環境政策を進めるうえで(あるいは持続可能な発展への転換を進めるために)、「哲学的な対話」を広げる時代になっていると思う。
例えば、次のような問いがあったとしたら、どう答えるだろうか。
1. 気候変動(地球温暖化)への対策としては、経済成長のあり方を見直すことも必要になる。そもそも経済成長はなぜ必要なのか。
2. 地球の歴史では多くの生物種が絶滅をしてきた。絶滅のおそれのある生物を、なぜ絶滅から守る必要があるのか。
3. 里山は人が手をかけることでできた自然。里山は、人の関わり次第で姿を変えきたのが里山していく自然。こうでなければいけないというものではない。里山はどのような姿であるべきか。
4. SDGsでは、「誰も取り残さない」という考え方で目標をつくっている。では、「誰を取り残されない」とは、誰を取り残さないことなのか。なぜ、誰も取り残さないことが必要なのか。あなたは誰も取り残さないことが必要だと本当に考えているのか。
ここで重要なことは、こうした問いの答えは一つではなく、人によって考えが異なることを認め合うことである。誰かの答えが正しいのではなく、自分が正しいというのは思い込みだと知ることではないだろうか。
ただし、さらに重要なことがありそうである。自分がその問いへの答えをよく考えていなかったとしたら、その答えを深く考えてみることが重要である。あるいは、自分以外の人の考えをよく聴き、どのような考え方なのかを理解し、その上で自分の考えを問い直してみることが大切である。
つまり、自分の考えは本当にこれでいいのか、もっと深い所に自分の本当の考えがあるのではないかと思考することが大切である。自分の中に深い考えを再構築するのである。
では、なぜ考えを深めることが大切であるか。
それは、短絡的で浅薄な考えよりは、内省的で深い考えを持ち、政策を選択する時代になっているからである。深く考えずに、慣性のなりゆきでいいとしてしまうと様々な環境問題が取り返しのつかないことになると科学(エビデンス)が教えてくれるからである。
また、深く考えることはそれだけ自分を見つめ直すことであり、自分を大切にすることになる。自分の考えを深めることで、自分を確認し、さらに自分を大切に思えるだろうから。そのことは幸せなことではないだろうか。
得てして、所属する組織や与えられたままの学びによって、つくられてきた考えは、自分の本当の部分の考えとずれたものになっているのかもしれない。だとしたら、本当の自分の考えをつくる方が楽に生きられるかもしれない(そうでないかもしれないが)ので、考えを深めることは意義あることだといえるのではないだろうか。
こうした考えを深める方法が「哲学的な対話」である。「哲学的な対話」は、事実や心の状態を聴くのではなく、考えを聴くことで、わかりあい、深めあい、さらに何かをつくりあうものである。
筆者は、人々の考えが深まり、それでも違う考えをわかりあい、さらに考えを深める学びを続けつつ、環境政策(持続可能な発展)の目標や方法を検討していくような場が、各地各所にできていくことを構想している。