高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)
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新聞のコラム:参考文献のいろいろ コラムニストは俳句好き!
全国紙新聞コラム集 (例:平成20年5月16日号:朝刊)
【 新聞コラム】名文のオンパレード!!!
問題 【マスコミ(新聞】』への道!
マスコミ志望者必携書「月刊新聞ダイジェスト:2008 No547(4月号)他:800円
定価=840円(本体800円)
発行日=2008年3月10日
発行人=唐澤壮一
発行人=佐々木健一
発行所=㈱新聞ダイジェスト社
朝日・「①■■■■」
日経・「③■■」
読売・「⑧■■■■」
毎日・「⑭■■」(四川大地震と情報公開)
産経:【⑱■■■】
東京:「⑳■■」
〒112-0005
東京都文京区水道2-17-1
ブラザーハイツ小日向南201号
電話 03-3818-8011
FAX 03-3818-8010
E-mail shimbun@crocus.ocn.ne.jp
既刊号(バックナンバー)常備書店・大学生協一覧
大学生協・売店
関東
青山学院大 ⇒青山学院大学
学習院大学
慶應義塾大学
國學院大學
上智大学
専修大学
津田塾大学
東京大学本郷
中央大学
法政大学
早稲田大学
明治大学
金沢大学
筑波大学
横浜国立大学
関西
同志社大学
立命館大学
関西大学
関西学院大学
大阪大学
京都大学
その他
北大クラーク
東北大文系
東北学院大
北九州大学
西南学院大
福岡大学
鹿児島大学
出典:2008年4月号211P
朝日・「①■■■■」
風薫る5月だが、明治の俳人②正岡■■は毎年、この月がめぐると不安にかられた。脊椎(せきつい)カリエスで長く伏し、5月にはきまって病気が悪化したからだ▼自らを励まそうとしてか、1902(明治35)年5月から、随筆『③■■(びょうしょう)■■』の新聞連載を始める。苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と②■■は言う。逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている▼寝たきりの②■■は、母と妹の献身的な介護をうけた。自宅で「平気で生き」ながら、35歳で没するまで、病床から盛んな筆をふるった。現代のお年寄りに置き換えれば、母妹に代わる在宅福祉のささえは、訪問介護ということになるのだろう▼だが、②■■の心境で過ごすのは難しい時代になっている。在宅サービスの中心になる訪問介護の事業所が、減っているという。介護保険制度の崩壊を招きかねないと、心配する声も聞こえてくる▼2年前に介護報酬が引き下げられた。経営が悪化し、ヘルパーの賃金が減り、離職が増える。使える金の限られる中、負の循環が「安心」を細らせているようだ。だれもがいつかは老いるし、病む。そのときのために、医療も含め、手を打つには今しかない▼手厚い支えもあってだろう、②■■は明るさとユーモアを失わなかった。〈枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル〉などと病床で詠んでいる。平気で生きられる――。その穏やかさが、だれの日々にも必要なのは言うまでもない。
日経・「③■■」
本紙日曜文化面に「江戸の風格」を連載する④■■武彦さんの近著「⑤■■不戦派軍記」は「世にも太平楽な」下級幕臣4人を狂言回しに使い、⑤■■維新の「もうひとつの“真実の”物語」を書いている。第二章「彰義隊の巻」は1868年の江戸の市街戦が舞台だ。
▼「彰義隊が立て籠(こも)る上野山へ官軍が総攻撃を掛け」「上野の空は真っ赤で」「至るところに地獄の光景が出現していた」というその出来事を、日本最初の⑥■■「別段 中外新聞」が速報した。新暦になおすと7月5日になるが「別段」の日付・戊辰(ぼしん)5月16日が⑥■■発祥の日とされている。
▼横浜にある日本⑦■■■■館に行くと、展示ケースに入った現物が見られる。今の新聞と違い、和紙を半折りにしてとじた冊子形なのが珍しい。別のところで探した史料集を繰って記事の内容を確かめると「不戦派軍記」に出てくる場面も現れ、取材の網を広げ、集めた情報を評価、整理する腕前に感心させられる。
▼⑦■■■■館には以後百数十年の間に発行された⑥■■の主なものが並ぶ。「人類ついに月到達」のような明るいニュースは少なく、ほとんどは戦争や事件、事故、天災だ。改めて、歴史は災厄に満ちていると痛感し、戊辰戦争の戦場をたどる不戦派の4人と同じやり場のない怒りを覚える。「誰のせいでこんな目に」
読売・「⑧■■■■」
江戸⑨■■に、〈串(くし)といふ字を蒲焼(かばやき)と無筆(むひつ)よみ〉とある。無筆は読み書きができない人をいう。一句に注釈は要るまい◆庶民の文芸が無筆を笑ってみせたのも裏返せば、それだけ多くの人が「串」の字を読めた証しだろう。紛らわしい漢字も昔の人は、〈⑩■(うり)に⑪■(つめ)あり、爪に爪なし〉等々の識別法を工夫して学んできた◆漢字を用いる目安となる常用漢字表(1945文字)に「串」や「爪」は入っていない。「無筆が増えたわけでもあるめえに…」と、江戸から怪訝(けげん)な声が聞こえそうである。声に応えて、でもないが、⑫■■審議会が常用漢字表の見直しを進めている◆このほど公表された追加候補の素案(220字)には「串」「爪」「噂」「匂」「叱」などが並んでいる。「しかられる」よりも「叱られる」ほうが心なしか身にこたえる。この微妙な差も日本語がもつ文化の豊かさだろう。追加漢字の選定は“⑬■き門”がいい◆〈書くたびに鬱(うつ)の字をひく春時雨〉(恩田侑布子)。たしかに毎度毎度、辞書のお世話になる字だが、これも「憂うつ」では雰囲気が伝わらない。「鬱」の字も追加の候補に含まれている。
注:⑫のヒント:2008年5月16日発行の産経新聞 コラム 産経:【⑱■■■】
毎日・「⑭■■」(四川大地震と情報公開)
ローマの⑮■人ウェルギリウスには中世から伝わる奇妙な伝承がある。彼の家には各地方を表す木像が置かれ、地方に災いがあれば木像が⑯■■をならした。同時に回転する青銅製の騎士が災いの方向を指し示した▲この遠隔地の災い探知装置の話のルーツは中国だといわれる。2世紀に張衡という人が作った地動儀という仕掛けは、八方に出た竜の口から落ちる玉で地震の方向を知る地震計だった。この装置の話がはるかシルクロードを横断したらしい▲史書はこの地動儀の竜の一つの玉が落ちた数日後、都を遠く離れた今の甘粛省西部から地震の報が届いたと伝えている。おそらく偶然だろうが、遠い地の災害をいち早く知って対策を講じるのは、古代の専制国家にすら求められた(P・ジェームズ他著「⑰■■の発明」東洋書林)▲四川大地震の現地からは生き埋め現場の惨状や被災者の嘆き、なおも刻一刻増え続ける被害が報じられている。中国政府は日本からの救援要員受け入れも決めた。被災の実情は内外のメディアによってこれまでになく生々しく伝えられている▲遠い地の災いに敏感に感応する世界中の人々の心を、被災者救援に結びつける情報公開である。それがあれば四川省の山奥の人々の苦しみも、直ちにローマの市民の心の⑯■■を鳴らす。中国国内でも震災報道を受け義援金募金など民間の支援活動がかつてない広がりを見せている▲指導部の指示を受けた中国メディアは被災者の声より首相の慰問や軍の救援の報道を優先しているという。だがおよそ五輪を開こうという国である。国民と世界の人々の心をつなぐ情報公開の回路は細めることのないよう願いたい。
産経:【⑱■■■】
作家の⑲■■■■さんが、故夏目雅子さんの心をつかんだきっかけは、目の前で「憂鬱(ゆううつ)」と漢字でさらさら書いてみせたことだという“伝説”がある。正直言って、いきなり「鬱」の字を手で書けといわれたら自信がない。
▼そもそも天下の美女相手に、漢字能力を披露する機会が訪れるわけもないのだが、この字が、常用漢字になる可能性が出てきた。改定作業を進めている⑫文化審議会の漢字小委員会が、現在の1945字に、新たに加える候補として発表した220字のなかに入っていた。
▼なるほどこのコラムを含めて、コンピューターを使った文書作りは、今やごく当たり前のこととなっている。うつという読み方を知っていれば、キーを押すだけで出てくるのだから、常用漢字に加えることには異議がない。
▼ただ、ほかの候補の漢字を見ると、首をかしげるばかりだ。「岡」「奈」「阪」「韓」や「脇」「謎」など、地名や日常的に使われているこんな漢字まで、含まれていなかった。常用漢字は、漢字使用の目安というが、もとになっているのは、終戦直後に、漢字の使用を制限する目的で制定された当用漢字だ。
▼最近、洋画の字幕さえ持て余す若者が急増していることから、吹き替え版にシフトする動きがあるそうだ。知的レベルがそこまで落ちたのは、戦後の間違った国語政策のせいだとする批判も根強い。漢字使用の拡大もけっこうだが、常用漢字という制度そのものを見直す時期ではないだろうか。
▼漢字学者の白川静さんの研究成果が広く知られるようになったこともあり、漢字文化復興の機運も高まっている。小欄は、お上の決めた目安に関係なく、必要と思われる漢字を、極力ルビを振った上で使っていくつもりだ。
東京:「⑳■■」
「ロボット」という言葉は、チェコの作家カレル・チャペックによる造語である。元になったのは強制労働や農奴を意味するチェコ語▼だが、先日、ホンダの二足歩行ロボットASIMO(アシモ)がやったのは、それとはかなり趣の違う仕事だ。米国のデトロイト交響楽団を相手にタクトを振ってみせた。楽員の一人が評して曰(いわ)く、「滑らかで優雅な指揮」と(共同)▼ロボットの活躍の場は広がっていきそうで、できる仕事をどんどん任せていくと、二〇二五年には、国内で三百五十二万人分の労働力になるとの試算もある。だが、あそこでは、できるものなら今すぐにでも手を借りたい。中国・四川大地震の被災地だ▼救助の手は到底足りず、子どもといわず、お年寄りといわず、まだ数知れぬ人が生き埋めになっている。口惜しいが、生死を分ける目安ともされる発生後「七十二時間」はきのう午後、過ぎてしまった▼ロボット研究に打ち込みながら阪神大震災で亡くなった神戸大大学院生の竸(きそい)基弘さん=名古屋市出身。竸さんと、その遺志を継いだ恩師の「夢」が、災害現場で不明者を捜す実用的な救助ロボの開発だ。この分野の研究者を顕彰する「竸基弘賞」も設けられ、取り組みが続いている▼ASIMOが指揮したのは、人気ミュージカルからの一曲、「見果てぬ夢」。いや、竸さんたちの夢は、きっとかなう。
朝日・「天声人語」
風薫る5月だが、明治の俳人正岡子規は毎年、この月がめぐると不安にかられた。脊椎(せきつい)カリエスで長く伏し、5月にはきまって病気が悪化したからだ▼自らを励まそうとしてか、1902(明治35)年5月から、随筆『病牀(びょうしょう)六尺』の新聞連載を始める。苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と子規は言う。逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている▼寝たきりの子規は、母と妹の献身的な介護をうけた。自宅で「平気で生き」ながら、35歳で没するまで、病床から盛んな筆をふるった。現代のお年寄りに置き換えれば、母妹に代わる在宅福祉のささえは、訪問介護ということになるのだろう▼だが、子規の心境で過ごすのは難しい時代になっている。在宅サービスの中心になる訪問介護の事業所が、減っているという。介護保険制度の崩壊を招きかねないと、心配する声も聞こえてくる▼2年前に介護報酬が引き下げられた。経営が悪化し、ヘルパーの賃金が減り、離職が増える。使える金の限られる中、負の循環が「安心」を細らせているようだ。だれもがいつかは老いるし、病む。そのときのために、医療も含め、手を打つには今しかない▼手厚い支えもあってだろう、子規は明るさとユーモアを失わなかった。〈枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル〉などと病床で詠んでいる。平気で生きられる――。その穏やかさが、だれの日々にも必要なのは言うまでもない。
読売・「編集手帳」
江戸川柳に、〈串(くし)といふ字を蒲焼(かばやき)と無筆(むひつ)よみ〉とある。無筆は読み書きができない人をいう。一句に注釈は要るまい◆庶民の文芸が無筆を笑ってみせたのも裏返せば、それだけ多くの人が「串」の字を読めた証しだろう。紛らわしい漢字も昔の人は、〈瓜(うり)に爪(つめ)あり、爪に爪なし〉等々の識別法を工夫して学んできた◆漢字を用いる目安となる常用漢字表(1945文字)に「串」や「爪」は入っていない。「無筆が増えたわけでもあるめえに…」と、江戸から怪訝(けげん)な声が聞こえそうである。声に応えて、でもないが、文化審議会が常用漢字表の見直しを進めている◆このほど公表された追加候補の素案(220字)には「串」「爪」「噂」「匂」「叱」などが並んでいる。「しかられる」よりも「叱られる」ほうが心なしか身にこたえる。この微妙な差も日本語がもつ文化の豊かさだろう。追加漢字の選定は“広き門”がいい◆〈書くたびに鬱(うつ)の字をひく春時雨〉(恩田侑布子)。たしかに毎度毎度、辞書のお世話になる字だが、これも「憂うつ」では雰囲気が伝わらない。「鬱」の字も追加の候補に含まれている。
毎日・「余録」(四川大地震と情報公開)
ローマの詩人ウェルギリウスには中世から伝わる奇妙な伝承がある。彼の家には各地方を表す木像が置かれ、地方に災いがあれば木像がベルをならした。同時に回転する青銅製の騎士が災いの方向を指し示した▲この遠隔地の災い探知装置の話のルーツは中国だといわれる。2世紀に張衡という人が作った地動儀という仕掛けは、八方に出た竜の口から落ちる玉で地震の方向を知る地震計だった。この装置の話がはるかシルクロードを横断したらしい▲史書はこの地動儀の竜の一つの玉が落ちた数日後、都を遠く離れた今の甘粛省西部から地震の報が届いたと伝えている。おそらく偶然だろうが、遠い地の災害をいち早く知って対策を講じるのは、古代の専制国家にすら求められた(P・ジェームズ他著「古代の発明」東洋書林)▲四川大地震の現地からは生き埋め現場の惨状や被災者の嘆き、なおも刻一刻増え続ける被害が報じられている。中国政府は日本からの救援要員受け入れも決めた。被災の実情は内外のメディアによってこれまでになく生々しく伝えられている▲遠い地の災いに敏感に感応する世界中の人々の心を、被災者救援に結びつける情報公開である。それがあれば四川省の山奥の人々の苦しみも、直ちにローマの市民の心のベルを鳴らす。中国国内でも震災報道を受け義援金募金など民間の支援活動がかつてない広がりを見せている▲指導部の指示を受けた中国メディアは被災者の声より首相の慰問や軍の救援の報道を優先しているという。だがおよそ五輪を開こうという国である。国民と世界の人々の心をつなぐ情報公開の回路は細めることのないよう願いたい。
日経・「春秋」
本紙日曜文化面に「江戸の風格」を連載する野口武彦さんの近著「幕末不戦派軍記」は「世にも太平楽な」下級幕臣4人を狂言回しに使い、幕末維新の「もうひとつの“真実の”物語」を書いている。第二章「彰義隊の巻」は1868年の江戸の市街戦が舞台だ。
▼「彰義隊が立て籠(こも)る上野山へ官軍が総攻撃を掛け」「上野の空は真っ赤で」「至るところに地獄の光景が出現していた」というその出来事を、日本最初の号外「別段 中外新聞」が速報した。新暦になおすと7月5日になるが「別段」の日付・戊辰(ぼしん)5月16日が号外発祥の日とされている。
▼横浜にある日本新聞博物館に行くと、展示ケースに入った現物が見られる。今の新聞と違い、和紙を半折りにしてとじた冊子形なのが珍しい。別のところで探した史料集を繰って記事の内容を確かめると「不戦派軍記」に出てくる場面も現れ、取材の網を広げ、集めた情報を評価、整理する腕前に感心させられる。
▼新聞博物館には以後百数十年の間に発行された号外の主なものが並ぶ。「人類ついに月到達」のような明るいニュースは少なく、ほとんどは戦争や事件、事故、天災だ。改めて、歴史は災厄に満ちていると痛感し、戊辰戦争の戦場をたどる不戦派の4人と同じやり場のない怒りを覚える。「誰のせいでこんな目に」
産経:【産経抄】
作家の伊集院静さんが、故夏目雅子さんの心をつかんだきっかけは、目の前で「憂鬱(ゆううつ)」と漢字でさらさら書いてみせたことだという“伝説”がある。正直言って、いきなり「鬱」の字を手で書けといわれたら自信がない。
▼そもそも天下の美女相手に、漢字能力を披露する機会が訪れるわけもないのだが、この字が、常用漢字になる可能性が出てきた。改定作業を進めている文化審議会の漢字小委員会が、現在の1945字に、新たに加える候補として発表した220字のなかに入っていた。
▼なるほどこのコラムを含めて、コンピューターを使った文書作りは、今やごく当たり前のこととなっている。うつという読み方を知っていれば、キーを押すだけで出てくるのだから、常用漢字に加えることには異議がない。
▼ただ、ほかの候補の漢字を見ると、首をかしげるばかりだ。「岡」「奈」「阪」「韓」や「脇」「謎」など、地名や日常的に使われているこんな漢字まで、含まれていなかった。常用漢字は、漢字使用の目安というが、もとになっているのは、終戦直後に、漢字の使用を制限する目的で制定された当用漢字だ。
▼最近、洋画の字幕さえ持て余す若者が急増していることから、吹き替え版にシフトする動きがあるそうだ。知的レベルがそこまで落ちたのは、戦後の間違った国語政策のせいだとする批判も根強い。漢字使用の拡大もけっこうだが、常用漢字という制度そのものを見直す時期ではないだろうか。
▼漢字学者の白川静さんの研究成果が広く知られるようになったこともあり、漢字文化復興の機運も高まっている。小欄は、お上の決めた目安に関係なく、必要と思われる漢字を、極力ルビを振った上で使っていくつもりだ。
東京:「筆先」
「ロボット」という言葉は、チェコの作家カレル・チャペックによる造語である。元になったのは強制労働や農奴を意味するチェコ語▼だが、先日、ホンダの二足歩行ロボットASIMO(アシモ)がやったのは、それとはかなり趣の違う仕事だ。米国のデトロイト交響楽団を相手にタクトを振ってみせた。楽員の一人が評して曰(いわ)く、「滑らかで優雅な指揮」と(共同)▼ロボットの活躍の場は広がっていきそうで、できる仕事をどんどん任せていくと、二〇二五年には、国内で三百五十二万人分の労働力になるとの試算もある。だが、あそこでは、できるものなら今すぐにでも手を借りたい。中国・四川大地震の被災地だ▼救助の手は到底足りず、子どもといわず、お年寄りといわず、まだ数知れぬ人が生き埋めになっている。口惜しいが、生死を分ける目安ともされる発生後「七十二時間」はきのう午後、過ぎてしまった▼ロボット研究に打ち込みながら阪神大震災で亡くなった神戸大大学院生の竸(きそい)基弘さん=名古屋市出身。竸さんと、その遺志を継いだ恩師の「夢」が、災害現場で不明者を捜す実用的な救助ロボの開発だ。この分野の研究者を顕彰する「竸基弘賞」も設けられ、取り組みが続いている▼ASIMOが指揮したのは、人気ミュージカルからの一曲、「見果てぬ夢」。いや、竸さんたちの夢は、きっとかなう。
NIE=
新聞のコラム:参考文献のいろいろ コラムニストは俳句好き!
全国紙新聞コラム集 (例:平成20年5月16日号:朝刊)
【 新聞コラム】名文のオンパレード!!!
問題 【マスコミ(新聞】』への道!
マスコミ志望者必携書「月刊新聞ダイジェスト:2008 No547(4月号)他:800円
定価=840円(本体800円)
発行日=2008年3月10日
発行人=唐澤壮一
発行人=佐々木健一
発行所=㈱新聞ダイジェスト社
朝日・「①■■■■」
日経・「③■■」
読売・「⑧■■■■」
毎日・「⑭■■」(四川大地震と情報公開)
産経:【⑱■■■】
東京:「⑳■■」
〒112-0005
東京都文京区水道2-17-1
ブラザーハイツ小日向南201号
電話 03-3818-8011
FAX 03-3818-8010
E-mail shimbun@crocus.ocn.ne.jp
既刊号(バックナンバー)常備書店・大学生協一覧
大学生協・売店
関東
青山学院大 ⇒青山学院大学
学習院大学
慶應義塾大学
國學院大學
上智大学
専修大学
津田塾大学
東京大学本郷
中央大学
法政大学
早稲田大学
明治大学
金沢大学
筑波大学
横浜国立大学
関西
同志社大学
立命館大学
関西大学
関西学院大学
大阪大学
京都大学
その他
北大クラーク
東北大文系
東北学院大
北九州大学
西南学院大
福岡大学
鹿児島大学
出典:2008年4月号211P
朝日・「①■■■■」
風薫る5月だが、明治の俳人②正岡■■は毎年、この月がめぐると不安にかられた。脊椎(せきつい)カリエスで長く伏し、5月にはきまって病気が悪化したからだ▼自らを励まそうとしてか、1902(明治35)年5月から、随筆『③■■(びょうしょう)■■』の新聞連載を始める。苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と②■■は言う。逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている▼寝たきりの②■■は、母と妹の献身的な介護をうけた。自宅で「平気で生き」ながら、35歳で没するまで、病床から盛んな筆をふるった。現代のお年寄りに置き換えれば、母妹に代わる在宅福祉のささえは、訪問介護ということになるのだろう▼だが、②■■の心境で過ごすのは難しい時代になっている。在宅サービスの中心になる訪問介護の事業所が、減っているという。介護保険制度の崩壊を招きかねないと、心配する声も聞こえてくる▼2年前に介護報酬が引き下げられた。経営が悪化し、ヘルパーの賃金が減り、離職が増える。使える金の限られる中、負の循環が「安心」を細らせているようだ。だれもがいつかは老いるし、病む。そのときのために、医療も含め、手を打つには今しかない▼手厚い支えもあってだろう、②■■は明るさとユーモアを失わなかった。〈枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル〉などと病床で詠んでいる。平気で生きられる――。その穏やかさが、だれの日々にも必要なのは言うまでもない。
日経・「③■■」
本紙日曜文化面に「江戸の風格」を連載する④■■武彦さんの近著「⑤■■不戦派軍記」は「世にも太平楽な」下級幕臣4人を狂言回しに使い、⑤■■維新の「もうひとつの“真実の”物語」を書いている。第二章「彰義隊の巻」は1868年の江戸の市街戦が舞台だ。
▼「彰義隊が立て籠(こも)る上野山へ官軍が総攻撃を掛け」「上野の空は真っ赤で」「至るところに地獄の光景が出現していた」というその出来事を、日本最初の⑥■■「別段 中外新聞」が速報した。新暦になおすと7月5日になるが「別段」の日付・戊辰(ぼしん)5月16日が⑥■■発祥の日とされている。
▼横浜にある日本⑦■■■■館に行くと、展示ケースに入った現物が見られる。今の新聞と違い、和紙を半折りにしてとじた冊子形なのが珍しい。別のところで探した史料集を繰って記事の内容を確かめると「不戦派軍記」に出てくる場面も現れ、取材の網を広げ、集めた情報を評価、整理する腕前に感心させられる。
▼⑦■■■■館には以後百数十年の間に発行された⑥■■の主なものが並ぶ。「人類ついに月到達」のような明るいニュースは少なく、ほとんどは戦争や事件、事故、天災だ。改めて、歴史は災厄に満ちていると痛感し、戊辰戦争の戦場をたどる不戦派の4人と同じやり場のない怒りを覚える。「誰のせいでこんな目に」
読売・「⑧■■■■」
江戸⑨■■に、〈串(くし)といふ字を蒲焼(かばやき)と無筆(むひつ)よみ〉とある。無筆は読み書きができない人をいう。一句に注釈は要るまい◆庶民の文芸が無筆を笑ってみせたのも裏返せば、それだけ多くの人が「串」の字を読めた証しだろう。紛らわしい漢字も昔の人は、〈⑩■(うり)に⑪■(つめ)あり、爪に爪なし〉等々の識別法を工夫して学んできた◆漢字を用いる目安となる常用漢字表(1945文字)に「串」や「爪」は入っていない。「無筆が増えたわけでもあるめえに…」と、江戸から怪訝(けげん)な声が聞こえそうである。声に応えて、でもないが、⑫■■審議会が常用漢字表の見直しを進めている◆このほど公表された追加候補の素案(220字)には「串」「爪」「噂」「匂」「叱」などが並んでいる。「しかられる」よりも「叱られる」ほうが心なしか身にこたえる。この微妙な差も日本語がもつ文化の豊かさだろう。追加漢字の選定は“⑬■き門”がいい◆〈書くたびに鬱(うつ)の字をひく春時雨〉(恩田侑布子)。たしかに毎度毎度、辞書のお世話になる字だが、これも「憂うつ」では雰囲気が伝わらない。「鬱」の字も追加の候補に含まれている。
注:⑫のヒント:2008年5月16日発行の産経新聞 コラム 産経:【⑱■■■】
毎日・「⑭■■」(四川大地震と情報公開)
ローマの⑮■人ウェルギリウスには中世から伝わる奇妙な伝承がある。彼の家には各地方を表す木像が置かれ、地方に災いがあれば木像が⑯■■をならした。同時に回転する青銅製の騎士が災いの方向を指し示した▲この遠隔地の災い探知装置の話のルーツは中国だといわれる。2世紀に張衡という人が作った地動儀という仕掛けは、八方に出た竜の口から落ちる玉で地震の方向を知る地震計だった。この装置の話がはるかシルクロードを横断したらしい▲史書はこの地動儀の竜の一つの玉が落ちた数日後、都を遠く離れた今の甘粛省西部から地震の報が届いたと伝えている。おそらく偶然だろうが、遠い地の災害をいち早く知って対策を講じるのは、古代の専制国家にすら求められた(P・ジェームズ他著「⑰■■の発明」東洋書林)▲四川大地震の現地からは生き埋め現場の惨状や被災者の嘆き、なおも刻一刻増え続ける被害が報じられている。中国政府は日本からの救援要員受け入れも決めた。被災の実情は内外のメディアによってこれまでになく生々しく伝えられている▲遠い地の災いに敏感に感応する世界中の人々の心を、被災者救援に結びつける情報公開である。それがあれば四川省の山奥の人々の苦しみも、直ちにローマの市民の心の⑯■■を鳴らす。中国国内でも震災報道を受け義援金募金など民間の支援活動がかつてない広がりを見せている▲指導部の指示を受けた中国メディアは被災者の声より首相の慰問や軍の救援の報道を優先しているという。だがおよそ五輪を開こうという国である。国民と世界の人々の心をつなぐ情報公開の回路は細めることのないよう願いたい。
産経:【⑱■■■】
作家の⑲■■■■さんが、故夏目雅子さんの心をつかんだきっかけは、目の前で「憂鬱(ゆううつ)」と漢字でさらさら書いてみせたことだという“伝説”がある。正直言って、いきなり「鬱」の字を手で書けといわれたら自信がない。
▼そもそも天下の美女相手に、漢字能力を披露する機会が訪れるわけもないのだが、この字が、常用漢字になる可能性が出てきた。改定作業を進めている⑫文化審議会の漢字小委員会が、現在の1945字に、新たに加える候補として発表した220字のなかに入っていた。
▼なるほどこのコラムを含めて、コンピューターを使った文書作りは、今やごく当たり前のこととなっている。うつという読み方を知っていれば、キーを押すだけで出てくるのだから、常用漢字に加えることには異議がない。
▼ただ、ほかの候補の漢字を見ると、首をかしげるばかりだ。「岡」「奈」「阪」「韓」や「脇」「謎」など、地名や日常的に使われているこんな漢字まで、含まれていなかった。常用漢字は、漢字使用の目安というが、もとになっているのは、終戦直後に、漢字の使用を制限する目的で制定された当用漢字だ。
▼最近、洋画の字幕さえ持て余す若者が急増していることから、吹き替え版にシフトする動きがあるそうだ。知的レベルがそこまで落ちたのは、戦後の間違った国語政策のせいだとする批判も根強い。漢字使用の拡大もけっこうだが、常用漢字という制度そのものを見直す時期ではないだろうか。
▼漢字学者の白川静さんの研究成果が広く知られるようになったこともあり、漢字文化復興の機運も高まっている。小欄は、お上の決めた目安に関係なく、必要と思われる漢字を、極力ルビを振った上で使っていくつもりだ。
東京:「⑳■■」
「ロボット」という言葉は、チェコの作家カレル・チャペックによる造語である。元になったのは強制労働や農奴を意味するチェコ語▼だが、先日、ホンダの二足歩行ロボットASIMO(アシモ)がやったのは、それとはかなり趣の違う仕事だ。米国のデトロイト交響楽団を相手にタクトを振ってみせた。楽員の一人が評して曰(いわ)く、「滑らかで優雅な指揮」と(共同)▼ロボットの活躍の場は広がっていきそうで、できる仕事をどんどん任せていくと、二〇二五年には、国内で三百五十二万人分の労働力になるとの試算もある。だが、あそこでは、できるものなら今すぐにでも手を借りたい。中国・四川大地震の被災地だ▼救助の手は到底足りず、子どもといわず、お年寄りといわず、まだ数知れぬ人が生き埋めになっている。口惜しいが、生死を分ける目安ともされる発生後「七十二時間」はきのう午後、過ぎてしまった▼ロボット研究に打ち込みながら阪神大震災で亡くなった神戸大大学院生の竸(きそい)基弘さん=名古屋市出身。竸さんと、その遺志を継いだ恩師の「夢」が、災害現場で不明者を捜す実用的な救助ロボの開発だ。この分野の研究者を顕彰する「竸基弘賞」も設けられ、取り組みが続いている▼ASIMOが指揮したのは、人気ミュージカルからの一曲、「見果てぬ夢」。いや、竸さんたちの夢は、きっとかなう。
朝日・「天声人語」
風薫る5月だが、明治の俳人正岡子規は毎年、この月がめぐると不安にかられた。脊椎(せきつい)カリエスで長く伏し、5月にはきまって病気が悪化したからだ▼自らを励まそうとしてか、1902(明治35)年5月から、随筆『病牀(びょうしょう)六尺』の新聞連載を始める。苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と子規は言う。逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている▼寝たきりの子規は、母と妹の献身的な介護をうけた。自宅で「平気で生き」ながら、35歳で没するまで、病床から盛んな筆をふるった。現代のお年寄りに置き換えれば、母妹に代わる在宅福祉のささえは、訪問介護ということになるのだろう▼だが、子規の心境で過ごすのは難しい時代になっている。在宅サービスの中心になる訪問介護の事業所が、減っているという。介護保険制度の崩壊を招きかねないと、心配する声も聞こえてくる▼2年前に介護報酬が引き下げられた。経営が悪化し、ヘルパーの賃金が減り、離職が増える。使える金の限られる中、負の循環が「安心」を細らせているようだ。だれもがいつかは老いるし、病む。そのときのために、医療も含め、手を打つには今しかない▼手厚い支えもあってだろう、子規は明るさとユーモアを失わなかった。〈枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル〉などと病床で詠んでいる。平気で生きられる――。その穏やかさが、だれの日々にも必要なのは言うまでもない。
読売・「編集手帳」
江戸川柳に、〈串(くし)といふ字を蒲焼(かばやき)と無筆(むひつ)よみ〉とある。無筆は読み書きができない人をいう。一句に注釈は要るまい◆庶民の文芸が無筆を笑ってみせたのも裏返せば、それだけ多くの人が「串」の字を読めた証しだろう。紛らわしい漢字も昔の人は、〈瓜(うり)に爪(つめ)あり、爪に爪なし〉等々の識別法を工夫して学んできた◆漢字を用いる目安となる常用漢字表(1945文字)に「串」や「爪」は入っていない。「無筆が増えたわけでもあるめえに…」と、江戸から怪訝(けげん)な声が聞こえそうである。声に応えて、でもないが、文化審議会が常用漢字表の見直しを進めている◆このほど公表された追加候補の素案(220字)には「串」「爪」「噂」「匂」「叱」などが並んでいる。「しかられる」よりも「叱られる」ほうが心なしか身にこたえる。この微妙な差も日本語がもつ文化の豊かさだろう。追加漢字の選定は“広き門”がいい◆〈書くたびに鬱(うつ)の字をひく春時雨〉(恩田侑布子)。たしかに毎度毎度、辞書のお世話になる字だが、これも「憂うつ」では雰囲気が伝わらない。「鬱」の字も追加の候補に含まれている。
毎日・「余録」(四川大地震と情報公開)
ローマの詩人ウェルギリウスには中世から伝わる奇妙な伝承がある。彼の家には各地方を表す木像が置かれ、地方に災いがあれば木像がベルをならした。同時に回転する青銅製の騎士が災いの方向を指し示した▲この遠隔地の災い探知装置の話のルーツは中国だといわれる。2世紀に張衡という人が作った地動儀という仕掛けは、八方に出た竜の口から落ちる玉で地震の方向を知る地震計だった。この装置の話がはるかシルクロードを横断したらしい▲史書はこの地動儀の竜の一つの玉が落ちた数日後、都を遠く離れた今の甘粛省西部から地震の報が届いたと伝えている。おそらく偶然だろうが、遠い地の災害をいち早く知って対策を講じるのは、古代の専制国家にすら求められた(P・ジェームズ他著「古代の発明」東洋書林)▲四川大地震の現地からは生き埋め現場の惨状や被災者の嘆き、なおも刻一刻増え続ける被害が報じられている。中国政府は日本からの救援要員受け入れも決めた。被災の実情は内外のメディアによってこれまでになく生々しく伝えられている▲遠い地の災いに敏感に感応する世界中の人々の心を、被災者救援に結びつける情報公開である。それがあれば四川省の山奥の人々の苦しみも、直ちにローマの市民の心のベルを鳴らす。中国国内でも震災報道を受け義援金募金など民間の支援活動がかつてない広がりを見せている▲指導部の指示を受けた中国メディアは被災者の声より首相の慰問や軍の救援の報道を優先しているという。だがおよそ五輪を開こうという国である。国民と世界の人々の心をつなぐ情報公開の回路は細めることのないよう願いたい。
日経・「春秋」
本紙日曜文化面に「江戸の風格」を連載する野口武彦さんの近著「幕末不戦派軍記」は「世にも太平楽な」下級幕臣4人を狂言回しに使い、幕末維新の「もうひとつの“真実の”物語」を書いている。第二章「彰義隊の巻」は1868年の江戸の市街戦が舞台だ。
▼「彰義隊が立て籠(こも)る上野山へ官軍が総攻撃を掛け」「上野の空は真っ赤で」「至るところに地獄の光景が出現していた」というその出来事を、日本最初の号外「別段 中外新聞」が速報した。新暦になおすと7月5日になるが「別段」の日付・戊辰(ぼしん)5月16日が号外発祥の日とされている。
▼横浜にある日本新聞博物館に行くと、展示ケースに入った現物が見られる。今の新聞と違い、和紙を半折りにしてとじた冊子形なのが珍しい。別のところで探した史料集を繰って記事の内容を確かめると「不戦派軍記」に出てくる場面も現れ、取材の網を広げ、集めた情報を評価、整理する腕前に感心させられる。
▼新聞博物館には以後百数十年の間に発行された号外の主なものが並ぶ。「人類ついに月到達」のような明るいニュースは少なく、ほとんどは戦争や事件、事故、天災だ。改めて、歴史は災厄に満ちていると痛感し、戊辰戦争の戦場をたどる不戦派の4人と同じやり場のない怒りを覚える。「誰のせいでこんな目に」
産経:【産経抄】
作家の伊集院静さんが、故夏目雅子さんの心をつかんだきっかけは、目の前で「憂鬱(ゆううつ)」と漢字でさらさら書いてみせたことだという“伝説”がある。正直言って、いきなり「鬱」の字を手で書けといわれたら自信がない。
▼そもそも天下の美女相手に、漢字能力を披露する機会が訪れるわけもないのだが、この字が、常用漢字になる可能性が出てきた。改定作業を進めている文化審議会の漢字小委員会が、現在の1945字に、新たに加える候補として発表した220字のなかに入っていた。
▼なるほどこのコラムを含めて、コンピューターを使った文書作りは、今やごく当たり前のこととなっている。うつという読み方を知っていれば、キーを押すだけで出てくるのだから、常用漢字に加えることには異議がない。
▼ただ、ほかの候補の漢字を見ると、首をかしげるばかりだ。「岡」「奈」「阪」「韓」や「脇」「謎」など、地名や日常的に使われているこんな漢字まで、含まれていなかった。常用漢字は、漢字使用の目安というが、もとになっているのは、終戦直後に、漢字の使用を制限する目的で制定された当用漢字だ。
▼最近、洋画の字幕さえ持て余す若者が急増していることから、吹き替え版にシフトする動きがあるそうだ。知的レベルがそこまで落ちたのは、戦後の間違った国語政策のせいだとする批判も根強い。漢字使用の拡大もけっこうだが、常用漢字という制度そのものを見直す時期ではないだろうか。
▼漢字学者の白川静さんの研究成果が広く知られるようになったこともあり、漢字文化復興の機運も高まっている。小欄は、お上の決めた目安に関係なく、必要と思われる漢字を、極力ルビを振った上で使っていくつもりだ。
東京:「筆先」
「ロボット」という言葉は、チェコの作家カレル・チャペックによる造語である。元になったのは強制労働や農奴を意味するチェコ語▼だが、先日、ホンダの二足歩行ロボットASIMO(アシモ)がやったのは、それとはかなり趣の違う仕事だ。米国のデトロイト交響楽団を相手にタクトを振ってみせた。楽員の一人が評して曰(いわ)く、「滑らかで優雅な指揮」と(共同)▼ロボットの活躍の場は広がっていきそうで、できる仕事をどんどん任せていくと、二〇二五年には、国内で三百五十二万人分の労働力になるとの試算もある。だが、あそこでは、できるものなら今すぐにでも手を借りたい。中国・四川大地震の被災地だ▼救助の手は到底足りず、子どもといわず、お年寄りといわず、まだ数知れぬ人が生き埋めになっている。口惜しいが、生死を分ける目安ともされる発生後「七十二時間」はきのう午後、過ぎてしまった▼ロボット研究に打ち込みながら阪神大震災で亡くなった神戸大大学院生の竸(きそい)基弘さん=名古屋市出身。竸さんと、その遺志を継いだ恩師の「夢」が、災害現場で不明者を捜す実用的な救助ロボの開発だ。この分野の研究者を顕彰する「竸基弘賞」も設けられ、取り組みが続いている▼ASIMOが指揮したのは、人気ミュージカルからの一曲、「見果てぬ夢」。いや、竸さんたちの夢は、きっとかなう。