サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

近畿地域と中央アジア

2008年11月22日 | 雑感
昨日は、近畿地方環境事務所の仕事で、ひょうご環境創造協会の小林さんにヒアリング。小林さんは、近畿地方環境事務所が開設されたときのパーティに参加したことがあるとのこと。苦言をはっきりと呈しながらも、期待を込めた意見をいただけた。都道府県間、あるいは市町村間、都道府県の地球温暖化防止センターの連携にせよ、当事者同士だけでは上手く行かない場合も多く、裏方として調整、仕込み役を果たす役割が重要という意見であった。

今日は、JICAの研修講師として、今年2回目のお務めをしてきた。今回は、中央アジアの行政職員さん等が対象。ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス。中央アジアと括られてはいるが、ソ連邦時代に行政圏境を引かれ、しかも同じ民族同士でまとまらないように、意図的に民族が分散するようにされたという本を読んだことがある。そうした線引きが今日の内紛の原因でもあるらしい。

こうした中央アジアの国境設定の経過と今日の問題は、明治時代に日本の県境を決めたときとよく似ていることに気づく。日本でも、明治政府に刃向かう県は、その県だけでまとまらないように、他地域と同じように県境を決めたことがあるらしい。例えば、西南戦争の時代、鹿児島県の反政府勢力を分断させるため、鹿児島県と宮崎県を合併させてたこともあったらしい。

行政圏境は一度引いてしまうと、その行政圏内で文化の同一化を図る方向に動くらしく、もともとあった文化圏の固有性を希薄化させる場合もある。行政圏とは、それだけ影響力があるものだ。国内の市町村合併もまた、地域にあった固有性を損なう方向にあるだけに、○○村としてあった個性を、きちんと特定し、継承する作業が必要だと思う。それは、合併にできた市の課題であるだけでなく、外部の作業として必要なのではないだろうか。

中央アジアの国々でも、国境だけにこだわるのではなく、EU合併のときに位置づけれたユーロ・リージョンのように、どちらの国に属するとは明確にはいえない、国境を越えた地域のまとまりを位置づけていくことも考えられるのではないか。もちろん、そんなに簡単なことではない。

一方、一度引かれた行政圏はそれが影響力のあるとはいえ、所詮人為で引かれたもので大したものではないという見方も必要だ。都道府県間連携というが、その都道府県に実際にどれだけに意味があるのか。行政圏の枠にこだわらない交流と連携を促す仕掛けや仕込みが求められる。
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