ふと、時計を見ると、22時を回っていた。
私の目線を追って、ヒカルも時計を見る。
少しの間を置き、私たちはヒカルと目が合う。
「・・・ところでさ」
何?という表情でヒカルが眉を上げる。
「その・・・中々眠くならないんだけど、どうしたらいいのかな。夢を見ないといけないんだよね」
「うん。仕方がないわ。自然と眠くなるのを待つしか無い」
「あ、やっぱりそうなの?じゃあさ・・・」
状況が状況だけに、何となく言い出しづらかったが、聞いてみる。
「ビール、飲んでもいいかな?」
「・・・どうぞ」
意外にも簡単にOKがでたので、さっそく立ち上がって、冷蔵庫の前まで行くと、ヒカルからもう一声掛けられた。
「わたしにももらえない?」
さらに意外に思い、少し驚きつつ、ビールを2缶取り出し、一つをヒカルに渡す。
「はい、どうぞ」
ヒカルは「ありがとう」といいながら缶を受け取ると、すぐにプシュッと開けた。
「お酒好きなの?」
そう聞きながら、私も缶を開けて、冷たいビールを一口先に飲んだ。
「わたしは新入社員歓迎会で、同期の誰よりも多く飲んで、皆を驚かせた。そういう、設定」
そう言うと、ヒカルはゴクリといい音を立ててビールを飲んだ。冷たい炭酸がノドに沁みたようで、片目を瞑る。ようやく若者っぽい所を見た気がする。
「へえ、意外だね」
私の知らない、皆の記憶の中では、きっとそうなのだろう。ヒカルは次元への強制干渉をして『三芳ひかる』という名で、7年前から同じ会社の同期の同僚として存在している事になっている。会社の誰もが、それが既定の事実であることを、あたり前の現実として認識していた。
でも、私には、その記憶は無い。どちらが本当の現実なのかは、もう自分にはさっぱりわからない。
そう思った時、ふいに疑問が湧いたので、聞いてみる。
「あのさ、俺の中で無事に巡りがつながったら、その時、キミは・・・ヒカルは、どうなるの?」
ヒカルは、再びゴクリといい音を立ててビールをノドに通し、間を開けずに答える。
「私は・・・」
ビールがノドを通り過ぎてお腹の中に落ち着くまで、少しだけ間を置いて続きを話す。
「消えるわ」
思わずビールを吹き出しそうになるのを、こらえた。
「えっ!?」
私はビールの缶を握りながら身を固める。その様子を見て、何でも無いようにヒカルは話を続ける。
「わたしの存在の痕跡や皆の記憶も含めて、綺麗さっぱり、この次元の時空間からは消える」
私は慌てて確かめる。
「えっと・・・それって、し、死ぬってことじゃ・・・無いよね」
少し考えて、ヒカルは応える。
「死・・・、では無い。・・・ていうか、まあ、『死』も人の終わりという訳じゃないんだけどね」
「・・・あ、ええ〜と?あれかい?死後に、あの世に行くとかって、そういう話?」
あの世と聞いて、ヒカルはふふっと笑い、頷く。
「まあ、そんなところね。詳しく言ってもきっと判らないわ」
きっと、そうなんだろう。私は素直に思った。
「・・・そうか。じゃあ、この話やめよう」
「じゃあさ、この会社に入ってからの7年間て、ヒカルは本当に過ごしているの?」
「厳密に言えば、この次元の時空間では、過ごしていない」
「?」
「でも、その7年間を、私の思念の中で仮想的に経験している。ちょうど、あなたがこれから夢の世界を体験するような感じね」
なるほど、少し判ってきた。思念、つまり、考えたことや思い浮かぶこと、わかりやすくいうと、つまり心だ。心がこの身体を離れて色んな次元にアクセスできるということなのか・・・。タマシイと言えるのかもしれない。
「じゃあ、ヒカルのその顔や姿形も、仮のものってこと?」
「・・・この顔や身体は、きちんとしたソースから生まれた、私の個性」
「ソース?」
「つまりDNAよ」
「そうか、じゃあ、親御さんがいるんだね」
ヒカルは、頷いた。それまで目を合わせて会話していたのに、何故かこの時は目をあえてそらしたように思えた。気のせいだろうか。
「お父さんと、お母てさんて、どんな人?」
ヒカルは、また目を合わせてはっきりと言う。
「ごめんなさい、それは言えないの」
・・・何だろう、言葉でははっきりとした拒否をしてきたものの、ヒカルは少し、この状況を楽しんでいるような、そんな感じがした。
そう思って、少しヒカルの表情を興味深く観察していると、不意にまたその瞳が揺れたように見え、それをごまかすかのようにヒカルは缶ビールに視線を落とした。
・・・つづく
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