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小さきものは楽しき哉

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三島由紀夫「春の雪」~完璧であまりにも美しい不純な純愛ストーリー

2006年09月04日 | 小説
 /* まだ読んでいない人はネタばれするかも知れないので読まないでください */

 久しぶりに小説に溺れました。
 すべて読みきってしまうと寂しくなるので、三島由紀夫の長編は読みつくさないようにと、遺作である「豊饒の海」四部作はずっと未読でした。しかし、映画にもなってしまったことでもあるし、ストーリーを知らないと三島ファンであるという説得力に欠けるため、「そろそろ読むか」という比較的軽い気持ちで第一部「春の雪」を読み始めました。
 それ以外の新潮文庫から出ている長編はすべて読んでいますが、三島文学はすべてが高水準なだけに、今更劇的な感動はないだろうと思っていました。完成度は高くて当然だからです。しかし、読み始めてみると、その思いを超えて我ながら驚くほど深くはまってしまいました。物語が心から離れず、続きが気になって仕方ないという感覚は久しぶりでした。
 何故これほどまでにこの作品に入り込んでしまったのでしょうか。落ち込んでいたから等の普段の生活から影響を受けてしまう特別な精神状態ではありませんでしたし、三島作品では「午後の曳航」を最高傑作と崇めている自分にとっては、この作品にそれほど期待が高かった訳でもありません。あえて言えば、三島作品を読むのが久しぶりのため、渇していたということは言えるかも知れません。そして、高度に文学的な意味でのファンとは言えない僕のような者にとって、輪廻転生、大正時代の貴族社会といった個人的に興味を惹かれる設定やラブストーリーである点など入り込みやすい内容ではありました。
 しかし、はまり込んだ原因は明らかです。登場人物たちの的確な配置、心情の変化を描く隙のない構成の下、三島文学の特徴である美しい場景描写に心が震えたのです。主人公の清顕と聡子が人力車の幌を開けて雪の吹き込むのに任せる場面や、清顕が月修寺に向かう途中の山の様子など、あらゆる箇所で言葉が鮮やかに場面場面を描き出します。これは三島作品すべてにおける最大の美点であると思っていますが、特にこの作品では日本語の美しさが物語と共鳴して心に響きます。なんと素晴らしい小説を読んでいられるのだろうかと、途中で有難さに涙が滲みました。本当です。
 そして、個人的な感想では物語は意外な展開でした。輪廻転生の物語ということを知っているだけでは読めない展開であると感じました。三島作品はいつも文学上に絵画や彫刻のような「美」を構築することを旨としてきたと思うのですが、この作品に関しては必ずしもそうではない、冷たい完璧な「美」を捨て去ってまで生々しい「愛」、少なくとも清顕本人が愛であると思い込むものへの変化が起こります。こういった劇的な心情の変化を描く作品は三島作品としても珍しいと思いますし、事件が起こることによる心理の変化ではなく、心理の逆転劇そのものを扱うという作品自体珍しいのではないでしょうか。
 ただ、それ故にこの物語は流行りの「純愛」とは違い、恋愛としては甚だしく不純な純愛物語となっています。
 それでも、この第一部「春の雪」がラブストーリーであったことは美しく裏切られた気がします。清顕の愛の動機が「不純」でも、聡子の「決心」を前提にした愛を貫く姿や、自らの心の一部のように「美」としての清顕と「愛」としての清顕、双方を見守る本多の友情は、素直に感動を味わえます。
 第二部以降どのような物語が展開され、「春の雪」がラブストーリーであることすら覆されるかも知れませんが、「春の雪」だけでも不朽の名作と言っても過言ではありません。
 いまだに感動の余韻は長く続いています。


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