時の生活や学習状況をまとめた資料集を作成、保管されていることを知った。集団疎開の記録を保存しようと、小学校のあった東京都江戸川区が学校関係者からの実情報告などを基に編さんした。終戦まで1年余りの集団生活だったが、取り寄せた資料集を読んで、あらためて毎晩、シラミやノミと格闘しながら寝たほろ苦い記憶がよみがえった。

 江戸川区は東京大空襲に備え、慌ただしく集団学童疎開計画を立案し、短期間で実行したことが分かった。記憶にはないが、東京を出発したのは、終戦のほぼ1年前の昭和19年8月17日。全員が駅頭で泣きながら肉親との別れを惜しんだとあった。山形県が江戸川区の全小学校を受け入れ、児童2千人近くが県内8地区の温泉旅館などに収容された。在校の小学校は温海温泉(現・あつみ温泉)の大きな老舗旅館が割り当てられた。

 各地区の日常生活は一日の生活・学習状況を時系列で紹介している訓導(現・教諭)の記述などから推察できた。関係者が食料の調達にも奔走した苦労もうかがえた。ただ、残念ながら収容された温海温泉関係は1人の訓導しか資料集に寄稿していないため、詳しい生活状況は再確認できなかった。温泉街近くの神社には学童疎開記念碑が建立されているという。機会をみて訪ねてみたいと思う。 (平成27年7月6日、コラム)


長い裁判闘争が終わった

2015年04月19日 | コラム「ハロハロ」

 日本国籍を喪失した比国籍の子供たちの長い裁判闘争が終わった。提訴してから5年余、国籍回復の願いは最高裁に届かなかった。民事訴訟の判決言い渡しは、毎回あっけない。主文だけを読み上げて閉廷する。その間、1分にも満たない。裁判官5人が入廷した後、報道写真とテレビ撮影の時間が2分間設定されていたので、静まり返った法廷では沈黙時間の方が長かった。傍聴人は10人足らず、裁判官はほとんど表情を変えない。

 7年前、大法廷で開かれた別の婚外子国籍訴訟の判決場面を思い出した。訴えを棄却した二審判決を破棄し、国籍法の婚外子認知規定を違憲と初判断、婚外子10人の日本国籍を認める原告勝訴の判決が出た。傍聴席を埋めた支援者らの間に喜びの表情が広がり、閉廷後の大法廷は原告の子供と母親たちの歓喜の声と涙で埋まった。法令違憲は戦後8例目とあって、傍聴人が抽選になると知らされ、紹介された大学生に並んでもらった記憶もある。

 判決後、原告代理人の弁護士と弁護士会館で落ち合った。「簡潔なペラペラな内容ですよ」と言って、A4版4枚足らずの判決コピーを手渡してくれた。勝訴した婚外子国籍訴訟で知り合ってから約10年、いろいろとお世話になった。一、二審の口頭弁論では閉廷後に準備書面の交換内容などを丁寧に説明してくれた。「もう会う機会もないでしょうね」と言って別れたが、勝訴して再び喜びの声を聞きたかった。(コラム)


幻想的な夜桜と天の川

2015年03月11日 | コラム「ハロハロ」

 寒い日々が続く東京を離れ、伊豆半島に泊まりがけで早咲きの桜見物に出掛けた。東海岸など2カ所で開催中の「桜まつり会場」を訪ねると、川沿いに植えられた河津桜がちょうど満開を迎え、一足飛びに春の風景を楽しめた。早咲きの桜には黄色い菜の花がよく似合う。両会場とも土手や川辺に咲き乱れる菜の花と桜の濃い桃色のグラデーションが鮮やかだった。大勢の観光客と一緒に桜のトンネルをゆっくり散策した。


 河津桜はソメイヨシノなどと違って開花期間が長い。咲き始めてから1カ月近くかけて満開になる。ただ、開花時期が気候によって毎年微妙に変わるため、1週間ぐらいずれることもあるという。祭り関係者やツアー観光客泣かせの桜でもある。町役場近くに河津桜の原木が保存されていると聞いて立ち寄った。樹齢50年から60年にもなるという古木だが、あふれるばかりの満開の花びらで覆われていた。

 

 夕食後、今年が3年目という夜のイベント「夜桜☆流れ星」に参加した。流れ星に見立てた球体「いのり星」5千個が上流から放流され、瞬く間に広い川面が青色に染まった。太陽光蓄電式のLEDを使用した小さな光る球体は、着水すると自動点灯し輝く。ライトアップされた両岸の桜並木に包まれながら、下流まで500メートルにわたって「天の川」が出現した。昼間と違う幻想的な夜桜風景に出会えた。(15/3/3 コラム)


東京駅100年の記憶展

2015年02月04日 | コラム「ハロハロ」

 東京駅が開業100周年を迎えた。装いも新たに建設当時の姿に復元された駅舎のドームを眺めると、透き通るような八角形のドームの天井がまぶしい。カメラを向けても超広角でないと干支(えと)レリーフの全容が収まらない。床に寝そべれば楽だが、改札口の通路ではそれもできない。長野県小布施町の寺で21畳敷きもある天井に描かれた葛飾北斎の大作「大鳳凰図」を床に寝て鑑賞したことを思い出しながらドームを眺めた。

 駅舎内にある東京ステーションギャラリーでは「東京駅100年の記憶」展が開かれている。東京駅誕生の過程や紹介資料の展示のほか、開業当初と50年後の1964年、そして100年目の駅舎周辺を再現した3点の大きなジオラマが目を引く。開業当初の駅周辺は赤レンガの駅舎のほかになにもない。延々と野原が広がるだけだが、今は超高層ビル群に埋め尽くされ、その変わりように驚かされる。

 復元工事が始まる8年前、「建築」と「都市環境」を考えようと大手建設会社がアマチュア・カメラマン百人が撮影した写真展「100人の東京駅」を開いたことがある。デジカメ全盛時代に全員にフィルムカメラを渡し、東京駅の1日を撮影させた。新幹線ホーム、地下通路、赤レンガ駅舎などアングルはさまざまだったような記憶があるが、超高層ビル群に埋まる丸の内側の東京駅舎の風景など想像もできなかった。(15/02/02 マニラ新聞コラム)


遅れる国籍確認訴訟判決

2014年12月31日 | コラム「ハロハロ」

 日本人父と比人母の間に生まれた嫡出子(婚内子)18人が提訴した国籍確認訴訟の最高裁判決が遅れ気味だ。6年前の婚外子の国籍確認訴訟では、上告後1年で原告勝訴の国籍法違憲判決が出た。しかし今回は上告してから1月で丸2年になる。最高裁は下級審の憲法判断を見直す場合、審理を小法廷から裁判官全員で構成する大法廷に回付し、口頭弁論を開くのが慣例だ。関係者にとって最高裁からの通知が待ち遠しい日々が続く。

 高校生の佐藤マサミさん(17)は前回の訴訟で日本国籍を取得した元原告団の一人だ。10月に東京で開かれた支援団体の設立20周年記念集会に姿を見せ、支援した弁護士と一緒に当時の心情を話した(写真)。状況がよく分からない中で、一番びっくりしたのが小学校時代に友人から「教科書に写真が載っている」と知らされた時だったという。会場に展示された教科書を見ると、違憲審査制の記述の中で笑顔の佐藤さんの新聞記事が掲載されていた。

 この最高裁の違憲判決以後、婚外子でも出生後に父から認知されれば、日本国籍が取得できる道が開かれた。しかし一方で、判決は嫡出子たちの日本国籍喪失の実態を顕在化した。両親が生後3カ月以内に在外公館に出生届を出し、日本国籍留保の手続きをしなかったためだ。口頭弁論で「制度を知らなかった」「兄姉と同じ日本旅券がほしい」と意見陳述した原告らの願いは届くのか。最高裁の憲法判断を見守りたい。

14/12/29  マニラ新聞コラム)



世界一周105日間の船旅

2014年11月24日 | コラム「ハロハロ」

 ピースボートによる世界一周の船旅を楽しんだラジオ体操仲間が105日間の航海を終えて帰国した。7月に横浜を出港してハワイ~中南米~欧州~中東~アジアを周航。寄港地は22カ国に上る。乗船客は820人。早朝に入港して観光地めぐりをした後、一部を除いてほとんど同日夜に出港するスケジュールを繰り返した。2段ベットの4人相部屋で一人旅だったというが、今回の船旅が81歳にして6回目と聞いて驚いた。

 3カ月半の航海中、毎日どんな生活をしていたのか。興味津々の仲間たちが集まって体験報告を聞いた。船内では日刊新聞が発行され、太極拳や大道芸、ウクレレ、ダンス、映画祭などさまざまな催事予定が分刻みで告知された。航海中は新聞を見てからその日の行動を決めるのが日課だった。ご当人は鴨長明の「方丈記」を持ち込み、催事の合間に読書会を開き、日本文学の古典談議に花を咲かせたという。

 気になる旅行代金を聞くと、最高クラスの個室だと300万円もするが、4人相部屋では129万円だったとか。乗船客の部屋割りでは、主催者側も一番気を遣うらしく、いろいろ配慮しながら決められていたようだという。食事は朝夕ともバイキング形式。野菜料理が多く、全く不自由しなかった。2年後に早くも北欧周遊の船旅を計画しているというから、体操仲間がうらやむ「船旅依存症」は今後も治りそうもない。

(14/11/24  マニラ新聞コラム)