サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

ふるさと伝承の千恵

2007年11月17日 | 環境の歴史
1.「ふるさと伝承の知恵」とは?


 温暖多雨な気候で、自然に恵まれた日本では、自然の中に神様が宿るという伝統的な自然観とも相まって、自然と上手くつきあう工夫が伝統的に成されてきた。

 しかし、明治維新後、西洋諸国へのキャッチアップを志向するあまり、伝統的な生産・生活様式は軽視され、それが人間と自然とのつきあい方のバランスを損なう一因となってきた。

 今日的な環境問題を解決していく上で、地域の風土に根ざして形成されてきた自然とつきあう工夫を今一度見直すことの意義は十分にあるものと考えられる。

 ここでは、各地域の風土に根ざし、自然と直接的に対峙する中で形成されてきた伝統的な生産・生活様式を、「ふるさと伝承の知恵」と名付け、いくつかの事例(表参照)を材料にして、次の3点を考察した結果を示す。

1.「ふるさと伝承の知恵」の成立・放棄要因

2.「ふるさと伝承の知恵」の現在への再生可能性

3.「ふるさと伝承の知恵」から学べる価値観や発想法


表 本稿で考察の材料とする「ふるさと伝承の知恵」の事例(概要)

No 事 例 概 要 時代 地域

1 堀の泥土利用
 ・堀の泥土を、互助作業で汲み上げ、田で乾燥させ、春耕の際に肥料としてすき込む仕組みであり、堀の維持管理と有機物循環を連結させていた。 ~1970年代 佐賀
2 琵琶湖周辺の農業
 ・農業水利施設と交通網をかねた水路網がはりめぐされ、湖内の藻や底泥が田畑に肥料として還元されていた。 江戸~現代 滋賀
3 小水路の活用
 ・町の家庭用に利用された水を、下流部で農業用水に利用し、河に入れる通水システムであり、また洗いものの順序や時間等の水利用のルールが確立されていた。 江戸~現代 岐阜
4 隠岐の牧畑
 ・やせた土地での耕作を実現するため、放牧と耕作との輪転(牧畑)を、住民共同で行っていた。 江戸~1967年 隠岐
5 焼畑農法
 ・休閑期を設け、持続可能な焼畑が行われていた。焼畑農民は、一連の過程から再生・連鎖・純化の論理を実感しており、休閑期には山地の肥沃化のため榛を植える等、意を注いでいた。 ~昭和50年代 全国
6 伊勢神宮と木曽の美林
 ・20年に1度行われる伊勢神宮の遷宮に合わせ、木曽の神宮備林では計画的に森林経営を行ってきた。また、解体される鳥居等は、再利用されていた。 ~現代 三重
7 江戸を支えた千葉の混植林
 ・土壌条件が悪い千葉では、マツの下にスギを植える二段林仕立ての方法を生み出し、マツの間伐材はイワシの加工用燃料、マツ炭は鍛冶用、スギは家具用等に活用された。 江戸~現代 千葉
8 里山を介した物質循環
 ・萌芽林としての里山は、薪炭林、農用林として形成・活用され、地域の有機物循環において重要な役割を果たしてきた。 ~現代 全国
9 里山の択伐と紀州備長炭
 ・紀州備長炭の産地の1つである南部川村では、薪炭林の管理を皆伐の方法で行うのではなく、薪炭林の再生が早い択伐の方法で行ってきた。 ~現代 和歌山
10 佐久鯉の水田養殖
 ・水田に鯉を放す水田養殖は、鯉による除草効果があるとともに、堆肥等の投入により発生するミジンコを鯉が餌として管理したり、ターカリブナという鮒が水田養殖に重要な役割を果たしていた。 江戸~現代 長野
11 自然を獲り尽くさないアイヌの暮らし
 ・アイヌの人々は、必要以上にサケを獲らない、産卵の済んだサケ(ほっちゃれ)を干しサケにする、獲ったサケを他の野生動物のために河原に置いてくる等、自然資源を枯渇させない採取・狩猟活動を行っていた。 ~現代 北海道
12 福島山村での採取の制限
 ・福島県南郷村の木伏では、共有林での採取を制限するとともに、住民で分け合う慣行を成立させていた。 ~現代 福島他
13 稲わらを捨てない江戸文化
 ・江戸時代に、稲わらは農耕肥料や覆い、包装材、建造材等として利用されており、捨てられた草履や馬の沓は、拾い集めて肥料にされていた。 江戸 全国
14 江戸のリサイクル容器としての樽
 ・ガラスビン登場以前には、樽が液体の運搬・貯蔵容器として重視されており、酒屋での樽拾い(回収)や空樽問屋を貸した再使用システムが確立されていた。 江戸 全国
15 江戸期の古着と紙のリサイクル
 ・江戸時代には、古着の流通やボロ布の利用、紙くずやほご紙の回収・再生が徹底的に行われていた。 江戸 全国
16 福島と仙台を結ぶ水運
 ・1671年に阿武隈川の舟運のための水路改良が行われ、また阿武隈川河口と松島湾を結ぶ堀を建設し、福島と仙台を結ぶ物資輸送の幹線交通路が整備された。 江戸 宮城
17 利根川の東遷と利根運河
 ・1654年の利根川の付け替えにより、銚子と江戸を結ぶ舟運ルートが形成されていた。また、明治20年代の利根川と江戸川を結ぶ運河の建設により、銚子と江戸の通船が活発化した。 江戸~明治 関東
18 風を待って運ぶ琵琶湖の水運
 ・琵琶湖は、近・現代まで丸子舟と呼ばれる荷船の水運が栄えてきた。昭和36年頃までは、風を待ちながら運ぶ帆走船が見られた。船頭は、薪や柴を輸送しており、薪生産を采配する山方でもあった。 ~昭和30年代 滋賀
19 揚水、油しぼりや酒造りでの水車利用
 ・淀川には潅漑用の水車が200台以上あったとされ、また淀城では2台の揚水水車がシンボルとなっていた。また、菜種や綿からの油しぼり、酒づくりでの米つき等に、水車が利用されていた。 江戸 全国
20 鉱工業での水車利用
・金銀山での砕鉱水車の利用、製鉄や紡績等での水車利用等、産業用水車が活躍した時期がある。 江戸~大正 全国

2.「ふるさと伝承の知恵」の成立・放棄要因

 「ふるさと伝承の知恵」の多くは、政策的意図というより、庶民の知恵やその時代の中での必然性の中で成立していたと考えられる。また、「ふるさと伝承の知恵」の多くは、現在放棄されているが、一部は現在も継承されている。

 以下では、各事例がなぜその時代に成立していたのか、その多くの事例がなぜ放棄され、その中で一部の事例はなぜ継承されているかを考察する。

(1)なぜ、「ふるさと伝承の知恵」がその時代に成立していたか

「ふるさと伝承の知恵」の成立要因として

 a)地域資源の限定性、及び限定された地域資源を活用する生きるための知恵

 b)知恵を実現させる地域互助体制の濃密さや空間的猶予

 c)循環の知恵を継承するシステムの存在

の3点をあげることができる。

a)地域資源の限定性及び限定された地域資源を活用する生きるための知恵

 江戸時代等は、資源を海外から大量に調達する現代と違い、需要に対する資源供給は常に逼迫していたと考えられる。国外の資源はもとより、他地域からの資源調達にも制約があり、地域の活動主体は限られた地域内の資源に依存をせざるを得なかった。

  このため、堀の泥や湖内の藻や底泥を堆肥資源として利用しようという知恵(事例1:堀の泥土利用、事例2:琵琶湖周辺の農業等の事例)や、自然資源の過剰採取を禁忌としたり(事例11:自然を獲り尽くさないアイヌの暮らし)、共有林の資源活用を村で分け合う知恵(事例12:福島山村での採取の制限)等の工夫が成されたといえる。

 江戸時代に、稲わらや樽、古着等が市場の中で循環していたことも、それら廃棄物が貴重な資源として認識されていたためである。

 また、土地条件の厳しさも多くの工夫を成立させた。例えば、やせた土地で耕作を実現するために放牧と耕作の輪転が生み出された(事例4:隠岐の牧畑)。里山資源の多面的・連鎖的利用(事例8:里山を介した物質循環)については、東京郊外の新田開発地等に多く継承されているが、関東ローム層の土壌が有機質に欠けるため、落葉堆肥を提供する雑木林が意図的に形成・継承されてきた。

b)知恵を実現させる地域互助体制の濃密さや空間的猶予

 堀の泥土を汲み上げる作業は、堀の上に丸太の足場組んだりと、大がかりな共同作業であり、農閑期に7、8戸の農家が互いに労力を提供し合うことで成立していた(事例1:堀の泥土利用)。

 また、小水路を地域内で洗いものやカワドの排水等に共同利用するための慣習は、ルールを共有しようとする地域住民間の関係の上に成立していた(事例3:小水路の活用)。

 このように、「ふるさと伝承の知恵」の成立の大前提に、地域互助体制の濃密さがあり、これが循環のための労働力の融通を可能とさせていた。

 また、江戸時代の街道筋に草履や馬の沓が積み重ねられていたこと(事例13:稲わらを捨てない江戸文化)は、街道筋にそれらをストックするスペースが確保できたことを意味する。放牧と耕作の輪転(事例4:隠岐の牧畑)や休閑期を設ける焼畑農法にしても、耕作者が利用できる土地の猶予があったとみることができる。

c)循環の知恵を継承するシステムの存在

 「ふるさと伝承の知恵」は、一時的に成立していた訳ではなく、その地域で一定期間継続していた。これは、人の出入りの少ない村落共同体が維持され、組織的にルールが継承されていたためである(事例12:福島山村での採取の制限)。

 また、農地等が親から子へと代々継承されるという土地利用の継続性も、所有者の世代間で循環の知恵を継承させていたといえる。
 
(2)なぜ、多くの「ふるさと伝承の知恵」が放棄されたか

 「ふるさと伝承の知恵」が放棄された要因は、(1)に示した事例の成立要因が崩壊したことにある。

 すなわち、「地域間あるいは国際間の資源の移出入の活発化」によって、地域条件による資源利用の制約は解消され、「地域内の居住様式の変化や居住地流動の活発化」によって、地域内での労働力融通や継承システムを支える地域互助体制は弱体化した。また、「人口増や都市の土地利用の高密度化」は、循環のための空間確保や循環的空間利用を困難にさせてきた。

 さらに、「エネルギー革命や生産技術の革新」、それに伴う「産業構造の変化(大量生産と重化学工業化)」が、従来の循環的様式を代替する新たな様式を創出してきた。例えば、内燃機関の導入によって、水運の動力源は人力や風力から汽力に代替され、加えて他交通機関の技術革新と普及により、水運自体が鉄道や自動車、航空機に代替されてきた。落葉や畜産のふん尿、木灰等を原料とした堆肥は、大量に生産される化学肥料に代替されて、里山や水路の持つ堆肥生産機能の価値を低下させた。里山の薪炭利用も、化石燃料や電力を熱源とする暖房機器の普及により、戦後は急激に衰退した。

 伝統的なモノに代わる代替的なモノは、「流通構造と消費者需要の変化」との相互作用によって、飛躍的に普及することとなり、大量生産による経済成長を助長させることなった。特に、米国から戦後導入されたスーパーマ-ケット方式での大量流通は、流通の効率化のためにモノを規格化、ロット化することなり、少量で規格化されない有機農産物の生産を停滞させた。生産の現場と乖離し、大量に提供されるモノや氾濫するモノ情報の中で意識を形成された消費者は、モノの消費自体を自己目的化するに至り、大量生産を支えることとなった。

 さらに、多様なモノの氾濫は同時に有害物質の環境中への排出量を増大させてきた。このため、堀や湖水の底泥利用の例では、排水の水質悪化により底泥が汚染され、その有機堆肥としての利用を困難にさせている。

 「環境汚染の進展」は、特に安全面から有機物循環を阻害させ、有機物循環の分断が環境汚染を増長させるという悪循環もある。 そして、以上のような変化は、市場メカニズムの中での生産者と消費者の変化であるが、それを国策がリードしてきたことを見落としてならない。開国後の富国強兵政策や戦後の産業政策、経済政策、国土政策は、結果として循環に係る伝統的取組みを放棄させるものであった。

(3)なぜ、一部の事例は継承されているか

 循環に係る「ふるさと伝承の知恵」の中で継承されているものは、「1.循環的生産物の価値を市場の中で確立できた場合」、「2.循環様式自体に文化的価値を確立できた場合」の2つに分けられる。

 前者の例は、事例10:佐久鯉の水田養殖や事例9:紀州備長炭の生産である。生産物である鯉や炭が上質であることに加え、佐久や紀州産であることブランド的価値が創出されている。

 後者の例は、伊勢神宮と木曽の美林との関係である。この例では、20年に一度の遷宮が儀式として確立され、これが計画的な森林管理を継承させてきた。なお、20年に一度の遷宮は、大工技術を代々継承させるという合理性を持つものであった。

 近年では、市民活動団体での活動や行政の施策、あるいは企業の社会貢献活動として、里山の再生がクローズアップされている。これらは、里山を介した生産活動の再生というより、里山管理の活動自体にレクリエーション性や教育性を持たせつつ、都市に残された貴重な緑としての里山の保全を図ることを重視した試みである。

3.「ふるさと伝承の知恵」の現在への再生可能性


 現在までに放棄されてきた(あるいは放棄の恐れのある)循環に係る「ふるさと伝承の知恵」は、いくつかの側面で再生可能性を有するものと考えられる。


(1)「ふるさと伝承の知恵」の放棄要因の解消(需要や労働力の変化・技術開発)

 新たな時代変化の中で、1.(2)に示したような放棄要因が解消される場合もある。 例えば、エネルギーの枯渇や化石資源の使用に伴う環境負荷への対策強化が進められる中で、自然エネルギーの利用の重要度は一層と高まっている。

 このため、水車の動力源としての利用や、炭の生産のために里山活用を再生するという取組みは、今後活発化するものと考えられる。 また、消費者の健康・安全志向の高まりや化学肥料の大量使用による地力の低下を危惧する生産者のニーズから、有機農産物及び有機農業も一定の経済性を獲得しつつある。

 現在、有機農産物の市場は全体の数%という報告もあり、さらに市場拡大が期待されている。さらに、有機農業が普及する過程で、有機堆肥を確保するための里山の活用や(水質管理を前提にした)泥土利用が見直されよう。

 また、バイオマスを利用した水素電池等の技術開発は、里山や稲わら利用等を促すブレイクスルーとなり得るかも知れない。

 有機物循環等に必要な労働力については、今後の人口構造の変化によって増大する高齢者の活用や活発化する市民活動との連携等によっても調達することが可能となろう 。

(2)豊かさの創造、コミュニティづくりの観点からの見直し

 2(3)に示した現在も継承されている一部事例のように、現在放棄されている「ふるさと伝承の知恵」に市場価値を見い出せる可能性がある。

 一方、「ふるさと伝承の知恵」の多くは、今日に再生する場合、経済的効率性を伴わず、経済活動としての成立は期待に出来ない場合も多い。 しかし、豊かさの創造やコミュニティづくりの視点からみた場合、「ふるさと伝承の知恵」は大変魅力的なものとなる。

 例えば、利根川水運の復活は、それ自体の輸送力は別にして、地域づくりの手段となり、また観光客によって魅力的なものとなる(事例17:利根川の東遷と利根運河)。水車のまちづくりを目指し、水車の手作りを住民参加で行うことは、地域活性化につながる試みとして十分である(事例19:揚水、油しぼりや酒造りでの水車利用)。

 また、既に再生されつつある里山利用も、里山の経済的価値よりも、里山管理に係る労働自体や労働を地域住民の共有することの楽しみにつながる側面があって、住民に受け入れられている(事例8:里山を介した物質循環)。

 すなわち、経済的価値や環境保全価値とともに、生活の質やコミュニティの観点を含めて、総合的に捉えることで、「ふるさと伝承の知恵」の再生価値が生まれる。

4.「ふるさと伝承の知恵」から学べる価値観や発想法

 「ふるさと伝承の知恵」は、そのものの再生可能性や再生価値を持つが、循環型国土づくりの基本的考え方に関連して、今後の取組みのために学ぶべき点も多い。 以下に、「ふるさと伝承の知恵」のエッセンスとして、学ぶべき点を示す。

(1)自然生態系との直接対峙する中での自然メカニズムの利用

 「ふるさと伝承の知恵」は、自然生態系と直接対峙する中で形成されており、自然生態系における物質循環やエネルギーの流れに馴染むものとして形成されている。

 自然エネルギーを利用する琵琶湖の丸子船(事例18:風を待って運ぶ琵琶湖の水運)、水車利用はもとより、マツの下にスギを植える千葉の混植林は植物の持つ特性を活かした技術であり、里山利用も萌芽林のある樹木に依存するものであった(事例7:江戸を支えた千葉の混植林)。
 また、自然生態系との直接的対峙は、自然を持続的に利用するためのルールを生み出している。この例として、事例11:自然を取り尽くさないアイヌの暮らしに見られるアイヌのほっちゃれ(産卵の済んだサケ)の干しサケ利用、事例12:福島山村での採取の制限に見られる共有林の活用ルール等がある。

(2)地域資源の最大限の活用(物質循環の連鎖・自己還元性、資源の多重利用)

 「ふるさと伝承の知恵」の中には、地域資源の限定性を前提に成立しており、地域資源を最大限に活用するために、1つの活動に伴うアウトプット(廃棄物)は別の活動のインプット(資源)として活用する知恵をみることができる。

 例えば、事例1:堀の泥土利用では、堀浚い(ゴミクイ)の結果得られる泥土を堆肥資源として活用するものである。江戸時代の草履や馬の沓の堆肥利用、道ばたの紙くずまでも資源利用する紙くずやほご紙の回収・再生にも、あらゆる廃棄物を資源と見なす徹底した姿をみることができる(事例13:稲わらを捨てない江戸文化、事例14:江戸のリサイクル容器としての樽、事例15:江戸期の古着と紙のリサイクル)。

 20年に1度と遷宮される伊勢神宮においても、(周期の短さは別にして)解体された木材は希望する全国の神社に下げ渡し(リサイクル)されていた(事例6:伊勢神宮と基礎の美林)。

 さらに、里山を介した物資循環の全体像を捉えると、アウトプットのインプット利用の連鎖や自己還元性を抽出することができる(事例8:里山を介した物質循環)。里山から採取した薪炭は、農家で煮炊きや暖をとるために使われ、その結果生成された木灰は、同じく里山の落葉や下草とともに農地の肥料(土壌改良剤)として使用された。そして、農地で生産された農産物は農家の食料源となる。ここに、アウトプットのインプット利用の連鎖や自己還元性がある。

 また、里山を介した物質循環では、1つの資源の多重利用をみることができる。例えば、里山自体が、木材、柴、薪炭、落葉、下草等の多様な資源を供給するものであった。また、落葉や下草は、堆肥として農地に投入されるだけでなく、畜産の敷料としても利用された。その畜産の敷料は、さらに農地に投入されるという多重性である。 多重性という面では、佐久鯉の水田養殖も、鯉の生産とともに、鯉による除草効果が得られる工夫である。

(3)時間軸を内生化する計画性

 「ふるさと伝承の知恵」の中には、時間軸を内生化し、将来の需要に対する計画的取組みや、子孫のために先祖から引き継いできた資源を継承するという工夫を見ることができる。

 この例としては、20年の1度の伊勢神宮の遷宮に合わせた木曽の備林の試み(事例6:伊勢神宮と木曽の美林)があり、また必要以上にサケを獲りすぎないアイヌの知恵(事例11:自然を獲り尽くさないアイヌの暮らし)、福島県山村での共有林の採取制限(事例12:福島山村での採取の制限)等があった。

 また、事例4:隠岐の牧畑は、4年を周期に作物を変えるシステムであり、事例5:焼畑農法も、地力を消費しつくさないために、5年程度を耕作期間とし、休閑期を数10年設けるシステムである。今日では、固定的な土地利用や刹那的・一過的な土地利用が中心であるが、土地利用の周期性(時間軸でのシェア)をシステム化している点が注目される。

【参考文献】

1.国土庁計画・調整局「平成10年度 循環・共生を基調とする持続可能な圏域のあり方検討調査」報告書、1999年3月
2.トヨタ自動車(株)「環境緑化プログラム・里山ルネッサンス報告書」、1998年
3.篠原徹編「民族の技術」、朝倉書店、1998年
4.田島よしのぶ「水と土と森の収奪」、海鳥社、1997年
5.野本寛一「共生のフォークロア 民族の環境思想」、青土社、1996年
6.赤田・香月編「講座日本の民族4 環境の民族」、雄山閣、1996年
7.石川一郎「日本の土木遺産」、森北出版、1996年
8.環境文明研究所「環境と文化に関する調査報告書」、1994年
9.鳥越皓之「試みとしての民族学-琵琶湖のフィールドから」有山閣出版、1996年
10.石川栄輔「大江戸えねるぎー事情」、講談社、1993年
11.前田清志「日本の水車と文化」、玉川大学出版部、1992年
12.「現代農業1991年臨時増刊 ニッポン型環境保全の源流」
13.「江戸時代 人づくり風土紀 12 千葉」、農山漁村文化協会、1990年
14.民族文化映像研究所編「西米良の焼畑」、西米良教育委員会、1986年
15.民族文化映像研究所編「民族文化資料第4集 椿山-焼き畑に生きる」、1979年


(文責:白井信雄・緒方三郎 2000年6月)

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