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年長組奮闘紀行

後期高齢者の人生年長組員が勝手気ままに綴るほろほろ日誌

「故郷を離るる歌」を歌う

2013年04月02日 | コラム「ハロハロ」

 長野県に住む友人が地元紙の投書欄に掲載された新聞の切り抜きを送ってきた。通信社で一緒に苦労を共にした仲間の投書で、定年後に晴耕雨読の生活を夢見て故郷に建てた小屋を撤去したとの内容だった。「夢を見たのだから」と東京の家族も賛同、健康を損ねて信州往復が不自由になった身を考慮し、決断したとあった。さら地になった北アルプスを望む高台に立って、ドイツ民謡の「故郷を離るる歌」を口ずさんだと結んでいた。

 別れの歌で思い出すのは、さとう宗幸の青葉城恋唄。仙台支社に赴任中、よく聞かされた。カラオケ装置がテープ時代で、もちろん映像などもない。小冊子の歌詞カードをめくりながら、カウンター酒場などで覚えた記憶がある。仙台駅では発車チャイムの定番曲に使われ、転勤族の乗った特急列車などが発車するたびに流された。やがて東北新幹線が開業したが、今でも在来線のホームで発車メロディーに使われている。

 春は別れと旅立ちの季節。NHKが先日、旅立つ季節の歌」を特集した。取り上げたのは「いい日旅立ち」「贈る言葉」など懐かしい昭和時代の歌謡曲。谷村新司や海援隊の武田鉄矢らが出演して熱唱した。「いい日旅立ち」は山口百恵の代表作の一つ。国鉄時代の旅愁を誘うキャンペーンソングとして大ヒットした。その後、JR西日本用の「いい日旅立ち・西へ」がリリースされ、こちらも山陽新幹線の車内チャイムなどで聞けるという。(13/4/1)


老眼のパソコン専用眼鏡

2013年01月22日 | コラム「ハロハロ」

 正月休みに遊びに来ていた高校生の孫娘に驚かされた。近くのデパートに連れて行くと、いきなり声を上げて走り出した。何事か、とあっけにとられていると、専門店街の格安眼鏡チエーン店に駆け込み、カウンターに積んであった商品カタログの小冊子に飛びついた。表紙を飾っていたのは人気グループ「嵐」の写真。熱烈ファンという孫娘は、思いがけない場所で憧れのアイドルの資料を手に入れ、しばし興奮の体だった。

  「嵐」といっても正直、NHKの紅白歌合戦の白組司会者に選ばれたぐらいの感覚しかなかった。「嵐」の一人がこのチエーン店の小冊子に起用されると、写真と同型の眼鏡欲しさに、新幹線を利用して買に行ったというファンの話まで聞かされた。孫娘の昨年のクリスマス・プレゼントもライブを収録した新発売のDVDだった。その「嵐」のDVD売上総枚数、なんと7百万枚を超えるとか。人気のすごさに驚いた。

 この格安眼鏡店では開店直後にパソコン用眼鏡を購入していた。ブルーライトをカットし、目に優しいとTVでも宣伝していたからだ。しかし、追加料金を払って遠近両用にしたのがまずかった。日常の生活時には全く支障ないが、パソコンは下半分の老眼レンズを見続けながらの作業になる。これはなかなか難儀で、逆に疲れる。あらためて老眼専用のパソコン用眼鏡を買う羽目になった。孫娘たちの「嵐」騒ぎを笑えない。(13/01/21)


海外日本情報の発信強化

2012年12月17日 | コラム「ハロハロ」

 横浜市のJICA国際センターで開かれた海外日系新聞放送大会に出席した。マニラ新聞など海外の邦字紙・放送局23社が加盟する海外日系新聞放送協会が主催し、各社の経営動向や統一テーマによる特集記事の企画などについて意見交換した。ネットの普及で各社とも多メディア発信を模索する中で、シンガポールを拠点に週刊紙等を発刊している加盟社は、近くIPTV事業に乗り出すと報告した。

 事業会社には日本の民間テレビ局や大手広告会社、出版社などが資本参加し、シンガポールを基点にブロードバンド回線を使って日本のテレビ番組やイベント行事などを発信するという。映像に翻訳した現地語の字幕を入れ、普及が著しいスマホなど携帯端末の顧客も取り込む。サービス範囲はシンガポールのほか、ベトナム、マレーシア、フィリピンなどアセアン地域を対象に進めていると話していた。

 世界の中で日本関連の報道件数が年々、低落傾向にあるといわれる。大会で特別講演した元サンパウロ総領事で国連広報担当事務次長を務めた赤坂清隆氏は、政府広報予算が6年間で半減し、東京駐在の外国メディアもピーク時から4割減になったと指摘した。シンガポールでのIPTVの活躍に期待したい。(12/12/16)

 

らくらくスマホに機種変更

2012年11月10日 | コラム「ハロハロ」

 操作が簡単な携帯電話「らくらくホン」をスマートフォン仕様に機種変更した。データ送受信が使い放題で、普通機種のスマホ基本料金より3千円近く格安という通信会社の売り込みに乗せられた。画面はアプリや絵文字が大きく、誤作動防止のため、枠ボタンを強くプレスしないと次に進めない。ターゲットはスマホ初心者や高齢者相手のようだが、有料、無料の危険領域に入れないよう新アプリのダウンロードができない。

 機種変更当初、振り込み詐欺まがいの迷惑メールに悩まされた。課金を気にしない定額制ということで、安易にインターネットに接続していたせいもあるが、早朝から夜半まで、ほぼ1時間おきにメールが届いた。高額賞金が当たったので「口座番号を連絡しろ」などと執ように要求していくる。締め切り日時を指定し、「早く、早く」と仮想当選者をせきたてる。操作方法を聞いて受信拒否設定を変更すると、ぴたりと止まった。

 スマホに変更して利便性は抜群だが、一歩押し間違えると、大きな落とし穴にはまると実感した。機種変更当初、アプリを追加できないスマホは「スマホじゃない」とばかにしていたが、最近とんでもない不正事件が明るみに出て驚かされた。無料アプリに罠(わな)が仕掛けられ、利用者の個人情報が抜き取られたという。巧妙な手口を知って、アプリの追加できない機種変更が正解と納得。(12/11/05)


緊急救援用の情報キット

2012年10月02日 | コラム「ハロハロ」

 地方在住の友人が地元紙のコラムで紹介されていたという川柳を送ってきた。「LED使い切るまで無い寿命」。全国有料老人ホーム協会が「敬老の日」に募集しているシルバー川柳の入選作とか。読んで思わずニヤリとしたと添え書きがあった。ご本人は、たまたま数日前に量販店で安売りのLED電球を買い込み、白熱電球と交換した矢先だったという。「買い替え不要」の書きっぷりが、ひと際身に染みたというわけだ。
   
 「敬老の日」の週末に地元市役所から緊急救援用の「救急医療情報キット」が届いた。筒状プラスチック容器の中の「緊急・防災シート」に病院の診察券や保険証、常用薬リスト、顔写真などを記入し、冷蔵庫で保管と説明書きがあった。冷蔵保存に戸惑ったが、緊急の際に救援隊が確実に発見しやすい場所が家屋の冷蔵庫ということだった。さっそく玄関扉の内側と冷蔵庫にシート保存の救急ステッカーを張った。
   
 そんな世相を反映してか、シニア層相手の新商売が花盛りだという。テレビ番組の受け売りになるが、水がいらない冷凍餃子や、おしゃれ洋品、レンタル店でのDVD1枚無料サービスなど。若者の遊び場だったゲームセンターも畳の談話コーナーを設けてシニア層を呼び込む。海外ツアーも激戦区だ。トルコ10日間遺跡ツアーに単身で参加した先輩が先日、旅の思い出話を披露した。シニア層の元気さを実感。(2012/10/01)


五輪感動ありがとう集会

2012年08月27日 | コラム「ハロハロ」

 テレビ観戦で寝不足が続いたロンドン五輪が閉幕した。史上最多のメダリストが誕生した日本選手団。帰国後は各地で祝勝イベントが続く。先週、地元の東京・多摩市で市内に住む女子柔道57キロ級の金メダリスト、松本薫選手らの「感動ありがとう集会」が開かれた。男子柔道が金メダル・ゼロの屈辱を味わう中で、松本選手の鬼気迫る独特なしぐさと、闘志むき出しの試合運びに一喜一憂したことを思い出した。

 金メダルを下げて会場に姿を見せた松本選手は「優勝を決め初めて畳の上で泣きました」とあいさつし、大喝采を受けた。もう、そこには試合中に見せた「野獣」と書き立てられた険しい表情はない。同席した新体操選手からリボンを渡されると、照れくさそうに演技するなどひょうきんな一面も。「五輪で得たものは」と聞かれると「野獣と言われたことが私の思い出です」と言って笑わせた。

 男子柔道100キロ超級に比代表として初出場した保科知彦選手も閉会式まで楽しんでマニラ経由で日本に戻った。試合は1回戦で敗退したが、保科選手に電話を入れと「悔いが残る試合だったが、何にも替え難い経験になった」と元気な声が返ってきた。同じ境遇にいる後輩たちの励みにもなったと喜ぶ保科選手だが、これからは顧問をしている高校柔道部を全国大会に出場させるのが夢だという。朗報を期待したい。(12年8月27日)


格安航空で韓国に飛ぶ

2012年07月18日 | コラム「ハロハロ」

 成田空港に1年前に乗り入れた韓国の格安航空会社(LCC)「イースター航空」を利用して仲間3人とソウルに飛んだ。使用機材は両側3列のボーイングの新鋭機。定員を増やすため座席幅が狭いと聞いていたが、思ったより気にならない。客室乗務員は3人。食事の提供はなく、希望者にはジュースと飲料水が配られた。コーヒーなど飲食物はすべて有料で、缶ビールはおつまみ付きで500円。
   
 経費節減のため事前にチケットなどは発行されず、旅行会社の案内書とパスポートを提示してチェックイン。荷物は1人15キロ制限で、オーバーすると有料になる。後発の航空会社だけに受付カウンターや出発待合室は成田、仁川両空港ともターミナルビルの一番はずれだ。2時間半のフライトだったが、両空港とも定刻発着で、機内はほぼ満席。韓流ブームでLCC利用のリピーターが一段と急増していると聞いた。
   
 LCCの日本国内線就航も相次いでいる。全日空系のピーチ・アビエーションに続いて日本航空系のジェットスター・ジャパンも7月、成田を拠点に新千歳、福岡、那覇などを結ぶ路線を開設。8月にはさらにもう1社が参入する。中国、韓国などのLCCも続々と乗り入れて低価格競争が激化。ただ、1機当たりの機材をフル稼働するため、ジェットスター・ジャパンの最終便が初日から欠航するなどLCCの弱点も垣間見た。(12年07年16日)


集合住宅の大規模修繕工事

2012年07月02日 | コラム「ハロハロ」

 わが家が住む集合住宅が大規模修繕工事の真っ最中だ。老朽化防止の10年に一度の大掛かりなリニューアル工事で、建物全体に足場を組み、仕上げまで約6カ月間の工程表で始まった。この間、建物が工事用シートで覆われ、洗濯もままならない。外壁塗装やベランダなどの防水工事と並行して台所やふろ場、トイレなどの排気ダクトの洗浄・改修工事も実施した。東日本大震災の復興工事で職人不足のせいか、外国人の職人も目に付く。
   
 住人の不都合にも増して施工業者を泣かせているのが今年の異常気象だ。季節外れの寒気団がしばしば南下し、午後になると雷雲が発生、大雨に見舞われる。塗装、防水工事は雨水が天敵。乾燥前に水をかぶると、再塗装になるため工事責任者は連日、天気図とにらめっこの日が続く。梅雨入り前の完成予定が1カ月以上も延期になり、うっとうしい工事用シートが4カ月以上も覆われたままだ。
   
 同じニュータウンの中で、全国でも初めての最大規模の団地建て替え工事が進行中だ。5階建て23棟を取り壊し、11~14階建ての7棟の高層住宅に生まれ変わる。分譲団地の建て替えモデルケースとして注目されているが、管理組合総会でゴーサインが出るまで20年近くかかった。高齢化が進む中で集合住宅の維持・管理をどうするか。わが方の管理組合でも将来を見据えた長期修繕計画談議が華やかだ。(12/07/01)


願い届かず請求棄却

2012年04月11日 | コラム「ハロハロ」

 比国籍の子どもたちの願いは届かなかった。日本国籍の回復を求めて提訴して2年余。東京地裁は原告26人の訴えを退けた。雨が降りしきる中、期待を込めて比から駆けつけた原告と父親らの無念さを思うと、法廷で慰める言葉もなかった。判決理由を朗読しない民事事件の判決は主文だけの言い渡しで閉廷するが、今回も開廷後、1分足らずであっけなく終わった。ぼう然とする原告や関係者をよそに、法廷ではもう次の裁判が始まる。
   
 判決後、記者会見した原告父子らに「なぜ手続きをしなかったのか」と質問が飛んだ。父親は「国籍法の3カ月規定を知らなかった」と言ってうつむいたが、自らの手落ちで子どもの日本国籍を喪失したことに、自責の念が消えたことはないという。姉妹で国籍が違う原告の長女は「私は日本人としての権利がある」と気丈に答えた後、感極まったのかハンカチで涙をぬぐった。
  
 結審の弁論に続いて来日した別の父親は原告らが思い切り陳述できない裁判の仕組みに何度も不満をあらわにした。弁護士らから説明を受けても腹の虫が治まらない。記者会見では努めて冷静に対応していたが、「皆さんも私たちと一緒の目線で見てほしい」「処罰するなら子どもではなく、私を処罰してほしい」と苦しい心境を吐露した。法律の厚い壁に阻まれ、どうにもならない父親の悲痛な叫びと受け取った。(12/04/10))


わが人生に悔いなし

2012年02月19日 | コラム「ハロハロ」

 食道がんが見つかり手術した。入院当日に内視鏡で切除し、3日目に早々と退院した。入院前、団地の仲間たちに粋がって「がん宣言」すると、壮行会まで開いて激励してくれた。1週間以上の入院を覚悟していたが、主治医から3日目に「退院OK」と言われ正直、拍子抜けした。がんの手術は今回が初めてではない。15年前から下咽頭、前立腺を合わせると計5回になる。どういう訳か、「がん回廊」から抜け出せない。
   
 退院して間もなく、白血病と闘い続けた仲間が亡くなった。奥さんによると、前日まで看護師たちと明るく世間話をしていたという。最期まで苦しまなかったらしく、きれいな旅立ちの顔だった。小学生の孫が自慢の好々爺(や)で、遊びに来ると、いつも滞在中の予定表を楽しそうに作っていた。告別式では終始泣くじゃくっていたお孫さんだったが、最後のお別れの献花になると号泣し、もらい泣きした。
   
 会社の元上司が弔辞の中で故人との生前の会話を明かした。「孫が中学生になるまで生きらるか」と聞くと、主治医は「それは無理だよ」との冷酷な返事だった。直前まで奥さんに感謝し、孫の行く末を案じていた。カラオケが好きで、麻雀が強かった。持ち歌だった裕次郎の「わが人生に悔いなし」の曲が式場に流れ、参列者全員で合唱した。「切除できるがんはいいよ。白血病は取れない」。「がん仲間」の言葉が身に染みる。(12/03/04)


水泳教室でクロール特訓

2012年02月01日 | コラム「ハロハロ」

 恥ずかしい話だが、プールで水中に潜れてもほとんど泳げない。クロールでせいぜい5メートルも泳ぐと、息切れして後が続かない。孫とプールに遊びに行って、「50メートルコースで往復ぐらできないと恥ずかしいぞ」とはっぱを掛けてはみたが、自分が泳げないのでは話にならない。宴席でそんな笑い話をしたら、友人から水泳もゴルフも一緒で、基本を覚えないと上達しないと説教された。

 その友人が調べてくれたのか、間もなく近くの市営室内プールで水泳教室が開講されるというメールが届いた。週1回て計8回の講習、参加費は6千円。初級コース受講の場合、クロールで25メートルまで泳げるよう指導するのが講習目標とあった。電話で問い合わせると、「水泳に年齢は関係ありません」と担当者に励まされ参加する羽目に。初日、プールサイドに集まった受講者は14人。男性は高齢者3人だけだった。

 受講して戸惑ったのが、息継ぎの訓練だ。空中で口から息を吸い、水中で鼻から息を出す。そんな呼吸方法も知らなかった。毎回、歩行訓練をしながら途中で水中に潜る息継ぎの基本を繰り返し仕込まれた。全身を伸ばした浮上姿勢が続かないのにも苦労した。ビート板を使ったバタ足練習に入ると、蹴っても蹴ってもなかなか前進しない。水泳教室終了後も25メートル完泳を目指して苦闘が続いている。(12/01/30)

 

国籍確認訴訟が結審

2011年12月19日 | コラム「ハロハロ」

 日比夫婦の間に生まれた嫡出子の国籍確認訴訟が結審した。第1陣の口頭弁論開始から1年10カ月、原告27人にとっては長い道のりだった。第1、2陣訴訟が併合されて合計11回の口頭弁論が開かれたが、審理の過程を見ようと毎回、東京地裁に通った。第1、2陣訴訟とも提訴後に口頭弁論では原告の父子がフィリピンから来日し、法廷で意見陳述したが、2回目以降は双方の準備書面と答弁書の交換で終始した。

 行政訴訟は口頭弁論で書面審理に入ると、傍聴人には進行具合が全く見えない。双方の主張、反論は毎回、事前に書面で提出され、それを基に裁判長が争点を絞っていく。裁判長が法律上の論点と事実関係について質問し、40分近く審理した法廷もあったが、通常は10分程度で閉廷した。審理の中身が分からないため、閉廷後に原告代理人に途中経過の説明を受けることが多かった。

 最終弁論の法廷には原告の父親1人がフィリピンから駆けつけた。意見陳述しようと法廷に乗り込んだが、裁判長が早々と終結を宣言し、希望はかなえられなかった。閉廷した後、父親は「どうして最後の法廷で原告側の意見陳述をさせないのか」と怒った。傍聴席から裁判長に大声で直訴したいと公言していたが、さすがにあきらめた。父親の気持ちは痛いほど伝わってきた。来春3月23日、原告一家に勝訴の朗報が届くことを祈りたい。(11/12/19)

 


拡大するフェイスブック

2011年11月09日 | コラム「ハロハロ」

 インドネシアのフェイスブックの利用者が米国に次いで世界第2位を占めてる。シンガポールの日系情報企業の経営者が東京で開かれた海外日系新聞放送協会の年次総会で報告した。日本はせいぜい500万人前後と言われているのに、インドネシアは3280万人に達したという。最新の情報サービス企業の調査では4千万人を超えている。インドネシアに次ぐアジア地区の2位はインド、3位はフィリピン。

 インドネシアでは通信会社が契約者にスマフォを無料で配布する。通信料だけで手軽に情報発信できるため、フェイスブックの利用者が拡大したという。報告した日系情報企業もスマフォとフェイスブックの普及をジネスチャンスととらえ、新事業に挑戦する。シンガポール、マレーシア、インドネシアで新たに日本のテレビ番組を放映する事業会社を立ち上げた。スマフォでも受信できるコンテンツの開発も目指すという。

 年次総会では事業拡大に挑戦する景気のいい報告が出た一方で、日系紙の苦戦話が披露された。日本語を話す日系世代が減少した上、ウエブ利用で新聞離れが加速しているという。29年間続けた邦字紙(米国・デンバー)を廃刊して帰国した元社長は「新聞をウエブに切り替え発行してきたが、読者離れに歯止めがかからなかった」と決断の心境をを吐露。「志を高く掲げて頑張ってほしい」と各加盟社に激励のエールを送った。(11/11/07)


東日本大震災から半年

2011年10月05日 | コラム「ハロハロ」

 

 東日本大震災からちょうど半年。死者・行方不明者が5千人超に上った宮城県石巻市周辺を歩いた。津波から逃げて多くの市民が避難した標高60メートルの日和山公園に上ると、建物が押し流され、茶褐色に変わり果てた市街地が一望できた。土台だけになった平地の中でひと際、目立つ大きな建物は4階建ての石巻市立病院。大津波の直撃を受けて被災し、病院の窓ガラスがすべてぶち抜かれ、廃墟と化している。

 「津波被害を見届けよう」と仲間と出掛けたが、目の前に広がる惨状を見ると、あらためて大津波の脅威に言葉を失った。地震発生時の午後2時46分、被害者を哀悼するサイレンが市内に鳴り響いた。大津波が襲来したのはその1時間後だったと聞く。津波に飲み込まれ窓ガラスがすべて破損、焼け焦げたような3階建ての小学校の校舎があった。「すこやかに育て心と体」と掲げられた屋上のスローガンが痛々しい。

 被災後間もなく営業を再開した中華飯店を探し当て昼食をとった。知人から「営業再開した店に寄ってほしい」と紹介されていた。石巻警察署があるこの地域一帯は土地がやや高く、奇跡的に津波被害を免れたという。経営者は大喜びで歓迎してくれたが、「東北に来てくれることが支援になる」という言葉を聞いてほっとした。物見遊山のような見聞旅行と気にかけていただけに、ちょっぴり救われた気分になった。(11/10/03)

 


デジタル放送に完全移行

2011年09月01日 | コラム「ハロハロ」

 テレビ放送が7月から地上波、BSともデジタル放送に完全移行し1カ月経過した。東日本大震災で大きな被害が出た東北3県(岩手、宮城、福島)とケーブルテレビのデジアナ変換世帯を除けば、全国的に大きなトラブルもなく切り替わった。わが集合住宅も共同受信アンテナを高性能のデジタル用に交換、経年劣化した各階段ごとの増幅器を更新したため、東京タワーからの受信レベルが一段と安定した。

 デジタル放送は画質、音質ともアナログに比べ素晴らしいが、皮肉にも「見たい番組がない」というテレビ離れの声をよく聞く。NHKの国民生活時間調査によると、テレビを見る人は1995年の92%が10年は80%台に減少した。全くテレビを見ない人も95年の8%から10年は11%に増加。特にテレビ離れは若年層に顕著で、平日の国民全体の視聴時間3時間28分に対して、10~20代の男性は2時間を切っている。

 調査は最もテレビを見る年代層は70歳以上と指摘しているが、仲間内に聞くと否定的だ。ニュース、スポーツなど特定番組以外、見ないという人も結構多い。節電対策が叫ばれている中で、テレビ各局は今も24時間放送を続けているが、果たして必要なのかどうか。NHKは一昔前まで午前0時前になると、はためく日の丸が映し出され、君が代の演奏でその日の放送を終了した。今から考えると、そんな終了画面nテレビが懐かしい。(11/08/27)